<   2012年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

フランスのラスク(?)「Le Minerve ; ミネルヴ」

日本で見られるラスク(Rusk) ですが、フランスでは一般的ではなく強いて言えば
Biscottes ;ビスコットがそれに近いのでしょうが、それ自体は決して甘いお菓子ではありません。
* 知り合いのフランス人は朝食用に常備、これにバターとジャムを塗りカフェオレに浸して食べていた。
スーパーへ行くとプレーンやレーズン入り、ふすま入り、グルテンフリー等様々なものが販売されている。


そんな中、唯一( ?)ラスクっぽいと思われる地方菓子が、この「Minerve ; ミネルヴ」。
Languedoc ;ラングドック地方Grad;ガール県のスペシャリテで、Hérault;エロー県等周辺地域でも
見られるようです。
b0189215_1950484.jpg
↑ これがミネルヴ

大きくナマコ形に焼いたオレンジ花水風味のブリオッシュ或いは売れ残りの大きなブリオッシュを使いますが
元々はエピファニーの時期に売れ残ったGâteau des Rois ;ガトー・デ・ロワを利用して誕生したものだと
考えられています。
* 以前ポルトガルからパン・デ・ローで作ったラスクを取り寄せたことがあった。
非常に美味しかったので充分考えられる話かも・・・?
果たして現在でもガトー・デ・ロワで作ったミネルヴは作られているのかな?



作り方はごく簡単。
ブリオッシュを薄切りにして軽く焼き、表面を乾燥させてから、卵白と粉砂糖で固めに作ったグラサージュを塗り、更にオーブンで乾燥焼きして出来あがり。
グラサージュはごく薄い焼き色しか付けない為 「tranche dorée ;トランシュ・ドレ」(黄金色の(=doré(e))薄切りしたもの(=tranche) の意味)という別名もあり、小さいブリオッシュで作った「minervette ;ミネルヴェット(小さいミネルヴの意味)」というものもあります。


その歴史についてですが、残念ながらはっきりしていません。
Larousse Ménager Illustré(1926年)にはラングドック地方特産品の中では、Uzèsのスペシャリテとして
記載されており、Guide Una(1931年)ではVilleraugueのスペシャリテとされていますが、20世紀初めにはあっただろうという程度で、更にはっきりとした情報は見つけられませんでした。
(source ; L’Inventaire du patrimoine culinaire de la France,Languedoc-Roussillon)


私がこの菓子に出会ったのは2004年6月、Nîmes;ニームを訪れた時のことでした。
予め売っているお店をメモして行きましたが、既に無くなってしまったお店もあって実際に見つけられたのは1775年創業の老舗ブーランジュリー「Croquants Villaret ;クロカン・ヴィラレ」だけ。
一見固そうですが実際はそれほどでもなく、素朴で美味しいお菓子でした。



※※※



にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-28 19:55 | ⑬Languedoc-Roussillo | Trackback | Comments(2)

マリー・アントワネットも食べた(?)「Biscuits de Montbozon ;ビスキュイ・ドゥ・モンボゾン」

Franche-Comté ;フランシュ・コンテ地方 Haute-Saône ;オート・ソーヌ県にある
人口500人余りの小さな町 Montbozon ;モンボゾン

鉄道も通っておらず、バスさえも週に数本しかないこの町で
Biscuits de Montbozon ;ビスキュイ・ドゥ・モンボゾン」は作られています。
b0189215_1917568.jpg
↑ 箱のラベルには「Le rois des desserts et le dessert des rois(デザートの王様、王様のデザート)」の文字が・・・

この菓子の存在を知るきっかけは、研究テーマにしているお菓子の1つMassepains;マスパンでした。
たまたま目にした本の中に「Biscuits de Montbozon、別名 Massepain」と書かれていたので、
それほど遠くないFavernay ;ファヴェルネにあるフェーヴ会社Primeへの取材時に訪れました。
(訪問日2006,10,17)


言い伝えによるとこのビスキュイは、その昔フランス革命によってルイ16世がこの世を去った後、
宮廷パティシエだったGuichard ;ギシャールという人物がモンボゾンへ逃れてきたことに始まります。
彼はHôtel de la Croix d’Or ;オテル・ドゥ・ラ・クロワ・ドールというホテルで余生を過ごし、
そして、隣人であり日用品やお菓子を売る店の所有者であったMademoiselle Prudhon ;プリュドンさんに
このビスキュイのルセットを教えたのだとか。
(L’inventaire de patrimoine culinaire de la France ;Franche-Comté ;1993による)
* このホテルの所有者がLanternier ;ランテルニエ家で、彼が直接この一家にルセットを教えたとする説もある。
b0189215_19334499.jpg
↑ お店に飾ってあった写真や文書(絵葉書?)にはLanternier-Prudhonの名前も見られる

彼女はこのビスキュイを販売、その後そのルセットはCaney氏に引き継がれます。
* このビスキュイはCaney氏によって1857年商標登録されている。


Caney氏の死後、この一族は2つの家系に分かれ、その両方それぞれがビスキュイの製造を続けた為、
工房が2つとなりました。

その一方は婚姻によりランテルニエ家によってルセットは引き継がれ、次いで第一次世界大戦前に
現在の所有者Frédérique Ventron-Cuseniers ;フレデリック・ヴァントロン・キュズニエさんの
祖父Jules Ventron ;ジュール・ヴァントロン氏へと引き継がれました。
b0189215_19374667.jpg
↑ フレデリックさん。後ろには木箱入、紙箱入、ビニル袋入のビスキュイが・・・


フレデリックさんは1994年、彼女の父が退職するのを機に店を継いでいます。
そして2006年、段差もあって働き辛かったという以前工房&店から600m程の所へ近代的な工房と販売所を
作り移転しました。
b0189215_19414650.jpg
↑ こちらは新しい工房&店舗


* もう一方のJeannerot-Hostalの工房は第二次世界大戦後に閉められましたが、
モンボゾン出身のBoisson氏がルセットを取得し、Favernay ;ファヴェルネで製造販売をしていましたが
ここを訪れた際には既に店を閉めた後でした。

b0189215_19435958.jpg
↑ 旧工房&店舗
b0189215_1945087.jpg
↑ お店に飾ってあった写真。左から3人目の白衣を着た人がフレデリックさんの祖父ジュールさん、左の男の子が父親


さて、肝心のビスキュイの方はと言うと…

b0189215_19532739.jpgb0189215_19535070.jpg

材料は砂糖、小麦粉、卵、転化糖、ベーキングパウダー、香料。
生地を長径6cm程の楕円形に絞り出したものに粉砂糖を振りかけて焼き、2枚1組にくっつけてあります。
生地を絞り出した後、粉砂糖を振って焼いてあるので表面はカリッとしていますが、中は柔らかくて口溶けもよく、コントラストが良い感じ。
何で香りを付けているかは企業秘密とのことですが、私には強いベルガモットの香りとオレンジフラワー
ウオーターの香りを感じました。
* こちらの動画では、訪問時には「見せられません」と言われた工房の中が紹介されています♪

透明な袋に入れて簡単にシールされているだけなのに、日持ちは2カ月。
時間がたってもカリッとした表面と内側の柔らかさは変わらないのに驚きでした!

ベルガモットがフランス(ナンシー)に入ってきたのは1750年のことで、その使用は王族や貴族に限られていたそうな。
スタニスラス・レクチンスキーのシェフ・キュイジニエGilliers ;ジリエ
ベルガモット風味のSucre d’orge ;シュクル・ドルジュを作っていたことから見ても
ルイ16世やマリー・アントワネットがベルガモット風味のビスキュイを食べていた」というのは
ちっとも不思議ではありませんね♪


そして、当初の目的であったマスパンの方は・・・
ビスキュイの別名と言う訳ではなく、別に販売されていました(ここのはマカロン系)。
両方とも古くからあるスペシャリテだったのですね。
b0189215_1922798.jpg
↑ これがマスパン。丸くドロップ状に絞り出してある




※※※


* これはmixiで(2007,04,01)upしたものに加筆したものです。

にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-26 20:16 | ⑩Franche-Comte | Trackback | Comments(2)

トゥールの「La Livre Tournois;ラ・リーヴル・トゥルノワ」のスペシャリテ 色々

Tours;トゥールにはかつて「Poirault ;ポワロー」と言う名前の老舗菓子店がありました。

1807年創業。そのスペシャリテには
Sucre d’orge de Tours ;シュクル・ドルジュ・ドゥ・トゥール
Pruneaux farcis ; プリュノー・ファルシ
* これについてはこちらをご参照ください
Muscadine ;ミュスカディーヌ
* ミルクチョコのトリュフ、グランマルニエ風味、ショコラノワールでコーティングし、粉砂糖をまぶしてある
b0189215_17145284.jpg


Livre tournois ;リーヴル・トゥルノワ

そしてNougat de Tours ;ヌガー・ドゥ・トゥール等がありました。


現在は、かつてポワローの職人として働いていたJean-Marie Soignier;ジャン・マリー・ソワニエ氏が
店を買い取って「La Livre Tournois;ラ・リーヴル・トゥルノワ」と言う名前になっており、
当時のスペシャリテはそのまま作り続けられています。
b0189215_15583190.jpg
                           ↑ Jean-Marie Soignierさん

* 現在の店はかつての店の工房だったところ。
看板の横にはPoirault のロゴが加えてあり、元ポワローだったことが分かるようになっている ↓

b0189215_1713080.jpg



Sucre d’orge ;シュクル・ドルジュとは、かつて大麦を煎じた汁と砂糖のシロップを煮詰めて作られていた飴。
ここでは砂糖を140度に煮詰めて昔ながらの方法で作られ、バニラとニワトコの花の香りを付けた2種類があります。
b0189215_17173865.jpg



Livre Tournois;リーヴル・トゥルノワというのは中世にトゥールで鋳造され、その品質の高さから
フランス王国の貨幣として使われるようになったというコインの形を再現したチョコレートで
以前の所有者で4代目のClaude Delaunay氏によって作られました。
* Livre tournois ;リーヴル・トゥルノワにはプレーンとオレンジアメール、カフェの3種類ある
b0189215_1794965.jpgb0189215_1710550.jpg


Nougat de Tours ;ヌガー・ドゥ・トゥールはこの店によって日持ちのする地方発送可能な商品に改良。
Claudeさんの奥さまであるNicole Delaunayさんはこのお菓子の販売促進活動を行う
Confrérie Gourmande du nougat de Tours ;コンフレリー・グルマンド・ドゥ・ヌガー・ドゥ・トゥールを1998年に創設。10年間会長を務めてその発展に努めたのでした。
* これについてはこちらをご参照ください

ソワニエ氏もこのコンフレリーのメンバー。
Confrérie du Pithiviersの総会で偶然出会い、お店の訪問につながりました。



トゥールは今までに何度も訪れる機会があり短期間住んでいたこともありますが、美味しいものに溢れた
好きな街の1つです^^


                                     ※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-25 17:34 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

Les Pruneaux de Tours ;プリュノー・ドゥ・トゥール

Pruneaux de Tours ;プリュノー・ドゥ・トゥール」は
Pruneaux farcis à la Tourangelle ; プリュノー・ファルシ・ア・ラ・トゥーランジェル」等とも呼ばれる
コンフィズリーです。
種を抜いたプリュノー(ドライプラム))に、杏(或いは杏とリンゴ)のジャムを詰めてあります。
* パート・ダマンドを詰めたものもある
b0189215_23531885.jpgb0189215_23533833.jpg
↑ これはPoiraultで購入したもの。中にはペクチンを加えたパート・ドフリュイ状のリンゴと杏のジャムが詰められている

材料となっているプリュノーはPruneaux d’Agen ;プリュノー・ダジャンほど有名ではないものの、
この辺りでは古くからプルーンの木が栽培され、プリュノーへ加工されており、パリでもかなり知られた存在でした。

16世紀、フランソワ・ラブレー(1483? - 1553年)も著書「ガルガンチュワとパンタグリュエル」の中で
「プリュノー・ドゥ・トゥール」について記述しています。

ただし、ここで言う「プリュノー・ドゥ・トゥール」はコンフィズリーに加工されたものではなくてドライプラムのこと。
プリュノーへの加工に適した「Sainte Catherine ; サント・カトリーヌ」、
Damas de Tours ;ダマス・ドゥ・トゥール」という2つの品種が有名で、
18・19世紀には広く栽培・加工されてロワール川から船で海外へも輸出されていました。

しかし第一次世界大戦後、生産量は下り坂となり、
現在ではシノン近郊で年間80トン程度のPrunes;プリュヌ(プラム)が生産されるのみで、プリュノーに加工されています。
Huismes ;ユイムの町ではその1/3が生産されおり、かつて加工に使われていた窯が今でも残っています。
b0189215_23485632.jpg
                               ↑ この写真はこのサイトから

 
さて、「Pruneaux farcis ; プリュノー・ファルシ」の方はというと、いつから作られるようになったのか?など
詳細は分からず・・・。
Simone Morand著「Cuisine et Gastronomique du Maine, de la Touraine et de l’Anjou(1977年)」の中で「プリュノーの詰め物にはかつてalberges ;アルベルジュが使われていた」と書かれているのを見つけた程度。
*alberges ;アルベルジュは種と果肉がくっついている杏の品種。杏と桃の中間のような味で、この辺りで大変好まれていた。

ヌガー・ドゥ・トゥールの記述は無かったCurnonskyとAustin de CROZEの共著
Trésor gastronomique de France(1933年)」ですが、こちらの方は
「Pruneaux aux alberges ; Pruneaux fourrés de Tours」としっかり記載されていました。


アルベルジュとプルーン2種サント・カトリーヌとダマス・ドゥ・トゥール。
どんな味なのでしょうね~。生と加工品の食べ比べをしてみたい・・・。



                                         ※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-21 00:10 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

Le Nougat de Tours ; ヌガー・ドゥ・トゥール

Indre-et-Loire県の県庁所在地Tours ; トゥールのスペシャリテ「Nougat de Tours ; ヌガー・ドゥ・トゥール」。
b0189215_22304470.jpg
                     ↑ Le Livre Tournois(Poirault)のヌガー・ドゥ・トゥール

パート・シュクレに小さく角切りにしたフリュイ・コンフィと杏のジャムを敷き、アーモンドプードル・砂糖・卵白で出来た
マカロナードをかぶせ、表面に粉糖を振って焼いたタルトです。
本来はalberges ;アルベルジュと呼ばれる、種と果肉がくっついて外れない種類の杏から作るジャム、
confiture d'albergesを使いますが、オレンジ・マーマレード等も使われています。
* ヌガーというとヌガー・ドゥ・モンテリマールのようなコンフィズリーが思い浮かぶかもしれませんが、
このようなタイプのお菓子もヌガーと呼ばれます。
*Jules Gouffé (1807 – 1877)著「Le Livre de Pâtisserie」の中ではnougats d’abricots ;ヌガー・ダブリコ、
ブリオッシュ生地の上に杏のジャムを重ね、アーモンドスライス等を振りかけて焼いたヌガー等が掲載。
Pierre Lacam (1836 – 1902)著「Le Mémorial historique et géographique de la pâtisserie」では
同じnougats d’abricots ;ヌガー・ダブリコの名前で、ブリオッシュの代わりにパータフォンセを使用。


1998年から、このお菓子の販売促進活動を行っているConfrérie Gourmande du nougat de Tours ;
コンフレリー・グルマンド・ドゥ・ヌガー・ドゥ・トゥールのサイトによれば、
この菓子の最初のルセットは1865年頃に遡り、レストランオーナーシェフCharles BARRIER氏(故人)の蔵書の中にあったモナコ大公シャルル3世(1818-1889)の料理人が書いた本の中に見つけ、お客に勧めるお菓子があまり無かったことから1970年代に作りだしたのだとか。
*このコンフレリーでは年に一度、プロ向けのコンクールを開催。
b0189215_2239485.jpg
                           ↑ こちらは小さな1人前サイズ

パティスリーで販売されるようになったのは1992年で、最初に売りだしたのはPoirault;ポワローというお菓子屋さんだという話もありますが、真偽のほどはいかに?
(この店では「Le Véritable nougat de Tours(本物のヌガー・ドゥ・トゥール)」の名前で販売)
*「第二次大戦前に流行していた」という説もありましたが
美食家CurnonskyとAustin de CROZEの書いた「Trésor gastronomique de France(1933年)」という
フランス各地のスペシャリテについて書かれた本の中にはPruneaux fourrésは載っているもののヌガーは無し。



現在、伊勢丹新宿店で開催中のフランス展(4/18-23)では ルレ・デセールのメンバーでもある
La Chocolatière;ラ・ショコラティエールのヌガー&その他の商品が販売されていますね♪
(こちらは杏ジャムの代わりにオレンジマーマレードを使用です)
 


                                      ※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-19 22:46 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

「Le dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー」と「Rameaux garnis ;ラモー・ガルニ」

エイプリルフールの4月1日、
今年(2012年)はLe dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー(枝の主日)でもありました。
*正式にはdimanche des Rameaux et de la Passion(枝と受難の主日)。
1965年第二バチカン公会議の改革により、復活祭の2週間前の日曜日に祝われていた「受難の主日」が
復活祭一週間前の「枝の主日」と同じ日に祝われるようになった。


「枝の主日」はキリスト教の移動祝祭日で、「Carême ;カレーム(四旬節)」最後の日曜日(つまり復活祭の1週間前)、キリストのエルサレム入城を記念する日です。

旧約聖書の「ゼカリア書」に予言された救い主の姿そのままにロバに乗ったキリストがエルサレムに入ると
人々は「キリストが、国を復興させる王としてエルサレムへ来られた」と思い、着ていたマントを道に敷いて
棕櫚の枝を手に持ち「ダビデの子にホザンナ」と叫んで迎えました。
* 当時、枝は凱旋者を迎える印だった。
* Hosanna ;ホザンナとはヘブライ語の喜びと勝利の叫び声。
(ヘブライ語の ho si a naは「どうぞ救ってください」の意味がある)


この日、祝福された枝(フランスでは主にツゲの枝、地方によってはオリーブ、ローリエ、棕櫚等も使用される)をミサから持ち帰り、災いを防ぐために家のあちこち、納屋や家畜小屋の入口、両親の写真立て、
寝室にある十字架等に飾ります。
*翌年の灰の水曜日前に教会へ持ち寄って灰にし、灰の儀式(司祭が信者の額に灰で十字の印をつける)に使用される。


リムーザン地方ではこの日、歩き始めたばかりの小さな子供にRameaux garnis ;ラモー・ガルニと呼ばれる
ピンクや白のメレンゲやお菓子を飾ったツゲの枝を持たせてミサへ行く習慣があります。
こちら↓の2つのニュースで取り上げられています。ラモー・ガルニがどんなものか興味のある方はご覧ください。
*La traditionnelle meringue du dimanche des rameaux
*La gourmande tradition des Rameaux à Limoges


2006年5月にMassepains ;マスパンというお菓子の取材で
Saint-Léonard de Noblat ;サン・レオナール・ドゥ・ノブラを訪ねた際、Pâtisserie Caronで
この「meringue du dimanche des rameaux ; ムラング・デュ・ディマンシュ・デ・ラモー」の売れ残りを発見!
十字架やハート形、リング形等に絞り出した淡色のメレンゲに、枝へ取り付けるための針金が付いています。
b0189215_13534279.jpg



詳しい起源や意味は分かりませんでしたが
「子供たちはミサの間おとなしくしていたご褒美にこれを食べられる」のだと教えて貰いました。
* ツゲに飾られたお菓子はCarême;カレーム(四旬節)、節制や節約の終わりを知らせるものだった。

いつか実物のRameaux garnis ;ラモー・ガルニも見に行きたい♪



※※※



にほんブログ村 スイーツブログへ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-04 15:10 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)

「Poisson d’Avril;ポワソン・ダブリル」とそのお菓子、そして魚形フェーヴ

4月1日はエイプリル・フール、フランスではPoisson d’Avril;ポワソン・ダブリル(四月の魚)と呼ばれます。
ちょっとした嘘をついたり、 いたずらをしてもいい日があるなんてちょっと不思議。

この習慣の起源ははっきりしておらず、多くの説があっていずれも仮説の域を出ないものばかりですが、
中で最も多く挙げられる説は
1564年フランス国王 シャルル9世がEdit de Roussillon(ルシヨンの勅令)で、
復活祭の日だった元旦を1月1日に改めたことがきっかけだった

と言うもの。

古代ローマで使われていたローマ暦も、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)によって制定された
ユリウス暦も、1年の始まりは1月1日でしたが、実際に各地で採用されていた日とは異なっていたようです。
この当時もフランスでは復活祭の日を新年初日としていました(ただし地方によって異なる)。

改めて元日となった1565年1月1日、皆はいつも新年を祝うようにお年玉やプレゼントを 贈り合います。
しかし「この変更を受け入れられないものや、知らせが行き渡らず変わったことを知らない人たちによって、
今までの習慣から4月1日に新年を祝う習慣が続けられ、そのように現実を受け入れない人たちに
実用的ではないものや嘘のプレゼントを贈ってからかうようになった
」ということで 、
次第にこの日にいたずらや悪ふざけをする習慣が出来たというのです。

シャルル9世が1564年に元日を1月1日に定めた後、ヨーロッパではユリウス暦にかわって現在用いられているグレゴリオ暦が用いられるようになり、フランスでは1582年に採用されています。
こんなにこよみが変わったのでは国民が混乱して反発したくなる気持ちも分かるような・・・。


とは言え、「Poisson;ポワソン(魚)」の方はいったいどこから来たのでしょう?
これに関してもはっきりしておらず、次のような様々な説があるようです。

- 黄道十二宮において、この時期に太陽が冬のサインである双魚宮から出るからという説。
- 四旬節の期間肉、卵、乳製品の摂取が禁じられ、魚を食べていたからという説。
- 4月になって暖かくなると魚(鯖)がたやすく簡単に釣られてしまう事から、4月1日に騙される人のことを
「四月の魚」とする説。
- この時期、魚の繁殖期で釣りが禁止されていたからという説。

この最後の説は11世紀末、グルノーブルの司教 Hugues ;ユーグが魚の産卵期に稚魚を保護する為
4月1日から6月30日まで釣りを禁止し、違反者は罰として、続く3回の日曜日に体の前と後ろに魚の絵をかけ、さらし者にされたことに由来します。
* グルノーブルの司教 Hugues ;ユーグ
グランド・シャルトリューズ修道院創設者の1人で、後に聖別され、聖ユーグとなる


これは「魚の絵を背中にくっつけるいたずら」を髣髴とされるお話で、4月1日が「聖ユーグの日」となっているところからもそのつながりを感じさせますね。


また「魚は多産・繁栄の印、またキリストの象徴でもあり、卵や鶏、羊やウサギと共に復活祭のお菓子に欠かせないモチーフの1つでした。
「アルザスでは魚の形に焼いた菓子を 復活祭の時と新年に贈り合う習慣があった」と言います。
b0189215_22181173.jpg
↑ スフレンナイムで買った陶器型


何故「新年と復活祭の時に贈り合うのか?」ということについては少し気になりますが
元々新年のお菓子で、1月1日が元旦とされる前にはそれまで新年初日だった復活祭に作られ、贈り合っていたのかも?と想像すると、ちょっと納得できそうな気もします(実際のところは不明)。


では、この他にポワソン・ダプリルのお菓子にはどの様なものがあるのでしょう。
この時期はPâques;パック(復活祭)のシーズンで元々チョコレート細工の卵やウサギ、そして魚も作られていますので、魚形のチョコがそのお菓子と言えるかもしれません。
b0189215_222724.jpg
↑ オルレアンのショコラトリーに飾ってあった大きなチョコレート製の魚


しかし、一昔前は魚の形に焼いたパイ菓子がよく作られていました。

これは「わんだふるはうす」さんのサイトでも紹介されていて
魚の形のパイは『タルト・ポワッソン』とか『ポワッソン・フィユテ』と呼ばれています。1976年に来日したMOFパティシエ クロード・ボンテ氏が全国各地で講習会を行なって、日本に広まったお菓子
なのだそう。
* 同じサイトのこちらでは特注されたポワソン・ダブリルのお菓子がまとめら見られます。

子供の頃に買った今田美奈子さんの本「お菓子の手作り事典(1978年)」でも、ガレット・デ・ロワと一緒に
苺のポワソン・ダブリルが紹介されていましたが同じ頃ですね。


フェーヴについての本を出版しているHuguette Botellaさんから以前お聞きした話では、
彼女の幼少時代、4月1日のポワソン・ダブリルには魚形フェーヴが入った魚形のパイ菓子が販売されていたと言います。
* 厳密にはエピファニーのお菓子に入っているもの以外は「フェーヴ」と呼びません

このようにお菓子で王様を引き当てる遊びは、 なにもエピファニーに限ったことではなく様々な行事や
知り合いが集まった時など、 食事の際に行われるものでもありました。
フェーヴ製造者が新しい用途を開拓する為に作ったのか、或いはお菓子屋さんのアイディアに応えて作られたものかは定かではありませんが、エピファニー以外にもこれを使用したお菓子の販売が試みられた時期がありポワソン・ダブリルの魚フェーヴもその中の1つでした。
b0189215_2244566.jpg
↑ 現在でも販売されているスローガン入りの魚形フェーヴ


もうこれの入ったお菓子を作っているお店はなさそうと思っていたら、Charleville-Mézières;シャルルヴィル・メジエールにある知り合いのパン屋さんから「作っている(た)よ」と聞いてビックリ!(今は需要が無いので作ることもないようです)
彼の作っていたのはガレット・デ・ロワと同様のものを魚の形に成型したもので、Botellaさんが知っているのと同じでした。
* 因みにエピファニー以外に今でもフェーヴ状のものが使われているお菓子はPentecôte;パントコート(聖霊降臨祭)の「Colombier;コロンビエ」があります。


また、フランスでは20世紀初頭、行事毎に綺麗なポストカードを贈るのが流行り、
ポワソン・ダプリル用のカードも多く作られました。
b0189215_22352723.jpg


4月1日は愛と友情の記念日でもあり、魚が声を出さないことから、魚の絵のある匿名のカードを送ることは燃える思いを愛する人に告白する方法だったのだとか…。





※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ

[PR]
by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-01 22:51 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)