GATEAU LABULLY ;ガトー・ラビュリー
2013年 10月 10日
「Brioche de St Genix ;ブリオッシュ・ドゥ・サン・ジュニ」と言えば分かる方もいらっしゃるのでは
この菓子はRhône-Alpes(ローヌ・アルプ地方圏)、Savoie(サヴォア県)にある小さな村St Genix sur Guiers ;サン・ジュニ・シュル・ギエのスペシャリテ。
オレンジフラワーウオーターで香り付けした天然酵母の丸いブリオッシュで、生地の中と外にある真っ赤な
「伝説」では、3世紀シシリアの殉教者、聖アガタに結びつくと言います。
キリスト教徒の若く美しいアガタはローマ地方総督に言い寄られるも拒絶。
拷問によって改宗させようとするも失敗に終わり、両方の胸を切り落とされるも翌日奇跡的に元戻りに。
彼女が火刑の薪山に登ると、地震が起きて死刑執行人たちは死んでしまいました。
サヴォアが1713年シシリア公国に合併されると、この伝説はこの地に伝わり聖アガタの誕生日である2月5日に胸形の菓子を作るようになったということで、このブリオッシュもそれにゆかりがあるというのです。
実際のお話は1848年、ここから10km程離れたIsère ;イゼール県les Abrets ;レ・ザブレ出身の
Françoise Guillaud ;フランソワーズ・ギヨーがPierre Labully ;ピエール・ラビュリーと結婚したことから始まります。
ピエールは、1630年開業で部屋が36室もある大きなホテルを経営していました。
結婚後、フランソワーズは実家に伝わるルセットで上に赤いプラリーヌを飾ったブリオッシュを作り、
それが評判となり1855年に出版された「Guide de l’étranger en Savoie」Gabriel de Mortillet著には
「Hôtel Labully sur la place de l’Eglise(cuisine excellente)」
「プラス・ド・レグリーズに面したホテル・ラビュリー(料理は素晴らしい)」
そして
「La cuisine de MM.Labully est renommée ;ils font surtout une espèce de gâteau qui s’expédie au loin, sous le nom de Gâteau de St-Genix.」
「ラビュリーの料理は有名で、なによりも彼らは遠くまで配送されているガトー・ドゥ・サン・ジュニと言う名前のお菓子を作っている」
と書かれており、この段階で既にその名声が広く知られていたことが分かります。
1880年、彼らの息子François Labully;フランソワ・ラビュリーは上に飾っていただけの赤いプラリヌを
中にも詰めることを思いつきました。
すると更に人気が出て他の店でもまねをするようになった為、他の「ガトー・ドゥ・サン・ジュニ」との違いをはっきりとさせるために「Gâteau Labully ;ガトー・ラビュリー」の名前で商標登録をしています。
↑これは店内に飾ってある油絵。上だけにプラリネをのせた初期のもの(左)と現在と同じもの(右)の2種類。
さて、この町を訪れたのは2005年10月のこと。
「Biscuit de Savoie ;ビスキュイ・ドゥ・サヴォア」で有名なYenne ;イエンヌへ
行った翌日、タクシーで向かいました。
* 「ビスキュイ・ドゥ・サヴォア」についてはコチラ☆でご紹介しています。
予めアポイントを取っていたおかげで、ラボの見学や試食のほか、お話もお聞きすることが出来ました。
パティスリーの開店はそれほど古くなく1949年とのこと(それ以前はホテルでの販売で、パティスリーでは
現在の所有者Alain Bavuz ;アラン・バヴュ氏は1964年、14歳の時にこのお店でアプランティッサージュ(見習い)を始めます。
当時のパトロンPaul Labully ;ポール・ラヴュリー氏の子供は娘2人で後を継ぐものが居なかった為
彼の退職する1979年に店を引き継いだそうです。
* ポール・ラヴュリー氏は2000年に亡くなったが彼の妻はまだこの町に住んでいるとの話でした。
* 生地の中にプラリヌを入れるようになった時期についてですが、アラン・バヴュ氏のお話では「生地の中にプラリヌを入れるようになったのは1937年のこと。中にも入れて欲しいとお客に頼まれて作って以降、中にも入れたバージョンへの注文が増えて行った」とのことでした。どちらが正しいのかは分かりません。
バヴュ氏の仕事は早朝3時に始まり、昼に終了。
ガトー・ラビュリーに使われるPralines rouges(赤いプラリーヌ)はすべて自家製で、週に2回製造されるそうです。
取材当日は一人息子のJean-Philippe ;ジャン・フィリップがちょうどプラリヌを作っている最中でした。
* 赤いプラリーヌは1回にワインの木箱で12箱分製造。
↑ 赤く色を付けたシロップを煮詰め(写真左)、アーモンドをタービンにかけながらシロップを何度もかける(写真右)。
前日にルヴァン(パン酵母)を作り、翌日ブリオッシュに仕上げられます。
バターを除いた材料(小麦粉、ルヴァン、卵、砂糖、塩、オレンジ花水)を全てこねてから、澄ましバターを
これを分割して丸め、菩提樹製のcopets ;コペと言われる丸い木型に入れて1-1h30発酵。
紙の上に生地をひっくり返して、残りのプラリヌを上に差し込んでドレし、砂糖を振って
焼き上がって冷ましてから、赤と白の硫酸紙で包んで完成です。
ラボにはビックリするほど大量のガトー・ラビュリー!
試食させていただくと、甘い中にも癖になる味でとっても美味しい。
丸ごとゴロッと入ったプラリヌが窯の熱と生地の水分で、その表面が溶けたところがなんとも言えません。
店を見学させていただくと焼き菓子のみで生菓子はありませんでした。
以前職人4人だった時には製造していたそうですが、現在は2人だけなので作る時間がないそう。
たまたま訪れたお客さんも「無いのね。生菓子も美味しかったのに」と残念がっていました。
その後2007年にはConfrérie du Saint Genix ;コンフレリー・デュ・サン・ジュニが作られ、
◎おまけ… <Pralines rouges ;プラリヌ・ルージュ>の誕生はいつ?
残念ながら具体的な記述は見つけられませんでした。
私が見つけることの出来た一番古い文献は、1691年に出版された
「Le Cuisinier roïal et bourgeoise qui apprend à ordonner toute sorte de repas et une Instruction pour les maîtres d’hôtels, sommeliers et confituriers」で、
その中に「Pralines rougesの作り方」が掲載されています。
以前書いたビスキュイ ドゥ ランスの記事☆でも赤い色素、コチニールについて触れましたがこの時代には既にヨーロッパに伝わっており、まだ手に入りやすいものではなかったことから庶民のものに使われるものではありませんでした。
Mazetの歴史★にもあるようにPralines;プラリーヌの元祖『Prasline de Montargis;プラズリヌ・ドウ・モンタルジ』 が誕生したのは1636年、つまり17世紀中頃のこと。早くも17世紀後半には既にプラリヌ・ルージュが存在していたことになります。
プラリヌ・ルージュがたくさん、丸ごと入っているなんて贅沢ですね。
プラリヌは、自家製で、一回にワインの木箱で12箱分使うとは
大量に仕込みますね。
天然酵母のブリオッシュと言うのも良いなぁ。
昔のタイプと現在のタイプを描いた油絵も素敵ですね。
何とも食べてみたい物がまた、増えました!
コンフレリーのコスチュームとガトーの包装がお揃いなのも可愛くていいなぁと思いました。
レポートではさすがに上手くこのお菓子を紹介していましたね。
赤い色素は、ビスキュイ・ドゥ・ランスの時代から
あったのですね。
しかし、プラリヌ・ルージュは17世紀後半には、
すでにあったのですね。感動です。
Mazetのコンフィズリー、ショコラティエ!
ブティックのインテリアから外観まで、素晴らしいですね。
行きたくなりました。
パッケもレトロな感じで、お洒落でした。
全てが素晴らしいですね。
プラリヌ・ルージュは、食べた事ないので、本場のいつか食べたいですね。
良い話をありがとうございました!
コメントありがとうございます!ニュースビデオがリンク切れしていたので修正しました。
プラズリーヌは止められない止まらない美味しさですが、赤やピンク色のプラリーヌもみんなに愛される特別な存在ですね♪