カテゴリ:⑤Bourgogne( 8 )

カーニバルのお菓子『Garguesse ;ガルゲス』   

もうすぐPâques;パック(復活祭;今年2017年は4月16日)とちょっと季節遅れではありますが、先月お菓子講習会で作ったカーニバルのお菓子をご紹介…。

フランスで、Carnaval (カーニバル)の時期に食べられるお菓子は大きく分けて3つ。

Begnet ;ベニエ Crêpe ;クレープ Gaufre ;ゴーフル


それぞれ地域によって作られる種類が変わります。1種類だけ、或いは2種類作る地域、家庭によっては全部作るというところも

ゴーフルは型が無いと出来ませんが、その昔オーブンが無かった家庭で作ることの出来るものばかり。ここからも、これらの菓子がいかに古くから作られてきたかが分かると思います。元々が家庭で作られていたお菓子だけあって、各家庭で独自のルセットがありました。

中でもベニエは、地域によって様々なタイプや形、そして名前が存在し、とても興味深いものです^^


さて、肝心の『garguesse ;ガルゲスについて

* スペル違いでGargaisses, Gargessesという語も見られる。

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↑ 教えてもらったルセットで作ったGarguesses;ガルゲス

garguesse;ガルゲス』は上記3種の中に含まれるベニエの1種で、Chandeleur ;シャンドルール(2月2日;聖母お清めの祝日)やカーニヴァルの時期に作られるベニエ(揚げ菓子)

Bourgogne-Franche-Comté地域圏Côte-d’Orコートドール県北部に位置するChatillonnais ;シャティヨネと呼ばれる自然地域圏辺りで使われていた、非常に限られた地域での古い名称です。

同じコートドール県とは言っても、croquignoles, golottes(golotes),pognonsという別の名称が使われていた地域もあり、県庁所在地Dijon ;ディジョンでは「fantaisies ;ファンテジー」という名称が使われました。

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↑ こちらはイースト菌を加えた発酵生地のGarguesse;ガルゲス

さて、『garguesseという一風変わったこの語の由来はどこから来たのでしょう。

ラブレーの「Gargantua ;ガルガンチュア」という語の中にもみられるように、「喉」を意味する古フランス語「gargate」に由来する』と考える人、或いは『frire(油で揚げる)が転じてbouillir(沸騰する)を意味するgargouiller(ボコボコ音を立てる)と同じ起源をもつ』のだろうと推察する人もいるようですが、残念ながら実際のところは不明です。

このベニエの存在を知ったのは、私が地方菓子の研究をしていることを知るフランスの友人から「お祖母さんのルセット」を教えて貰ったのがきっかけでした。

お祖母さんのガルゲスは小麦粉・バター・生クリーム(クレーム・エペス)・砂糖・卵を使い、オレンジフラワーウオーター、或いはバニラで香りをつけ、ごく薄く伸ばして揚げるものでしたが、他にもイースト菌やベーキングパウダーを加えたもの等、生クリームは加えないものなど、ルセットは様々あります。

その家だけの特別なものである分、知り合いから直接教えて貰ったルセットはやっぱり特別ですね^^


*他のベニエについてはこちら↓で少し紹介しています。


補足<Carnaval ;カルナヴァル(カーニバル)について>

「カーニヴァル」の語は、ラテン語のcarne « » levare « 取り除く »に由来し、「四旬節の開始」を意味しています。

一般的には「Carême(四旬節)の始まりを表すMercredi des Cendres(灰の水曜日) の前日であるMardi Gras ;マルディ・グラ(告解火曜日)を含む3日間から一週間ほど」がカーニヴァルの期間とされますが、 Carnaval de Nice(ニースのカーニヴァル)など、大々的に行われる町ではこの限りではありません。

* 本来の期間はEpiphanie(公現祭 ;16)からマルディ・グラ(移動祝祭日 ;今年2017年は228)までの期間で、そして当初はクリスマスからマルディ・グラまでの期間であったといいます。

仮面や仮装をすることによって社会的身分から解き放たれ、自由になって羽目をはずす、そして節制期間に入る前に飲んで踊って大いに楽むという目的でしたが、それも元々はキリスト教が現れる以前にあった春の訪れを祝う古代の春祭りで、寒く厳しい冬を追い出して春を呼び込む民俗行事でした。

冬から春に移り変わるこの時期に冬の悪霊追放、災害をもたらす精霊たちを威嚇するために変装や悪ふざけをしたり、あるいは社会的身分やタブーの境界線を消し去り、混沌としたカオスを作り出すことによって象徴的な「死=冬の象徴」を再現し、冬を追い出して(見送って)太陽を呼び戻し、植物が再び目覚める春を迎え入れることを目的とした原始的な行事だったと考えられています。


※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2017-04-08 21:00 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(2)

幻の「La Brioche aux Pruneaux ;ブリオッシュ・オ・プリュノー」

8月15日。皆さんご存じの通り、日本では月遅れのお盆、第2次世界大戦終戦記念日でもあります。

カトリック教会では「Assomption ;アソンプション(聖母マリア被昇天の祝日)」。
この日に食べるお菓子は特にありませんが、ブルゴーニュの小さな町La Clayette ;ラ・クレットでは、
かつてこの日に「Brioche aux Pruneaux ;ブリオッシュ・オ・プリュノー」を食べる習慣がありました。
* Saône-et-Loire ;ソーヌ・エ・ロワール県の南西部、Macôn ;マコンの西60kmの所に位置する。
* La Clayette 、本来ならばラ・クレイエットと発音するが、ここでは例外的にラ・クレットと発音される。

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↑ Château de la Clayette(建築開始は14世紀。個人所有)

この菓子は「L’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Bourgogne(1999)」と言う本の中で見つけました。
説明では「Bernard Dufoux ;ベルナール・デュフー氏のお店でのみ作られている」と書いてあります。
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↑ 小さい町にあるお店にもかかわらずチョコを求めて大勢のお客が訪れる

それで2003年彼のお店を取材させて頂いた際、このお菓子のことを尋ねてみると
8月15日に毎年楽しみにしている年配のお客様の要望で15個程作っている
とのお返事。いつか食べに来たいと思っていたのでした。

ところがその後、Dufoux氏と日本からのやり取りの中で現在はなんと作っていないことが判明!
しかもルセットは秘密。具体的なお菓子のイメージも分からず、幻のお菓子となってしまい、
毎年この日になると「どんなお菓子だったのか?」が気になって仕方がない状態がぶり返します^^。

その後の調べでは
かつてこの町ではこの日「Foire aux pruneaux et aux melon(プリュノー&メロン市)」が行われ、
パン屋&お菓子屋が「Brioche aux Pruneaux(プリュノー入りブリオッシュ)」を作って販売していたことが分かりました。
* この習慣が始まったのは20世紀初め頃だと言われている。
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↑ Dufouxさんお決まりのポーズ♪お店の奥にあるこのスペースでは見学用にビデオも用意されている

やがて作るのはDufoux氏だけに・・・。
* もしかしたら「プリュノー&メロン市」が無くなったことが原因で作られなくなったのかも?

Dufoux氏がこの町にお店を開いたのは1960年、当初はパティスリー・ショコラトリーでした。

リヨンのベルナションで修業をしたDufoux氏はその後ショコラティエとして専念することを決意し、
1988年ショコラトリーに変更。
この時からパティスリーは一切作らなくなりましたが、それに伴いBrioche aux Pruneauxの製造も
行われなくなったということでした。

私が訪れた際このお菓子のことを知っている人に出会わなかったのは、年に一度の製造をやめてから
15年も経っていたことと、少数の年配者だけがこの菓子を愛好していたことが原因だったのでしょう。

お菓子の具体的な姿が分からなかったので今まで作ったことはありませんでしたが、
今年は想像を働かせながら作ってみることに・・・。

ブリオッシュ生地を25×15cm、5mm厚に成形し、上に卵・牛乳・砂糖・小麦粉を混ぜたものを薄く塗り
種を取ったPruneaux d’Agen ;プリュノー・ダジャンを表面に乗せて焼く
」と言うのが大まかな作り方。
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生地を厚みの薄い長方形に成形するのが難しく、プリュノーを固定するためのアパレイユも配合が分からないので適当に混ぜて固さで判断。
プリュノーはホールだと全体に散らしにくいので1/4にカット。
薄く伸ばして沢山ピケしたつもりでしたが、やっぱり不均一に発酵して焼き上がりは平らではなく
多少こんもりとして、あまり美しくない出来上がりに…(涙)。
とは言え、プリュノーの軽い酸味のある味とアパレイユ&ブリオッシュの歯応えの違いもあって、非常に美味でした♪
*ブリオッシュをもっと薄くすると更に美味しくて、見た目も良くなり私好みになりそう。ただしそれが正解なのかは不明。

「foire aux pruneaux et aux melonがいつから始まり、いつ終わったのか?」「どんなお菓子だったのか?」はまだ分からないまま…。
恐らくそのあたりを知っているのはDufoux氏のみだと思われますが、なにぶん現在78歳。
まだまだお元気だとはいえ、このブリオッシュについてまたお会いしてお教え頂ける機会は果たしてあるのでしょうか?



                       ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-08-16 20:18 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(8)

La fête de la Saint-Jean(洗礼者ヨハネの祝日)と夏至、そして「Le Fra ;フラ」

ここで言うSaint-Jean ;サン・ジャンとはJean le Baptiste ;ジャン・ル・バティスト(洗礼者ヨハネ)
ことを指します。

イエス誕生の半年前に産まれ、ヨルダン川でイエスに洗礼を施す洗礼者ヨハネは特別な存在。
彼の母エリザベトは従姉妹の聖母マリア同様、大天使ガブリエルによって受胎告知を受けました。
洗礼者ヨハネの聖名祝日は6月24日で、誕生したとされる日です。
そもそも聖名祝日は殉教者の命日を記念することに由来している為、一般的には亡くなった日に祝われますが、キリストや聖母マリア同様に洗礼者ヨハネもまた誕生した日に祝われています。
このことからも彼が重要な立場であることが分かりますね。


一方、夏至は一年で昼間の時間が一番長い日(北半球)で、6月21日頃(今年は6月21日)。

夏至には多くの場合、盛大に祝火が燃やされました。
太陽の恩恵を大きく受けている人類が昼間の一番長い日を祝うのはごく自然なことだったのでしょう。
火を燃やして太陽に力を与え、その火で生贄を焼いて捧げたり、また火の燃え方によって収穫を占ったり
火や燃え残りによって浄化の意味をもたせたり健康や幸福を祈ったり…と、夏至を祝うことは古代から時代や地域に応じて様々な儀式・習俗が行われてきたのです。

夏至に火を燃やすことは2月に行われるBrandon ;ブランドン(松明祭)等と共に火祭りの年間サイクルの1つで、これはキリスト教よりもずっと以前から世界的に存在していた、太古から続く太陽信仰の名残であり
異教的起源をもつ祝祭でした。

初期のキリスト教会では布教の為、異教の祝祭を禁止、或いはキリスト教的な修正を加えたり
キリスト教の祝祭に置き換えていきました。
キリストの誕生日とされる12月25日は異教によって祝われていた冬至の祝祭を置き換えたものですが
これと同様にキリスト教会は6世紀に「Feux de la Saint Jean(聖ヨハネの火)」を制定し
夏至の日に行われていた祝祭を洗礼者ヨハネの祝日の日である6月24日に取り込んだのでした。


さて「Le Fra ;フラ」と言うのは…    

この日に食べる(食べられていた)お菓子のこと^^
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↑ 自作の Fra ;フラ


以前ココでご紹介したチーズタルト「Le Cion ;シオン」の塩味バージョンで
Tarte au Fra ;タルト・オ・フラ」とも呼ばれています。
ブルゴーニュでポピュラーな「flans au fromage ;フラン・オ・フロマージュ」の1つ。
こればブルゴーニュ地方圏Yonne ;ヨンヌ県の南西部に位置する「la Puisaye ;ピュイゼ」と呼ばれる地域のスペシャリテで、Saint-Sauveur-en-Puisaye ;サン・ソヴール・アン・ピュイゼではかつて
Fête de la Saint-Jean(6/24)の日のみに作られ「fra de la Saint-Jean ;フラ・ドゥ・ラ・サン・
ジャン」の別名もありました。
今日では1年中作られており、焼き立ての温かいものにサラダを添えてアントレとして食べられています。
* Moutiers-en-Puisaye;ムーティエ・アン・ピュイゼではFête de la Saint-Pierre(6/29)に作られていた。
* 女性作家Colette ;コレット(Sidonie-Gabrielle Colette ;1873-1954)はこの町の生まれで
町には彼女の博物館がある。


ブルゴーニュでこのようなタルトは15世紀から存在すると言われていますが
具体的にこのFra ;フラがいつ頃から作られるようになったのか、名前の由来等々は分からず…。


2006年Saint-Sauveur に近いSaint-Fargeau ;サン・ファルジョーを車で通る機会がありました。
パン屋でも売っていると聞いていたので寄ってみたのですが、その店では週末にしか作らないそうで
残念ながら買うことは出来ず・・・(涙)。
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↑ Saint-Fargeauにあるお城の内部。壁には獲物の戦利品がいっぱい!


もうこの辺りへ来る機会は当分ありそうにもないし、写真でもいいからどんなものか教えて欲しいとお願い
したところなんと親切にもお店で実際に使っているルセットを見せて下さいました。
基本はパータブリゼに、水けをきったフロマージュ・ブラン、クレーム・エペッス、卵、小麦粉、そして塩・胡椒・ナツメグを加えて作ったアパレイユを詰めて焼いたもので、le Cion ;シオン同様、ガルニチュールは入らないシンプルなタルトですが、このお店ではグリュイエールチーズを少しとシブレットも加えられていました。

この辺りのレストランにはFra ;フラをメニューに入れているところもありますので、
この辺りを訪れる機会がおありでしたらお試しくださいね♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-21 23:01 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(4)

「Le Cion ;シオン」という名のお菓子

『L’Ascension(キリスト昇天祭)のお菓子 「Corniottes ;コルニオット」』のブログ(ココ)で名前だけご紹介した
お菓子です。

Le Cion ;シオン」はBresse louhannaise ;ブレス・ルーアネーズと呼ばれる地域のスペシャリテ。
フロマージュ・ブランを使ったtarte au fromage ;タルト・オ・フロマージュ、あるいは
flan au fromage ;フラン・オ・フロマージュの種類に入るお菓子です。
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                                 ↑ 焼き立てのシオン

* フランスには県など行政区分とは別に、自然地理区(region naturelle)と呼ばれる地域区分があり
地形などの物理的特徴や独自の文化的アイデンティティによって分けられている。
ブレス地区はローヌ・アルプ、ブルゴーニュ、フランシュ・コンテの各県にまたがり、
Bresse bourguignonne ;ブレス・ブールギニヨンヌ
Bresse de l'Ain ;ブレス・ドゥ・ラン
Bresse jurassienne ;ブレス・ジュラシエンヌと呼ばれる3つの地域に分かれる。
ソーヌ・エ・ロワール県の東部に位置するブレス・ブールギニヨンヌは
更に Bresse louhannaise ;ブレス・ルーアネーズとBresse chalonnaise ;ブレス・シャロネーズに分かれている。


スペルは「cion ;シオン」の他にscion, s’cion, shion等と書く場合もあります。

なんだかフランス語っぽくない、ちょっぴりカワイイこの名前^^
気になって色々と探してみたのですが、どうしてもその由来は分からず…。
他に「tarte au quemeau ;タルト・オ・クモー」という別名もあって、こちらの方は広い地域で見られる名前です。
* 同様のお菓子はフランス北東部で広く見られる。

quemeau ;クモ―」 と言う語はブレスの俚言で「フロマージュ・ブランと生クリーム或いは牛乳、卵を混ぜたもの」を
指し、甘味・塩味の両方に使用されます。
古くはパン生地で作ったガレットの上にのせて焼いていました。
* シオンは甘味バージョンのみ。別の地域には「Fra ;フラ」と言う名前で塩味バージョンが作られている。

作り方は地域や家庭によって変化はありますが、大体こんな感じ。
沸騰させた牛乳にセモリナ粉を入れ、濃度が出るまで煮る。
これを冷ましたものに、水けをきったフロマージュ・ブラン、砂糖、塩、卵を混ぜる。
パート・ブリゼを敷いた型に入れてオーブンで焼く。

これにフルーツ等を加えることはありません。


このお菓子、年中作られているというお話でしたが、
Louhans ;ルーアンでは取材させて頂いたPâtisserie aux Fiançailles ;パティスリー・オ・フィアンサイユ
でしか見つけることは出来ませんでした。
しかも「シオン」という名前では無くて「Flan Fromage blanc ;フラン・フロマージュ・ブラン」と言う
ごく普通の名前…。
せっかくカワイイ名前が付いているのにもったいない!
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                             ↑ ショーウインドー内のシオン


さて肝心のお味の方ですが…。
訪問時、タイミング良く焼き立てのホヤホヤがテーブルに♪
フロマージュ・ブランのあっさりとした味といくらでも食べられそうなくらいの軽さで、とっても美味しい!
(冷めると多少しぼむので焼き立ての方が見た目も美味しそうですが、冷めても美味)

この辺りは同じようなお菓子が、名前も様々に存在していて興味深いです^^



                                      ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-01 11:12 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(2)

L’Ascension(キリスト昇天祭)のお菓子 「Corniottes ;コルニオット」

Ascension ;アサンシヨン(キリスト昇天祭)はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日。
復活したキリストが40日間弟子たちのもとに現れた後、天に挙げられたことを祝うもので、
Pâques ;パック(復活祭)の40日後(復活祭の当日を含める)の木曜日にあたり
2012年は5月17日がその日です。
*フランス等では祝日なので旅行時には注意が必要!

パック(復活祭)の時とは異なり、Ascension(キリスト昇天祭)の日に食べるお菓子というのはあまりなく
思い浮かぶのは「Corniottes ;コルニオット(↓ コレ)くらいでしょうか。
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これはブルゴーニュ地方のLouhans ;ルーアン(Saône-et-Loire県)を中心とした周辺地域で作られるお菓子。
一般的には「丸く抜いたPâte brisée(ブリゼ生地)の真ん中にシュー生地を丸く絞り、縁を三か所折って
成形しオーブンで焼いた
」ものですが、フロマージュブランとグリュイエールチーズで作る塩味バージョンもあります。
* かつてはシュー生地の代わりにフルーツを入れて焼き、クレームシャンティーを添えたもの等のバリエーションや大きいサイズのもの等々も作られていた。

三角形の形が「三位一体」を象徴しているということで復活祭、キリスト昇天祭、聖霊降臨祭等の
キリスト教の祝祭日に食べられるお菓子とされています。

Les Corniottes de L’Ascension (キリスト昇天祭のコルニオット)という名前もあるように
特にキリスト昇天祭の際に多く食べられます。
第一次世界大戦前まで、この日はFête des corniottes(コルニオット祭)が行われて
パン屋さんでも家庭でも沢山のコルニオットが作られ、食べられていました。
*今では一年中作らるお菓子だが、この日は普段よりも沢山販売される。

言い伝えでは
この町にあるHôtel-Dieu ;オテル・デューで病人を看護していたordre de Sainte-Marthe(聖マルタ会)の修道女たちが病院運営のための資金を得るためにこれを考案し、Ascension ;アサンシヨンのミサの後
教会の出口で販売していた

のだそうな・・・。
*オスピス・ド・ボーヌのような、周りを囲った寝台の置かれた男女別になった2つの大きな病室と礼拝堂、15-16世紀のイスパノ・モレスク陶器の素晴らしいコレクションを展示する薬剤室からなり、必見に値する。

名前は看護をする修道女が被るCornette ;コルネットと呼ばれる被り物に由来すると言う説もありますが
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↑ この画像はココから借用

現代に見られるコルニオットの形はどちらかと言うとTricorne ;トリコルヌと呼ばれる、18世紀頃まで被られていた三角帽の方が似ているような…。
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↑ これはココから借用

残念ながら、実際のところは不明です。
*三角帽の画像を探していたらココに色々あるのを発見♪この時代に流行っていた。


ルーアンにあった農業・園芸協会の月刊誌「La Bresse Louhanaise1896年1月版では
中世から1789年(フランス革命の年)までの宗教上の祝祭に関するこの地域の慣習について書かれており
その中には
il y avait les corniottes de l'Ascension,corniottes au fromage ou à la bouillie,aux bords relevés formant trois cornes,d'où le nom du gâteau,qui se mangeait ce jour-là par milliers dans des goûters champêtres ・・・
キリスト昇天祭のコルニオット(チーズ或いはブイイ;粥をガルニにしたもの)があった。
菓子の名前は、縁を折って形作られた三角の形に由来する。この日、ピクニックで沢山食べられていた

と言う記述があります。
ここから名前はやはり形に由来していて、非常に古くからこの日に食べられていたことが分かりますね。


Bresse Bourguignon ;ブレス・ブールギニヨンと呼ばれる地域の中心地であるLouhans ;ルーアン
小さな町ながらも13世紀にはその地理的条件の良さから、シャンパーニュ地方とジュラ地方の産物が集まる
商業的役割を果たしていました。
* カタカナにするとジャンヌ・ダルクが火刑にされたノルマンディー地方の町Rouen ;ルーアンと同じになりますが全く別の町。

町の中心にあるGrande Rue (大通り)の両脇にはアーチが157もあるアーケードが連なり
その長さは400m以上あってフランス一の長さを誇り
そのうち一番古い建物は15世紀に遡り、その歴史を感じさせます。
b0189215_1648166.jpgb0189215_16532266.jpg← アーケード外側と内側

現在でも毎週月曜日にはその歴史と規模の大きさで非常に有名なマルシェが行われ
地元産のVolaille de Bresse(ブレスの鶏)も勿論見られます。
このマルシェに関する足跡は1269年に遡り、最初のアーケード建設はこの頃には既に始まっていました。



さてこの町を訪れたのはだいぶ前、2003年5月のこと・・・。

旅の途中でストライキが始まってしまい、取材を申し込んでいたお店へ行く為にディジョンからタクシーでかかった費用は凡そ100ユーロ(涙) !!!

約束していたPâtisserie aux FiançaillesのBouvier氏は「来れないかも?」と思いながらも
地元新聞社の記者さんと共に到着を待っていてくだったのでした。
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↑ 右がBouvier氏 左が記者さん

ここではコルニオットと共に これまたこの辺りのスペシャリテである 焼き立ての「le Cion ; ル シオン」と呼ばれるチーズタルトを試食させて頂きました。
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↑ 試食させて頂いたコルニオット

* le Cion ; ル シオンについてはまたこんど。こちらに写真だけup ♪


次回はキリスト昇天祭の頃に、出来ればゆっくりと滞在したいものです^^。




※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-15 17:11 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(4)

Gaufrettes Mâconnaises;ゴーフレット・マコネーズ

ゴーフル、ゴーフレットというとベルギーや
フランスでいうとLilleをはじめとする北部のスペシャリテというイメージがありますが
オーブンがなくても作れるお菓子と言うこともあって
かつてはフランスの他地域(&国)でも広く作られていました。

Gaufrettes Mâconnaises;ゴーフレット・マコネーズ」はフランス・ブルゴーニュ地方にある
Mâconマコンとその近郊のスペシャリテ。
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基本となる材料は小麦粉・砂糖・生クリーム(crème épaisse)で
直径2,5cm、長さ16cm程のシガレット状に巻いてあります。
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しっかり焼かれたものはカリカリと歯応え良く、
キャラメルのような香ばしい風味があってとても美味しい~♪

かつてマコンとその近郊を含め、BresseブレスやMorvanモルヴァンでは
「蕎麦粉のgaufres;ゴーフル(ワッフル)」が重要な食料として多く作られていました。
蕎麦粉を水で溶いた生地を薄く平らに焼いたもので、
お菓子ではなく料理やチーズ等と一緒に食べるパンの役割をするような日常の食べ物でした。

その一方、16世紀頃から見られるようになったリッチな配合のゴーフレット・マコネーズは、
主に婚礼の際に白ワインと共に供されるものでした。
これが配られる量で「その家の裕福さが分かった」のだそうです。

パティスリー等では1960年代に広く作られていたそうですが、
非常にデリケートで湿気や日光に弱い為ショーケースに入れておくことができず、
次第に廃れていきました。


*******************************************************************

さて、このゴーフレットの取材に出かけたのは2003年11月のこと。

手紙でお店へ訪れることを知らせたのですが返事はなく
「食べられるだけでもいい」とダメモトで出掛けたのでした。
手紙を出したClaude Poissonnet氏のお店へ行くと
ご主人はパリのサロン・デュ・ショコラへ出掛けたとの話。
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その後もディジョンで行われている見本市に行くというので
残念ながらお逢いできませんでした。
(私はサロン・ドゥ・ショコラへ行った後にこちらへ来たので
入れ違いになってしまったのでした。涙)

手紙はちゃんと届いていて
「私では良く分からないから、また次の機会に是非…」とのことでしたが、
せっかくなので接客の合間を縫って少しだけマダムとお話を…。
どの様な型を作っているのか知りたかったのでお願いして
使っている機械を見せてくれました。
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← Pâtisserie PoissonnetのGaufrier
業務用かと思いきや小さな家庭用^^。ゴーフレット・マコネーズ専用の型を取り付けて使用。
当日はご主人がおらず製造しなかったので
お話を聞いている間にもどんどん売れてしまい、
ぎりぎり最後の1つを購入^^;
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* この後、マコン観光局の発案で
「Confrérie de la Gaufrette Mâconnaise ; コンフレリー ドゥ ラ ゴーフレット マコネーズ」が設立され、
Claude Poissonnet氏は会長に就任しています。




この後は「ゴーフレット・マコネーズ」を販売しているもう1つのお店
Pâtisserie Au Palet d’Orへ。

Poissonnet氏のお店は素朴な印象でしたが、
こちらの店構えは高級店らしく立派!
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マダムは東京と神戸に行ったことがあって日本語も少し話せるそうで
とっても親切に話をしてくれました。
b0189215_20324124.jpg← こちら使われていたgaufrierも家庭用
(日本で販売されているワッフルの機械には同じ型がないので
作ってくれるといいなぁ~)

他のお菓子屋には売っておらず、2店のみの食べ比べとなってしまいましたが
コンフレリーを作ったりと観光局が力を入れてプロモーションをしているようですし
今ではもっと販売しているお店が増えていることと思います。
缶などの金属製容器を製造しているMassillyという会社がこのゴーフレット専用缶を
作っているそうなので

マコン駅の駅員さんにこの菓子のことを尋ねると
「お店でも買えるけど家でも作るよ」とのことでした。
またいつか色々な人の作ったゴーフレット、
特に家庭の古い暖炉で古いGaufrierを使って作られたゴーフレットを
食べに行きたいものです^^



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Confrérie de la Gaufrette Mâconnaiseとは…
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by Ethno-PATISSERIE | 2011-07-07 21:26 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(2)

le Cacou; ル・カクー

サクランボは果物の中でも特に好きなものの1つ。
フランスへ行くのはこの季節ばかり選んでいた時期もあったほどです。

今では流通に適した、限られた品種が多く販売されていますが、各産地へ行けば地元だけで消費されている品種にも出会うことができます。
サクランボに限らず、お菓子に使われる果物はそのような地元で栽培される品種が使われていました。
ですから、お菓子の故郷を訪ねて地元でしか出会えない品種を探して食べることも私にはとても大切なことで楽しみの1つでもあります。

さてこのCacou、見た目はリムーザン地方のスペシャリテであるクラフティとあまり変わりませんが、
ブルゴーニュ地方Paray le Monial; パレ・ル・モニアルという町のお菓子です。
クラフティ同様 種付きのブラックチェリー入り。

b0189215_15243651.jpgParay le Monialには立派なbasilique du Sacré-Cœur; サクレクール大聖堂がある他、17世紀にmonastère de la Visitationの修道女Marguerite-Marie Alacoque (1647-1690;で後に聖列に加えられ、sainte Marguerite-Marie;聖マルグリット・マリーとなる)のもとにキリストが現れたこともあり、先のローマ法王ヨハネ・パウロ2世も訪れたという巡礼の地でもあります。


Cacouにはguigne*と呼ばれる系統の地元の品種が使われていたそうで、今ではもうほとんど見られなくなったと言います。

b0189215_15305911.jpg*フランスでは
cerises douces(Prunus avium) ;甘果桜桃と
cerises acides (Prunus cerasus) ;酸果桜桃の
2つに分けられ、
前者は主にmerise,guigne,bigarreauの3つに分けられます。
 


1972年、この菓子を守り受け継ぐという目的でConfrérie des Francs-Cacous;コンフレリー・デ・フランカクーが作られ、年に1度、Pentecôte ;聖霊降臨の主日(復活祭後7度目の日曜日)から2週間後の土曜日にchapitre publique (お祭りのようなもの)が行われています。


b0189215_15341623.jpg私がこのお菓子を求めてこの町を訪ねたのは2003年。
このchapitreが行われる1週間ほど前の
ことでしたが、ここの会員となっているCharles Pubill氏の店に、会長さんはじめコンフレリーの方々が集まって、
Cacouを食べながらお話をお聞きする集まりを開いてくださいました。
合わせるのは白ワインのMâcon Viré。

「その昔Jean-MarieCACOUが考案した…」という伝説も残っていますが、本当の起源は残念ながらよく分からないようです。



※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2010-06-05 15:59 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(7)

Clamecy ;クラムシーの町

b0189215_15513678.jpgClamecy ;クラムシーはブルゴーニュ地方のNièvre県にある町で、
パリから514km、電車で片道2時間半余り。
Canal du Nivernais ;ニヴェルネ運河があり、そしてYonne ;ヨンヌ川とBeuvron川の合流地点に町はあります。 

← ニヴェルネ運河 

b0189215_15554122.jpgヨンヌ川はセーヌ河に合流している為、すぐ近くにあるモルヴァンの森で切り出した木材は
ヨンヌ川でクラムシーまで運び、le flottage du bois;に組んでles Flotteurs;筏師
よってパリまで運ばれ、一般家庭やパン屋さん等に燃料として使われていました。
(1549年から20世紀初頭まで主要な港だった)

→ Flotteur;筏師の像
b0189215_164282.jpg旧市街は少し小高い丘になっており、細い道や坂、古い木組みの家が点々と
残され、12世紀から16世紀の間に建てられたゴシック・フランボワイヤン様式のCollégiale St-Martinを含め、中世の面影があちこちに感じられます。

← Collégiale St-Martin、入り口上部のtympan;タンパン

b0189215_16425474.jpgb0189215_1626712.jpgこの町のスペシャリテ、
「Andouillette de Clamecy;アンドゥイエット・ド・クラムシー」。
その昔、パリから木を買い付けに来た人々が好んで食べていたそうです。
→アンドゥイエットとその断面

b0189215_16533137.jpgこの町出身の有名人は?というと、まず「全人類の自由と平和・調和」を理想に掲げた作家、Romain Rolland氏(1866年生まれ。生家はロマン・ロラン博物館となっている)が挙げられるでしょう。
また日本では余り知られていませんが、1974年初の単独世界一周ヨットレースにおいて202日間という速さで優勝するといった記録を持ち、1978年レース中に行方不明となったAlain Colas氏もクラムシー出身。
(Faïencerie Colas;Jean-François Colas氏の兄弟)
↑ 木組みの家から見下ろすワンちゃん


b0189215_17184484.jpgヨンヌ川の右岸にあるQuartier Bethléemは、1167年十字軍の遠征でパレスチナを
訪れたComtes de Nevers ; ヌヴェール伯 Guillaume IV de Nevers は翌年
かの地でペストによって亡くなる際、遺言で「エルサレムがイスラム教徒に奪われた時、ベツレヘムの司教たちの避難所となるよう、彼らにクラムシーのhôpital de Pantenorを与えた」ことにより、1223年から1801年Le Concordat(ナポレオンと教皇との協約)までの間ベツレヘム司教区の本拠地とされていました。

→ 12世紀の礼拝堂を改装したレストラン「Auberge de la Chapelle」。
上のアンドゥイエットはここでたべたもの。


現在ここには、12世紀のNotre Dame de Bethléemの礼拝堂を利用したレストラン(1796年以降ホテル・レストランとなる)や、1927年フランスで3つ目の鉄筋コンクリート製教会として建造されたで中近東をイメージしたEglise Notre Dame de Bethléem、クラムシー工房があります。

キリストの生誕地であるベツレヘムとの関わりが強いこの地に、エピファニーのお菓子に入れるフェーヴを作る工房が
あるとは、なにか不思議なつながりを感じずにいられません。

おまけ
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by Ethno-PATISSERIE | 2009-07-24 18:20 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(6)