カテゴリ:キリスト教 行事( 9 )

La fête de la Saint-Jean(洗礼者ヨハネの祝日)と「洋ナシ」

今日(6/24)は「La fête de la Saint-Jean(洗礼者ヨハネの祝日)」。

以前6月に旅行をした際、南仏のNîmes ;ニームにあるマルシェで、緑色の小さな洋ナシが売られているのを見つけ
「未熟で小さな洋ナシを買って何に使うのだろう?」と思いお店の人に尋ねると「このまま食べる」というので
半信半疑で購入。
それが食べてみたら甘くてとっても美味しい~^^(↓ コレです)
b0189215_10252449.jpg


その洋ナシの名前(品種名)は「Poire de la Saint Jean ;ポワール・ドゥ・ラ・サン・ジャン」。
「Saint Jean ;サン・ジャン」の時期に収穫されることからこの名前が付けられたのでしょう。
実が小さくて軸が長いのが特徴。青いうちに収穫されますが、完熟すれば黄色くなります。
保存が利かないのですぐに食べるか加工しなくてはいけません。

それまで「洋ナシは追熟するもの」と思い込んでいましたが、そうじゃないものもあると教わったのでした。
地元の産物が並ぶマルシェ散策はとっても楽しい~♪



                                ※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-24 10:27 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(4)

Pentecôteのお菓子「Le Colombier 」その3

現在、マルセイユのスペシャリテとして販売されている「Le Colombier ;コロンビエ 」。
以前は各地で見られましたが、その多くは廃れてしまいました。

ブルゴーニュ地方のDijon ;ディジョンもその1つ。
ここには
Princesse Yolande (ヨランド王女)の婚姻の日、宮殿の塔から幸せの前兆である1羽の白鳩が飛び立った
という伝説があり、これがPentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Colombier ;コロンビエ」に結び付けられ
「コロンブが入っていた者は1年以内に結婚する」と言う話と共に販売されていました。

このお菓子を売っているお店を知らないか、ディジョンのMOFショコラティエ Fabirce Gillotte ;ジロットさんに
尋ねてみたところ、このお菓子のことは知っているがさすがに売っているところまでは分からず
調べても売っているお店は見つからなかったとのお返事でした。


フランスではあまり見られなくなったお菓子ですが、日本ではオー・ボン・ヴュー・タン↓ コレ)他で買うことが出来ます。
b0189215_1021814.jpg

またワンダフルハウスさんのサイト(ココ)ではパティシエ・シマさんに特注したという貴重なコロンビエを
見ることが出来ます。

これは島田シェフが1971年フランスで修業をしたお店「ブッタ」で覚えたという
丸く焼いたパン・ド・ジェンヌにフォンダン(糖衣)をかけ、白い鳩とピンクのアーモンドダイスを飾った」コロンビエを再現、或いはお手本にしたもののようです。
この時代にはまだコロンビエを作るお店があったのですね。


2006年にはイルドフランスのSainte-Geneviève des Boisと言う町にあるパン屋さんが
聖霊降臨祭のコロンビエを再び作り始めた」という記事を見つけたのですが、果たして今でもあるでしょうか・・・。


今日(2012/05/27)はPentecôte ;パントコート(聖霊降臨祭)当日。このお菓子を食べた人はいるかなぁ^^


※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-27 10:28 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)

Pentecôteのお菓子 「Le Colombier 」 その2

前回のブログでPentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Le Colombier ;コロンビエ」の別名として
Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」や「Gâteau Porte-bonheur ;ガトー・ポルト・ボヌール
があることをお話ししました。
Arbois ;アルボワにある1900年創業の老舗パティスリーHirsinger ;イルサンジェでは
Le Porte-Bonheur ;ポルト・ボヌール」と言う名前で販売されています。


このお菓子の存在を知ったのは偶然から…。
b0189215_1185399.jpg

2003年6月にショコラの取材でお店へ伺った際、何気なく写した写真(↑ コレ)の中にこのお菓子はありました。
しかもそれに気付いたのはだいぶ後になってからのこと。
以前の写真を見直している時に、お菓子の上に飾られたリボン状の紙に

Je cache en ma pâte exquise une Colombe  美味しい生地の中にコロンブを1つ隠しています
Celui à qui elle échouera            それを見つけた者は
Dans l’année se mariera            1年以内に結婚するか
Ou bonheur lui surviendra           幸せが訪れるでしょう

と書かれていたのです。
とっても気になったので、メゾン・イルサンジェの4代目 Edouard;エドワールに尋ねたところ、
聖霊降臨祭のお菓子コロンビエと同じもの」だと教えてくれたのでした。
この時期限定販売のお菓子だっただけに、買わなかったことを激しく後悔したのは言うまでもありません。


その後、聖霊降臨祭の時期にアルボワへ行く機会は無く…。
2008年11月、ようやくお店を訪れる機会があり、どうしても食べたくて季節外れではありましたがわがままを言って
作って頂きました。

作り方はこんな感じ…。
メレンゲにTPT(アーモンドパウダー+粉砂糖)と溶かしバターを加えて作った生地をセルクルに入れて焼く。
b0189215_11291216.jpgb0189215_1129284.jpg
型を外して冷めたら側面に切り込みを入れてプラスチックのコロンブを差し込む。
全体にナパージュをかけ、側面にグリエしたアーモンドダイスをまぶす。
b0189215_11301578.jpgb0189215_11302868.jpg
紙をのせ、バタークリームで「Porte-Bonheur」と書きいれる。


この紙を更によく見ると左右にメダルが印刷されており、パリのパレ・ロワイヤルで行われたエキスポで
1902年と1903年にこのお菓子でメダルを獲得していることが分かります。
b0189215_11223685.jpg


マルセイユのコロンビエは「1906年のコンクールで考案された」と言うことでしたが
それよりも早い時期にこのお菓子は作られていたのですね。

エドワールのお父さんで3代目のClaude ;クロードにこのお菓子のことを聞いてみると
このお菓子は20世紀初頭に行われたコンクールで考案されたもので、Pentecôte ;パントコートの他に
Fête des Mères(母の日)にも作られることがあった
」とのことでした。

そして、なぜイルサンジェでは「Porte-Bonheur ;ポルト・ボヌール」という名前で販売されているのか?
というと「コロンビエの名前は組合に入っているお店だけしか使えなかったから」と言うことも分かりました。
「Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」の別名もありますが、恐らく組合に入っていないお店が
コロンビエ以外の名前」と言うことで命名したものなのでしょう。


モダンで新しいお菓子やショコラを作りつつ、100年以上前のお菓子を今でも丁寧に作り続けているイルサンジェ。
とても貴重なお店です!


※※※



にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-26 11:34 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(4)

Pentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Le Colombier ;コロンビエ」

Pentecôte ;パントコート(聖霊降臨祭)はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日。
復活祭から数えて(復活祭当日を含む)50日目にあたり、今年(2012年)は5月27日がその日です。

復活したキリストが弟子たちに「近いうちに聖霊が降りる」ことを告げて天に昇り(キリスト昇天)
それから10日後、ユダヤ教の祭事暦で言う五旬節の日に集まっていた弟子たちのところに大音響と突風のうちに
約束の聖霊が炎のような「舌」の形で降りてきたといいます。
* 元々は春に得られる最初の収穫に感謝する農業祭であったものが、後になってキリスト教徒によって
聖霊降臨の出来事に結び付けられ、収穫感謝の意味はなくなる。

* 美術表現では使徒たちの上に聖霊の「白鳩」が下降すると共に頭上には「炎のような舌」が描かれる。
b0189215_15514024.jpg
↑ フィレンツェ ラウレンツィアーナ図書館 「ラブラ福音書」Evangéliaire de Rabula, vers 586 
こちらから借用


さてPentecôte ;パントコート(聖霊降臨祭)のお菓子「Le Colombier ;コロンビエ」のお話・・・。

実際にいつ頃から作られるようになったのかは不明ですが、このようなお菓子はかつてフランス各地で作られていました。
近代製菓概論と邦訳される「Traité de la Pâtisserie Moderne(Darenne et Duval) 」ではCharabot氏の
ルセットとして「アーモンドパウダー、砂糖、オレンジピール&ゼスト小麦粉、バター、卵白で作った生地を楕円形の型で
焼き、表面をアプリコテし、フォンダンをかけ、砕いたピンクのプラリーヌをまぶしたもの」が紹介されています。
マルセイユのコロンビエにはこれにキルシュに漬けたムロン(メロン)コンフィが入っています。

19世紀末「Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」や「Gâteau Porte-bonheur ;ガトー・ポルト・ボヌール」という
名前のお菓子が見られ、ガレット・デ・ロワのフェーヴ同様、Colombe ;コロンブが中に入っていました。
ガレット・デ・ロワのフェーヴ同様、中に小さな白鳩(Colombe ;コロンブ)を入れてくじ引きをするお菓子で
Qui la Colombe aura dans l’année se marira ;コロンブの入っていた者は一年以内に結婚する
と言われています。

Colombier ;コロンビエ」というのはフランス語で「鳩小屋」を意味し、「Colombe ;コロンブ」は「白い鳩」のこと。
平和の象徴、三位一体の「聖霊の象徴」でもあり、聖霊降臨等で主要なモチーフとなっています。

現在コロンビエはマルセイユのスペシャリテとして、聖霊降臨祭の前後一週間程の期間限定で買うことが出来ます。
そしてこの菓子の起源は、この町の創設者とされる「Gyptis ;ジプティスとProtis ;プロティス」の伝説に
ちなんだもの。
紀元前600年頃「この地にギリシャのフォカイア人船団が上陸し、ここを治めていたリグリア人部族セゴブリージュの首長ナンシスの元を訪問する。折しもこの日は首長の娘ジプティスの婿選びを行う日。慣例によって祝宴の際に彼女は自らの意思で将来の夫を選ぶことになっていたのであるが、彼女は訪問してきた初対面のフォカイア人プロティスを将来の夫に選び、この2人を中心にマルセイユの町の基礎が築かれた
というものです。

この伝説を元に、この「祝宴の際にコロンブ入りのお菓子を切り分け、多くの求婚者の中からコロンブが当たった
プロティスがジプティスの夫となった
」というお話が創作され、パティシエたちがマルセイユのスペシャリテとして
販売されるようになりました。

マルセイユの「Colombier ; コロンビエ」は1906年に行われたコンクールの際、マルセイユのパティシエによって
考案されたものだといいます。

しかし、なぜこのような運試しを聖霊降臨祭の日に行うのでしょう?
コロンブがキリスト教では聖霊の象徴とされているので、
聖霊降臨祭の日に食べるお菓子ということはしっくりきますが、なぜこれが「一年以内に結婚する人」を
引き当てるお菓子とつながったのか? がちょっと謎ですね。

さて、コロンビエの中に入っている陶器或いはプラスチック製のフィギュア、
これは本来フェーヴではなくコロンブといわれるべきものです。
* 厳密に言えばガレット・デ・ロワに入っている(入れられた)ものだけをフェーヴと呼ぶことが出来る
b0189215_18405289.jpg
↑ 左は大小のプラスチック製コロンブ、右3つは陶器製。

マルセイユのあるパン・菓子職人の組合Maison des Patissiersでは1997年に「LE COLOMBIER」を
商標登録しており、Marque déposéeの文字が入ったコロンブも作られています。
b0189215_18444052.jpg
↑ コロンビエ用に作られたコロンブ。組合で製造したもの。
b0189215_18471212.jpg
↑ 文字がつぶれて分かりにくいがMarque déposéeと書いてあるのが分かる


マルセイユのパティシエClaude Leonard氏はこのお菓子を買う時は「職人の手によって制作されたことを証明する
紙のテープが巻いてあることをしっかり確認して買うこと」を勧めています。
恐らく組合に加入しているお店だけがこの紙のテープとコロンブを使用することが出来るのでしょう。


◎この動画(2008)ではマルセイユの人々でもこのお菓子の存在をあまり知らないことがわかります。

◎この動画(2009)に映っているお菓子に巻いてある紙がそれ。お菓子の上にはフェーヴも乗せてあります。

◎この動画(2010)では制作風景を見ることが出来ます。
ここのお菓子にも同じ紙が巻いてあり、同じコロンブが使われています。



※※※



にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-24 19:07 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(4)

「Le dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー」と「Rameaux garnis ;ラモー・ガルニ」

エイプリルフールの4月1日、
今年(2012年)はLe dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー(枝の主日)でもありました。
*正式にはdimanche des Rameaux et de la Passion(枝と受難の主日)。
1965年第二バチカン公会議の改革により、復活祭の2週間前の日曜日に祝われていた「受難の主日」が
復活祭一週間前の「枝の主日」と同じ日に祝われるようになった。


「枝の主日」はキリスト教の移動祝祭日で、「Carême ;カレーム(四旬節)」最後の日曜日(つまり復活祭の1週間前)、
キリストのエルサレム入城を記念する日です。

旧約聖書の「ゼカリア書」に予言された救い主の姿そのままにロバに乗ったキリストがエルサレムに入ると
人々は「キリストが、国を復興させる王としてエルサレムへ来られた」と思い、着ていたマントを道に敷いて
棕櫚の枝を手に持ち「ダビデの子にホザンナ」と叫んで迎えました。
* 当時、枝は凱旋者を迎える印だった。
* Hosanna ;ホザンナとはヘブライ語の喜びと勝利の叫び声。
(ヘブライ語の ho si a naは「どうぞ救ってください」の意味がある)


この日、祝福された枝(フランスでは主にツゲの枝、地方によってはオリーブ、ローリエ、棕櫚等も使用される)を
ミサから持ち帰り、災いを防ぐために家のあちこち、納屋や家畜小屋の入口、
両親の写真立て、寝室にある十字架等に飾ります。
*翌年の灰の水曜日前に教会へ持ち寄って灰にし、灰の儀式(司祭が信者の額に灰で十字の印をつける)に使用される。


リムーザン地方ではこの日、歩き始めたばかりの小さな子供にRameaux garnis ;ラモー・ガルニと呼ばれる
ピンクや白のメレンゲやお菓子を飾ったツゲの枝を持たせてミサへ行く習慣があります。
こちら↓の2つのニュースで取り上げられています。ラモー・ガルニがどんなものか興味のある方はご覧ください。
*La traditionnelle meringue du dimanche des rameaux
*La gourmande tradition des Rameaux à Limoges


2006年5月にMassepains ;マスパンというお菓子の取材で
Saint-Léonard de Noblat ;サン・レオナール・ドゥ・ノブラを訪ねた際、Pâtisserie Caronで
この「meringue du dimanche des rameaux ; ムラング・デュ・ディマンシュ・デ・ラモー」の売れ残りを発見!
十字架やハート形、リング形等に絞り出した淡色のメレンゲに、枝へ取り付けるための針金が付いています。
b0189215_13534279.jpg



詳しい起源や意味は分かりませんでしたが
「子供たちはミサの間おとなしくしていたご褒美にこれを食べられる」のだと教えて貰いました。
* ツゲに飾られたお菓子はCarême;カレーム(四旬節)、節制や節約の終わりを知らせるものだった。

いつか実物のRameaux garnis ;ラモー・ガルニも見に行きたい♪



                                     ※※※



にほんブログ村 スイーツブログへ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-04 15:10 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)

「Poisson d’Avril;ポワソン・ダブリル」とそのお菓子、そして魚形フェーヴ

4月1日はエイプリル・フール、フランスではPoisson d’Avril;ポワソン・ダブリル(四月の魚)と呼ばれます。
ちょっとした嘘をついたり、 いたずらをしてもいい日があるなんてちょっと不思議。

この習慣の起源ははっきりしておらず、多くの説があっていずれも仮説の域を出ないものばかりですが、
中で最も多く挙げられる説は
1564年フランス国王 シャルル9世がEdit de Roussillon(ルシヨンの勅令)で、
復活祭の日だった元旦を1月1日に改めたことがきっかけだった

と言うもの。

古代ローマで使われていたローマ暦も、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)によって制定されたユリウス暦も、
1年の始まりは1月1日でしたが、実際に各地で採用されていた日とは異なっていたようです。
この当時もフランスでは復活祭の日を新年初日としていました(ただし地方によって異なる)。

改めて元日となった1565年1月1日、皆はいつも新年を祝うようにお年玉やプレゼントを 贈り合います。
しかし「この変更を受け入れられないものや、知らせが行き渡らず変わったことを知らない人たちによって、
今までの習慣から4月1日に新年を祝う習慣が続けられ、そのように現実を受け入れない人たちに
実用的ではないものや嘘のプレゼントを贈ってからかうようになった
」ということで 、
次第にこの日にいたずらや悪ふざけをする習慣が出来たというのです。

シャルル9世が1564年に元日を1月1日に定めた後、ヨーロッパではユリウス暦にかわって現在用いられている
グレゴリオ暦が用いられるようになり、フランスでは1582年に採用されています。
こんなにこよみが変わったのでは国民が混乱して反発したくなる気持ちも分かるような・・・。


とは言え、「Poisson;ポワソン(魚)」の方はいったいどこから来たのでしょう?
これに関してもはっきりしておらず、次のような様々な説があるようです。

- 黄道十二宮において、この時期に太陽が冬のサインである双魚宮から出るからという説。
- 四旬節の期間肉、卵、乳製品の摂取が禁じられ、魚を食べていたからという説。
- 4月になって暖かくなると魚(鯖)がたやすく簡単に釣られてしまう事から、4月1日に騙される人のことを
「四月の魚」とする説。
- この時期、魚の繁殖期で釣りが禁止されていたからという説。

これは11世紀末、グルノーブルの司教 Hugues ;ユーグが魚の産卵期に稚魚を保護する為、4月1日から6月30日まで釣りを禁止し、違反者は罰として、続く3回の日曜日に体の前と後ろに魚の絵をかけ、さらし者にされたことに由来します。
* グルノーブルの司教 Hugues ;ユーグ
グランド・シャルトリューズ修道院創設者の1人で、後に聖別され、聖ユーグとなる


これは「魚の絵を背中にくっつけるいたずら」を髣髴とされるお話で、4月1日が「聖ユーグの日」となっているところからもそのつながりを感じさせます。


また「魚は多産・繁栄の印、またキリストの象徴でもあり、卵や鶏、羊やウサギと共に復活祭のお菓子に欠かせない
モチーフの1つでした。
「アルザスでは魚の形に焼いた菓子を 復活祭の時と新年に贈り合う習慣があった」と言います。
b0189215_22181173.jpg
↑ スフレンナイムで買った陶器型

何故「新年と復活祭の時に贈り合うのか?」が少し気になりますが
元々新年のお菓子で、1月1日が元旦とされる前にはそれまで新年初日だった復活祭に作られ、贈り合っていたのかも?
と想像すると納得できそうな・・・(実際のところは不明)。


では、この他にポワソン・ダプリルのお菓子にはどの様なものがあるのでしょう。
この時期はPâques;パック(復活祭)のシーズンで元々チョコレート細工の卵やウサギ、そして魚も作られていますので、魚形のチョコがそのお菓子と言えるかもしれません。
b0189215_222724.jpg
↑ オルレアンのショコラトリーに飾ってあった大きなチョコレート製の魚


しかし、一昔前は魚の形に焼いたパイ菓子がよく作られていました。

これは「わんだふるはうす」さんのサイトでも紹介されていて
魚の形のパイは『タルト・ポワッソン』とか『ポワッソン・フィユテ』と呼ばれています。1976年に来日した
MOFパティシエ クロード・ボンテ氏が全国各地で講習会を行なって、日本に広まったお菓子

なのだそう。
* 同じサイトのこちらでは特注されたポワソン・ダブリルのお菓子がまとめら見られます。

子供の頃に買った今田美奈子さんの本「お菓子の手作り事典(1978年)」でも、ガレット・デ・ロワと一緒に
苺のポワソン・ダブリルが紹介されていましたが同じ頃ですね。


フェーヴについての本を出版しているHuguette Botellaさんから以前お聞きした話では、
彼女の幼少時代、4月1日のポワソン・ダブリルには魚形フェーヴが入った魚形のパイ菓子が販売されていたと言います。
* 厳密にはエピファニーのお菓子に入っているもの以外は「フェーヴ」と呼びません

このようにお菓子で王様を引き当てる遊びは、 なにもエピファニーに限ったことではなく様々な行事や
知り合いが集まった時など、 食事の際に行われるものでもありました。
フェーヴ製造者が新しい用途を開拓する為に作ったのか、或いはお菓子屋さんのアイディアに応えて作られたものかは
定かではありませんが、エピファニー以外にもこれを使用したお菓子の販売が試みられた時期があり
ポワソン・ダブリルの魚フェーヴもその中の1つでした。
b0189215_2244566.jpg
↑ 現在でも販売されているスローガン入りの魚形フェーヴ

もうこれの入ったお菓子を作っているお店はなさそうと思っていたら、Charleville-Mézières;シャルルヴィル・メジエールにある知り合いのパン屋さんから「作っている(た)よ」と聞いてビックリ!(今は需要が無いので作ることもないようです)
彼の作っていたのはガレット・デ・ロワと同様のものを魚の形に成型したもので、Botellaさんが知っているのと同じでした。
* 因みにエピファニー以外に今でもフェーヴ状のものが使われているお菓子はPentecôte;パントコート(聖霊降臨祭)の「Colombier;コロンビエ」があります。


また、フランスでは20世紀初頭、行事毎に綺麗なポストカードを贈るのが流行り、
ポワソン・ダプリル用のカードも多く作られました。
b0189215_22352723.jpg


4月1日は愛と友情の記念日でもあり、魚が声を出さないことから、魚の絵のある匿名のカードを送ることは燃える思いを愛する人に告白する方法だったのだとか・・・。





                                    ※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-01 22:51 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)

「Carême ;カレーム」と「Mi-Carême ;ミ・カレーム」、そしてそのお菓子

Carême ;カレーム(四旬節)」とは、カトリック教会においてPâques ;パック(復活祭)の46日前の水曜日
Mercredi des Cendres ;メルクルディ・デ・サンドル(灰の水曜日)に始まり、復活祭の前日(聖土曜日)に
終わる期間のこと。
イエスの復活を記念する日曜日は数えないので40日間となり、元々はラテン語で「40」を意味する
Quadragesima ;クアドラジェジマ」という語で呼ばれていました。

イエス・キリストの受難と死は人の罪をあがなう為と考えられ、四旬節はキリストの苦しみを分かち合う節制期間とされ、かつては肉、卵、乳製品の摂取が制限されていました。
*2012年のカレーム(四旬節)は2月22日―4月7日)

この節制期間前のカーニヴァル期間(エピファニーの翌日からマルディ・グラまで)には逆に、卵や牛乳を
たっぷり使ったお菓子、beignets ;ベニエCrêpes ;クレープGaufres ;ゴーフル等が食べられます。

四旬節のお菓子と言うとEchaudés ;エショデなど、卵・牛乳等を使わないお菓子が基本になりますが
例外とされた日がありました。
それが「Mi-Carême ;ミ・カレーム(四旬節中日)」のお祭り。

Mi- ;ミ・」が「半分、半ばの」を意味する通り、灰の水曜日から数えて20日目(日曜は数えない)、
3週目の木曜日に当たります。
*2012年のミ・カレーム(四旬節中日)は3月15日。

この日を祝うお祭りは中世に遡り、厳しい節制期間に「もう一度マルディ・グラのようなお祭り騒ぎを楽しみたい!」
と言う願いから、期間の途中に中休みを作ったのだとか。

しかしその起源は古代ローマ人が祝っていた「Anna Perenna ;アンナ・ペレンナの祭り」だと言います。
*老婆の姿で描かれる古代ローマの「年めぐり、新年の女神」。Annaは「annus(年)」の女性形で、Perenna は
「永久」を意味する。彼女の祭りは3月15日で、この日は無礼講が許され、酒杯を重ねてその年の幸せを祝ったという。


マルディ・グラの時と同様に、卵・牛乳をたっぷり使ったベニエやクレープ等を食べることが許される日。
仮装をした人々の行列や山車、祝宴が催されて、しばし羽目を外すことのできる日でした。


カーニヴァルの時に食べるお菓子と同じものがミ・カレームでも食べられていたので、特に「ミ・カレームのお菓子」と
言うものはありませんが、「ミ・カレームの時に(も)作られる」という記述のあるものを探してみると、
主にPays de la Loire地方圏で見られるBottereaux ;ボトロー
Poitou-Charentes地方圏北部のTourtisseaux ;トゥルティッソー
Vendée県の北東部にあるbocageと北西部のMarais breton vendéeと呼ばれる辺りの
foutimassons ;フーティマッソンというベニエが出てきました(地域はあくまでも大まかな目安)。

これらのベニエは地域によって呼び名が変わり、作り手によってルセットも形(菱形、四角形、長方形…)も様々なので、違いを明確にすることは難しいのですが、多くの場合が発酵生地を使い、一般的にボトローとフーティマッソンはラムやオレンジ花水で香り付け、トゥルティッソーはバターが多めでコニャックやオードヴィーで香り付けされます。
また、ボトローにはバターを折り込んだBottereaux feuilletés;ボトロー・フイユテもあります。

この中で私が実際に食べたことがあるのはNantes ;ナントのパン屋さんで買ったボットローでした。b0189215_21455537.jpgb0189215_21474020.jpg










↑ 大きめでふっくらした菱形をしていて、とても柔らかく、中が空洞!


現在でも実際にミ・カレーム祭がおこなわれているのはフランスと旧植民地の1部地域。
そしてナントは今でも「Carnaval de la Mi-Carême ;カルナヴァル・ドゥ・ラ・ミ・カレーム」が行われています。
*2012年度、昼のパレードは4月1日、夜は4月7日に開催

参考までに・・・
1964年の画像
CARÊME À NANTES  Télé ouest panorama -

2010年の画像



今回は「Bottereaux feuilletés;ボトロー・フイユテ」を作ってみました。
普通のボトローよりもサクサクと歯ごたえがよくて美味しい~(因みに普通のボトローは外カリで中フワ)
生地は甘くしていないので粉砂糖を振らなければ塩味でもOKです。
b0189215_22112688.jpg


ルセットも材料はほぼ変わりませんが配合が色々あって、出来あがりも様々。ベニエはやっぱり面白い♪


※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-03-24 22:45 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)

復活祭の卵とウサギ

<復活祭と卵>
復活祭前のCarême (四旬節)は復活祭に洗礼を受ける人々の準備期間であり、回心と償いの期間。
4世紀、教会によって四旬節の間、肉やチーズ等と共に卵も食べることが禁止されました。
この時期にも卵は産まれますから、この間卵は保存しておくか雛に孵されたりしていました。
b0189215_17454517.jpg

* 2世紀頃、復活祭を準備する為に直前の2日間が断食の日と定られ、
3世紀になるとこの断食の期間はSemaine Sainte(聖週間;復活祭前の週)全体となり、
4世紀にはイエスの荒野での40日間の断食と試みに倣って復活祭に洗礼を受ける人々が同じ期間
準備をする期間となり、さらには教会全体も回心と節制をして復活祭を準備するようになっていきました。


b0189215_21335983.jpg一方で、卵は太古の昔から洋の東西を問わず、
生命と復活のシンボル。
新しい生命誕生のイメージから、春の訪れや復活祭を
表すのに最適なものでした。

色付けしたり、装飾を施した卵を贈る習慣は
キリスト教よりも古くから存在し、春の祭りに着色した卵を
食べたり贈る習慣があって、5000年程前のペルシャでは
春を祝う幸運の贈り物として卵が贈られていたと言います。

ヨーロッパでは13世紀頃から四旬節の終わりに
キリストのよみがえりの色とされる赤に彩色したり、
飾り付けした卵を贈り合う習慣が現れ、
このことは冬の節制の終わりを象徴していました。

アルザスでは1553年に「赤く彩色された卵の贈り物」に
ついて言及された資料が登場しています。
彩色した卵の贈り物はライン川流域の地域だけではなく、
フランス東部や中央の地域に広がっていきました。


<復活祭の鐘とウサギ>
復活祭前の聖木曜日と聖金曜日の2日間、つまりキリストの死から復活の日までの間、
喪に服するしるしとして鐘を鳴らさず、沈黙を守ります。

* 7世紀に教会は聖木曜日から復活祭の日曜日までの間、鐘を鳴らすことを禁止しました。

フランスをはじめとするカトリックのある地域では
「聖木曜日の夜に鐘はローマへ赴き、法王に祝別される」という言い伝えがあります。
復活祭の朝、鐘はキリストの復活の喜びを知らせるためにカリヨンを鳴らしながら戻ってくると言います。
鐘はローマで復活祭の卵を受け取って戻り、各家庭の庭へ置いて、それを子供たちが探しに行くのです。

* 復活祭の鐘は こんな風に移動したとされています。

b0189215_1749672.jpgドイツやアルザスでは鐘ではなく、
野ウサギやウサギが卵を庭に隠していくとされ、
復活祭とウサギが結び付けられるようになったのは
15世紀頃のことでした。

元々、古代各地の豊穣の女神は多くウサギと共に描かれ、
ゲルマン神話の春(豊穣多産)の女神Ostara ;オスタラ
(アングロ・サクソンのEostre ;エオストレ)も
多産・繁栄のシンボルであるウサギを伴って描かれています。

このウサギが復活祭と結びついたのです。



* 春の女神とウサギの画像はこちら


生命と春の訪れのシンボルである卵が多産・繁栄のシンボルであるウサギと結び付けられること自体には
それほど違和感は感じませんが、でも何故卵を産まないウサギが卵を持ってくるのでしょうか?
「春の女神Eostre ;エオストレが寒い冬のある日、翼の凍ってしまった可愛そうな鳥を見つけウサギの姿に変えてあげました。鳥の化身であるこのウサギだけは卵を産めるとされ、これが復活祭のウサギとなり、庭に置かれた巣に卵を産む」というお話があるようです。
(元々キリスト教がそれ以前の信仰を取り込んで生まれた話ですから、矛盾があるのは仕方のないことかもしれません)

日本でもウサギは1羽2羽と数える習慣があり、かつて獣肉の食用が禁止されていた時代にウサギを鳥とみなして食べていたそうですが、不思議な共通点を感じてしまいます^^

復活祭の卵を隠していくのは他にもスイスではカッコウ、チロル地方では雌鶏等々地方によって別の動物だったりして、何故その動物になったのかを調べるのも面白そうです。
[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2011-04-24 22:02 | キリスト教 行事 | Trackback(1) | Comments(2)

Paques ; パック(復活祭)について

パック(復活祭)はキリスト教の行事で最も古いものの1つであり、最も重要な行事。
十字架にかけられて死んだキリストが3日目に復活したことを記念しています。
キリストは木曜日の弟子たちと最後の晩餐後、金曜日にゴルゴダの丘で磔の刑にされ埋葬。
日曜日にマリアたちが墓を訪ねるとその遺体はなく、天使がキリストの復活を告げる
』のです。
b0189215_22284528.jpg

<Paques ; パックの日にち>
教会法(第1ニカイア公会議の決議)では
復活祭は3月21日(暦上の春分の日)以降の最初の満月を過ぎた後の最初の日曜日
とされる移動祝祭日です。

*教会暦による春分の日は3月21日に固定されています。
春分とは「太陽が春分点を通過した瞬間(太陽黄経が0度になった時)」で3月21日頃。
2011年は3月20日23 :20がその春分の瞬間でした。
これが起こる日を「春分日」と呼び、日本で国民の祝日となっている「春分の日」は
国立天文台が定気法によって算出された春分日を基にして前年2月1日に閣議決定されています。
*グレゴリオ暦を用いる西方教会では3月22日~4月25日に間、
ユリウス暦を用いる東方教会ではグレゴリオ暦の4月4日~5月8日の間にあたります。
その為、年によって西方教会と東方教会の復活祭の日が異なる場合もあります。
今年は双方とも4月24日と同日でした。


<Paques ; パックの名前の由来>

フランス語で復活祭を意味するPaques ; パックは
ユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「Pesach;ペサハ」というヘブライ語に由来しています。
これはキリスト教の復活祭が元々ユダヤ教の「過越の祭り」から生まれたものであることを示しています。

*ユダヤ教の過越の祭り Pesach;ペサハとは、古代エジプトでアビブ(ニサン)の月に起こったとされる出来事と
それを起源とするユダヤ教行事のこと。
『エジプトで虐げられていたヘブライ人(ユダヤ人)たちが預言者モーセに率いられ、この地から逃れようとした際(旧約聖書「出エジプト記」)、ファラオががこれを妨害しようとする。そこで神は、エジプトに対し「十の災い」を臨ませる。
その十番目の災いは、人間から家畜に至るまでエジプトの「長子を皆殺しにする」というものだった。
神はモーセに「子羊の血で家の扉の上に印を付けた家以外にその災いを臨ませる」ことを伝える。
過越の祭り(Pesach;ペサハ)は神の約束通り、死を運ぶ天使はユダヤ人の家を過越してエジプトの民だけに訪れた』
という伝説に由来しています。


キリスト教では十字架で処刑されたキリストの死を過越に屠られる子羊に重ね合わせて理解され、
過越の子羊がユダヤ人を奴隷から解放したとすれば、キリストの死は人類を罪から解放した出来事であると解釈されているのです。

<Easter ;イースターの名前の由来>
Paques ; パックがユダヤ教のPesach;ペサハに由来するのだとすると、
同じ復活祭を表す英語のEaster ;イースターやドイツ語のOstern ; オースタンはどこから来たのでしょう?

8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスが「ゲルマン人がEostremonat ;エオストレモナト(春の月名)に春の到来を祝う祭りを行っていた」ことを記録しており、これに由来していると言われています。
ゲルマン人がOstara ;オスタラ、アングロ・サクソン人がEostre ;エオストレと書いた春の女神は、寒い冬の間眠っていた生命が春の訪れと共に目を覚まし、新しい生命と更なる繁栄を願い、春分に祝われてしました。
b0189215_22255842.jpg
               ↑ 暗く寒い冬。すべての生き物が眠っているかのごとく…

* 春分の日、太陽はまさしく東(英語East、ドイツ語Osten)から昇ります(勿論いつでも太陽は東からですけどね^^)
つまり春の女神は「東」の女神で、ローマ神話の「曙の女神Aurora ;アウロラ」、ギリシャ神話の「暁の女神Éos ;エオス」等の女神に結びつき、そしてこれらは全て「夜明けの女神Hausos;ハウソス」に由来しており、寒く厳しい冬の後の生命と大地の復活を象徴しているというのです。

b0189215_22231031.jpg
              ↑ 春は明るく、生命の躍動を感じる…

古くは(キリスト教から見た)異教の春の祭りだったものが、キリスト教布教の際に
キリスト復活と春を祝う女神信仰を「生命への希望」という共通点によって結び付け、これを取り込んでいったのです。


さて、次回は「復活祭の卵やウサギについて」…
[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2011-04-23 22:40 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(6)