「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」のその後… その①
2016年 08月 21日
(*)現在のrue de Lanneau(ラノー通り)
お店の創業から228年後の1897年5月、当時の所有者Villez氏によって40bis rue Saint-Jacquesへ移転してしまいましたが、その後どうなったのでしょう?
現在この住所にパティスリーはありません。
とはいえ、このパティスリーの流れが途絶えたわけではありませんでした。
少々話はそれますが…
かつてパリ9区の 22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)に
当時この「ルソー・エ・スール・トレトゥール」オーナーだったGerard Seurre ;ジェラール・スール氏の引退にあたり、シェフ・パティシエが後を引き継ぐのかとも思われていましたが、売却。
この『Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール』について調べている時に
「Maison fondée en 1669 au 40 bis rue Saint-Jacques 5e reprise en 1912 par Paul Seurre」
「1669年、5区にあるサン・ジャック通り40番地の2に創業した店がPaul Seurre ;ポール・スールによって1912年に引き継がれた。」
と書かれているものを発見!
前回のブログを読まれた方にはすぐ分かると思いますが、
*年代から見て、おそらくVillez氏からPaul Seurre ; ポール・スール氏が引き継いだのではないでしょうか。
このポール・スール氏は菓子職人であり料理史家、そして「Le Mémorial hisrorique et géographique de la Pâtisserie(歴史的・地理的 製菓覚書)」等々の著者でもある、有名なPierre Lacam ;ピエール・ラカン氏の娘 Henriette ;アンリエットと結婚しています。
*この店を手に入れた年、彼は30歳(アンリエット23歳)。調べても分かりませんでしたが、この時すでに結婚していたかもしれません。
*因みにラカン氏は1902年8月(65歳)にこの世を去っています。スール氏はラカン氏の本の再版、改訂増補版を数多く出版。
ポール・スール氏についてはこれ以上詳しいことは分かりませんでしたが、ラカン氏の娘婿ともなればこの店を買い取るにふさわしいような気もしますね^^
さて、この夫婦の息子Pierre Seurre ;ピエール・スール氏は、7,bd.Rochechouartに菓子屋を構えていたRaul Rousseau ;ラウル・ルソーの娘 Madeleine ;マドレーヌと結婚します。
*「Rousseau et Seurre ;ルソー・エ・スール」という名称に変更したのは1956年のことのようで、ピエールが44歳の時とすると、それぞれの親が退職して後を継いだ後に変えたのかもしれません。
* ルソー氏のパティスリーがあった住所は1956年「Rousseau et Seurre」という同じ名前で不動産を扱う会社に変わり、2016年7月に廃業しています。
そしてピエールとマドレーヌの息子が上記のGerard Seurre ;ジェラール・スール氏です。
彼が1985年末に『Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール』という会社を創業。
22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)に店を移転し、25年後の2011年2月に閉店しています。
そう「オ・ピュイ・セルタン」は場所や店名を変えつつも、続いていたのです。
しかもピエール・ラカンという輝かしい経歴を持つパティシエの家系も加わって…。
<その②へ続く・・・>
当時のお店、見てみたかったなぁ。
誰が引き継いだか?その後のお店の状況などを調べたのですね!
22 rue des Martyrsは、今は、セバスチャン・ゴダール
がありますよね!
その先は、ローズ・ベーカリーもありますよね!
昔から22番地は、パティスリーがあったのですね!
次回も楽しみにしております!