アルザスの復活祭菓子『Tarte à la semoule et au safran』

去る4月16日はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日、Pâques;パック(復活祭)でした。

復活祭のお菓子というと、やはり様々な形に象られたチョコレート細工。伝統的な形には卵や鶏、ウサギや鐘等々があります。

* 1956年にはアルザスのBas-Rhin県には総勢1300人を有する10の大きなショコラトリーが存在し、国内3位の規模を誇っていた。野兎や卵等々の復活祭向けチョコレート細工もアルザスでは多く作られていた。


これとは別にアルザスでは陶製型で焼かれた仔羊形のビスキュイ「Agneau pascal;アニョー・パスカル」も作られていて、ショーウインドーには沢山の仔羊たちが並べられた光景が見られてワクワクします♪

* 元々はお菓子ではなく仔羊肉を食べる習慣のあったものが、仔羊形に作った発酵生地のお菓子に置き換えられ、その後ようやくビスキュイ生地でも作られるようになったと言われる。

*アニョー・パスカルについてはこちら でご紹介。


アルザスでは、このアニョー・パスカルの他に『Tarte à la semoule;タルト・ア・ラ・スムール(別名;Osterfladen;オスターフラーデン)というお菓子も作られていました。

特にサフラン入りのものは『Tarte à la semoule du Kochersberg;タルト・ア・ラ・スムール・デュ・コッヘルスベルグ』と名付けられ、Kochersbergの地名が加えられています。

* コッヘルスベルグ(正確な発音とはちょっと違う)はストラスブールの北西に位置する自然地理区。

* フランスには県など行政区分とは別に、自然地理区(region naturelle)と呼ばれる地域区分があり地形などの物理的特徴や独自の文化的アイデンティティによって分けられている。

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↑ Tarte à la semoule et au safran du Kochersberg


サフラン無しの『Tarte à la semoule』、これは現在スイス(ドイツ語圏)で作られている「Osterfladen」とおそらく同じ起源のもの。

かの地では中に詰めるアパレイユをあらかじめ煮たもの(お米やセモリナ粉をドロリとした粥状のもの)を入れる場合と、材料を混ぜただけのものがあり、軽くするためか最後にメレンゲを加えているものが多いようです。

* ドイツにもOsterfladenは存在するが、こちらは丸く焼いた発酵菓子を指す。


アルザスの『Tarte à la semoule;タルト・ア・ラ・スムール』は、前者(あらかじめ煮たアパレイユを詰める)の作り方でメレンゲは加えません(加えるルセットもある)。

ずっと作り続けられているスイスの「Osterfladen」は現代的なものへと徐々に変化しているであろうと考えると、アルザスに伝わるルセットはより古い形を留めているのではないかと想像…^^


現在アルザスではあまり見かけなくなったこのタルト、非常に古くからあったと言われているのですが、具体的にはいつ頃からあるお菓子なのでしょう?

私が見つけることのできたフランス語での記述「Osterfladen(flan dePâques)」で、一番古いものは1861年発行のRevue d'Alsaceでした。アルザスで作られる様々なお菓子が列記される中、この菓子も記載されています(たたし、どのようなお菓子だったのか詳細は不明)


スイスで「Osterfladenと言う名前の付くお菓子はさらに古くから存在していたようです。でも現在作られている菓子と類似したルセットの記述は16世紀末なのだとか…(残念ながらドイツ語が読めないので詳しく調べることが出来ず)。

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↑ サフラン無しのOsterfladen(Tarte à la semoule)

地方の名前が付いたサフラン入りのバージョンは残念ながら現在はKochersbergのお菓子屋さんで見かけることはなく、地元観光局のお姉さんに尋ねても知らないレベル…。

* Sélestat;セレスタ(ストラスブールとミュルーズの中間にある町)にあるパン屋さんのミュゼ(博物館)La Maison du Pain d’Alsace」では、復活祭のお菓子としてlammala (Agneau pascal)と共にOsterfläde (tarte à la semoule et raisins)Osterbrot (Pain de Pâques)が紹介されており、季節になればこのタルト(サフラン無し)が店に並んでいるようです。ミュゼのサイトに「Lammalas,Osterbrot et osterflade」の文字が見られ、4/15~16の3日間店頭に並んでいたことが分かります。


さて、いつからサフランを加えるようになり、いつからKochersbergの復活祭菓子として作られるようになったのでしょうか?

中世にはフランスを含むヨーロッパで広くサフランの栽培が行われ、アルザスでも栽培されていました。お祝い用のパンやお菓子・料理などにも使われています。

観光局のお姉さんによると「Kochersbergは人々が往来する場でもあり、アルザスの他の地域よりも伝統的にスパイスが多用されていた地域だった」と言います。

サフランの色は太陽や金、栄光を象徴する色。スパイスが身近だったこの地の誰かが復活祭のお祝いにとサフランを加えたのでしょうが、謎は解明されないまま…。


先日行ったお菓子講習会では復活祭が近いこともあり、この『Tarte à lasemoule et au safran;タルト・ア・ラ・スムール・エ・オ・サフラン』を作りました(三宝柑とイチゴのフルーツサラダ、クレーム・シャンティイを添えて…)。

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もうお店で作られることは無くなったサフラン入りのOsterfladen。中世の時代に思いを馳せて…。冷めて時間が経つと、中のガルニチュールが固くコンパクトになるので、やはり出来立てが一番美味しい~♪


おまけのお菓子はAgneau(仔羊)ではなくてLièvre(野ウサギ) pascalアルザス・スフレンナイムで作られた陶製型を使って焼いたビスキュイです。

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# by Ethno-PATISSERIE | 2017-04-20 18:13 | ①Alsace | Trackback | Comments(2)

カーニバルのお菓子『Garguesse ;ガルゲス』   

もうすぐPâques;パック(復活祭;今年2017年は4月16日)とちょっと季節遅れではありますが、先月お菓子講習会で作ったカーニバルのお菓子をご紹介…。

フランスで、Carnaval (カーニバル)の時期に食べられるお菓子は大きく分けて3つ。

Begnet ;ベニエ Crêpe ;クレープ Gaufre ;ゴーフル


それぞれ地域によって作られる種類が変わります。1種類だけ、或いは2種類作る地域、家庭によっては全部作るというところも

ゴーフルは型が無いと出来ませんが、その昔オーブンが無かった家庭で作ることの出来るものばかり。ここからも、これらの菓子がいかに古くから作られてきたかが分かると思います。元々が家庭で作られていたお菓子だけあって、各家庭で独自のルセットがありました。

中でもベニエは、地域によって様々なタイプや形、そして名前が存在し、とても興味深いものです^^


さて、肝心の『garguesse ;ガルゲスについて

* スペル違いでGargaisses, Gargessesという語も見られる。

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↑ 教えてもらったルセットで作ったGarguesses;ガルゲス

garguesse;ガルゲス』は上記3種の中に含まれるベニエの1種で、Chandeleur ;シャンドルール(2月2日;聖母お清めの祝日)やカーニヴァルの時期に作られるベニエ(揚げ菓子)

Bourgogne-Franche-Comté地域圏Côte-d’Orコートドール県北部に位置するChatillonnais ;シャティヨネと呼ばれる自然地域圏辺りで使われていた、非常に限られた地域での古い名称です。

同じコートドール県とは言っても、croquignoles, golottes(golotes),pognonsという別の名称が使われていた地域もあり、県庁所在地Dijon ;ディジョンでは「fantaisies ;ファンテジー」という名称が使われました。

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↑ こちらはイースト菌を加えた発酵生地のGarguesse;ガルゲス

さて、『garguesseという一風変わったこの語の由来はどこから来たのでしょう。

ラブレーの「Gargantua ;ガルガンチュア」という語の中にもみられるように、「喉」を意味する古フランス語「gargate」に由来する』と考える人、或いは『frire(油で揚げる)が転じてbouillir(沸騰する)を意味するgargouiller(ボコボコ音を立てる)と同じ起源をもつ』のだろうと推察する人もいるようですが、残念ながら実際のところは不明です。

このベニエの存在を知ったのは、私が地方菓子の研究をしていることを知るフランスの友人から「お祖母さんのルセット」を教えて貰ったのがきっかけでした。

お祖母さんのガルゲスは小麦粉・バター・生クリーム(クレーム・エペス)・砂糖・卵を使い、オレンジフラワーウオーター、或いはバニラで香りをつけ、ごく薄く伸ばして揚げるものでしたが、他にもイースト菌やベーキングパウダーを加えたもの等、生クリームは加えないものなど、ルセットは様々あります。

その家だけの特別なものである分、知り合いから直接教えて貰ったルセットはやっぱり特別ですね^^


*他のベニエについてはこちら↓で少し紹介しています。


補足<Carnaval ;カルナヴァル(カーニバル)について>

「カーニヴァル」の語は、ラテン語のcarne « » levare « 取り除く »に由来し、「四旬節の開始」を意味しています。

一般的には「Carême(四旬節)の始まりを表すMercredi des Cendres(灰の水曜日) の前日であるMardi Gras ;マルディ・グラ(告解火曜日)を含む3日間から一週間ほど」がカーニヴァルの期間とされますが、 Carnaval de Nice(ニースのカーニヴァル)など、大々的に行われる町ではこの限りではありません。

* 本来の期間はEpiphanie(公現祭 ;16)からマルディ・グラ(移動祝祭日 ;今年2017年は228)までの期間で、そして当初はクリスマスからマルディ・グラまでの期間であったといいます。

仮面や仮装をすることによって社会的身分から解き放たれ、自由になって羽目をはずす、そして節制期間に入る前に飲んで踊って大いに楽むという目的でしたが、それも元々はキリスト教が現れる以前にあった春の訪れを祝う古代の春祭りで、寒く厳しい冬を追い出して春を呼び込む民俗行事でした。

冬から春に移り変わるこの時期に冬の悪霊追放、災害をもたらす精霊たちを威嚇するために変装や悪ふざけをしたり、あるいは社会的身分やタブーの境界線を消し去り、混沌としたカオスを作り出すことによって象徴的な「死=冬の象徴」を再現し、冬を追い出して(見送って)太陽を呼び戻し、植物が再び目覚める春を迎え入れることを目的とした原始的な行事だったと考えられています。


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# by Ethno-PATISSERIE | 2017-04-08 21:00 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(2)

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」その後…  その②

前々回のブログで1669年創業のパティスリー「Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」が40bis rue Saint-Jacquesへ移転するまでのお話し、そして前回のブログでは移転後どうなったか?について書きました。

店名を「Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール」と変え22,rue des Martyrsへ移転したわけですが、オーナーのGerard Seurreジェラール・スール氏退職に伴い、2011年2月に閉店したところまでのお話でした。

今回はその後について…


22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)という住所の現在については、大勢の方がご存知のことだろうと思います。
そう、Sébastien Gaudard ;セバスチャン・ゴダール氏の1軒目のお店、「Pâtisserie des Martyrs;
パティスリー・デ・マルティール
」になっていますね♪
9区在住で自身のパティスリーを開くために場所探しをしていたゴダール氏がこの店を手に入れ、2011年末に
オープンしました。

ファッショナブルなパティスリーだった「デリカバー」から、同じくパティシエだった父親が作っていたような古典菓子へと原点回帰を果たし、さらに進化『Revisitée』させたゴダール氏が、ピエール・ラカンの流れを引き継いだジェラール・スール氏の店を手に入れたのは必然的なことだったのではないかとさえ感じます。

店内のショーケースにはPont-à-Mousson ;ポンタムッソンでパティスリーを経営していたゴダール氏の父Daniel Gaudard;ダニエル・ゴダール氏の考案したスペシャリテ「Mussipontain ;ミュシポンタン」をはじめとするクラシックな古典菓子が、シンプルながらも現代風でオシャレになって並べられ、伝統菓子継承者としてのゴダール氏の覚悟、心持が感じられるように思いました。
私のような古典菓子好きにはとても嬉しい~♪
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↑ Pont-à-Moussonの住人を指す男性名詞、「Mussipontain」と命名されたスペシャリテ



さて、開店からおよそ丸1年後の2013年、サロンデュショコラの為にゴダール氏が来日されました。
この時は仕事でご一緒させて頂きましたが、忙しくて雑談など出来る時間は無く…。
それでもゴダール氏が京都から関空経由で帰国させる日の朝、京都駅へお見送りに行った際、
ほんの少しだけお話しすることが出来ました♪
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↑ SDC来日時のGaudard氏

この時「ジェラール・スール氏が曾祖父ピエール・ラカンの貴重な蔵書をオークションにかけて手放してしまった」話や「自分も欲しいのが沢山あった」といった話しを聞き、ジェラール・スール氏の「ルソー・エ・スール・トレトゥール」という店が持っていた価値を改めて気付かされ、一度も(たぶん)訪れたことが無かったことを心から残念に思ったのでした(ここで働いたことのある日本人パティシエさんは結構いらっしゃるのでいつかお話を聞けたら嬉しいです^^)。
* こちらはオークション時のピエール・ラカン氏の蔵書リスト。全部で199点!さぞや多くの人の手に渡ったことでしょう。日本人で手に入れた人は居ないかなぁ。気になります♪

ところで皆さんは「パティスリー・デ・マルティール」の正面左側のところに『Succr Lacam Seurre』と金文字で書かれているのをご存知でしょうか。これは『ラカム スールの後継者』という意味です。
* 開店当初の写真を見るとこの文字は書かれていません。いつのタイミングで書き加えられたのでしょうか。
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↑ 『Succr Lacam Seurre』の金文字

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」のことを調べていたら、そのパティスリーの系譜が今でも連綿と続いていることが分かったのでした。


フランス菓子古地図散歩はまだまだ続く…^^



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# by Ethno-PATISSERIE | 2016-09-01 17:27 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(3)

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」のその後…  その①

前回のブログでご紹介した、1669年 rue du Mont Saint-Hilaire,16(モン・サン・ティレール通り16番地) (*)に創業された有名パティスリー「Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」。
(*)現在のrue de Lanneau(ラノー通り)
お店の創業から228年後の1897年5月、当時の所有者Villez氏によって40bis rue Saint-Jacquesへ移転してしまいましたが、その後どうなったのでしょう?

現在この住所にパティスリーはありません。
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↑ 赤い矢印の建物が40bis rue Saint-Jacques

とはいえ、このパティスリーの流れが途絶えたわけではありませんでした。


少々話はそれますが…
かつてパリ9区の 22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)に
Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール
というパティスリーがありました。
この住所、お菓子好きの人ならばご存知かもしれません^^

当時この「ルソー・エ・スール・トレトゥール」オーナーだったGerard Seurre ;ジェラール・スール氏の引退にあたり、シェフ・パティシエが後を引き継ぐのかとも思われていましたが、売却。

この『Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール』について調べている時に
「Maison fondée en 1669 au 40 bis rue Saint-Jacques 5e reprise en 1912 par Paul Seurre」
「1669年、5区にあるサン・ジャック通り40番地の2に創業した店がPaul Seurre ;ポール・スールによって1912年に引き継がれた。」

と書かれているものを発見!


前回のブログを読まれた方にはすぐ分かると思いますが、
1669年に創業したのは40bis rue Saint-Jacquesではなく、rue du Mont Saint-Hilaire,16(モン・サン・ティレール通り16番地) に創業した店「Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」のこと。
おそらく店の所有者がこの住所に移転した為、このように書かれたのでしょう。
*年代から見て、おそらくVillez氏からPaul Seurre ; ポール・スール氏が引き継いだのではないでしょうか。

このポール・スール氏は菓子職人であり料理史家、そして「Le Mémorial hisrorique et géographique de la Pâtisserie(歴史的・地理的 製菓覚書)」等々の著者でもある、有名なPierre Lacam ;ピエール・ラカン氏の娘 Henriette ;アンリエットと結婚しています。
*この店を手に入れた年、彼は30歳(アンリエット23歳)。調べても分かりませんでしたが、この時すでに結婚していたかもしれません。
*因みにラカン氏は1902年8月(65歳)にこの世を去っています。スール氏はラカン氏の本の再版、改訂増補版を
数多く出版。

ポール・スール氏についてはこれ以上詳しいことは分かりませんでしたが、ラカン氏の娘婿ともなればこの店を買い取るにふさわしいような気もしますね^^

さて、この夫婦の息子Pierre Seurre ;ピエール・スール氏は、7,bd.Rochechouartに菓子屋を構えていたRaul Rousseau ;ラウル・ルソーの娘 Madeleine ;マドレーヌと結婚します。
*「Rousseau et Seurre ;ルソー・エ・スール」という名称に変更したのは1956年のことのようで、ピエールが44歳の時とすると、それぞれの親が退職して後を継いだ後に変えたのかもしれません。
* ルソー氏のパティスリーがあった住所は1956年「Rousseau et Seurre」という同じ名前で不動産を扱う会社に
変わり、2016年7月に廃業しています。

そしてピエールマドレーヌの息子が上記のGerard Seurre ;ジェラール・スール氏です。
彼が1985年末に『Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール』という会社を創業。
22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)に店を移転し、25年後の2011年2月に閉店しています。

そう「オ・ピュイ・セルタン」は場所や店名を変えつつも、続いていたのです。
しかもピエール・ラカンという輝かしい経歴を持つパティシエの家系も加わって…。


その②へ続く・・・>




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# by Ethno-PATISSERIE | 2016-08-21 22:24 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」は何処に?

流行りのお菓子を食べ歩くよりも「フランス菓子の歴史」に惹かれる者にとって、
実際フランスの地を訪れて一番ワクワクするのは、その歴史を身近に感じられること。

パリで本物の地方菓子・行事菓子を見つけるのは難しいけれど、古典菓子が多く作られているのはやっぱりこの街。
訪れる価値は大いにあります。
古い建物も残っており昔の雰囲気も所々に感じられて、当時活躍したパティシエたちにゆかりある地を訪ね
ゆっくりと古地図散歩するにはとても楽しいところなのです♪

パリで最も古いパティスリー』と言えばやはり「Stohrer ;ストレール(*)」。
公式サイトにも「La plus ancienne pâtisserie de Paris(パリで最も古いパティスリー)」とありますしね。
創業時から現在まで同じ場所でパティスリーを続けているという意味では間違いないでしょう。
(*)Stohrer ;ストレール ;Nicolas Stohrer ;ニコラ・ストレールにより51 de la rue Montorgueil (モントルグイユ通り51番地)で1730年創業。現在の建物は18世紀末のもの。

パティスリー以外でもずっと同じ場所にあるお店といえば、他にも
現在レストラン・サロンドテとなっている202 rue Saint Honoréの「Ragueneau ;ラグノー」。
*当時cabaret(居酒屋・小料理屋の類)であった両親の店をCyprien Ragueneau ;シプリアン・ラグノー(1608~1654)が後を継いだのは1640年頃のこと。

そして、現存するパリ最古のCafé ;カフェ(Glacierでもあった)で13 rue de l'Ancienne-Comédie(かつての通り名はrue des Fossés-Saint-Germain)にある「Le Procope ;プロコプ」。
*シシリア島パレルモ出身のFrancesco Procopio dei Coltelli((1651~1727 ;フランス名;François Procope-Couteaux)により1686年創業。
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等々、いくつか思い浮かびます^^


さて Maglonne Toussaint-Samat ;マグロンヌ・トゥーサン=サマ著
La Très Belle et Très exquise historique des Gâteaux et de friandises(お菓子の歴史)
には「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」として
…fondée en 1669, rue du Mont Saint-Hilaire, par un certain Dugast…
…1669年にデュガという人物がモン・サン・ティレール通りに開業した店…

が紹介されています。

この店のスペシャリテは『Têtes de veau farcies;テット・ド・ヴォー・ファルシ』。
グリモ・ド・ラ・レニエールによる「Almanach des Gourmands(美食年鑑) 1803~1812」(*)等でも称賛されるほど有名でした。(この時期の所有者はCauchois氏)
(*)「Almanach des Gourmands(美食年鑑) 1803~1812」は、弁護士で有名な美食家でもある
Alexandre-Balthazar-Laurent Grimod de La Reynière ;アレクサンドル=バルタザール=ローラン・グリモ・
ドゥ・ラ・レニエール(1758-1837)により出版され、フランスで最初の料理評論書&ガイドブックとされる本。
パティスリーも住所やスペシャリテと共に紹介されている。


第一帝政(*)の頃には「この店のテット・ド・ヴォー無しの晩餐会はあり得ない」と言われるほどだったと言います。
注文もかなり多く、パリ市内に熱々のものが届けられていたとか。
(*)フランス皇帝ナポレオン1世の軍事独裁政権。
1804-5-18~1814-4-14及び1815-3-20~1815-7-7までの期間。



ではこのお店、一体どこにあったのでしょう?
rue du Mont Saint-Hilaire(モン・サン・ティレール通り)は、
パリ5区にある現在のrue de Lanneau(ラノー通り)にあたります。
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↑Lanneau通りの看板

この店について古書で調べてみると、モン・サン・ティレール通り16番地にあり、近くにあった井戸の名前から
Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」という店名だったことが判明。
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↑白抜きの赤い矢印の先にあるのが井戸「Puits Certain」
パティスリーがあったのはおそらく赤い矢印の先にある角の建物
*「Plan de Mérian(1615)」一部

モン・サン・ティレール通りは1880年、rue Fromentalと合併しrue de Lanneauとなりましたが、1890年の本に
Pâtissier-cuisinier Villez-Bonouard rue de Lanneau 16
とあるのを発見。
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↑この写真の手前左側辺りに店があった?

現在16番地にある建物は20世紀中頃に建てられたものですが、
1185年頃創設されたパリでもかなり古いこの通りには古い建物が残され、お店のあった当時を想像するには
十分な雰囲気があります。

向かい側 11番地にある「Restaurant le Coupe Chou ;クープ・シュー」地下にあるカーヴには、
かつてあった井戸「Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン(*)」の基礎部分が残されているそうで…(見に行きたい♪)。
(*)この井戸は1572年、Eglise Saint Hilaireサン・ティレール教会の司祭、次いでコレージュ・サント・バルブの校長
となったRobert Certain ;ロベール・セルタンにより掘られ、その後18世紀初めに埋められたが、
1894年下水道工事中に発見されている。

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↑「Coupe Chou」の入口


ちなみに分かっている代々の所有者たちを整理してみるとこんな感じでした。
(全てを網羅することはなかなかに難しい…><)
Dugast氏 ;1669年(1625/1630年?)~?年 
Varin氏 ; 所有時期不明
Fromont氏 ; 所有時期不明
Cauchois氏 ;1790~1810年 
Vachette氏 ;1810~1824年頃? 
Seignier氏 ;1838年前後 
Banouard氏1847年頃~1864年(/1880年頃?) 
Villez-Banouard氏 ;1890年頃~1897年4月

1897年5月に Villez氏は店を同じ5区にある40bis rue Saint-Jacquesへ移転。
ラノー通り16番地の店はパティスリーではなく酒屋に変わっていました。
* ほとんどの場合「1669年創業」とされるが「Collines et buttes parisiennes」Henri Bachelin著(1944)には『1625年~1630年に開店』とある。

たまたま「Bulletin de la Montagne Ste.Geneviève et ses abords」Jules Périn著(1896年)の中で見つけたCauchois;コショワ氏の後継者、Vachette氏のショップカードの複製。
こういうの、なんだかとってもワクワクな気分になります~♪
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* Villez-Banouard氏が所有していた銅板を用いて複製された


さてお次はどこへ行こうかな^^




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# by Ethno-PATISSERIE | 2016-08-14 10:23 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)