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リモージュ製のフェーヴとLaplagne;ラプラーニュ(製)と呼ばれるフェーヴ

b0189215_2391698.jpgそれまで使われていた本物のフェーヴ(フランス語でソラマメのこと)やインゲンマメの代わりに磁器製のフェーヴが使われるようになったのは1874年以降のこと。フランス製ではなく、ドイツ製でした。
← 実際に使われていた様々な「フェーヴ;本物の豆」
フランス製のフェーヴが作られるようになったのは第一次世界大戦中(1914年-1918年)の1916年。
磁器製造で有名なリモージュで、2つの会社がその製造を行っていました。

フランス北部で陶器製造業に従事していたMartial Ducongé氏が故郷のリモージュへ戻り、1916年「Le Biscuit Français」と言う名前の小さな磁器製造会社を創設し、地元のパン屋に頼まれて手に入らなくなったドイツ製のフェーヴを真似て、後にbaigneursと呼ばれるようになる人形を作り始めたのが最初です。
(この会社は後にRanque Ducongéとなり、1974年Limoges-Castelに買収、1987年フェーヴの製造を終了)

さてLaplagneの方ですが
b0189215_17274921.jpg上記の会社で働いていたMousset氏が同僚のLéon Cloups氏と共に1924年「Mousset et Cie」を創設しフェーヴの製造を始めました。
1934年Mousset氏が亡くなるとCloups氏が全てを引き継ぎ「Cloups et Cie」と名前を変えます。
詳しい理由は不明ですが、Cloups氏と上記の会社との間に問題が起きて裁判となり、その後1940年に工場は閉鎖されました。
つまりフェーヴの製造は1922年から1940年の間で「Laplagne」の
名前では製造されていないので、「Laplagne製のフェーヴというものは存在しない」ことになります。      → 当時使われていた商品見本

b0189215_1740853.jpgb0189215_17452027.jpgb0189215_17492232.jpg
↑ 左;2枚1組の型で形を作る(よく見ると全て違う形のフェーヴ)。  
   中;型に付くためこのように1つずつ丁寧に剥す必要がある。  
   右;同じ形ばかりの型も。


第二次世界大戦中、Cloups氏の娘がHenri Laplagne氏と結婚。
1964年夫婦はCloups氏の跡を継ぎ「Laplagne」の名前で工房を再開しますがフェーヴの製造は行わず、
白いリモージュ焼きの小物を中心に製造しています。
これらは個人やプロ向けの絵付け用製品で、主にアメリカ(日本にも)輸出されています。
Henri Laplagne氏はModeleurs et mouleurs en plâtre(原型と石膏型を製造する職人)部門のMOF
(1968年)となっており、彼らの娘であるNadène Laplagneさんも優秀な職人。1995年に会社を継いでいます。
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↑ 現在作られている商品の1部。
   左;ミニチュアを組み合わせたPetit déjeunerのセット 
   中;エキスポ用に作られたBûche de Noël形ボックス 
   右;ボックスの裏側。H.LAPLAGNEのロゴが入る(注;お皿に接着してあったものである為、跡有り)


昨年11月、このLaplagneの工房を訪れる機会がありました。
始めの計画では本などから調べたフェーヴ会社の住所を訪ね「当時の面影を感じることが出来れば」と思っていただけでしたが、リモージュで待ち合わせた知り合いにここへ案内され、ここがLaplagneであると知った時は、どんなに
ビックリしたことでしょう!
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↑ 左;作品を利用した表札     中;看板                右;奥行きのある工房

会社創建当時に作られた古い窯や当時からの石膏型やフェーヴの型が全て残されていることには驚きました。
(リモージュでこのように古い窯はごくわずかしか残されておらず、とても貴重)
円柱形をした窯は上下2つの部屋に分かれており、上部は950℃で素焼き、下部は1400℃で釉薬をかけたものを同時に焼くことが出来る構造。 b0189215_15591218.jpgb0189215_162551.jpgb0189215_1662666.jpg  
← 左;古い窯の上層
← 中;cazettes
    (casettes)
  この中に作品を
  入れて窯内へ
← 右;窯の内部

b0189215_16244051.jpgこの工房のあるところはリモージュの中心街から北西の位置にあり、
近くにはGare de Montjovisがあります。
もう1つのGare des Bénédictinsとは違って今ではあまり使われていませんが、
この線路が開通したお陰でここまで大量の石炭が運ばれるようになり、
この駅の近くに磁器の窯を持つ工房が多く作られたそうです。
(以前は町の南東を流れるVienne川の近くに製陶工場が沢山ありました。
これは窯の燃料であった木を筏に組んで運んだ為)

→ Montjovis駅

b0189215_16511151.jpgLaplagne夫妻は非常に親切で温和なのですが、BotellaさんとJoannèsさんの共著である本の中で「Mousset」或いは「Cloups」の時代に作られたフェーヴに対し、Laplagneの名前を使われたことに強い憤りを感じていたそうですが、Joannèsさんの近著の中でその点を明確にしてくれたことで、やっと溜飲の下がる思いだったといいます。
← Nadène Laplagneさん(もちろん右側)

b0189215_16551969.jpgお店には小さくてフェーヴとして使えそうなものも沢山飾ってありましたが、フェーヴとして使う目的で作られたものではない為、フェーヴではありません。

→ ミニチュアのホタテ貝、パイプ、歯
(フェーヴではなく、ペンダントヘッドになる穴あきタイプも有)

また昨年6月17日から9月14日までリモージュのHôtel de Villeで行われていた展示会
Féerie de Porcelaine」に使用するために依頼され、かつてフェーヴの製造に使われていた型を使って同じものを再現したそうです。
その時に作ったものをお土産にいくつか頂きましたが、これもやはりフェーヴとは言えません。
b0189215_17222100.jpgb0189215_1751698.jpgb0189215_1715381.jpg
↑ 左&中;エキスポでつくられた飾り  
  右;左側は今回新しく作られたもの(フェーヴではない)。右側はフェーヴ(素焼き)。
  同じモデルの型が使われているが素焼きのままよりも釉薬をかけて焼いたものの方が縮む為若干大きさが異なる。


リモージュにおけるフェーヴ製造の歴史を調べている時、「もうフェーヴは作っていなくてもこの町のどこかにきっと古い型やフェーヴの資料が残されているに違いない」と思っていたのですが、縁あって創業当時と変らぬ同じ場所にあり、
古い窯や型が素晴らしい状態で保存されているLaplagneの工房を見学することが出来、とても有意義な旅でした。

Laplagneの住所はこちら
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by Ethno-PATISSERIE | 2009-07-31 18:41 | feve工房 | Trackback | Comments(2)

Clamecy ;クラムシーの町

b0189215_15513678.jpgClamecy ;クラムシーはブルゴーニュ地方のNièvre県にある町で、
パリから514km、電車で片道2時間半余り。
Canal du Nivernais ;ニヴェルネ運河があり、そしてYonne ;ヨンヌ川とBeuvron川の合流地点に町はあります。 

← ニヴェルネ運河 

b0189215_15554122.jpgヨンヌ川はセーヌ河に合流している為、すぐ近くにあるモルヴァンの森で切り出した木材は
ヨンヌ川でクラムシーまで運び、le flottage du bois;に組んでles Flotteurs;筏師
よってパリまで運ばれ、一般家庭やパン屋さん等に燃料として使われていました。
(1549年から20世紀初頭まで主要な港だった)

→ Flotteur;筏師の像
b0189215_164282.jpg旧市街は少し小高い丘になっており、細い道や坂、古い木組みの家が点々と
残され、12世紀から16世紀の間に建てられたゴシック・フランボワイヤン様式のCollégiale St-Martinを含め、中世の面影があちこちに感じられます。

← Collégiale St-Martin、入り口上部のtympan;タンパン

b0189215_16425474.jpgb0189215_1626712.jpgこの町のスペシャリテ、
「Andouillette de Clamecy;アンドゥイエット・ド・クラムシー」。
その昔、パリから木を買い付けに来た人々が好んで食べていたそうです。
→アンドゥイエットとその断面

b0189215_16533137.jpgこの町出身の有名人は?というと、まず「全人類の自由と平和・調和」を理想に掲げた作家、Romain Rolland氏(1866年生まれ。生家はロマン・ロラン博物館となっている)が挙げられるでしょう。
また日本では余り知られていませんが、1974年初の単独世界一周ヨットレースにおいて202日間という速さで優勝するといった記録を持ち、1978年レース中に行方不明となったAlain Colas氏もクラムシー出身。
(Faïencerie Colas;Jean-François Colas氏の兄弟)
↑ 木組みの家から見下ろすワンちゃん


b0189215_17184484.jpgヨンヌ川の右岸にあるQuartier Bethléemは、1167年十字軍の遠征でパレスチナを
訪れたComtes de Nevers ; ヌヴェール伯 Guillaume IV de Nevers は翌年
かの地でペストによって亡くなる際、遺言で「エルサレムがイスラム教徒に奪われた時、ベツレヘムの司教たちの避難所となるよう、彼らにクラムシーのhôpital de Pantenorを与えた」ことにより、1223年から1801年Le Concordat(ナポレオンと教皇との協約)までの間ベツレヘム司教区の本拠地とされていました。

→ 12世紀の礼拝堂を改装したレストラン「Auberge de la Chapelle」。
上のアンドゥイエットはここでたべたもの。


現在ここには、12世紀のNotre Dame de Bethléemの礼拝堂を利用したレストラン(1796年以降ホテル・レストランとなる)や、1927年フランスで3つ目の鉄筋コンクリート製教会として建造されたで中近東をイメージしたEglise Notre Dame de Bethléem、クラムシー工房があります。

キリストの生誕地であるベツレヘムとの関わりが強いこの地に、エピファニーのお菓子に入れるフェーヴを作る工房が
あるとは、なにか不思議なつながりを感じずにいられません。

おまけ
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by Ethno-PATISSERIE | 2009-07-24 18:20 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(6)

Fèves de Clamecy(Faïencerie Colas)  フェーヴ・ド・クラムシー

b0189215_16574362.jpg現在フェーヴはかなり大雑把に分けるとフランスの小さな工房で作られるものと、大きな会社が主にアジアで生産しているものがあります。

アンティークを除いて私が惹かれるフェーヴは80年代以降現れるようになった職人によって手作りされている小さな工房のものです。
主にフェーヴ製造を中心にしているところ、陶磁器を作る職人が
パン屋さんなどの依頼を受けて作っているところ、フェーヴ好きが高じて作り始めたところなど様々ですが、工房ごとに味わいが異なり魅力的なものが多いのです。
↑Clamecyを流れるYonne川

b0189215_1753323.jpg初めてフェーヴ工房を訪れたのは2006年6月。
Clamecy ;クラムシーにあるFaïencerie Colasでした。
(ここで作られるフェーヴは「fèves de Clamecy」と呼ばれています)
クラムシーはブルゴーニュ地方Nièvre県にある小さな、でも歴史のある町。
Neversからバスで行くつもりだったのが、ちょうどlundi de Pentcôteに
当たってしまいバスの運行がなかった為、タクシーでの訪問となりました。

→ Faïencerie Colasのお店

b0189215_17202658.jpgFaïencerie de Clamecyは1760年、Fidèle Nolet氏によって創設されました。
その後生産が落ち込み、ベルギーのアーティストAndré Duquenelle氏が
1918年この地の窯に再び火をともします。
近くの採掘場で採れる粘土、窯の燃料になるモルヴァン山塊の森の木、商品を運ぶ運河の交通路と、ここには必要なものが全て揃っていたからでした。
彼が退職した1937年、クラムシー焼きのスタイルや装飾を作り出していた
一番の職人Roger Colas氏が跡を引き継ぎます。
そして彼の後を継いだのは息子のJean-François Colas氏。1972年のことでした。    ↑お店の看板

メールで見学を申し込んではいたものの日時までは決まっておらず、工房の場所も分からなかった為ちょっと不安だったのですが、Alexandreさん(Jean-Françoisの息子)が快く案内してくださいました。
(彼は10年ほど前からこの仕事についています)。
工房は1918年から同じ場所にあります。
必要に応じて部屋が付け足されていった為、少し迷路のようになっていました。

ここでのフェーヴの作り方はこんな感じ。
①下絵を描く。
②粘土で原型を作る。
③原型から石膏で型を作る。これがmère de moule ;型の原型となり、これから複製の型がいくつも作られる。
b0189215_19122529.jpgb0189215_19132320.jpgb0189215_19142566.jpg

↑ 左;液体粘土 中;石膏型とフェーヴ 右;乾燥後型から出したフェーヴ

④こうして出来た型にla barbotine ;液体粘土を流しいれるか、固形の粘土を型押ししてフェーヴの形が作られる。
⑤前者のようなcoulage ;流し込みによって型入れしたものは2日程乾燥させて型から取り出す。スポンジで余分な
ところを丁寧に取り除く。
b0189215_19273078.jpgb0189215_19282994.jpgb0189215_1926097.jpg

↑ 左;小さい窯(他に大きいのもある)  中;彩色用の色粉  右;彩色中(こちらはロウソク立て)

⑥1度目の焼成;800℃に熱した窯で夜、一晩かけて焼く(HPには20時間程かかると書いてある)。
1日おいて冷めてから取り出す。→これがbiscuit ;素焼き
⑦彩色家の手により筆で彩色される(クロモリトグラフィで彩色されるものもある)。
⑧釉薬の薄い膜を吹きかける。

b0189215_19402355.jpgb0189215_19341016.jpgb0189215_19452851.jpg
↑左;下絵と彩色したもの  中;左は釉薬をかけたもの、右はかける前  右;手前が金彩を施したもの、後ろは3度目の焼成後

⑨2度目の焼成;1000℃に熱した窯で焼く。不透明な釉薬が透明になり、彩色した色が発色し定着する。
⑩一部のフェーヴには金彩が施される。この場合は700℃に熱した窯でもう一度焼成する。


b0189215_19521085.jpgフェーヴは早くて販売する3年前からデザイン等の準備を始めるそうです。
1年半前には見本品を作り始め、年頭に行われるパン屋や菓子屋などプロ向けのSalon等で翌年の1月に販売されるガレット用のフェーヴを発表します。
あらかじめ素焼きの状態まで仕上げておき、1年の後半になってから注文に応じて
仕上げ、年末に注文者へ配送されるのです。


b0189215_21181836.jpgフェーヴの製造を思いついたのは彼の父Jean-François Colas氏で、80年代のことだと言います。(BotellaさんとJoannèsさんの本「Les Fèves des Rois」には「主に1981年からフェーヴの製造が増え始めた」とあります)
伝統的なFaïence d’artの市場が下り坂になり、その一方で当時使われていたプラスチック製フェーヴにはがっかりしていた彼はEpiphanieのある日、かつてのような陶器製のフェーヴを作ることを思いついたのだそうです。

← 左側がJean-François さんで右側がAlexandreさん

b0189215_21303430.jpgアジアから輸入される安価なフェーヴに対抗する為にブランド力を強化し、周辺国への販売ネットワークも確立。
有名なパリのパティスリーからの依頼で、指定されたデザイナーのデザインによるフェーヴ作りも行いつつ、オリジナルでスタイリッシュな、コレクターにも人気の高いフェーヴを作っています。

→ お店の一角にあるフェーヴコーナー
b0189215_21334441.jpg 勿論それまで作っていた伝統的な陶器の製造も続けており、
割合は半々位とバランスを保っています。
お店では蝋燭立てやマスタード入れのような小物も販売していてお土産に
ピッタリ。
観光客も大勢訪れていました(フェーヴを買っていたのは私だけ…^^;)。

←こちらはテーブルランプのベース。このあとシェードと電球等が付けられる。これも伝統的な製品。

この時期はまだあまり忙しくないそうで、Colas親子と絵付けをしている女性の3人しかいませんでしたが、同時期Saint Yrieix La Percheで見学したリモージュ焼きの大きなmanufacture ;製陶所とはまた一味違う、温かみの
ある工房でした。

メモ;Fèves de Clamecyの色々なタイプ(表・裏)
b0189215_235165.jpg b0189215_2354974.jpg
・裏がへこんでいるのは液体粘土が使われているから(下段両端と上段中央)
・お店の注文で作られたものは裏にお店の名前が入る
(下段中央は表に名前が入っているためか裏にクラムシーの名前がある)
・上段中央、ガレットに入っていたフェーヴである為、裏の素焼き部分は色が変っている


b0189215_23314811.jpgb0189215_23322743.jpgb0189215_23344667.jpg
左;Cabosse(カカオの実)形のフェーヴ、素焼きと完成品/割れた石膏の型
(資料用にいただきました。コピーを作られる可能性もあるので型の処分は重要)
中;裏にはそれぞれスタイルの異なる「CLAMECY」の文字が…
右;ショコラトリー・パティスリー用に作られたCabosse形の器とフェーヴ


お店の住所とHP
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by Ethno-PATISSERIE | 2009-07-20 13:37 | feve工房 | Trackback | Comments(6)

Gâteaux des Rois et ses Fèves - 私の最初のフェーヴ

b0189215_2043425.jpgb0189215_2054528.jpgフェーヴとはキリスト教のお祝いの1つ、Epiphanie;公現節の日(1月6日;現在フランスでは1月1日を除く最初の日曜日をEpiphanieとしている)に食べるお菓子に入っている小さな陶器(ガラスや金属製もある)のこと。
←本物のソラマメとソラマメ形フェーヴ
本来の意味は「ソラマメ」で、陶器製のものが使われるようになる前は乾燥したソラマメ(その他の豆も)が使われていました。
b0189215_2191463.jpgb0189215_21151633.jpgこのお菓子は一般的にgalette des rois;ガレット・デ・ロワと呼ばれ、Pâte feuilletée ;パイ生地にcrème d’amandesをはさんだものですが、地域によっては(主に南仏)フリュイ・コンフィ入りのブリオッシュ生地で作られたgâteau des rois或いはcouronne des rois等と
呼ばれるものも前者のガレットと一緒にお店に並びます。
                                     ↑ガレット・デ・ロワ(左)とクーロンヌ・デ・ロワ(右)

b0189215_21245041.jpg私がこのお菓子とフェーヴに興味を持ったのは20年以上前のことでした。
フランスの伝統菓子&地方菓子、行事菓子に興味があったからでしたが、
実際にフェーヴを手にしたのは1987年。
エピファニーの時期をフランスで過ごしていた友人にお願いして持ち帰って貰ったものでした。
以来、色々と調べている研究テーマの1つです。

↑これが1個目のフェーヴ

b0189215_2131337.jpgその後も日本で販売されているところは少なく種類もありませんでしたが、近年では製菓材料店以外でも個人で輸入販売しているところも多く見られるようになり、
日本に居ながらフランスのネットオークションや製造業者から直接購入することも可能になって、日本のコレクターも少なからずいるようです。
オリジナルのフェーヴ付のガレットデロワを販売するお店も増え、
コレクターには嬉しい限り!
ここ数年は1月になると朝食代わりにあちこちのガレットを食べていて、今年はかねてより念願だったフランス(&ポルトガル&ベルギー)へガレットの食べ歩きに行ってきました。                                      ポルトガルのガトー・デ・ロワ「ボーロ・レイ」↑

さて、ガトーデロワとフェーヴには古い歴史がありますが、陶器のフェーヴが現れたのは今から1世紀あまり。
マドレーヌの型がいつどこで使われるようになったか分からないのと同様、こういうものの歴史に関する資料は意外に
少ないものです。
b0189215_2231283.jpgフェーヴについて書かれた数少ない本の著者であるHuguette Botellaさんと
Monique Joanèsさんは本の資料を集めるのに9年かかったといいます。
コレクターは自分の大切なコレクションを他人に見せたがらないのと製造者へ手紙で問い合わせても返事の来ないことが多かったためだそうです。
昨年10月Botellaさんのお宅でこの二人にお目にかかる機会がありました。
Botellaさんはフェーヴの伝統や習慣、逸話について、Joannèsさんはフェーヴそのものについてと製造者について詳しいそうで、様々な話をお聞きすることが出来、
時間の経つのを忘れてしまうくらいとても楽しいひと時でした。
↑BotellaさんとJoannèsさんの本「Les Fèves des Rois」

b0189215_21453340.jpgフェーヴについて詳しく知りたい方はパリのフェーヴショップFevemania paris
「フェーヴについて」をご参照ください。このサイトを運営しているMikaさんはAFF(Association des Fabophiles Français) と呼ばれるフェーヴコレクター愛好会の会員(私は昨年入会したばかりの新米会員)で、Botellaさんたちの本を始めとする様々な資料を自身で日本語に訳し、とても分かりやすく説明してあります。
また彼女のブログには季節になるとパリのお菓子屋さんのガレットやフェーヴの最新情報がupされる他、フェーヴの
額装やカルトナージュ等、素敵な作品も見ることができ、フェーヴの魅力が倍増すること間違いなしです。

季節はずれではありますが、これから時折フランス各地の様々なガトー・デ・ロワやこれまで取材したフェーヴ工房に
ついて取り上げられればと思います。
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by Ethno-PATISSERIE | 2009-07-13 22:22 | feve | Trackback | Comments(4)

La Cerise d’Itxassou

初めてバスク地方を訪れたのは1991年、Itxassou村へ行ったのはそれから8年後のことでした。

b0189215_17412958.jpg訪問したのは10月で残念ながらサクランボの季節ではありませんでしたが、廃れかけていた地元品種の復興を目指して1986年頃から毎年少しずつ苗を植え続けているというMirentxu Elissaldeさんのことを知り、ぜひお話を聞きたいと思ったのです。
でも、ちょうど彼女が結婚したばかりでアフリカにハネムーンへ行ってしまった為、この時は本人にお目にかかることは出来ず…。
でもお母さんと彼女の同僚の方がサクランボの種類や果樹園の見学をさせてくださいました。
そして翌年の6月ちょうどサクランボ祭りの後に再び訪問、ようやくMirentxuさんとお会いすることが出来たのです。 

b0189215_1571715.jpg家へと続く小道の両脇にはMirentxuさんのおじいさんが植えたという大きなサクランボの木があります。果樹園には収穫がしやすいようにと小さい木(3~4m)が植えられていました。

→ 10月の訪問時に写したサクランボの木

本来バスク地方は雨が多くサクランボの栽培には適しておらず、ここ以外では育たないそう。この村だけは土壌があっていて上手く育つのだとか。 雨が多い中、花の咲く時期と実の熟す時にあまり雨が降らないそうで、不思議な偶然から栽培に適した土地だったのです。

さっそくサクランボの試食。
早生品種のPeloaはもう終わっていたのでありませんでしたが、まずは家の前に植わっている赤くて実の小さいXapataを。次は車で移動し、BeltxaとBeltxa系のもう1つの品種のサクランボを摘んで試食させてくれました。
b0189215_15222382.jpg← Xapata
b0189215_1539570.jpg← Beltxa

b0189215_152742.jpgb0189215_15322170.jpg
おじいさんの時代(1930-50年代)が最盛期で、300トンが村のマルシェで売買されていたそうです。
しかしそれ以降は味よりも見た目を重視の、大きくて美しい日持ちする品種が好まれるようになり、それまで育てられていた昔ながらの小さくて痛みやすい品種は次第に廃れていき、80年代前半には15トンまで減少してしまいました。

世の中が見た目重視から本物の味のあるものへと戻り始めると、Itxassouのサクランボの需要が増加。
それまでの生産量では足りなくなり、偽のItxassou産コンフィチュールまで出回るようになりました。
それを憂いた彼女は同僚らと共に1994年、association XapataとGIE Cerises d’Itxassou/Itsasuをつくり、3品種の本格的な再導入を始めます。
* association XapataはItxassouの品種を保存、供給する協会。
* GIE Cerises d’Itxassou/Itsasuは伝統的な品種を再び植え、栽培法の研究や加工に必要な道具などの共同購入、ロゴ製作、商標登録するなどして生産品を消費者に分かりやすくアピールする為の生産者の集まり。


さて、Itxassouの昔からの古い品種はXapata, Peloa, Beltxa, Garroa, la Bilarroa, Markixta ...と色々あるようですが、中でも代表的なのは次の3種類。
* La Peloa
5月末に熟す、早生品種の黒サクランボ。肉厚で果汁に富み、実が崩れやすい品種でコンフィチュールに適している。
* La Xapata
6月上旬-中旬に熟す赤実サクランボ。実は小粒で甘く、酸味もある。生食に適していて美味しい。これで作ったコンフィチュールはフォアグラに合う。
* La Gerezi Beltxa
6月下旬に熟す、黒サクランボ。小粒で少し苦味があり、コンフィチュールにすると美味しい。Gâteau Basqueはこれで作ると最高。地元の羊乳チーズにもぴったり。十数年前は村に15本しかなかった。


b0189215_16551650.jpg→ Fromage de Brebisと彼女のサクランボのコンフィチュール。
羊のチーズは日本で食べられるものよりも更に熟成して旨味が凝縮している感じで相性はピッタリ!
 

b0189215_15484026.jpg毎年6月第1日曜日にla Fête de la ceriseが行われています。
今年は6月7日でした。
1949年「Fête de la Terre」という名前で始まり、数年後「Fête de la cerise」に変っています。
このお祭りはL’association Itsasuarrakによって開催されており、その収益は会の施設維持や様々なセクション(pelote、danse等)の活動にも使われるそうです。
この日はサクランボの販売だけではなく、ダンス等バスク色あふれた催しが行われるお祭りなのです。

← 祭の時に使われたサクランボのスタンド

2007年5月にはConfrerie de la Cerise d'Itxassou(☆)が発足。
毎年5月の最終土曜日にchapitreと呼ばれる会合(他のConfreriesも集まり、入会式も行われる)が開かれ、同時に土日を通してItxassouのサクランボや地元の産物を販売するマルシェが開かれます。

その為、ほぼ同時期に2つのサクランボ祭りが開催されるようになり、村で一番活気あふれる時といえるでしょう。

Mirentxuさんは目標をはっきりと持ち、どのようにしたら達成できるか考え、計画的に、積極的に進めて実現出来る人で、自ら園芸学校でサクランボ栽培を学んだりと、するべきことを淡々とこなすタイプ。
↓ Mirentxuさんと愛犬
b0189215_16162078.jpg
自分だけよければいいということではなく、村のためにどうしたらいいのかを冷静に判断し、実行していく姿はとても素敵だと感じました。
訪問して初めてお会いした時、最初に「何をしたいのか?」を聞かれ、あちこち電話してテキパキと手配してくれたことにもその人柄がよく表れています。

また数年前、彼女の村やこの地域を紹介する施設を作りたいという希望が叶い、
* ATEKA – Mémoires Vivantes du Village d'Itxassou
Place du Fronton – 64250 ITXASSOU  Tel : 05.59.29.32.74     
が作られました。
ここにはKrakadaというPâtisserie-Salon de Théが併設されていて、サクランボ製品や地元特産品が色々あると聞きます。
また是非サクランボの季節に行ってみたいものです。




※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2009-07-03 17:49 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(8)