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「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」その後…  その②

前々回のブログで1669年創業のパティスリー「Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」が40bis rue Saint-Jacquesへ移転するまでのお話し、そして前回のブログでは移転後どうなったか?について書きました。

店名を「Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール」と変え22,rue des Martyrs
移転したわけですが、オーナーのPierre Seurre ;ピエール・スール氏退職に伴い、2011年2月に閉店したところまでのお話でした。

今回はその後について…


22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)という住所の現在については、大勢の方がご存知のことだろうと思います。
そう、Sébastien Gaudard ;セバスチャン・ゴダール氏の1軒目のお店、「Pâtisserie des Martyrs;
パティスリー・デ・マルティール
」になっていますね♪
9区在住で自身のパティスリーを開くために場所探しをしていたゴダール氏がこの店を手に入れ、2011年末に
オープンしました。

ファッショナブルなパティスリーだった「デリカバー」から、同じくパティシエだった父親が作っていたような古典菓子へと
原点回帰を果たし、さらに進化『Revisitée』させたゴダール氏が、ピエール・ラカンの流れを引き継いだジェラール・スール氏の店を手に入れたのは必然的なことだったのではないかとさえ感じます。

店内のショーケースにはPont-à-Mousson ;ポンタムッソンでパティスリーを経営していたゴダール氏の父Daniel Gaudard;ダニエル・ゴダール氏の考案したスペシャリテ「Mussipontain ;ミュシポンタン」をはじめとするクラシックな古典菓子が、シンプルながらも現代風でオシャレになって並べられ、伝統菓子継承者としてのゴダール氏の覚悟、心持が感じられるように思いました。
私のような古典菓子好きにはとても嬉しい~♪
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↑ Pont-à-Moussonの住人を指す男性名詞、「Mussipontain」と命名されたスペシャリテ



さて、開店からおよそ丸1年後の2013年、サロンデュショコラの為にゴダール氏が来日されました。
この時は仕事でご一緒させて頂きましたが、忙しくて雑談など出来る時間は無く…。
それでもゴダール氏が京都から関空経由で帰国させる日の朝、京都駅へお見送りに行った際、
ほんの少しだけお話しすることが出来ました♪
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↑ SDC来日時のGaudard氏

この時「ジェラール・スール氏が曾祖父ピエール・ラカンの貴重な蔵書をオークションにかけて手放してしまった」話や「自分も欲しいのが沢山あった」といった話しを聞き、ジェラール・スール氏の「ルソー・エ・スール・トレトゥール」という店が持っていた価値を改めて気付かされ、一度も(たぶん)訪れたことが無かったことを心から残念に思ったのでした(ここで働いたことのある日本人パティシエさんは結構いらっしゃるのでいつかお話を聞けたら嬉しいです^^)。
* こちらはオークション時のピエール・ラカン氏の蔵書リスト。全部で199点!さぞや多くの人の手に渡ったことでしょう。日本人で手に入れた人は居ないかなぁ。気になります♪

ところで皆さんは「パティスリー・デ・マルティール」の正面左側のところに『Succr Lacam Seurre』と金文字で書かれているのをご存知でしょうか。これは『ラカム スールの後継者』という意味です。
* 開店当初の写真を見るとこの文字は書かれていません。いつのタイミングで書き加えられたのでしょうか。
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↑ 『Succr Lacam Seurre』の金文字

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」のことを調べていたら、そのパティスリーの系譜が今でも連綿と続いていることが分かったのでした。


フランス菓子古地図散歩はまだまだ続く…^^



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# by Ethno-PATISSERIE | 2016-09-01 17:27 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(3)

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」のその後…  その①

前回のブログでご紹介した、1669年 rue du Mont Saint-Hilaire,16(モン・サン・ティレール通り16番地) (*)に創業された有名パティスリー「Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」。
(*)現在のrue de Lanneau(ラノー通り)
お店の創業から228年後の1897年5月、当時の所有者Villez氏によって40bis rue Saint-Jacquesへ移転してしまいましたが、その後どうなったのでしょう?

現在この住所にパティスリーはありません。
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↑ 赤い矢印の建物が40bis rue Saint-Jacques

とはいえ、このパティスリーの流れが途絶えたわけではありませんでした。


少々話はそれますが…
かつてパリ9区の 22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)に『Rousseau et Seurre Traiteurs ;
ルソー・エ・スール・トレトゥール』というパティスリーがありました。
この住所、お菓子好きの人ならばご存知かもしれません^^

当時この「ルソー・エ・スール・トレトゥール」オーナーだったGerard Seurre ;ジェラール・スール氏の引退にあたり、シェフ・パティシエが後を引き継ぐのかとも思われていましたが、売却。

この『Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール』について調べている時に
「Maison fondée en 1669 au 40 bis rue Saint-Jacques 5e reprise en 1912 par Paul Seurre」
1669年、5区にあるサン・ジャック通り40番地の2に創業した店がPaul Seurre ;ポール・スールによって1912年に引き継がれた。

と書かれているものを発見!


前回のブログを読まれた方にはすぐ分かると思いますが、1669年に創業したのは40bis rue Saint-Jacquesではなく、rue du Mont Saint-Hilaire,16(モン・サン・ティレール通り16番地) に創業した店「Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」のこと。おそらく店の所有者がこの住所に移転した為、このように書かれたのでしょう。
*年代から見て、おそらくVillez氏からPaul Seurre ; ポール・スール氏が引き継いだのではないでしょうか。

このポール・スール氏は、菓子職人であり料理史家そして「Le Mémorial hisrorique et géographique de la Pâtisserie(歴史的・地理的 製菓覚書)」等々の著者でもある、有名なPierre Lacam ;ピエール・ラカン氏の娘Henriette ;アンリエットと結婚しています。
*この店を手に入れた年、彼は30歳(アンリエット23歳)。調べても分かりませんでしたが、この時すでに結婚していたかもしれません。
*因みにラカン氏は1902年8月(65歳)にこの世を去っています。スール氏はラカン氏の本の再版、改訂増補版を
数多く出版。

ポール・スール氏についてはこれ以上詳しいことは分かりませんでしたが、ラカン氏の娘婿ともなればこの店を
買い取るにふさわしいような気もしますね^^

さて、この夫婦の息子Pierre Seurre ;ピエール・スール氏は、7,bd.Rochechouartに菓子屋を構えていたRaul Rousseau ;ラウル・ルソーの娘 Madeleine ;マドレーヌと結婚します。
*「Rousseau et Seurre ;ルソー・エ・スール」という名称に変更したのは1956年のことのようで、ピエールが44歳の時とすると、それぞれの親が退職して後を継いだ後に変えたのかもしれません。
* ルソー氏のパティスリーがあった住所は1956年「Rousseau et Seurre」という同じ名前で不動産を扱う会社に
変わり、2016年7月に廃業しています。

そしてピエールマドレーヌの息子が上記のGerard Seurre ;ジェラール・スール氏です。
彼が1985年末に『Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール』という会社を創業。
22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)に店を移転し、25年後の2011年2月に閉店しています。

そう「オ・ピュイ・セルタン」は場所や店名を変えつつも、続いていたのです。
しかもピエール・ラカンという輝かしい経歴を持つパティシエの家系も加わって…。


その②へ続く・・・>




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# by Ethno-PATISSERIE | 2016-08-21 22:24 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」は何処に?

流行りのお菓子を食べ歩くよりも「フランス菓子の歴史」に惹かれる者にとって、
実際フランスの地を訪れて一番ワクワクするのは、その歴史を身近に感じられること。

パリで本物の地方菓子・行事菓子を見つけるのは難しいけれど、古典菓子が多く作られているのはやっぱりこの街。
訪れる価値は大いにあります。
古い建物も残っており昔の雰囲気も所々に感じられて、当時活躍したパティシエたちにゆかりある地を訪ね
ゆっくりと古地図散歩するにはとても楽しいところなのです♪

パリで最も古いパティスリー』と言えばやはり「Stohrer ;ストレール(*)」。
公式サイトにも「La plus ancienne pâtisserie de Paris(パリで最も古いパティスリー)」とありますしね。
創業時から現在まで同じ場所でパティスリーを続けているという意味では間違いないでしょう。
(*)Stohrer ;ストレール ;Nicolas Stohrer ;ニコラ・ストレールにより51 de la rue Montorgueil (モントルグイユ通り51番地)で1730年創業。現在の建物は18世紀末のもの。

パティスリー以外でもずっと同じ場所にあるお店といえば、他にも
現在レストラン・サロンドテとなっている202 rue Saint Honoréの「Ragueneau ;ラグノー」。
*当時cabaret(居酒屋・小料理屋の類)であった両親の店をCyprien Ragueneau ;シプリアン・ラグノー(1608~1654)が後を継いだのは1640年頃のこと。

そして、現存するパリ最古のCafé ;カフェ(Glacierでもあった)で13 rue de l'Ancienne-Comédie(かつての通り名はrue des Fossés-Saint-Germain)にある「Le Procope ;プロコプ」。
*シシリア島パレルモ出身のFrancesco Procopio dei Coltelli((1651~1727 ;フランス名;François Procope-Couteaux)により1686年創業。
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等々、いくつか思い浮かびます^^


さて Maglonne Toussaint-Samat ;マグロンヌ・トゥーサン=サマ著
La Très Belle et Très exquise historique des Gâteaux et de friandises(お菓子の歴史)
には「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」として
…fondée en 1669, rue du Mont Saint-Hilaire, par un certain Dugast…
…1669年にデュガという人物がモン・サン・ティレール通りに開業した店…

が紹介されています。

この店のスペシャリテは『Têtes de veau farcies;テット・ド・ヴォー・ファルシ』。
グリモ・ド・ラ・レニエールによる「Almanach des Gourmands(美食年鑑) 1803~1812」(*)等でも称賛されるほど有名でした。(この時期の所有者はCauchois氏)
(*)「Almanach des Gourmands(美食年鑑) 1803~1812」は、弁護士で有名な美食家でもある
Alexandre-Balthazar-Laurent Grimod de La Reynière ;アレクサンドル=バルタザール=ローラン・グリモ・
ドゥ・ラ・レニエール(1758-1837)により出版され、フランスで最初の料理評論書&ガイドブックとされる本。
パティスリーも住所やスペシャリテと共に紹介されている。


第一帝政(*)の頃には「この店のテット・ド・ヴォー無しの晩餐会はあり得ない」と言われるほどだったと言います。
注文もかなり多く、パリ市内に熱々のものが届けられていたとか。
(*)フランス皇帝ナポレオン1世の軍事独裁政権。
1804-5-18~1814-4-14及び1815-3-20~1815-7-7までの期間。



ではこのお店、一体どこにあったのでしょう?
rue du Mont Saint-Hilaire(モン・サン・ティレール通り)は、
パリ5区にある現在のrue de Lanneau(ラノー通り)にあたります。
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↑Lanneau通りの看板

この店について古書で調べてみると、モン・サン・ティレール通り16番地にあり、近くにあった井戸の名前から
Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」という店名だったことが判明。
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↑白抜きの赤い矢印の先にあるのが井戸「Puits Certain」
パティスリーがあったのはおそらく赤い矢印の先にある角の建物
*「Plan de Mérian(1615)」一部

モン・サン・ティレール通りは1880年、rue Fromentalと合併しrue de Lanneauとなりましたが、1890年の本に
Pâtissier-cuisinier Villez-Bonouard rue de Lanneau 16
とあるのを発見。
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↑この写真の手前左側辺りに店があった?

現在16番地にある建物は20世紀中頃に建てられたものですが、
1185年頃創設されたパリでもかなり古いこの通りには古い建物が残され、お店のあった当時を想像するには
十分な雰囲気があります。

向かい側 11番地にある「Restaurant le Coupe Chou ;クープ・シュー」地下にあるカーヴには、
かつてあった井戸「Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン(*)」の基礎部分が残されているそうで…(見に行きたい♪)。
(*)この井戸は1572年、Eglise Saint Hilaireサン・ティレール教会の司祭、次いでコレージュ・サント・バルブの校長
となったRobert Certain ;ロベール・セルタンにより掘られ、その後18世紀初めに埋められたが、
1894年下水道工事中に発見されている。

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↑「Coupe Chou」の入口


ちなみに分かっている代々の所有者たちを整理してみるとこんな感じでした。
(全てを網羅することはなかなかに難しい…><)
Dugast氏 ;1669年(1625/1630年?)~?年 
Varin氏 ; 所有時期不明
Fromont氏 ; 所有時期不明
Cauchois氏 ;1790~1810年 
Vachette氏 ;1810~1824年頃? 
Seignier氏 ;1838年前後 
Banouard氏1847年頃~1864年(/1880年頃?) 
Villez-Banouard氏 ;1890年頃~1897年4月

1897年5月に Villez氏は店を同じ5区にある40bis rue Saint-Jacquesへ移転。
ラノー通り16番地の店はパティスリーではなく酒屋に変わっていました。
* ほとんどの場合「1669年創業」とされるが「Collines et buttes parisiennes」Henri Bachelin著(1944)には『1625年~1630年に開店』とある。

たまたま「Bulletin de la Montagne Ste.Geneviève et ses abords」Jules Périn著(1896年)の中で見つけたCauchois;コショワ氏の後継者、Vachette氏のショップカードの複製。
こういうの、なんだかとってもワクワクな気分になります~♪
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* Villez-Banouard氏が所有していた銅板を用いて複製された


さてお次はどこへ行こうかな^^




                      ※※※




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# by Ethno-PATISSERIE | 2016-08-14 10:23 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

プロヴァンでニフレットを買ったそのあとは…

帰りの電車の時間まで町をぶらぶらお散歩。

地の利に恵まれていたおかげで古くから栄えたProvins ;プロヴァンの町は、
中世の頃にはパリ、ルーアンに続く重要な都市であり、
商業の要としてヨーロッパから様々な産物が集まる所で、現在でも古い建物が多く残されています。

Hostellerie de la Croix d’Or ;オステルリー・ドゥ・ラ・クロワ・ドール」という
1264年から1270年にかけて建てられ、今もなおそのまま残っているフランス最古のオステルリーも。
(周りから眺めるだけでも十分想像が膨らむ)
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ここでお昼でも良かったのですが、どうせなら観光客ではなくて地元の人が行くお店が良いなぁ~と思い
それっぽいお店へ。
週末だったので地元の家族客で一杯!とても活気のあるお店でした。
一人でしたが、隣になった常連のおじさんとおしゃべりしながらの楽しいランチタイムに。
(食後のコーヒーおごってくれた♪Merci !)
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↑ ランチは軽く「Salade Gourmande」美味^^

さて、プロヴァンのある町はBrie ;ブリーと呼ばれる自然地理区に属しており、
この地区ではBrie de Meaux ;ブリー・ド・モーをはじめとする各種ブリーが生産されています。
Coulommiers ;クーロミエを加えると町の名前の付いたものだけで6つもある充実ぶり。
*Brie de Meaux(AOC),Brie de Melun(AOC),
Brie de Montereau,Brie de Nangis, Brie de Provins,Coulommiers

そう、この町にもブリーがあるのですよ♪これを見つけるのも目的の1つでした。
時間さえあれば作っているところから見学したいところですが、プロヴァンへは日帰り旅なので手っ取り早くフロマジュリーへ。
さすが地元の有名チーズ屋さんだけあってBrie de Provins ;ブリー・ド・プロヴァンを無事発見!
ついでにピスタチオを挟んで美味しそうなBrie à la pistache もお買い上げ^^
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↑ Brie de Nangis ;パリープロヴァン間にNangis駅を通過する

そしてマルシェでは、生産者が1軒しかないBrie de Nangis ;ブリー・ド・ナンジも発見!
これまた楽しい食べ比べになりました。
(フランスの美味しいものに詳しい友人が日本に持ち帰ったBrie de Montereau ;ブリー・ド・モントローは特に大好きだったなぁ~)

そうそう、Rose de Provins(プロヴァンのバラ)でも有名ですよね。
これは1240年、シャンパーニュ伯ティエボー4世(*)が十字軍遠征より持ち帰ったもの。
(*)テオバルド1世(Teobaldo I de Navarra, : Thibaut Ier de Navarre, 1201年 – 1253年) ;
シャンパーニュ伯(ティボー4世、在位;1201年 – 1253年)
ナバラ王(仏語ティボー1世又は西語テオバルド1世、在位;1234年–1253年)
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↑ Tour César(セザール塔)
それまで曇っていて暗―い雰囲気だったのに、観光の中心、旧市街のある高台へ登っていくと青空に。


この時期バラには遅すぎでしたが、蜂蜜とバラの製品を扱うお土産物屋さんに入ると、
古い蜂の巣のコレクションが沢山!
マダムがこれがまたとってもサンパティック♪
沢山おしゃべりが出来て楽しいひと時でした(バラの石鹸をおまけにくれた♪)。
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↑ 「La Ronde des Abeilles」のマダム^^


パリ近郊の観光地としても知られるプロヴァン。
各国から訪れた大勢の観光客にも遭遇しましたが、そこに住む人々は意外と観光客相手の手慣れた感じ
じゃなくて、普通の(魅力的な)人々でした。

今度はバラの季節に行けるといいな~♪



※※※




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# by Ethno-PATISSERIE | 2015-10-31 19:43 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

諸聖人の日のお菓子「la Niflette ;ニフレット」

la Niflette ;ニフレット」は、オレンジ・フラワー・ウオーターで香り付けしたクレーム・パティシエールをのせて焼いた、丸い小さなパイ菓子。
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↑ Boulangerie Marc Mecreantのニフレット

Provin ;プロヴァンの町とその近郊のスペシャリテで、11月1日 Toussaint ;トゥーサン(諸聖人の日 )
伝統的なお菓子です。
この日の前後2週間程度の間という短い期間しか販売されていません。
* Provin ;プロヴァンはIle-de-France ;イル・ド・フランス地方圏 Seine-et-Marne ;セーヌ・エ・マルヌ県の町。古くから栄えた町で、古い街並みも多く残され「中世市場都市プロヴァン」としてユネスコ世界遺産に登録されており、またコンフィチュール等バラを使った製品でも有名。
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↑ 青空市ではお供え用の鉢植えの菊が沢山売られていました。


この菓子の起源は中世に遡るという研究家もいるとのことですが、
現在のような形になったのはガルニチュールであるクレーム・パティシエールが考案された17世紀以降であることに間違いありません。
またかつては、現在のような小さいものの他に大きなサイズも存在し、売り子が通りでアツアツの出来たてを販売するのが伝統的なスタイルであったのに対し、現在では作り置きした小さいサイズのものを、
主に1ダースずつ販売するスタイルに変わっています(1個からでも購入可)。


それにしても何故、諸聖人の日にニフレットが食べられるお菓子となったのでしょう?
いつから、誰が作り始めたのか?はっきりしたことは全く分かっていません。

フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅する
L’inventaire du patrimine culinare de la France 」Ile de France版(1993年)によると、
この名前の由来はラテン語の「ne flete」(仏語でne pleure pas(泣かないで)という意味を示す)の変形だ
とされ、かつて「この菓子は両親のお墓の前で泣く孤児に贈る習慣があった」ため、これに由来するだろうと考えられています。 (残念ながら、この習慣については昔の資料を探しても出てこず…。)

これは現在一般的な説となっていて、調べてもおそらくこれ以外は出てこないでしょう。


私が見つけられたニフレットに関する一番古い記述は、色々な歌を集めて紹介するLouise Hardouin Prosper Tarbé著「Romancero de Champagne,Tome Ⅱ(1862年)」という本でした。
歌の題名はずばり
La Toussaint, ou Les Niflettes de Provin(諸聖人の日、或いはプロヴァンのニフレット)」。
歌詞からは諸聖人の日の頃、大小の熱々ニフレットを売り歩く売り子の様子が思い浮び、この頃にはこの地ですでに定着しているお菓子であることが分かります。
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添えられた注釈には『遠い昔から11月1日に若い売り子がこの歌をうたっていた』こと、『Nifletと言う語は美味しいものに付けられた別称であること』、そして『nifler,reniflerという動詞が「気取って嗅ぐ」ことを意味する(←ちょっとピンとこないけど) 語だということ』が説明されていました。
そして「この日にこの菓子をたべるのは『故人たちの葬送の食事』或いは『諸聖人への陽気なお祝い』の
どちらだろうか?」とも書かれていて、この時点でもその意味合いがはっきりしていないことが伺えます。

この次に古い記述は
Bulletin de la Société d'archéologie, sciences, lettres et arts du département de Seine-et-Marne (セーヌ・エ・マルヌ県 考古学、科学、文学、芸術の報告書)」の1869年度版
にありました。
ここでは上記の本よりも12年古い「1850年8月24日付『Feuille de Provins 』の記事の中で、
nifletteという語が、諸聖人の日のお祝いに対する楽しい感情を表現する意味合いを込めて、
ラテン語の「ne ftete(=ne pleurez pas泣かないで)」に由来したものであることを示そうと努めた・・・」という内容が書かれています。
つまり、ここでも結局のところは想像に過ぎないわけですが…。
悲しいと言うよりも楽しいイメージなのですね。


他にも「両親のお墓の前で泣く孤児にこの菓子を贈る習慣」の痕跡は見つけられなかったことを考えると、
現在に考えられている悲しい意味合いとは逆の、楽しそうな意味合いの方が強かったのではないかと言う印象を持ちました。
前者の本の注にあった「renifler」は現在でも使われている動詞で「(鼻をくんくんいわせて)臭いをかぐ」という意味もあることから、アツアツのニフレットからただよう良い香りを思わずくんくんしてしまう光景の方がしっくりくるような(笑)???


さて、実際にニフレットを食べにProvin ;プロヴァンを訪れたのはちょうど1年前のこと。

色々なお店のニフレットを食べ比べしたかったので、街にある6件のお店を訪ね歩きました。
1つがとても安く1ダースずつ買うのが普通なのですが、そんなに沢山食べられないので1種類1個ずつ購入(お店の人には申し訳ないけれど…汗)。
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多くのお店でNature(プレーン)Eau de Fleur d’oranger(オレンジフラワーウオーター味)の2種類を
販売していました。
パイ生地も薄いものや良く膨らんでいるものまで、クリームも色や量、絞り出す口金の形も様々で、
同じものは1つもなく、食べ比べのしがいがありました~♪
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↑ 小さいから6種類の食べ比べも楽勝~♪

日本へ帰る前、パリのブーランジュリー「Du Pain et des Idees」へ寄ると、1週間ほど前に行った時には無かったニフレットを発見!
これはパイ生地が四角いバージョン。(5個又は10個単位での販売で、バラ売りはなし)

今年8月自由が丘にオープンしていますが、同じく四角いニフレットも販売しているようです。
(こちらは期間限定では無く、通年販売)

気になった方はこのおかげで日本でも手に入るわけなのですが、出来ることならやっぱりこの時期
実際にここへ行ってみてくださいね~♪



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# by Ethno-PATISSERIE | 2015-10-30 21:25 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)