カテゴリ:⑦Centre( 7 )

「Massepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン」

以前にも書きましたが、Massepain ;マスパンという名前の付いたお菓子は、次の3タイプに分けることが出来ます。
・アーモンド+フルーツの「カリソン」タイプ
・アーモンドベースの素朴な「マカロン」タイプ
・ビスキュイタイプ(アーモンドは入っていない)



この町のマスパンはカリソンタイプ。

この菓子の生まれたIssoudun;イスーダンは、フランス中部に位置するCentre地域圏、Indre;アンドル県にある町。
スぺインのサンチャゴデコンポステラへ向かう巡礼路上にあり、
19世紀末からはBasilique Notre-Dame du Sacré-Coeur(ノートルダム・デュ・サクレクール寺院)の聖母マリアへの巡礼も行われています。

他のマスパンやマカロン同様これもまた地元の聖ウルスラ会修道女によって作られたもので、
フランス革命後の1790年、彼女たちはrue Porte Neuve (現在のrue Danièle-Casanova)に店を出し
販売を始めました。
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                   ↑ rue Porte Neuveを撮影したポストカード。ココから借用


このパティスリーの最後の所有者はDujardinという人物。
ルセットは秘密にされたまま1960年まで作り続けられ、Jacques Guyard ;ジャック・ギヤール氏が再び製造し始める
までの30年間廃れた状態だったと言います。
* 元はBourgesのベネディクト会修道女たちの作っていたルセットが聖ウルスラ会修道女へ伝えられたと言う説もある。サン・ローラン・ベネディクト会修道女たちはブルジュのマルシェで自分たちの作ったお菓子を販売しており、使われた型や道具が残っている。

この菓子はフランス中に知られるほど有名で、ロシア宮廷やバチカンへも送られていました。
* ナポレオン(1769-1821)やローマ教皇ピオ9世(1792-1878)も好物だったとか。


作家Honoré de Balzac ; オノレ・ド・バルザック(1799-1850年) は、その名声に一役買った一人。
バルザックは1823年から1830年の間Issoudun ;イスーダンをしばしば訪れ
友人のZulma Carraudの家に滞在しています。
この時Auberge de la Mère Cognet ;オーベルジュ・ドゥ・ラ・メール・コニエへも赴いて
コーヒーと共にこのマスパンを好んで食べていました。
彼の小説「La Rabouilleuse ;ラ・ラブイユーズ(1842)」の舞台はイスーダン。
バルザックはこの中でMassepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン
フランスのコンフィズリーで最も偉大な発明の1つである
と紹介し、このオーベルジュについても詳しく描写されています。
* 大きなお屋敷の元馬丁だったCognet氏と、元ブルジョワ家庭の料理女だった賢くて料理上手の妻が切り盛りする
このオーベルジュは非常に人気があった。現在でもRestaurant La Cognette ;ラ・コニェットの名前で存在している。


バルザックのラ・ラブイユーズが後押しとなり、出版から2年後の1844年3月には
ある菓子屋によってパリの39 bis rue Vivienneにマスパン・ディッスーダンを販売する店が開店したほどの
大人気となっています。


私がIssoudun ;イスーダンを訪れたのは2004年6月のこと。
Jacques Guyard ;ジャック・ギヤール氏によって1989年に創立された
マスパン・ディッスーダンの製造販売会社Benuxの工房を見学させて頂きました。
* 残念ながらこの工房は現在無くなってしまったようです。
この記事を書く前に問い合わせた返事が今日(6/26)届きました。現在でも少量ながら製造を続けているそうです。webはこちら

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                                 ↑ 工房の一部

購入したマスパンの箱には原材料として
アーモンド、砂糖、レモン、セドラ、卵白、転化糖、オレンジ花水」と書かれています。
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                             ↑ 購入したマスパンのパッケージ

ジョルジュ・サンドのひ孫の妻、Christiane Sandが出版した「A la table de George Sand(1993)」
には、Lisa Sand(ジョルジュ・サンドの息子の妻)が書き遺したMassepain d’Issoudun;マスパン・ディッスーダン
のルセット(Ulric Richard Desaix (1838-1924)のルセット)が掲載されています。

材料は「アーモンド、砂糖、ライムのゼスト、セドラコンフィ、卵白」。
焼いた生地の表面に、バニラ或いはオレンジ花水で香り付けしたグラスロワイヤルを薄く上掛けします。

ギヤール氏がどこからルセットを手に入れたのかは分かりませんが、このルセットからみても
当時からのルセットとほぼ同じものなのだろうと想像できます。

Benuxが無くなってしまったので、現在マスパンの販売はどうなっているのか観光局に問い合わせてみたところ
マスパンはラ・コニェットで販売されています」とのお返事を頂きました。
Benuxとラ・コニェットのマスパンが同じものなのかは不明ですが、取りあえずは販売されていることが分かって
ちょっぴりホッとしました^^
* こちらの映像ではラ・コニェットのシェフ、ジャン・ジャック・ドミー氏がデザートとして柔らかくアレンジした
マスパンの作り方を見ることが出来る。




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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-18 21:42 | ⑦Centre | Trackback | Comments(4)

トゥールの「La Livre Tournois;ラ・リーヴル・トゥルノワ」のスペシャリテ 色々

Tours;トゥールにはかつて「Poirault ;ポワロー」と言う名前の老舗菓子店がありました。

1807年創業。そのスペシャリテには
Sucre d’orge de Tours ;シュクル・ドルジュ・ドゥ・トゥール
Pruneaux farcis ; プリュノー・ファルシ
* これについてはこちらをご参照ください
Muscadine ;ミュスカディーヌ
* ミルクチョコのトリュフ、グランマルニエ風味、ショコラノワールでコーティングし、粉砂糖をまぶしてある
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Livre tournois ;リーヴル・トゥルノワ

そしてNougat de Tours ;ヌガー・ドゥ・トゥール等がありました。


現在は、かつてポワローの職人として働いていたJean-Marie Soignier;ジャン・マリー・ソワニエ氏が
店を買い取って「La Livre Tournois;ラ・リーヴル・トゥルノワ」と言う名前になっており、
当時のスペシャリテはそのまま作り続けられています。
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                           ↑ Jean-Marie Soignierさん

* 現在の店はかつての店の工房だったところ。
看板の横にはPoirault のロゴが加えてあり、元ポワローだったことが分かるようになっている ↓

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Sucre d’orge ;シュクル・ドルジュとは、かつて大麦を煎じた汁と砂糖のシロップを煮詰めて作られていた飴。
ここでは砂糖を140度に煮詰めて昔ながらの方法で作られ、バニラとニワトコの花の香りを付けた2種類があります。
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Livre Tournois;リーヴル・トゥルノワというのは中世にトゥールで鋳造され、その品質の高さから
フランス王国の貨幣として使われるようになったというコインの形を再現したチョコレートで
以前の所有者で4代目のClaude Delaunay氏によって作られました。
* Livre tournois ;リーヴル・トゥルノワにはプレーンとオレンジアメール、カフェの3種類ある
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Nougat de Tours ;ヌガー・ドゥ・トゥールはこの店によって日持ちのする地方発送可能な商品に改良。
Claudeさんの奥さまであるNicole Delaunayさんはこのお菓子の販売促進活動を行う
Confrérie Gourmande du nougat de Tours ;コンフレリー・グルマンド・ドゥ・ヌガー・ドゥ・トゥールを1998年に創設。10年間会長を務めてその発展に努めたのでした。
* これについてはこちらをご参照ください

ソワニエ氏もこのコンフレリーのメンバー。
Confrérie du Pithiviersの総会で偶然出会い、お店の訪問につながりました。



トゥールは今までに何度も訪れる機会があり短期間住んでいたこともありますが、美味しいものに溢れた
好きな街の1つです^^


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-25 17:34 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

Les Pruneaux de Tours ;プリュノー・ドゥ・トゥール

Pruneaux de Tours ;プリュノー・ドゥ・トゥール」は
Pruneaux farcis à la Tourangelle ; プリュノー・ファルシ・ア・ラ・トゥーランジェル」等とも呼ばれる
コンフィズリーです。
種を抜いたプリュノー(ドライプラム))に、杏(或いは杏とリンゴ)のジャムを詰めてあります。
* パート・ダマンドを詰めたものもある
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↑ これはPoiraultで購入したもの。中にはペクチンを加えたパート・ドフリュイ状のリンゴと杏のジャムが詰められている

材料となっているプリュノーはPruneaux d’Agen ;プリュノー・ダジャンほど有名ではないものの、
この辺りでは古くからプルーンの木が栽培され、プリュノーへ加工されており、パリでもかなり知られた存在でした。

16世紀、フランソワ・ラブレー(1483? - 1553年)も著書「ガルガンチュワとパンタグリュエル」の中で
「プリュノー・ドゥ・トゥール」について記述しています。

ただし、ここで言う「プリュノー・ドゥ・トゥール」はコンフィズリーに加工されたものではなくてドライプラムのこと。
プリュノーへの加工に適した「Sainte Catherine ; サント・カトリーヌ」、
Damas de Tours ;ダマス・ドゥ・トゥール」という2つの品種が有名で、
18・19世紀には広く栽培・加工されてロワール川から船で海外へも輸出されていました。

しかし第一次世界大戦後、生産量は下り坂となり、
現在ではシノン近郊で年間80トン程度のPrunes;プリュヌ(プラム)が生産されるのみで、プリュノーに加工されています。
Huismes ;ユイムの町ではその1/3が生産されおり、かつて加工に使われていた窯が今でも残っています。
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                               ↑ この写真はこのサイトから

 
さて、「Pruneaux farcis ; プリュノー・ファルシ」の方はというと、いつから作られるようになったのか?など
詳細は分からず・・・。
Simone Morand著「Cuisine et Gastronomique du Maine, de la Touraine et de l’Anjou(1977年)」の中で「プリュノーの詰め物にはかつてalberges ;アルベルジュが使われていた」と書かれているのを見つけた程度。
*alberges ;アルベルジュは種と果肉がくっついている杏の品種。杏と桃の中間のような味で、この辺りで大変好まれていた。

ヌガー・ドゥ・トゥールの記述は無かったCurnonskyとAustin de CROZEの共著
Trésor gastronomique de France(1933年)」ですが、こちらの方は
「Pruneaux aux alberges ; Pruneaux fourrés de Tours」としっかり記載されていました。


アルベルジュとプルーン2種サント・カトリーヌとダマス・ドゥ・トゥール。
どんな味なのでしょうね~。生と加工品の食べ比べをしてみたい・・・。



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-21 00:10 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

Le Nougat de Tours ; ヌガー・ドゥ・トゥール

Indre-et-Loire県の県庁所在地Tours ; トゥールのスペシャリテ「Nougat de Tours ; ヌガー・ドゥ・トゥール」。
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                     ↑ Le Livre Tournois(Poirault)のヌガー・ドゥ・トゥール

パート・シュクレに小さく角切りにしたフリュイ・コンフィと杏のジャムを敷き、アーモンドプードル・砂糖・卵白で出来た
マカロナードをかぶせ、表面に粉糖を振って焼いたタルトです。
本来はalberges ;アルベルジュと呼ばれる、種と果肉がくっついて外れない種類の杏から作るジャム、
confiture d'albergesを使いますが、オレンジ・マーマレード等も使われています。
* ヌガーというとヌガー・ドゥ・モンテリマールのようなコンフィズリーが思い浮かぶかもしれませんが、
このようなタイプのお菓子もヌガーと呼ばれます。
*Jules Gouffé (1807 – 1877)著「Le Livre de Pâtisserie」の中ではnougats d’abricots ;ヌガー・ダブリコ、
ブリオッシュ生地の上に杏のジャムを重ね、アーモンドスライス等を振りかけて焼いたヌガー等が掲載。
Pierre Lacam (1836 – 1902)著「Le Mémorial historique et géographique de la pâtisserie」では
同じnougats d’abricots ;ヌガー・ダブリコの名前で、ブリオッシュの代わりにパータフォンセを使用。


1998年から、このお菓子の販売促進活動を行っているConfrérie Gourmande du nougat de Tours ;
コンフレリー・グルマンド・ドゥ・ヌガー・ドゥ・トゥールのサイトによれば、
この菓子の最初のルセットは1865年頃に遡り、レストランオーナーシェフCharles BARRIER氏(故人)の蔵書の中にあったモナコ大公シャルル3世(1818-1889)の料理人が書いた本の中に見つけ、お客に勧めるお菓子があまり無かったことから1970年代に作りだしたのだとか。
*このコンフレリーでは年に一度、プロ向けのコンクールを開催。
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                           ↑ こちらは小さな1人前サイズ

パティスリーで販売されるようになったのは1992年で、最初に売りだしたのはPoirault;ポワローというお菓子屋さんだという話もありますが、真偽のほどはいかに?
(この店では「Le Véritable nougat de Tours(本物のヌガー・ドゥ・トゥール)」の名前で販売)
*「第二次大戦前に流行していた」という説もありましたが
美食家CurnonskyとAustin de CROZEの書いた「Trésor gastronomique de France(1933年)」という
フランス各地のスペシャリテについて書かれた本の中にはPruneaux fourrésは載っているもののヌガーは無し。



現在、伊勢丹新宿店で開催中のフランス展(4/18-23)では ルレ・デセールのメンバーでもある
La Chocolatière;ラ・ショコラティエールのヌガー&その他の商品が販売されていますね♪
(こちらは杏ジャムの代わりにオレンジマーマレードを使用です)
 


                                      ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-19 22:46 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

「Les Aristocrates;アリストクラット(貴族)」と言う名前のお菓子

「Tarte Tatin ; タルト・タタン」が誕生したLamotte-Beuvron ; ラモット・ブーヴロンから南西20km程の所にある町、Neung-sur-Beuvron;ナン・スュル・ブーヴロンのスペシャリテ。
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19世紀中頃この地方で「鉄道が開通し、ナポレオン三世がラモット・ブーヴロンにお城を購入した」と
言うこともあって、パリに住むお金持ちの人々が週末狩をして過ごす豪華なセカンドハウスを作ることが
流行しました。
1860年、この町のパン屋「Jean-Constantin LEMEUNE」氏は、おそらく美食家であるパリからのお客たちを満足させようとこの菓子を考案したのでしょう。

材料は砂糖、アーモンド、蜂蜜、卵白のみ。
皮付きのホールアーモンドがゴロっと入った大きなテュイル状の焼き菓子です。
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その大きさにはちょっとビックリですが、アーモンドやキャラメル状になった砂糖の香ばしい香りや
カリカリとした歯触りなどはその当時、さぞやハイカラなものだったに違いありません。


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このお店を訪れたのは2004年。
小さな町のお菓子だったので情報がごく少なく、見つけたパン屋さんの名前もこの当時の所有者のものでは
なく住所も違っていたので、コンタクトを取る為に出した手紙は戻ってくる始末でしたが
近くに住むフランス人の知り合いに探してもらって、なんとか会う約束を取り付けて貰うことが出来ました。
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↑ ごく普通のパン屋さん。奥にラボがあります。

実際に行ってみるとパン屋はここ一軒しかなく、Pajon夫妻が2人で切り盛りしているお店でした。
1860年から場所も変わらず、同じルセットを使って作られており、1年に1トンも焼くほどの人気が
あるとか。
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↑ 所有者でパン職人のDenis Pajon氏と販売を担当する奥さま。

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↑ こちらはもう1つのスペシャリテ、マーガレットの花を象ったパン「La Marguerite ; マルグリット」



残念ながら現在は所有者が変わってしまいましたが、変わらず作り続けられています。




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現在このお菓子が買えるお店は…
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by Ethno-PATISSERIE | 2011-07-19 16:30 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

Les Sablés de Nançay ; サブレ ドゥ ナンセー

「失敗から生まれたお菓子」というのは意外に多いもので、このサブレもその1つ。
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1953年、父Albert Fleurier;アルベール・フリュリエの経営するBoulangerie-Pâtisserieで
アプランティ(見習い)をしていたJacques;ジャックはある日
お菓子を作っている時に決められた方法で作らなかった為、生地作りに失敗してしまいます。

この時代、失敗したからと言って簡単に捨ててしまう訳には行きません。
母親はしっかり生地を冷蔵庫にしまっておきました。
翌朝サブレにして、パンを買いに来たお客さんに試食を勧めると
「昔おばあさんが作ってくれたサブレに似ていて美味しい!」と評判になり、本格的に販売することとなりました。

この菓子が誕生したのと同じ年、この町に世界有数の大きさを誇る電波天文観測所の建設が始まり
多くの見物客が訪れるようになりました。
そしてその見物客がこのサブレを買って帰るようになり、その評判が広がっていったというわけです。
(何を作ろうとしてどう失敗したのかが気になるところですが…。作ろうとしたのは、恐らくタルト生地でしょう^^)



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私がこの町を訪れたのは2004年のことでした。
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↑ 町の教会 Saint Laurian

定休日に見学させていただいたのでお店は閉まっていてお客さんは居ません。
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出迎えて下さったのはClaude Brulé; クロード・ブリュレ氏。
(1974年にJacques Fleurier氏は「Les Sablés de Nançay」という会社を作りますが
Brulé氏は1990年ここへ入社。
2000年に一部を買い取りました。2005年にClaudeは全てを買い取って、彼の兄弟Thierry、息子Benoîtの
3人で有限会社を作っています。)


裏にあるラボを見学させて頂きます。
生地のルセットや作り方は秘密なので、生地を作る部屋は見学禁止とのこと。
生地を製造する部屋の奥に、生地の成形、焼成する部屋があり、袋詰めする部屋がまた別にありました。
生地を作る部屋には男性の職人さんが、それ以外は女性が働いています。
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↑ 棒状に成形した生地のまわりに砂糖をまぶし、切り分ける。
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↑ オーブンプレートに並べる。
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↑ プレートを棚に入れ、そのままオーブンに入れて焼く。
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↑ 焼き上がって冷めたら袋詰め。


地元スーパーやパリのショコラトリーでも見かけるようなサブレなのに、殆ど手作業で作られていることにビックリ!


その後2008年にはパン屋とは別の場所に、今までの倍の広さを持つ作業場を作っています。
(パン屋は売却されましたが、今でもサブレは販売されています)
ここはアトリエと呼び、以前の器具を移動してきただけで作業も以前と全く変わっていないのだそうです。
(上の写真とあまり変わらない感じかな?)
ここの販売所で販売されるのは生産量の20%。その他はスーパーやお菓子屋さん等で販売されており
地元以外や外国への販路ももっと広げる予定だとか。


いつか日本で買える時が来るかも?



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by Ethno-PATISSERIE | 2011-07-18 01:16 | ⑦Centre | Trackback | Comments(6)

Les Madeleines de Proust (Illiers-Combray)

マドレーヌは様々な研究テーマの中でも特に愛着を感じるお菓子。
ぷっくりしたおへそのある貝殻の形がなんとも愛おしく、いつどこで誰がこの形で焼き始めたのか?
なぞに満ちた、研究心をくすぐるお菓子です。

日本ではお菓子屋さんに必ずあるアイテムで1つずつ包装されて販売されていますが
フランスではお菓子屋さんというより、大きな袋入りのものをスーパー等で買うイメージ。
また、マドレーヌをスペシャリテにしている町もいくつかあります。

Marcel Proust(1871-1922);マルセル・プルーストの本に出てくるマドレーヌのお話は、
実際に本を読んだことが無い人でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。
(お気付きの通り、ブログのタイトルはプルーストの「A la recherche du temps perdu;
失われた時を求めて」をもじったものです笑)

b0189215_18504142.jpg私が最初にIlliers-Combrayを訪れたのは1991年9月のこと。
2度目の留学の時、RouenにあるINBPという国立製菓・製パン学校へ入る前、
フランス各地を転々と移動しながら語学学校に通っている時でした。

元はIlliersという名前でしたが、プルーストがCombrayという架空の名前で小説を書いたことで有名になり、1971年、プルースト生誕100年を記念してIlliers-Combrayに改名されています。
実際この町は父の生まれ故郷。
マルセルが小さい頃、この町にある叔母Elisabeth Amiotの家でヴァカンスを過ごしたのだとか。

b0189215_21245784.jpg本に出てくるMaison de Tante Léonie;レオニ叔母さんの家はプルースト博物館になっていて見学可能。(写真→)2階にある叔母さんの寝室にはマドレーヌが置いてあり、まるで物語の世界に入り込んだよう。
「ここで紅茶(或いは菩提樹のハーブティ)にマドレーヌをひとかけら浸し、スプーンですくって…」とまるで今小説の中にいるかよう…。


b0189215_185486.jpgこの近くに「レオニ叔母さんがマドレーヌを買っていた」という看板を掲げるというお菓子屋さんがあって、袋入りのマドレーヌを買うことが出来ます。

こちらは最初に訪れた時のお菓子屋さんとマドレーヌb0189215_17233662.jpgb0189215_1715269.jpg

b0189215_1826113.jpg2度目に訪れたのは2006年10月
車でノルマンディーへ行く途中、またマドレーヌを買いたくて。
お店が全く変っていなかったことはビックリと同時に嬉しいものでした。
(でも前には無かった箱入りが登場…。とはいえ所有者のChristian Védieさんは代わらずそのまま !)
こちらは2回目に訪れた時。↑上と全く同じでしょ?(笑)
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b0189215_18221182.jpgここのマドレーヌの特徴は丸っこい形。
一般的なものは細長いものですが、より帆立貝に近いこの形が私のお気に入り。

マドレーヌがスペシャリテになっている町はスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼道沿いにあると言われ、巡礼の印で器としても使われていたという帆立貝とマドレーヌを結びつけて考えられています。
この町にある教会の名前はEglise Saint Jacques;サン・ジャック教会。
やはりこの町も巡礼道上にあったのでした。

さて、小説の主人公が紅茶に浸したマドレーヌを口にして、幼少期の出来事を思い出したように、
味覚や嗅覚からふと過去の記憶が蘇ることを「プルースト現象」等と呼ばれますが、
私にとって薪で燻された香りがそれにあたり、両親の実家で過ごした夏休みのことが鮮明に蘇ってきます。

あなたにとって「プルーストのマドレーヌ」は何ですか?



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2009-06-03 21:52 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)