「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」その後… その②
2016年 09月 01日
今回はその後について…
22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)という住所の現在については、大勢の方がご存知のことだろうと思います。
そう、Sébastien Gaudard ;セバスチャン・ゴダール氏の1軒目のお店、「Pâtisserie des Martyrs;
パティスリー・デ・マルティール」になっていますね♪
9区在住で自身のパティスリーを開くために場所探しをしていたゴダール氏がこの店を手に入れ、2011年末に
オープンしました。
ファッショナブルなパティスリーだった「デリカバー」から、同じくパティシエだった父親が作っていたような古典菓子へと原点回帰を果たし、さらに進化『Revisitée』させたゴダール氏が、ピエール・ラカンの流れを引き継いだジェラール・スール氏の店を手に入れたのは必然的なことだったのではないかとさえ感じます。
店内のショーケースにはPont-à-Mousson ;ポンタムッソンでパティスリーを経営していたゴダール氏の父Daniel Gaudard;ダニエル・ゴダール氏の考案したスペシャリテ「Mussipontain ;ミュシポンタン」をはじめとするクラシックな古典菓子が、シンプルながらも現代風でオシャレになって並べられ、伝統菓子継承者としてのゴダール氏の覚悟、心持が感じられるように思いました。
私のような古典菓子好きにはとても嬉しい~♪
さて、開店からおよそ丸1年後の2013年、サロンデュショコラの為にゴダール氏が来日されました。
この時は仕事でご一緒させて頂きましたが、忙しくて雑談など出来る時間は無く…。
それでもゴダール氏が京都から関空経由で帰国させる日の朝、京都駅へお見送りに行った際、
ほんの少しだけお話しすることが出来ました♪
この時「ジェラール・スール氏が曾祖父ピエール・ラカンの貴重な蔵書をオークションにかけて手放してしまった」話や「自分も欲しいのが沢山あった」といった話しを聞き、ジェラール・スール氏の「ルソー・エ・スール・トレトゥール」という店が持っていた価値を改めて気付かされ、一度も(たぶん)訪れたことが無かったことを心から残念に思ったのでした(ここで働いたことのある日本人パティシエさんは結構いらっしゃるのでいつかお話を聞けたら嬉しいです^^)。
* こちらはオークション時のピエール・ラカン氏の蔵書リスト。全部で199点!さぞや多くの人の手に渡ったことでしょう。日本人で手に入れた人は居ないかなぁ。気になります♪
ところで皆さんは「パティスリー・デ・マルティール」の正面左側のところに『Succr Lacam Seurre』と金文字で書かれているのをご存知でしょうか。これは『ラカム スールの後継者』という意味です。
* 開店当初の写真を見るとこの文字は書かれていません。いつのタイミングで書き加えられたのでしょうか。
「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」のことを調べていたら、そのパティスリーの系譜が今でも連綿と続いていることが分かったのでした。
フランス菓子古地図散歩はまだまだ続く…^^
ピエール・ラカン氏のお墓参りへも行ったお話もおまけに…。
前回渡仏の際にはピエール・ラカン氏のお墓参りも行ったので、一連のテーマ全てを実際に歩いて回ったような気分♪
そうは言ってもラカン氏がBagneux墓地に埋葬されていることまでしか分からず、お墓の具体的な場所は不明のままでの渡仏…最初はどうなることかと思っていました。が、実際に行ってしまえば何のことはない、墓地にある事務所で尋ねたら場所はすぐに判明。しかも入口からすぐ近くでした^^
その後からセバスチャン・ゴダール氏のパティスリーなったのですね。
お父様ダニエル・ゴダール氏の考案したのですね。スペシャリテ「Mussipontain ;ミュシポンタン」これ、食べたいなぁと思っていました!
まだ、お店に行った事が無くて、フォレ・ノワールも食べたいです!
BagneuxはHauts-de-Seine県でパリの南側に位置しています。とっても広い墓地なのですぐに見つかってよかったです^^