カテゴリ:②Aquitaine( 12 )

Rousquille ;ルスキーユというお菓子  その2

その1に引き続き、今回はピレネー山脈の西側(ベアルン地方) で作られるルスキーユについて…。
こちらでも「Rousquille」「Rosquille」の名前が見られ、ベアルン語の「Rosquilhe」というスペルも見られます。
* ベアルン語;オック語の1方言であるガスコーニュ語の中に含まれる方言。

フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅する「L’inventaire du patrimine culinare de la France;1997」のAquitaine地方版では次のように書かれています。
『「Dictionnaire du béarnais et du gascon modernes 」(Simin Palay著 ;初版1932-1934)では「Rosquille」はベアルン語の「Rosque」に由来し、これはバイヨンヌでユダヤの祭礼パン、pain à l’anis;
パン・ア・ラニ(ス)を意味する。』

検索して出てくる一番古い本は1675年に出版された「Tesoro de las dos lenguas espanola y francesa
と言う辞書で、スペイン語の「Rosquilla」を「大きな指輪状のねじった丸いcraquelin ;クラックラン、小菓子」と
訳しています。
クラックランは生地を一度茹でてから焼くéchaudé ;エショデと呼ばれる固いお菓子ですので、
現在のルスキーユに近いものだと想像出来ます。

ただ、いずれにしてもフランスにおけるルスキーユの起源ははっきりとしていません。
「ユダヤの祭礼パン」だったと仮定してみましょう。
レコンキスタ(国土回復運動)が終結した1492年以降、スペイン(後にポルトガル)から追放されたユダヤ人たちが
バイヨンヌへ集まってきました。スペインで作られていた「Rosquilla」はユダヤ人と共にこの頃この地域に多く見られるようなり、広まっていったのかもしれません。

この地方で現在作られているのは、ベアルン地方の中心都市で非常に古い歴史を持つOloron-Sainte-Marie;
オロロン・サント・マリー


これが作られているのは、以前「le Russe;リュス」というお菓子について紹介した際(ココ)にご紹介したお店
Pâtisserie Artigarrède ;パティスリー・アルティガレッド」のみです。
大きなブレッツェル形と棒状の小さいものがあります。
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↑ 棒状のルスキーユ


2009年1月にこの店を取材させて頂いた際、
3代目のJean-Paul Bassignana;ジャン・ポール・バシニャナ氏のお話では
「かつては家庭で作られていたがだんだん作る人が居なくなり、今はここだけで作られている」とのことでした。
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↑ ブレッツェル形の大きなルスキーユ



<作り方はこんな感じ…>
小麦粉、卵、バター、塩、アニスの香りを煮出したもの、オレンジ花水で生地を作る。
これを寝かせてから棒状に伸ばしてブレッツェル形に成形しオーブンで焼成する。
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↑ 焼成の際は途中で裏返してさらにしっかりと焼く

レモンの皮で香り付けしたシロップに浸し、取り出してから刷毛をこすりつけるようにして白濁させ、乾燥させる。
(乾燥すると白さがはっきりしてくる)
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↑ 右側の鍋に入ったシロップに浸し、取り出してから刷毛でこする。


お店では3日間乾かしてから販売しているそうです。
(その場で出来たてと乾燥させたものと食べ比べさせて頂きましたが、私には出来たてが美味しく感じました)

味は最初の数日間の方がより美味しいとのこと。
ただ1カ月は日持ちするので、羊飼いが移牧に出掛ける際に持って行き、ポケットに入れておいて食べたい時に食べる携帯食でもあったとか。

この菓子がGäteau d’Oloron(オロロンのお菓子)として紹介された文献で、私が見つけられた最も古いものは
Grammaire béarnaise suivie d’un vocabulaire béarnais-français (Jean-Désiré Lespy著;1880)」。
Rousquilhe」の名前で出てきます。

また、その10年後に出版された「Bulletin de la Société des Sociétés,lettres et arts de Pau 1889-1890 IIme Série-Tome 19ème」では
Rosquillesは今日でもオロロンの伝統菓子として知られている。ロスキーユ入りの小さなバスケットの発送は1727年に遡り、100年近い歴史を裏付けている。』
とあり、18世紀初めにはおそらくオロロンのスペシャリテとなっていたことが伺えます。

さらに「Collection linguistique No46 ;1938」の中には
『ベアルン語 rousquilhe, オロロンに小さな製造所が1つある』
との記述があり、製造販売する所は1938年の時点で既に1軒だけになっていることが分かります。


ルシヨン地方のルスキーユとは異なり、昔からの姿をそのまま伝えている(と思われる)オロロンのルスキーユ。
本来はドーナッツ形だったであろうその形が、いつ現在の形になったのかは分からないままですが
これからもずっと受け継がれていって欲しいと思います。



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-06-22 22:27 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

「le Russe ;リュス」と言う名のお菓子

Russe ;リュス」が誕生したのはアキテーヌ地方 Pyrénées-Atlantiques ;ピレネー・アトランティック県にある町
Oloron-Sainte-Marie ;オロロン・サント・マリー
* この町は県庁所在地であるPau ;ポーの東南に位置し、ユネスコの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」に登録されている。

考案者のAdrien Artigarrède ;アドリアン・アルティガレッド氏は近郊にある小さな村Bescat出身でBiarritz ;ビアリッツとLuchon ;リュションのパティスリーで修業した後、1925年故郷に近いOloron-Sainte-Marieにあった
お菓子屋を購入しました。

Russe ;リュス」 とは、プララン入りのバタークリームを、アーモンドとメレンゲを使って薄く焼いた、軽くて香ばしい
生地で挟んだもので、表面に粉砂糖を振り、大きいサイズにはクリームで「Russe」の文字と縁にジグザグ模様を
入れてあります。
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Adrienが買い取ったお店では「Russe ;リュス」と呼ばれるお菓子がすでに存在していたそうですが
彼はこれを元に自分のアイディアを加え、現在のようなお菓子へと作り替えました。
* 18世紀末頃に出版されたLacamやQuentin等が著した製菓本には「Gâteau Russe ;ガトー・リュス」という
名前の菓子が掲載されており、いずれもアーモンドが使われているという共通点がある。
* Gaston Lenôtre氏が1950年代に完成させた「Succès ;シュクセ」や 「Progrès ;プログレ
ナンシーのスペシャリテで1895年に考案された「Saint-Epvre」、シャンベリーの「Saint-Anthèlm」等々
同タイプのお菓子は全国に存在する。


ルセットはAdrienとその妻だけの秘密にされ現在まで家族代々伝えられてきましたが、近隣ではこれに似せた
お菓子が多く見られるようになったほどの人気菓子となりました。
Adrienの孫で3代目のJean-Paul Bassignana ;ジャン・ポール・バシニャナ氏はその秘密を教わる前
自分で試してみたことがあったそうですが、結局作ることは出来なかったと言います。
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↑ラボに飾られていた一代目(左)と二代目(右)の写真。上には「枝の主日(ココ参照」に祝別された枝が飾られている

名前の「Russe ;リュス」は「ロシアの(菓子)」という形容詞が元になっています。
エキゾチックな名前から「オロロンに亡命したロシア人捕虜がルセットを伝えた」とか
粉砂糖を振ったその外観がロシアの平原に積もった雪をあらわしている」とか
Adrienはロシア皇帝ニコライ2世の料理人だった」等々多くの逸話がささやかれているようですが、
Jean-Paul Bassignana氏によれば「その当時美味しいと言われていたクリミア産(ウクライナ南部にある半島で、その頃ロシア帝国の1部だった)のアーモンドを使っていた」ことに由来するのだそうです。


b0189215_115150.jpgさて、初めて「Russe ;リュス」を買ったのは12年前。
Pau ;ポーへ行った時のことでした。
← 初めて買った1人用のRusse

* PauとTarbesに支店有。


そして、実際にオロロンへ行けたのは3年前の1月。
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この地方のガレット・デ・ロワについて調べていた時に地元の料理やワイン等について詳しいHenri Combret;
アンリ・コンブレ
氏と知り合いになり、ガレット・デ・ロワ食べ歩き旅行の際この地を訪ねることに。
そして実際に作っているところを見せてくれるという知り合いのパティスリーをご紹介くださったのですが、それがまさしくこのMaison Artigarrède (!)。

b0189215_1049544.jpgオロロンにはリンツ(Lindt&Sprüngli)のチョコレート工場があったり、
フランスでも有数の美しさを誇るcrècheがあるCathédrale Ste-Marie ;サント=マリー大聖堂等々、興味深いところがあったので私としては長めに1日半の滞在を予定していましたが、この直前に居たマルセイユで大雪に見舞われて
足止めを食らい1日缶詰状態に(涙)。
翌日の昼過ぎにやっと電車へ乗れたものの、ポーからオロロンまでの電車は無く
タクシーを使用。
オロロンのホテルに到着したのは真夜中過ぎ…(疲れた)。
その為オロロンの町を見学出来たのは実質半日だけに~~~。
* この町では「Concours International de la Photo Culinaire(料理写真コンクール)web 」も開催されており
今年9月で5回目を数える。



とはいえ、Combret氏とBassignana氏にお会いして工房も見学でき、お昼には切り立ての美味しい生ハムと
コンクールでの優勝経験もあるというBassignana氏お手製のGarbure ;ガルビュールをご馳走になって
大満足の訪問となりました。
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               ↑ こちらが三代目のJean-paul Bassignana(左)と息子Michel (右)

(電車の時間ぎりぎりまで食べていたので、ホテルに預けていたフレッシュチーズを受け取り忘れ、駅の自動販売機で水を買おうとしたら機械の途中で引っかかって出てこず、電車は乗車後に故障という理由で下ろされ、バスへ代替になるというオチまであったのでした…涙)



                                    ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-30 11:08 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

「l'idéal chaumontais ;イデアル・ショーモンテ」というお菓子

一般に「Chaumontais ;ショーモンテ」と呼ばれるお菓子は
バスク地方St Jean Pied de Port ;サン・ジャン・ピエ・ド・ポールのスペシャリテとして(も)知られています。
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後に「l'idéal chaumontais ; イデアル・ショーモンテ」というのが正式名称だと知り「変な名前~」と思ったものです^^
「Chaumontais」とはChaumont ; ショーモンという地名に「-ais(e)」という接尾辞を付けてそこに住む住民を示すと同時に「・・・に固有の(物の場合)」といった意味合いになります。
(例えばJapon (日本)+ais(e)=Japonais(e) 日本人、 最後にeが付くのは女性形)


ショーモン はChampagne-Ardenne地方にある町。「サン・ジャン・ピエ・ド・ポール」とはまったく関係がありません。
それなのにバスク地方でもかなり有名。この町以外でも見かけることがあり、とっても気になるお菓子でした。

ここはローマ時代から重要な砦として栄え、
スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路上にあるため、中世にはスペインへ入る前の巡礼者が集まる
宿場町でした。
現在でも巡礼者が多く訪れ、彼らが安く泊まることのできる宿泊施設もあり、
単なる観光地とは異なる厳かな雰囲気を感じます。
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*******************************************************************

さて、この町を訪れたのは2005年。
ちょうど風邪をひいてしまい移動日の朝には熱も出ている始末。
ホテルに着いた後は1日中部屋で寝ていました。
(当日は日曜日。どのお店もお休みですからお菓子屋さんの取材にも幸い問題はなく…^^)

翌日奇跡的に風邪が回復し「Barbier-Millox Artizarra ;バルビエ-ミロックス アルティザラ」へ。
l'idéal chaumontais も有名ですがGâteau Basqueやその他のお菓子も人気があるお店です。
少々長い名前が特徴的。
(「Barbier-Millox」というのは有名だったかつての所有者の名前2つを合わせたものとのこと)
現在の所有者はDaniel Bordaさんで、以前はmeunier(粉屋)だったそう。
奥さまのPatriciaさんも元々パティシエールだったというパティシエカップルです。
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彼女にこのお菓子について尋ねると
この店のかつての所有者だったMme.MilloxがChaumontからこの町を訪れた人にこのお菓子のルセットを教わり、製造するようになった
ということでした。


で、どんなお菓子か?と言うと・・・。
メレンゲ+アーモンドパウダーのSuccèsシュクセ生地でプラリネ風味のバタークリームをサンド、表面には粉砂糖が振ってある」というもの。


さて、Barbier-Milloxのショーモンテは丸く大きなアントルメと1人前用の小さくて細長い形。
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↑ 一緒に「Succès;シュクセ(写真下部にある長方形のお菓子」もあって、食べ比べてみなかったことが今さらながらに悔やまれます^^
甘いけれども軽くてとっても美味しい。特にクリームがフワッとしていて更に軽く仕上がっており、私好み。

もう1つ、「Primo」というお菓子屋さんでも購入。
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こちらは大小いずれも丸い形で周囲には香ばしくグリエしたアーモンドスライスをまぶしてあります。
挟んであるバタークリームはプラリネにコーヒーの風味もプラス。甘みが一層強く、ちょっと重たい仕上がり。


よ~く探せば同じようなお菓子はショーモン以外にもフランス各地にあって、今でも根強い人気で作られ続けています。
(20世紀前半に作られるようになったものが多い)

日本のお菓子屋さんでよく見かける小さな小判形のダックワーズ(日本人の三嶋隆夫シェフ考案)も同じタイプ。
「どこがオリジナル?」なのかや「どこが最初に作ったのか?」と言うのを考えるより、
美味しいからあちこちで作られているのねぇ~、っていう準定番菓子みたいな感じ。
(とは言え、同じタイプのお菓子で最初に記述として残っているものはどれか?はとっても気になります)

マカロン系菓子と共に、このダコワーズ系もフランスへ行くたびに有名どころを食べ歩きするようになりましたが、
シンプルでもお店によってかなり印象が変わるのでとっても面白い!



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by Ethno-PATISSERIE | 2011-08-07 10:07 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

フランスの伝統菓子 Tourtière ; トゥルティエール  その②

b0189215_16165294.jpgこの地を再び訪れたのは前回から2年後の2002年。
当然のことながら『Foire à la tourtière ; トゥルティエール祭』に合わせて行ってまいりました^^。
お祭りの開催されるPenne d’Agenais ; ペンヌ ダジュネに泊ろうとホテルを探しても見つからなかったので、どこか安くて適当な所を知らないかMme.Salesse;サレッスさんに尋ねてみたら「うちに泊りなさい」という嬉しいお言葉!
お祭りの前日(前回同様^^:)バス停まで迎えに来て頂き、家に到着。
すると、昼間だけ手伝いに来ていると言うサレッスさんのお母さんが出迎えて下さいました。
このおばあちゃまと一緒に畑や豚、兎、牛等の家畜を見学したり、この地方の家庭で作られるお菓子のことや
この地域の俚言を教えてもらったり(例えば単数形la tourtièreはla tourtieraになり、複数形les tourtièresはlous tourtierairesとなるとか…)、この地方のお料理をご馳走になったりと、フランスの農家生活をちょっぴり垣間見ることが出来た、とってもとっても貴重な一日に…。 

そしていよいよお祭りの当日。
早めに家を出て、近くのワイナリー(Château des Ardailloux)やプルーンを栽培してプリュノーを作っている農家
(Les Vergers d’Escoute)を回った後、お祭り会場のあるペンヌ ダジュネへ。
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 ↑ こちらがプルーンの林         まだ青いプルーン、見えるかな?

Lot川を見下ろす小高い丘の上にあり、中世の街並みを残した、小さいながらも魅力的な町!
会場へ到着すると既に沢山スタンドが出来ていてトゥルティエールやその他の物産品も売られています。
このお祭りはConfrérie des tourtéraires ; コンフレリー デ トゥルテライル(トゥルティエールの愛好者団体)主催
なので、最初にこのコンフレリーの衣装をまとった人々がトゥルティエールのおみこし(?)を担いで行進して開会。
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コンクール(コンフレリーのメンバーが出品されたものを審査して点数を付け、合計点の多かった人の表彰)を行ったり、新しくメンバーに加わる人々が入会する儀式も行われました。
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*おまけに偶然にも当日が7月14日(革命記念日)だったので、広場のわきではそのセレモニーまで♪
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この辺りでは本職のお菓子屋さんが作るというよりも「家庭で代々受け継がれてきた」お菓子である為、作る人によってデコレーションの仕方や生地の薄さも様々。
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↑ この4種類を比べただけでもその違い、分かりませんか?

この違いによって味も微妙に変わってしまうと言うのが楽しい所でもあり、 それを一度に食べ比べ(しかも作った人に直接お逢い)出来るという、とても有意義な1日でした。
(*因みに今年のはお祭りは7月11日でした。どんなトゥルティエールがあったのでしょう~♪)



<補足>
*Tourtière ;トゥルティエールとは元々tourte ;トゥルト(蓋付きのパイ、塩味&甘味の両方有)やタルトを焼く道具のことを示す名前でした。
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↑ これが実際に使われていたトゥルティエール

名詞「tourte」 に「接尾辞 -ière」 が付いて、それを作る道具を示す名詞に。
それが時を経て、これで作られたものも意味するようになった言うわけです。




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by Ethno-PATISSERIE | 2010-11-03 17:58 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

フランスの伝統菓子 Tourtière ; トゥルティエール その①

フランス南西部で見られるお菓子。地域によって違う名前が付いています。
例えば…
Tourtière ; トゥルティエール=Dordogne県、Lot-et-Garonne県、Landes県
Croustade ; クルスタード=Gers県、Ariège県、Lot県
Pastis ; パスティス=Quercy地方(Cahors ;カオールを中心とする旧州)
           Gers県ではPastis gascon; パスティス ガスコンとも呼ばれる。


生地をごく薄く伸ばして重ねる作り方は古く7-8世紀、ローマ帝国の支配が弱まってきたころ、
地中海沿岸地域がサラセン人によって侵攻されていた時期に遡ります。
711年イスラム帝国(ウマイヤ朝)がピレネー山脈を越え、当時のフランク王国(カロリング朝)へ侵入
占領して行きました。
732年「トゥール・ポワティエの戦い」でシャルル・マルテルがサラセン人を撃破し、退却。
『この時に作り方が伝えられた』と言われています。
とは言えその製造はフランス南西部に限らず、リエージュで料理長をしていたLancelot de Casteauが
1604年に出版した本の中には同じ製法で作られる「tourte」が掲載されています。
また、現在でもオーストリアをはじめとする地域で見られる「Strudel ; シュトルーデル」や
ポルトガルの「Pastéis de tentúgal ; パステイシュ・デ・テントゥガル」と言ったお菓子が作られています。
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↑ Konditorei FercherのMilchrahmstrudel   ↑ Café AndréのPastel de Tentúgal

これらは地中海沿岸の各地で見られるパート・フィロを使ったバクラヴァ系のお菓子と同じ起源を持ったもの
と考えられます。

それまでもこのお菓子に出会ったことはありましたが、作っているところを見たくて、年に一度「Foire à la tourtière ; トゥルティエール祭」を開催しているPenne d’Agenaisの観光局に問い合わせ、デモンストレーションをしてくれる方を紹介して頂きました。
その中で訪問を快諾してくださったのがBonaguil ; ボナギルに住むOdette Salesse ; オデット サレスさん。

この地を訪れたのは2000年の6月。
電車も通っていない所だった為、大方の行き方しか分からないままのちょっぴり不安な旅でした。
(まあ、いつもこんな感じ…^^)
プリュノーで有名なAgen;アジャンから1両編成の電車で30分、Monsempron Libosでバスに乗り換えてCondatで下車。バス停からはSalesse さんが車で迎えに来て下さることになり、なんとか無事目的地へ到着したのでした。
バス停からは2km程のドライブ。途中木陰から現れるChâteau de Bonaguil ; ボナギル城はとても美しく、感動的♪

b0189215_14484264.jpg彼女の家はトウモロコシや穀類、たばこを栽培している他に、牛や豚等も
飼っている典型的な農家。
お宅へ到着すると、新しく家を建てる時に作ったそうで、大きなテーブルを
いくつも並べた広い工房へ案内されました。
さらに奥のダイニングキッチンへ通されて、まずはお味見から♪。

b0189215_1521794.jpg温かくないと美味しくないとのことでレンジで温めたものを頂きました。飼っている豚から作った自家製のパテ等も!
繊細な見た目に反して、ホールの状態で1週間以上日持ちするそうな。
彼女は近隣のお店へ卸したり、直接家でも販売しているそうですが、お店からの注文で数日置くこともあるからと
ラム酒をたっぷり入れるよう頼まれている為、味見させて頂いたものも当然しっかり効いていました。
表面の飾りがとても特徴的で美しい。作り方はおばあさんから習ったそうで、お母さんは作れないとか。
もう30年も作っているベテランです。

さて、いよいよ工房へ移動して作り方を見せて頂きます。
材料は10-12人前で『小麦粉1kg、卵2個、塩、油大匙3杯、バニラオイル、水500ml

生地は水をたっぷり加え、プロ用の大きな生地をこねる機械にかけてから、1時間寝かせたものを使います。
寝かせるのは1時間で充分。それ以上寝かせても変わらないとか。粉も油も普通のものを使っているそうです。
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寝かせた生地を白い布を敷いた大きなテーブルの中央に置き、テーブルの長さに合わせて縦に伸ばします。b0189215_15101323.jpgb0189215_15113783.jpg

端から生地をのばしながらテーブルの周りを2周。これであっと言う間にテーブルいっぱいに広げられました。
テーブルからはみ出した部分をナイフで切り落とします。
(切り取った生地は1つにまとめて水を加え、再びこねて再利用。それでも残ったものは焼いて豚ちゃんのおやつに)
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次に、上に吊るしてあるガスのラジエーターをテーブルの上に移動させて点火。これで生地を乾かします。
夏の間はあっと言う間に乾くそうですが、この時期(6月)は乾燥に時間がかかるので、これを使わないと
かなり時間がかかるそう。


この他に2~3個生地を伸ばす作業をしましたが、1個だけ私もやらせて頂きました。
とっても柔らかい生地なので思い切ってやらないとすぐに伸びてしまって、折り目が出来たり、穴があいてしまいます。
(というよりも実際、穴を1つ作ってしまいました…^^;)。

生地がある程度乾いて透明になってきたら(パリパリに乾燥させないのがポイント)、ローラーを使って溶かしバター
を塗ります。刷毛では時間がかかり過ぎるので、ローラーを使うことを思いついたそう。
(おばあさんの頃はガチョウの脂を使い、ガチョウの羽根で塗っていました)
そして全体にグラニュー糖を軽く振ります。

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型には大中小の鉄製フライパンを使用。
オーブンへ入れやすいように柄を短く切断してあります。これに油を塗って使います。
(小さいサイズは4人分。中位のサイズにはテーブル2台分の生地が必要になる)

テーブルナイフで適度に乾燥した生地を適当に丸く切って型に敷きます。
何枚か重ねて、リンゴを乗せる前には型に合わせて丸く切ったものを重ねていました。
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リンゴはフランスで多く栽培されているpomme golden ; ゴールデン・デリシャスを使っています。
皮をむき、半分に切って芯を取り、薄切りにしたものを、中央からあまり重ねないようにして並べて行きます。
バニラオイルを加えた水を小さなコップ1杯注ぎ、さらに同量のラム酒を注きます。
(想像していたよりも液体が沢山入るのでビックリ!)
  
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その後さらに生地を重ね、最後は少し小さめに丸く切った生地の一方にひだを寄せて丸め、全体にきれいに並べて
終わり。(この上の部分に使う生地は乾燥しすぎていないものが作業しやすい)
あとは中くらいのオーブンで45分焼いて完成!

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この菓子は元々カーニヴァルのお菓子だったそうです。
シンプルな身近にある材料で出来るわりには豪華なので、お祝い事にも多く作られたことでしょう。
甘いデザートだけではなく、一昔前には『la tourtière au poulat et au salsifis ;鶏肉とサルシフィ(西洋ごぼうと
呼ばれる根菜)のトゥルティエール』と言った料理も作られていたそうで、おばあさんたちの中には今でも作る人がいると
聞きました。(ボナギルの北部にあたるドルドーニュ県では観光客向けにこの料理を出す所があるようです)

7月の第2日曜日には行われるお祭りではTourtièreを作る人が何人も集まってものすごい数が販売されるとか。
「今度はもっと色々なトゥルティエールが食べてみたい!」と、再訪を誓ったのでした。(その②へ続く…)


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by Ethno-PATISSERIE | 2010-11-01 16:08 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

ブタちゃん形サブレの意味

b0189215_10174914.jpgSaint Pée sur Nivelleにあるお菓子屋さん
「Maison Pereuil ;メゾン・プルイユ」の仔豚ちゃん形サブレ「Xeria ;シェリア」。(詳しくはこちらのブログをご覧ください)
サクサクしていて甘くないビスケットみたいな感じでレモンエッセンスのような香りがします。

b0189215_10231549.jpg「このサブレ、なんでブタの形をしているのかな?」と、ちょっと不思議に思っていましたが(バスク豚で有名だから?と単純に想像してました^^)その答えは「Moulin Plazako Errota」を見学した
折に見つけたブタの置物にありました。

Madame DAGUERREのお話では
「かつてmoulinでは農民の持ってきたトウモロコシを粉に挽いていたのだが、その手数料としてトウモロコシを受け取っていた。そのトウモロコシでブタを飼い、そのブタを売ってはじめて現金を得ていた。
つまりブタはお金・豊かさの象徴だった。」とのこと。

「ブタはお金・豊かさの象徴」。
これはなにもmoulin所有者に限ったことではなく、バスクの農民に共通するものだったのでしょう。
かわいいだけじゃなくて、ちゃんと意味があったのですね~(納得)。



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2010-07-11 10:36 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(4)

バスクのトウモロコシと Moulin ; 水車

b0189215_19514663.jpg『トウモロコシ』、アメリカ大陸では非常に古くから栽培されてきましたが、
初めてを目にしたヨーロッパ人はコロンブス一行で1492年初めての航海時。
そしてヨーロッパにおけるトウモロコシの最初の記述は、1523年5月24日付けの
バイヨンヌ市の古文書の中に見られ、早くもこの頃にはバスク地方で栽培されていたのが分かります。
(大航海時代にバスク地方へももたらされたものはこの他にカカオと唐辛子があります。チョコレートがバイヨンヌに入ったのは1609年。大分遅いように感じますが、
これはスペイン王室がカカオを独占し、国外への持ち出しを禁止していた為)。

実際トウモロコシはバスクの伝統的な食べ物のベースとなり、主にBouillie(粥)、 méture(パン)、taloaの形に加工して食べられていました。

b0189215_19544835.jpgかつてフランスでは沢山のmoulins(風車・水車)が製粉などに使用されていましたが、バスク地方にも数多く存在し、製粉の他、カカオ豆の加工にも利用されていました。
現在ではあまり使われることはありませんが、それでも「Ardatza-Arroudet」という
協会が作られ、水車を保存・修復等の活動が行われています。
ちょうどこのことに興味を持ち始めた頃、バスクの友人にそんなMoulinsの1つで、
Saint Pée sur Nivelleにある「Moulin Plazako Errota」をご紹介いただきました。
ここは1449年以前から存在していた水車で1972年に操業を中止するまで、
ずっと現役で使われていたそうです。
(1995年に操業再開)。

b0189215_20111693.jpgb0189215_20889.jpgb0189215_2010049.jpg

b0189215_20131068.jpg見学当日は、実際にトウモロコシを水力で粉に挽く作業を
見学させていただきました。
粉にする原料のトウモロコシはバスクで昔から育て続けられている特有の品種。
栽培農家が必要な分だけここへ粉にしてもらいに来るのだそうです。


→ 写真奥に水車を回す装置があります


b0189215_20152721.jpgこの日「お菓子の研究をしているそうだから」と、
わざわざトウモロコシ粉を使ったパンやお菓子を色々とご用意頂いていました。(勿論自家製!)
見学後にゆっくり味見させていただきました。

その時taloaのことを訪ねたら、なんと
「じゃあ、これから作りましょう」というありがたいお言葉!

b0189215_20452711.jpgb0189215_2046241.jpg b0189215_20463224.jpg
↑ 休ませた生地を手で伸ばし、フライパンで焼き、そして羊乳のチーズをはさみ・・・

b0189215_20572726.jpgところで、現代の一般的なフランス人にとってトウモロコシというと
「人間の食べるものではない」と考える人が多く、実際に餌用に多く育てられています。
あちこちで「トウモロコシで作る食べ物は?」尋ねてみましたが「人間はあまり食べない(バーベキューで食べる位…)」という返事がほとんど。
(☆バスク以外にトウモロコシを食べる習慣が残る地域はあります)

バスクにおけるトウモロコシは単なる「家畜の餌」としてではなく、大切な伝統として
後世へ引き継がれているのだと実感し、とてもうれしく感じた水車見学でした。

← 中央が所有者のMadame DAGUERRE
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by Ethno-PATISSERIE | 2010-07-08 21:07 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

バスクのトルティーヤ?「Taloa ; タロア」

b0189215_22194221.jpg現代のフランスではあまりトウモロコシを使った料理は見当たりませんが、ショコラ同様フランスで最初にトウモロコシが取り入れられたバスク地方では現在でも作られ、食べられているものがあります。
b0189215_22312388.jpg
それは「Taloa;タロア」。
今まで何度もバスクを訪ねていましたが、実際に目にする機会はありませんでした。

スペイン側バスクでお会いしたバスク菓子研究家のGorrotxategi氏にTaloaについて尋ねてみると
「お祭りの時等にTaloaをつくるグループがやって来て、その場で実演販売する」とのこと。
なるほど、お祭りの時に売っているものだったので見かけなかったのですね~。

b0189215_22385143.jpgb0189215_22421053.jpg実際に販売しているのを目にしたのは最近(2005年10月)、St Jean Pied de Portのマルシェでした。
他のマルシェでは見かけませんでしたから、ここで出会えたのはとてもラッキーだったのかもしれません。
見た目にはメキシコのトルティーヤにそっくり。
b0189215_22464019.jpg


両面をこんがりと焼いて、特産の羊乳のチーズやventrècheという豚バラ肉の塩漬けをカリッと焼いたもの
などの塩味のものをはさんだり、コンフィチュールやショコラをはさんで食べます。

出来立ての熱々は最高ー♪


※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2010-07-04 22:55 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(4)

仔豚形のガトーバスク

b0189215_14315461.jpg前々回のブログで 『ガトー バスク博物館の
マリシュラール氏によれば「ガトーバスクの起源は17世紀に遡り、元々はガルニチュールの入っていないもので、生地はトウモロコシ粉とラードが使われ、しばしば小さな豚の形に成形されていた』 ことを書きました。







b0189215_14271367.jpg「仔豚形のガトー バスク」というと、中身の入った現代のものを想像して「?」と思ってしまいますが、そうではなくて、中身が入る前のガトーバスクのことです。 

その当時のルセットは残っていないので実際にどんなものだったのかは
不明ですが、その面影を残している「小さな豚ちゃん形のガトーバスク」が
Saint Pée sur Nivelleにあるお店で売っていると言うので、いつか行きたいなぁと思っていました。 

それが数年後、トウモロコシを挽くMoulinの取材でこの街を訪れる
機会があり、ようやく願いが叶ったのです♪

b0189215_14422345.jpg店の名前は「Maison Pereuil」。
1876年創業、5代に渡って母親から娘へと引き継がれてきたお店だそうです。

5代続くというと、Marianne Hirigoyen同様に歴史もあることですし、ここのスペシャリテであるガトー バスクやサブレも現代のものとは違う、家庭で作られていた当時の味を感じさせてくれるに違いないと
期待も高まります♪

b0189215_14442813.jpgお店へ入るとオーナーと思しき女性(5代目のTittia)が迎えてくださいました。

さて、仔豚ちゃん形のサブレの名前はバスク語でXERIA
この文字は同じスペルで2種類の発音があり、シェリア=petit cochon(小さい豚),セリア=grand cochon(大きい豚)
意味も変わると教わってビックリ!
因みにこれ、サブレにしてはちょっと大きめですが(鼻からお尻までで18cm)仔豚ちゃんを象っているそうなので「シェリア」ということなりますね^^


サブレと同形の真っ赤な仔豚を貼りつけた缶に入っているところがカワイイのです~。

小さなサクランボ入りのガトーバスクとサブレを1枚買ったら、残り生地を利用して作ったサブレ(大きく焼いて適当な
大きさに割った感じのもの)をおまけにくれました。(こういうところも家庭的な感じでまた素敵!)
b0189215_14472373.jpgb0189215_14481434.jpgb0189215_144934.jpg
ここのガトーバスクは、訪れるちょうど2週間前にカンボ レ バンで行われたガトーバスクのコンクールに
入賞したとか。

またいつかお話を聞きに訪ねてみたいナ~。

2014年10月からは5代目Tittiaの従弟であるEmmanuel Yanci氏が6代目として店を引き継いでいます。



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2010-06-23 15:06 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(8)

「Marianne Hirigoyenのガトー バスク」

ガトー バスク博物館のマリシュラール氏に教わった店「Pâtisserie Ingres-Echeverria」。
初めてガトー バスクを商品として販売し始めたMarianne Hirigoyenのルセットを継承している
唯一のお店です。

この店があるのはCambo-les-Bains ;カンボ レ バン。
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↑ 駅から中心地まで歩く

b0189215_1451117.jpg古くは温泉を意味を意味していたles-Bainsという地名が
示すように温泉地で、現在でも温泉施設が残されている他、
マルセイユ出身の劇作家で「シラノ・ド・ベルジュラック」を書いたEdmond Rostand ; エドモン・ロスタンの別荘villa Arnagaがあることでも有名な街。
ここへはバイヨンヌからバスと電車が通っていますが、季節によっては無人駅となっていることもあるのでご注意を。
タクシーも無く、中心地は駅から少し遠い丘の上にあるので、荷物が重いと歩くのはちょっと大変!





 ← 駅から畑の横を通り、橋を渡って上の町までテクテク♪

b0189215_1543669.jpg
1999年にもこの町へ来ましたが、
その当時はこの店のことは知らず、
サクランボ農家を取材した際お土産に
頂いたガトー バスクは同じ町にある別のお店のものでした。

2000年にガトー バスク博物館を訪ねた際は、時間が無くて帰りがけに店の前を通ってもらうことしかできず、念願かなって訪問できたのは2003年のこと。


→ 当日、店前にある広場の気持ちよさそうな木陰では古書市が…


現在のオーナーはJean-Michel Echeverria氏。
彼の父がAnneとElisabethの姉妹からルセットを引き継いだAlbert Ingres氏の店に1948年から働き始め、
1950年にIngres氏から店とルセットを買い取ったそうです。

「Soeurs Biskotx」とあだ名されたDibar姉妹の姉Anne Dibarが
「地元のIngresというパティシエにルセットを伝えた」
ということなので、現在のPâtisserie Ingres-EcheverriaはIngresの店があった場所と同じではありますが、
Marianne Hirigoyenの店があった場所とは違うことが分かります。

Jean-Michelはまだまだ若い青年で、菓子の歴史については詳しく知らず(あまり興味がない様子)、
クレーム パティシエール入りのガトー バスクの方がサクランボ入りよりも古いと思っていたようで…
(クリーム入りが作られるようになったのは19世紀末から)
彼の父親は既に退職している為、色々な話を聞けなかったことが非常に残念でなりません。

b0189215_15105416.jpg店はクラッシックな作りで、店内には広めの喫茶スペースがあり、母親がお店を担当していました。

外から見えるスペースにはスペシャリテの
ガトー バスク。ショーケースには彼が修業したバスクにある有名店にあるような今どきのお菓子も並んでいます。



← Jean-Michelさんと
お菓子を持つ彼のお母さん



ひと通り話し終わると地下にあるラボへ行き、作り方を見せていただきました。
「ガトー バスクのスペシャリスト」と紹介されたJean-Claude Lazcanoさん。
この当時59歳で「もうすぐ引退する」と言っていたので、きっともういらっしゃいませんね。

使う生地はPâte sabléeに似た(でも違う)もので、大量に仕込んでありました。
b0189215_15305055.jpgb0189215_15313989.jpgb0189215_15321873.jpg
これを適当な大きさ切り取って手早く円形に伸ばし、タルト型に敷きこみます。
ブリブリッと固めに煮たcrème pâtissièreをコルネですくって詰め、同様に丸く伸ばした生地で蓋をする。
b0189215_15425069.jpgb0189215_1544760.jpgb0189215_1545868.jpg
卵でドレし、小さめの抜き型で三日月形に抜いた生地を4枚並べてローブリュー形に並べてとアッと言う間に完成。
後は200~220℃のオーブンで焼くだけです。1日に30個程作るとか。

crème pâtissièreを入れたものも意外に日持ちが良くて(合計2度火を通している為)常温で3日間保存可能です。


b0189215_1553242.jpgさて「Marianne Hirigoyenの店はどこにあったのでしょうか?」
この菓子のスペシャリストで歴史家のMarcel Douyrou氏の記事によれば、Marianneの時代Xerri Karrika地区に彼女は小さな店を持っていたことが分かっているといいます。
この地区が現在同じ名前の通りがあるあたりだとするとPâtisserie Ingres-Echeverriaのある場所とは違うことが
分かります。
またDibar姉妹は30年間「ガトー バスクを入れた籠を持ってrue des Terrassesのmaison Gasteluberriaという店へ通う姿が見られた」ということなので、彼女たちもこの付近に店は持っていなかったことが伺えます。


→ 焼きあがったガトー バスクが沢山♪

Marianneの店が映っているポストカードがあるので、実際に行ってみれば正確な場所は分かるかもしれません。
いつかMarcel Douyrou氏にお会いできるといいんだけどなぁ!



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2010-06-17 16:12 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(4)