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バスチーユ広場辺りを古地図散歩してみる…

フランスの行事菓子・地方菓子(古典菓子も)が好きなのでパリよりも田舎の方が断然好き。
だけど都合でパリにしか滞在できなかった前回の旅行では、パリだからこそ楽しめる
古地図散歩を満喫しました♪
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革命記念日が終わったタイミングなので、今回はPlace de la Bastille(バスチーユ広場)を
縦軸で古地図散歩…。
(お菓子に直接関係はないけれど、フランス革命自体は当然(間接的に)関係あるので番外編^^)


まずは牢獄ではなく、まだ要塞だった頃の絵入り地図から。
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↑ Plan de Paris au seizième siècle Pour suivre les entrées de Henri II et de Charles IX
16世紀の地図(上が東)バスチーユから下へ伸びる大きな道がrue St Antoine(サンタントワーヌ通)

バスチーユ要塞は、国王シャルル5世( 1338 ~ 1380 / 在位 ; 1364~1380)の治世下、パリの街や王を守る目的でパリ東部の城壁に設置されたPorte St Antoine(サンタントワーヌ門)の脇に1370年から13年の歳月をかけて作られた。
当初丸い塔は角に4つあるだけだったが、後に加えられて8つに。建物の周りには堀がめぐらされ、セーヌ川から水が引かれていた(現在のBassin de l'Arsenal)。

ルイ11世の治世下、バスチーユは牢獄として使われ始める。


次の地図は革命前年のものを…。
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↑ Plan de la ville de Paris(Mondhare, Louis-Joseph (1734-1799)/1788

丸い塔が8つに増やされて以降、ほとんど変わっていないと思われるバスチーユ牢獄。
(城壁のあったところは並木のある大通りになっている)


そしてフランス革命後…
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↑ Nouveau plan routier de la ville et fauxbourgs de Paris divisé en 48 sections/1793

バスチーユ牢獄の建物は革命後解体(解体期間;1789~1791)され、この1793年の地図では建物があった所には「La Bastille détruite(解体されたバスチーユ)」の文字が入っている。


その後この場所には…
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↑ Plan de la ville de Paris, divisé en 12 arrondissements et 48 quartiers/ L. Vivien(1830)
バスチーユ広場の真ん中に「Fontaine de l'Eléphant(象の噴水)」の文字。

こんなものが…?
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↑ Projet d'Éléphant pour la Bastille/Jean-Antoine Alavoine(public domain)

<L'Éléphant de la Bastille;バスチーユの象>
ナポレオン1世の発案で、フランス革命後の記念碑として高さ24mの巨大な青銅製の象を作る計画が立てられ、まず原寸大の石膏製の象の模型が作られた(1814年)。
が、翌年ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れ、その後の計画は中止に。
模型の象は場所を移され、1846年には丸い台座のみを残して撤去された。


そして…
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↑ Plan itinéaire et administratif de la ville de Paris/Aristide-Michel Perrot(1840)
びっくりする程大きく描かれたColonne de Juillet!

<Colonne de Juillet(7月革命の記念柱)>
Trois Glorieuses(栄光の3日間)=フランス7月革命(1830年7月27~29日の3日間に起こった市民革命)を
記念し、象の台座の上に作られた高さ50,52mの円柱(建設期間;1835~1840)。

この地図ではかなり大きく強調された図入りで紹介されていました^^


記念柱の完成以降、バスチーユ広場はあまり変わっていないみたいようす。
バスチーユの建物は消えてしまいましたが、地図上でだけでなく、実際にその場へ行くと思わぬところで土台の一部を見つけたりして、昔にタイムスリップした気分に…。
Square Henri Galliやメトロのバスチーユ駅内にもvestiges(遺構)が見られますね。



※※※


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こちらはバスチーユ広場近くにあるPâtisserie Dalloyau;パティスリー・ダロワイヨ
数ある支店の1つにすぎませんが、かつてここは別の菓子店でした。

元々は「Pâtisserie Clichy;パティスリー・クリシー」。
1892年Louis Clichyによって創業されたお店です。
ガトー・オペラの前身とも言える「Clichy;クリシー」はここで誕生しました。
その起源は「1920年代、当時の所有者Mr.Riss(リス氏)によって考案され、クリシーと名付けられた」というのが一般的。
他にも「ルイ・クリシーが1903年パリで行われたExposition Culinaire(料理博覧会)に、クリシーという文字を入れたお菓子を出品して銀メダルを獲得。店の名物となった」とするものもありました。(真偽のほどは不明)

1955年にはBugat;ビュガ夫妻によって買い取られ、その後1971年、息子Paul Bugat;ポール・ビュガが継いで、1989年店名を「Paul Bugat」と変更しています。
(ポールの兄、Jean;ジャンは今はなきコクラン・エネのオーナーだった)


まだお店が「Paul Bugat」だった1991年、お店を訪れ「Clichy」を食べたことがありました。
お店の外観は変わっても建物は全く同じ。
でも今はもうクリシーは無く、代わりにオペラが販売されているのですね。






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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-16 10:51 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(3)
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Commented by M at 2015-07-16 12:31 x
古地図で、パリのバスチーユ界隈を散歩されたとは、
興味深いです!
バスチーユから伸びる Boulevard Richard Lenoir
リシャール・レノワー通りのマルシェは、必ず行きますし、
サンタントワーヌ通りもよく行きますから、読んでて楽しかったです!
要塞の次は、牢獄だったのですね。知りませんでした。
しかし、16世紀の地図が見られて嬉しいです!
次回、バスチーユに行くのが楽しみになりました!
Commented by M at 2015-07-16 15:58 x
おまけに後で気がつきました!
あそこのダロワイヨは、元はクリシーと言うパティスリーだったのですね。
面白いです!
このクリシーを食べたことがあるのですね!
羨ましいです!貴重な体験でしたね。
Commented by Ethno-PATISSERIE at 2015-07-16 17:25
Mさん 古地図散歩は時間をさかのぼってタイムスリップしたような感覚になれて面白いです。これを踏まえて実際の場所を訪れるとさらに多くの発見や気付きも多くなると思います。

クリシーやコクラン・エネのようなお店が無くなって残念に思っている人は多いと思います。そんなに昔の話ではないですしね。
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