カテゴリ:⑧Champagne-Ardenne( 7 )

Massepains de Reims;マスパン・ドゥ・ランス

以前からたびたび書いているMassepain ;マスパンという名前の付いた3タイプのお菓子。
アーモンド+フルーツの「カリソン」タイプ  
Massepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン 
アーモンドベースの素朴な「マカロン」タイプ   
Biscuits de Montbozon ;ビスキュイ・ドゥ・モンボゾン
Massepains de Saint-Léonard de Noblat ;マスパン・ドゥ・サンレオナール・ドゥ・ノブラ
ビスキュイタイプ(アーモンドは入っていない)  
Massepain de Montbazens ; マスパン・ドゥ・モンバザン 


今回は『「Fossier ;フォシエ」のBiscuit de Reims ; ビスキュイ・ドゥ・ランス』でちょっぴり触れたReimsのマスパン「Massepains de Reims;マスパン・ドゥ・ランス」のことを少しだけ…。
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この町のマスパンはアーモンド・砂糖・卵白で作られるマカロンタイプで、真ん中におへそのような凹みの
あるのが特徴です。
この凹みは細く丸い棒の先に砂糖をまぶし、生地の中央に押しつけることによって付けられています。
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↑ 真ん中にカワイイおへそ・・・^^♪


この町でいつ頃からマスパンが作られるようになったのかは不明ですが、
ランスの菓子屋で 1756年創業の「Maison Noël-Houzeau ;ノエル・ウゾー」では、創業時から 既に
Pains d’épice ;パン・デピス」や「Biscuits de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」などと共に
Massepains de Reims ;マスパン・ドゥ・ランス」が作られていました。

この3つのお菓子は18世紀以降、ランスで行われる戴冠式の際に王への贈り物とされていました。
また19世紀末にはパリの高級食料品店でも販売されており、
1911年ミシュランガイドでも「マスパンはランスのスペシャリテ」と紹介されるほど有名なお菓子だったのですが、現在、マスパンがランスのスペシャリテであることを知る人はあまりいないようです。

1950年代、これを作るビスキュイトリーは15軒ありましたが、
今日ではただ一軒、「Fossier ; フォシエ」で製造販売されているのみとなっているので、
それも仕方が無いのかもしれませんね。


ノエル・ウゾーを引き継いだフォシエは、現在ランスに残る最後のビスキュイトリーです。
大きな工場ではありますが、1997年Charles de Fougeroux;シャルル・ドゥ・フージュルー氏によって
買い取られた後、製造されなくなっていたパン・デピスとマスパンの製造を再開。

ランスのスペシャリテを復活させ、そのままの形で作り続けて下さるおかげで、現在我々も食べることが
出来るわけなののですから、喜ばしい限りですね^^

シャンパーニュと共にこの3種類のお菓子を食べれば、しばし王侯貴族の気分に浸れること間違いなし!?



※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-06-02 23:15 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

Biscuiteries ;ビスキュイトリー以外で作られるBiscuit rose ;ビスキュイ・ローズ

ちょっとしつこいくらい^^;Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスについて書いてきましたが
最後はビスキュイトリー以外で作られているものについて少しだけ・・・。

ビスキュイ・ドゥ・ランスを製造するBiscuiteries ;ビスキュイトリーはFossier ;フォシエ1軒だけになってしまったわけ
ですが、実はビスキュイトリーの他にもReims ;ランスやChampagne-Ardenne ;シャンパーニュ・アルデンヌ地方のお菓子屋さんやパン屋さんには 自家製のビスキュイ・ローズを販売しているところが何軒かあります。

Lise Bésème-Pia著「Le Biscuit Rose de Reims(1999)」の中では5軒のお店が紹介されており、
そのうち数軒だけ尋ねたことがありました。
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          ↑ ReimsにあるBoulangerie Patisserie Au Duc Champenoisのビスキュイ

この手作りのものは2度焼きしたもの1度焼きのみのものもありますが、どちらかと言うと きっちり乾燥させず
中を柔らかめに仕上げている印象。

ちょっと変わっていたのがCharleville-Mézières;シャルルヴィル・メジエールと言う町のパン屋さん
Boulangerie Fontaine;ブーランジュリー・フォンテーヌで売られているビスキュイ・ローズ。
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            ↑ Charleville-MézièresにあるBoulangerie Fontaineのビスキュイ

カヌレのように型を蜜蝋でコーティングしてから生地を流し、焼いていました。
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                ↑ Boulangerie Fontaineで使われているビスキュイ用型
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                     ↑ 型用の蜜蝋。鍋で溶かし刷毛で型に塗る

ビスキュイ・ドゥ・ランスの古いルセットでは型の下準備として、熱した型に蜜蝋とケンネ脂を溶かして混ぜたもの、
或いはケンネ脂やラードを単独で溶かしたもの刷毛で塗るという方法がありました。蜜蝋だけの単独使用も行われていたのでしょう。
* 型に蜜蝋を塗るのはカヌレだけじゃなかったんですよね~^^
このお店のオーナーClaude Fontaineさんはかつてスイスにあったコバ製菓学校で学び、昔ながらの伝統菓子に精通している方で、古い型のコレクターでもあります。古いオーブンで焼いたクロードさんならではのビスキュイはとても味わい深いものでした。


いつか色々なビスキュイ・ローズを集めた食べ比べもしてみたいものです♪



                                 ※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-29 20:39 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

気になるBiscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスの色

Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスの謎はまだあります。
それはなんといってもそのピンクに着色された「」。

Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」という名前の通り、バラ(ピンク)色に染められているわけですが、元々はBiscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスと呼ばれ、色付けされておらず白い色をしていました。
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                          ↑ その昔買ったビスキュイの缶

ではいつから、そして何故ピンク色に着色するようになったのでしょう?
前述の「l’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Champagne-Ardenne(2000年)」
の中では『奇妙なことに、19世紀末までビスキュイの色について言及する者は誰も居なかった。
しかしベルエポック(1900年代初頭)にépicerie de luxe Olidaはそのカタログの中で、他のビスキュイ・セック(ブードワール・シャンパーニュ・ペルレ・グラッセ等)と、2色(白と赤、赤は明らかにより高い)で販売されているビスキュイ・ドゥ・ランスを非常にはっきりと区別している。

とあります。

19-20世紀初めのルセットが掲載されている本20冊を見ると、全て「Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」。
Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」の名前は見当たらず、ピンクに着色するルセットは
1つも見つかりませんでした。

私が「Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」の名前が見つけられたのは2冊だけ。
Album Illustré de L’Almanache Didot-Bottin troisième volume (1878)」P-58-59
ここにはランスのビスキュイ製造者3つが名前を連ねており、そのうちのBrisset-Fossierだけが
Biscuits blancs et Roses vanillés 」と明記しています。
* これと同様に「Massepains blancs et Roses vanillés」の記述も有り、
マスパンにもピンク色のものがあったことが分かる。
* 他2つのメーカーは「Biscuits」の表記があるのみで、ピンク色があるのか無いのかは不明。


もう1冊は「Rome (avril 1885): Les Vosges (août-septembre 1885)」P-192で
biscuits roses de la maison Fossier à Reims …」と書かれています。

これだけを見るとFossierだけがピンク色のビスキュイを作っているような印象もありますが、
実際のところは残念ながら分からず・・・。


さて、ビスキュイの着色に使われるコチニール色素はいつからヨーロッパで使われるようになったのでしょう?
大航海時代に新大陸を発見したスペイン人は、古くから中南米で利用されていたこの色素を持ち帰り、
ヨーロッパ各国へ販売しました。16世紀のことです。
ビスキュイ・ドゥ・ランスが作られ始めた時代には既にコチニールが存在していたことになりますね。

色に関する記述は全く見つからないので、どうしてピンク色にしようと思ったのかは、残念ながら想像してみる以外
なさそうです。
このビスキュイには液体に浸しても容易に崩れず、屑がグラス等の底に落ちないという特徴があり、
ワイン、シャンパーニュ、リキュール等のアルコール飲料や、コーヒーや紅茶と言った温かい飲みものに浸して
食べられていました。

泡立つシャンパーニュが発明され、一般に普及するまでは、甘口ワインの他、当時地元で一般的だった
赤ワインと一緒に。
*ドン・ペリニヨンが発泡性のワインを始めて作ったのは1680年頃と言われる。
ただし、これ以前からすでにロンドンでは発泡性ワインが飲まれていた。


色の付いていないビスキュイを赤ワインに浸すと赤くなるので、シャンパーニュに浸すようになってからも
赤ワインに浸した時のようなピンク色に染めたらオシャレ~と想像したのかも?という仮説を立て、
試しに赤ワインに浸してみる為、赤く色付けない白いビスキュイを制作してみました^^
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         ↑ Coteaux champenois;コトー・シャンプノワ,Bouzy rouge;ブジ―・ルージュと一緒に
 
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      ↑ 実際に赤ワインに浸してみましたが、綺麗なピンクにはならないみたい・・・

浸して微妙な色になるからこそ、最初からピンク色にしてみたらキレイ?と思ったのかも・・・?
(う~ん、ちょっと無理があるかしら~^^;)


いずれにしてもビスキュイ・ドゥ・ランスはおしゃれなシーンが似合います♪




                              ※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-25 17:39 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランスの起源は?

さて、Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスは一体いつから作られるようになったのでしょうか?
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Fossier ;フォシエのサイトでは「1691年に考案された」と書かれています。
Lise Bésème-Pia著「LE BISCUITS ROSE DE REIMS(1999年)」には
1690年頃、シャンパーニュ地方のブーランジェたちはパン焼成後の窯の熱を利用して2度焼きすることを思いついた
とありますが、これを裏付けるものは見つけられず…。
ただ当初ビスキュイを作っていたのはパン屋だったことは確かなことです。


とは言え「Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」の歴史を考える前に、まずは「Biscuit ;ビスキュイ」について知る必要がありそうですね。

名前の起源。そもそもBiscuitとは どんなものだったのでしょうか?
「Biscuit ;ビスキュイ」とは 『bis-cuit(2度-焼いた)』と作り方がそのまま名前に付けられたもの。
Biscuitの語源は、後期ラテン語の「Biscotus」だといいます。
* 後期ラテン語(200~900年)では「Biscotus,Panis biscotus,Biscoctus」等いくつかある。
* 古フランス語(800~1300年)では「Besquis」10世紀に初めて現れた。


更に、このBiscotusの語源は
ラテン語の「Bis coquere(フランス語で「Bis=deux fois(二度) /coquere =cuire(焼く)」となっています。
これらはいずれもお菓子ではなく、「2度焼いたパン」のことでした。

多種類のパンを作っていた古代ギリシャ人は「dipyres」と呼ばれる2度焼きパンを作っており、これがビスキュイの誕生につながったのだそう。
* パン製造は、古代ギリシャ人があまりパンが発達していなかったローマへパン屋を出したことでその技術が伝わり、さらにガリア人へ伝わっていく。

この二度焼きパン、主に戦争で遠く離れた地へ赴く際に携帯する食料でした。
特に船で移動する海軍、商人、船乗りたちにとっては非常に重要な食料であり、中世には修道院で焼かれたパンをもう一度焼き、貧しい人々や巡礼者に配るものでもありました。


Nicolas-Abraham de La Framboisière著
Les Oeuvres de N. Abraham, Sieur de La Framboisière(1624年)」には
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節食(減食、ダイエット)用に、上質な小麦粉を使ったパン・ビスキュイがつくられる。四旬節のデザート用にはアニスを加えることもある
と書かれています。ここではまだパンの段階。


Antoine Furetière著「Dictionnaire universel (1690年)」では
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長期間保存させる為に2度焼成した、非常に乾燥させたパン。スペインワインに浸して食べるのによい
上等な小麦粉、卵、砂糖で作った美味しいお菓子のことでもある。アニス、レモン皮を加えることもある。また卵無しで、アーモンドペーストを用いたビスキュイ・ドゥ・カレーム(四旬節用ビスキュイ)もある
とあり、ようやくパンではないお菓子のビスキュイの記述がみられます。


また「Traité de Confiture ou Le nouveau et parfait Confiturier(1689年)」には
Biscuits(お菓子)のルセットが多く掲載されています。
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Biscuits communs(普通のビスキュイ)」の材料 「卵、砂糖、小麦粉、アニス」、「生地を型に入れて表面に粉砂糖を振って高温のオーブンで焼いた後、さらに熱い所において乾燥させる
という作り方は、まるでビスキュイ・ドゥ・ランスそのもの


つまり、『17世紀前半の時点でまだパンだったビスキュイは、その後お菓子のビスキュイがつくられるようになり、後半には2度焼きして乾燥させたお菓子のビスキュイも作られるようになった』ことが分かったことに…。
ただ、これがどこで作られるようになったか?は明記されておらず、残念ながら分かりません。


ではお菓子のビスキュイとランスの町が結びついたのはいつだったのでしょうか?
地方の特産物について詳しく紹介されている
l’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Champagne-Ardenne(2000年)」の中では
Legrand d’Aussyが『ランスは16世紀からbiscuits délicats(繊細なビスキュイ)で有名である』と主張しているのは18世紀でしかない
と書かれています。

どういうことなのか具体的に説明すると
Pierre Jean-Baptiste Legrand d’Aussy)著「Histoire de la vie privée des français(1782年)」には
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            ↑ 「bis-cuits delicats」と「Rheims(Reimsのこと)」の文字が見えますか?
「(*最初ビスキュイは2度焼きしたパンであったが)人は全てを洗練させいていくものなので、その後乾燥したカリカリの上品なビスキュイが作られても、最初の名前がそのまま使用された。今日、Reims ;ランス、Abbeville ;アブヴィル、その他フランスの多くの町がこの種のガトー・セックで有名である。ランスは既にリエボーの時代に有名であった。
という内容が書かれています。
それで「ここで書かれていることが16世紀のことであるか確証はないが、この本の書かれた18世紀では確かなはず」ということなのでしょうね^^
* リエボーの時代というのは恐らく「L'Agriculture et Maison Rustique(1564年)」等を著したJean Liebault (1535-1596年)の時代のこと。その為「16世紀から」という記述になっていると思われる。


1801年に出版された「Rapport du Jury Central sur les priduits de l’Agriculture et de l’industrie Tome II 」の中では
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                      ↑ 「biscuits dits de Reims」の文字。
  製造しているのがパリの為、ditsという語を加えてランス製ではなく「ランスタイプの」という意味合いにしてある。

ランスとその周辺で作られていたビスキュイ・ドゥ・ランスが数年前からパリでも作られるようになり、パリに工場を持つGuillout 氏は毎日5-6万個製造している
と書かれていることを考えると「17世紀中頃にはランスで既に知られた存在になっていた」としてもおかしくないような気がします。


一方、ランスに古くからあった主なビスキュイトリーの歴史から考えてみると
Petitjean 1722年創業。ただし当初はパン・デピスのみ製造。1838年Dagobert Petitjeanが店を引きついだ頃パン・デピスとビスキュイを製造。
Noël-Houzeau(Fossier1845年~) 1756年創業。ビスキュイとパン・デピスを製造。
Rogeron 1791年Marie Hongnatにより創業。当初はパン・デピスのみの製造だったが、すぐにビスキュイの製造も始められる。
Derungs 1800年創業。この年にパン屋を辞めビスキュイトリーとしてビスキュイ・ドゥ・ランスの工業化を行う。
Tarpin  1864年Charles Tarpinがrue de Marsでパン屋を始めたことに始まり、当初から既にビスキュイが作られていた。
Elie Sigaut 1877年 創業。当初からパン・デピスとビスキュイ・ドゥ・ランスが作られいた。

これを見ると1800年を前後してビスキュイを製造し始める所が殆ど。Noël-Houzeauが1756年と一番早いように見えます。
が、しかしMichel Thibault著「Les Biscuiteries de Reims (2003)」の中で
1793年annuaire du Familistère(ファミリステール年鑑)の広告にbiscuits Derungsの箱が紹介されており、
そこには
Maison Doyenne des Biscuits de Reims(ビスキュイ・ドゥ・ランスの最古の店)
Maison fondée en 1691(1691年創設の店)
Les vrais Biscuits de Reims(本物のビスキュイ・ドゥ・ランス)

と書かれている

とあります。

創業の1800年より以前というのがちょっと気になりますが、
『1793年あるビスキュイティエが保守反動勢力の容疑者としてギロチンにかけられ』、このあるビスキュイティエの後継者Jean-François LejeuneがDerungsを創設し、彼は1800年、ビスキュイとパン・デピスの生産に集中するために工場を造り、パン屋を辞めた
とのことで、1800年に工業化する前もパン屋としてお店は存続していたのでしょうね。
さらに『Derungs の建物があったrue Dieu Lumièreには、1691年の時点であるパン屋が既にビスキュイを製造しており、それが最初のビスキュイ・ドゥ・ランスだ』と言う話(伝説?)があるのでした。

実際にこの最初の広告を確認することは出来ませんでしたが、
Fossierやその他の人々によって
『ビスキュイ・ドゥ・ランスは1691年に作られた』或いは『1690年頃に作られた』とされている根拠
はどうもそこにあるようです。

前述の「Dictionnaire universel (1690年)」と「Traité de Confiture ou Le nouveau et parfait Confiturier(1689年)」にあるビスキュイ(お菓子)の存在も、それを裏付ける根拠にされているのでは?と思います。


戦争で多くの書類が失われてしまっている為、ビスキュイ・ドゥ・ランスの起源を明らかにするのもこの辺が限界かなぁ?



                                 ※※※





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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-03 15:19 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(4)

「Fossier ;フォシエ」のBiscuit de Reims ; ビスキュイ・ドゥ・ランス

日本でもたまに見かける「Fossier ;フォシエ」の「Biscuit Rose de Reims;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」。
ビスキュイ・ドゥ・ランスは卵・砂糖・小麦粉で作った生地を2度焼きして作られた保存の効く焼き菓子で
そのまま食べるというよりもsec;セック或いはdemi sec;ドゥミ・セックのシャンパーニュ、もしくはカフェや紅茶等
温かい飲み物等に浸して食べたり、またこれを素材にしてデザートに加工したりと広く利用されています。

フォシエは現在ランスの町に唯一残ったビスキュイトリーですが、歴史あるメゾンでもあります。

1845年ランスのパン職人Fossier;フォシエは、Maison Noël-Houzeau;ノエル・ウゾーの後継者として
place des Marchés(現在のPlace du Forum)に工房を作りました。

そのノエル・ウゾー社は1756年創業。
この当時からbiscuits ;ビスキュイ、massepains ;マスパン、pains d’épices ;パン・デピスが既に作られていました。
1775年6月ランスのノートルダム大聖堂で行われたルイ16世の戴冠式の折りには、この店のお菓子も献上されたと言いますので、ルイ16世は勿論マリー・アントワネットも一緒にノエル・ウゾー(フォシエ)のビスキュイをシャンパーニュと共に召し上がったことでしょう~^^
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その1756年創業のノエル・ウゾー社(10 place du Marché au bléに店がありました)を引き継いだことから、
フォシエでは創業を1756年としているのです。今年(2013年)は257周年と言うことになりますね。

1871年にはフォシエ氏の娘Marie-Clémentine Fossier;マリー=クレモンティヌ・フォシエが共同事業者であった
Emile Brisset氏と結婚。
これを機にL’Hôtel de La Salle(Jean-Baptiste de La Salleの生家,6 rue de l’Arbalète)にも店と工房が
作られています。
◎捕捉;Jean-Baptiste de La Salle ;ジャン・バチスト・ドゥ・ラ・サル(1651 - 1719年))は、上流階級ではない
平民の子供たちを教育する目的でラ・サール修道会を創設した修道士。迫害され苦労したが、その死後19世紀になってから認められて1900年には聖人に列せられ、1950年には 教育者の守護聖人とされた。現在ラ・サール会(キリスト教学校修士会)は世界中で学校を経営しており日本にもある。因みにタレントのラサール石井氏はラ・サール高等学校出身


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Lettre du tour de France Reims et le pays rémois en 1872」(Georges Le Guesnier著1873年刊)の中で『現在フォシエの名前は最もよく知られ、とても客が多い』と書かれているように、当時から既にとても
評判の良い有名店でした。

当初ランスだけで製造されていたビスキュイ・ドゥ・ランスですが、1820年頃には他の地域でも製造されるようになり
とりわけパリに工場が集中し、1866年には200もの工場で大量生産されるようになり世界中へ輸出されるほどに。
つまりビスキュイ・ドゥ・ランスは『ランスで作られたビスキュイ』ではなく
ランス(で製造されている)タイプのビスキュイ』という認識に変わっていました。

ただそれらは全く同じものであったわけではなく、ランス製ビスキュイは細長くて一方の幅がより狭くなった
シャンパーニュに浸しやすいスタイル。
材料もランス製が『卵、砂糖、小麦粉、バニラ』であるのに対し、他ではミョウバンや重曹を加えているものもあり、
しっかり乾燥したものだけではなく柔らかいものもある等、ランス製以外のものはバラツキがあったようです。
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さて、1950年代のランスにはビスキュイトリーが15軒ありました。
それが次第に財政的困難(倒産、合併、買収)の為に数が減り、最後に残ったのはBiscuiterie Rémoise;
ビスキュイトリー・レモワーズ
(1984-1987年まで一時閉鎖)とFossier;フォシエの2軒でした。

1994年Société Générale Biscuit Luの所有となっていたビスキュイトリー・レモワーズを
Luの元幹部Charles de Fougeroux;シャルル・ドゥ・フージュルー氏が買い取り、1996年彼の兄弟であるAlain;アランも副社長として加わります。
1997年には厳しい経営状態にあったフォシエを買い取り、より歴史のあるフォシエの名のもとにブランドを統一。
こうしてフォシエがランスでビスキュイ・ドゥ・ランスを製造販売する唯一のビスキュイトリーとなったのでした。

その後シャルル・ドゥ・フージュルー氏は生産力の強化と合理化を図る為、ランス郊外に新しく工場を建設。
(2004年11月完成)
工場は団体で申し込めば見学することが可能で、直売所も併設されています。
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さて、私がこの工場を訪れたのは2006年のこと・・・。

フランス地方菓子・伝統菓子の取材と言うことで見学をさせて頂きました。
見学はまずビスキュイとフォシエについてのビデオから始まりました。
この部屋にはかつて使われたポスターやかつて使われていたビスキュイの型などの展示も♪

次はいよいよ工場へ。まずは中2階の位置にあるガラス張りの廊下からの見学です。
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かなり余裕のある広い場所で数人の男性が作業をしていました。中へも入れて頂きましたが、完全に機械化されているという印象ではなく、特に包装をする部屋ではビスキュイの袋詰め作業が女性たちの手によって全て手作業で行われていました。
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女性の担当者が検査やデータを管理する、品質管理室の見学まで♪
従業員の心得的な内容を掲げた額も飾ってあったりして、真面目で明るい、前向きな職場という印象でした。


かつてのフォシエについて尋ねてみると、合併された1997年頃までは44,bd Jaminにあったフォシエの建物に
古いFour à bois(薪釜)がまだ残っていたのだとか!

ビスキュイも一部はこれで焼成され、cours Jean-Baptiste Langletにあるお店では他の通常品とは別に
(もちろん高い値段設定で)販売されていました。
生地は手作業で三連の小さな型に詰め、粉砂糖を2回振りかけ、オーブンへ。その後エチューブに1晩入れて乾燥。
古い薪釜であるために焼きムラもありましたが、昔からの常連客は自分の好みの焼き具合のビスキュイを買いに来ていたのだそうです。もちろん味も現代的なオーブンで焼かれたものとは明らかに違っていたそうで…。


初めてランスを訪れたのは今からかれこれ20年以上前。
このことを知っていたら何としてでも薪釜で焼いたビスキュイも食べてみたかった!



                               ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2013-04-27 00:28 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

Chaumont ; ショーモンの「l'idéal ;イデアル」を食べに…

バスク地方にある「St Jean Pied de Port ;サン・ジャン・ピエ・ド・ポール」で出会った
l'idéal chaumontais ; イデアル・ショーモンテ」。

「いつか元になっている本物( ?)を食べてみたーい!」と思ってはいましたが、
Chaumont ; ショーモンの町があるHaute-Marne ; オート・マルヌ県はこれまで行く用事も無く…

2008年に渡仏した際、リモージュからロレーヌ地方のナンシーへ行く際に無理やり1日作って
ようやく訪問に漕ぎつけたのでした。
(フランスを旅するようになってから22年目にして初のオート・マルヌ県。
今年で25年目になりますが、それでもまだ行っていない県は若干残っています^^)


電車だとパリを経由して6時間。
本数も少ない為、リモージュを朝5 :52発の電車に乗車(汗)。

パリに到着したらオーステルリッツ駅からメトロでエスト駅まで移動し
ショーモン行きの電車に乗り換え。
乗り換えまで順調に行った!と思っていたら
もうすぐ到着という時になって急に電車が停まり立ち往生するはめに…。
b0189215_1584539.jpg ← ここの駅でも暫く停車してた…
12時には到着するはずが大分予定がくるってしまいました。



さて、それはともかく…。
到着後すぐに駅前のホテルにチェックインして、ホテル内にあるレストランでランチ。
注文したのは当然この地方のスペシャリテが食べられるランチメニュー。
チーズはこの地方のスペシャリテであるLangres;ラングルのfraisとaffinéの2種類を食べ比べ。
b0189215_15142453.jpg ← 美味しかった~♥
待ちに待ったデザートは…
じゃじゃーん!勿論「l'idéal chaumontais 」♪ ↓ これ ♪
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食後は休むことなく街へ…。

郵便局で荷物を出して軽くなったところで、
ここへ来たもう1つの目的である「Musée de la crèche(クレッシュ博物館)」へ…♪

当初は教会で飾られていたクレッシュ(キリスト生誕を表現した模型)ですが
17世紀から家庭で飾られるようになり、18世紀に発達。

特にナポリの職人が作るものはその美しさで有名なのだそう。
ここは17世紀から20世紀までの、様々な素材で作られたクレッシュと一緒に
その18世紀にナポリで作られた貴重なコレクションも展示されている
フランスでも珍しい博物館なのです。

Blainにあるフェーヴ博物館にもクレッシュのコレクションが飾られていますが、
こちらでは更に貴重で美しいものを見学することが出来ました。


お次はお菓子屋さん巡り…。
Pascal PigeonMussyの2種類を購入して、合計3種類のイデアルを食べ比べしたことに…。

こちらは「Maison Pigeon
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b0189215_1623140.jpg← こちらが実際に買った1人用サイズ

こちらは「Chocolaterie Mussy
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いずれもバスクのショーモンテと同じで、
シュクセ生地にプラリネ風味のバタークリームを挟んだものでしたが、
作り手によって生地、クリーム、仕上げのスタイルも色々で食べた印象もかなり違いました。
(前者2つは生地がよりメレンゲっぽくて軽いタイプ)


他にもこのような ↓ イデアルを見かけましたよ~♪
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食べ比べは出来たものの、いつ、誰がこの菓子を考案したのか?等々
残念ながら詳しいことは分からずじまい…(気になる~)。


因みにPascal Pigeonには他にも
「le baisier de Chaumont ; ベジエ・ドゥ・ショーモン」と呼ばれるスペシャリテがあります。
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Feuilletage(パイ生地)にCrème d’amandes(アーモンドクリーム)を詰めて焼き
表面にグラサージュをかけたもの。こちらも甘めですが、パイがサクサクでとっても美味しい♪



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↑ 高台にある 旧市街から眺める景色はとーっても綺麗でした。



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by Ethno-PATISSERIE | 2011-08-11 22:34 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(4)

La Confiture de Noberte ; コンフィチュール ドゥ ノベルト

このコンフィチュールとジュレの二瓶は、以前買った「Le Biscuit Rose de Reims」の著者
Lise Bésème-Piaさんに会うためCharleville-Mézièresへ行った際に頂いたもの。
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彼女はこの地方の料理やお菓子についてとっても詳しい方で沢山の本を出版しており
地元で採れる野生フルーツを使ったコンフィチュールの本も出しています。
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『La Noberte ;ノベルト』とは直径2センチ程の小さなプルーンのことで、
コンフィチュールやジュレ、タルトにしたり、蒸留する等加工すると
非常に美味しいのだそうです。
かつて各家庭でパンが焼かれていた時代には、
10-15リットル入る陶製の大きな容器にこのプルーンと砂糖を入れ、
薪釜で一晩かけて煮詰めていたとか。

1128年、Abbaye des Prémontrés de Laval-Dieu
(ラヴァル・デュー大修道院;Monthermé近郊)を設立した
Saint Norbert ; サン・ノルベール修道会の修道士たちによって
この地に植えられたとされていることから
『La prune de Norbert ;プリュヌ ドゥ ノルベール』とも呼ばれるアルデンヌ地方の特産品。
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果肉に種がくっついていて作業がしにくい為、次第に好まれなくなり
現在では生産量が著しく減少しています。
頂いたコンフィチュールとジュレはどこでも買えるようなものではなく
非常に珍しいものでした。
もし見つけることが出来たら即買い!
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甘酸っぱくて濃厚なコンフィチュール。いつかフレッシュな実を摘みに行けたらいいな。



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by Ethno-PATISSERIE | 2011-06-01 16:16 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)