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Pentecôteのお菓子「Le Colombier 」その3

現在、マルセイユのスペシャリテとして販売されている「Le Colombier ;コロンビエ 」。
以前は各地で見られましたが、その多くは廃れてしまいました。

ブルゴーニュ地方のDijon ;ディジョンもその1つ。
ここには
Princesse Yolande (ヨランド王女)の婚姻の日、宮殿の塔から幸せの前兆である1羽の白鳩が飛び立った
という伝説があり、これがPentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Colombier ;コロンビエ」に結び付けられ
「コロンブが入っていた者は1年以内に結婚する」と言う話と共に販売されていました。

このお菓子を売っているお店を知らないか、ディジョンのMOFショコラティエ Fabirce Gillotte ;ジロットさんに尋ねてみたところ、このお菓子のことは知っているがさすがに売っているところまでは分からず
調べても売っているお店は見つからなかったとのお返事でした。


フランスではあまり見られなくなったお菓子ですが、日本ではオー・ボン・ヴュー・タン↓ コレ)他で買うことが出来ます。
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またワンダフルハウスさんのサイト(ココ)ではパティシエ・シマさんに特注したという貴重なコロンビエを
見ることが出来ます。

これは島田シェフが1971年フランスで修業をしたお店「ブッタ」で覚えたという
丸く焼いたパン・ド・ジェンヌにフォンダン(糖衣)をかけ、白い鳩とピンクのアーモンドダイスを飾った」コロンビエを再現、或いはお手本にしたもののようです。
この時代にはまだコロンビエを作るお店があったのですね。


2006年にはイルドフランスのSainte-Geneviève des Boisと言う町にあるパン屋さんが
聖霊降臨祭のコロンビエを再び作り始めた」という記事を見つけたのですが、果たして今でもあるでしょうか・・・。


今日(2012/05/27)はPentecôte ;パントコート(聖霊降臨祭)当日。このお菓子を食べた人はいるかなぁ^^


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-27 10:28 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)

Pentecôteのお菓子 「Le Colombier 」 その2

前回のブログでPentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Le Colombier ;コロンビエ」の別名として
Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」や
Gâteau Porte-bonheur ;ガトー・ポルト・ボヌール」があることをお話ししました。
Arbois ;アルボワにある1900年創業の老舗パティスリーHirsinger ;イルサンジェでは
Le Porte-Bonheur ;ポルト・ボヌール」と言う名前で販売されています。


このお菓子の存在を知ったのは偶然から…。
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2003年6月ショコラの取材でお店へ伺った際、何気なく写した写真(↑ コレ)の中にこのお菓子はありました。
しかもそれに気付いたのはだいぶ後になってからのこと。
以前の写真を見直している時に、お菓子の上に飾られたリボン状の紙に

Je cache en ma pâte exquise une Colombe  美味しい生地の中にコロンブを1つ隠しています
Celui à qui elle échouera            それを見つけた者は
Dans l’année se mariera            1年以内に結婚するか
Ou bonheur lui surviendra           幸せが訪れるでしょう

と書かれていたのです。
とっても気になったので、メゾン・イルサンジェの4代目 Edouard;エドワールに尋ねたところ、
聖霊降臨祭のお菓子コロンビエと同じもの」だと教えてくれたのでした。
この時期限定販売のお菓子だっただけに、買わなかったことを激しく後悔したのは言うまでもありません。


その後、聖霊降臨祭の時期にアルボワへ行く機会は無く…。
2008年11月、ようやくお店を訪れる機会があり、どうしても食べたくて季節外れではありましたがわがままを言って作って頂きました。

作り方はこんな感じ…。
メレンゲにTPT(アーモンドパウダー+粉砂糖)と溶かしバターを加えて作った生地をセルクルに入れて焼く。
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型を外して冷めたら側面に切り込みを入れてプラスチックのコロンブを差し込む。
全体にナパージュをかけ、側面にグリエしたアーモンドダイスをまぶす。
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紙をのせ、バタークリームで「Porte-Bonheur」と書きいれる。


この紙を更によく見ると左右にメダルが印刷されており、パリのパレ・ロワイヤルで行われたエキスポで
1902年と1903年にこのお菓子でメダルを獲得していることが分かります。
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マルセイユのコロンビエは「1906年のコンクールで考案された」と言うことでしたが
それよりも早い時期にこのお菓子は作られていたのですね。

エドワールのお父さんで3代目のClaude ;クロードにこのお菓子のことを聞いてみると
このお菓子は20世紀初頭に行われたコンクールで考案されたもので、Pentecôte ;パントコートの他に
Fête des Mères(母の日)にも作られることがあった
」とのことでした。

そして、なぜイルサンジェでは「Porte-Bonheur ;ポルト・ボヌール」という名前で販売されているのか?
というと「コロンビエの名前は組合に入っているお店だけしか使えなかったから」と言うことも分かりました。
「Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」の別名もありますが、恐らく組合に入っていないお店が
コロンビエ以外の名前」と言うことで命名したものなのでしょう。


モダンで新しいお菓子やショコラを作りつつ、100年以上前のお菓子を今でも丁寧に作り続けているイルサンジェ。
とても貴重なお店です!


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-26 11:34 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(4)

Pentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Le Colombier ;コロンビエ」

Pentecôte ;パントコート(聖霊降臨祭)はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日。
復活祭から数えて(復活祭当日を含む)50日目にあたり、今年(2012年)は5月27日がその日です。

復活したキリストが弟子たちに「近いうちに聖霊が降りる」ことを告げて天に昇り(キリスト昇天)
それから10日後、ユダヤ教の祭事暦で言う五旬節の日に集まっていた弟子たちのところに大音響と突風の
うちに約束の聖霊が炎のような「舌」の形で降りてきたといいます。
* 元々は春に得られる最初の収穫に感謝する農業祭であったものが、後になってキリスト教徒によって
聖霊降臨の出来事に結び付けられ、収穫感謝の意味はなくなる。

* 美術表現では使徒たちの上に聖霊の「白鳩」が下降すると共に頭上には「炎のような舌」が描かれる。
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↑ フィレンツェ ラウレンツィアーナ図書館 「ラブラ福音書」Evangéliaire de Rabula, vers 586 
こちらから借用


さてPentecôte ;パントコート(聖霊降臨祭)のお菓子「Le Colombier ;コロンビエ」のお話・・・。

実際にいつ頃から作られるようになったのかは不明ですが、このようなお菓子はかつてフランス各地で作られていました。
近代製菓概論と邦訳される「Traité de la Pâtisserie Moderne(Darenne et Duval) 」ではCharabot氏のルセットとして「アーモンドパウダー、砂糖、オレンジピール&ゼスト小麦粉、バター、卵白で作った生地を楕円形の型で焼き、表面をアプリコテし、フォンダンをかけ、砕いたピンクのプラリーヌをまぶしたもの」が紹介されています。
マルセイユのコロンビエにはこれにキルシュに漬けたムロン(メロン)コンフィが入っています。

19世紀末「Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」や「Gâteau Porte-bonheur ;ガトー・ポルト・ボヌール」という名前のお菓子が見られ、ガレット・デ・ロワのフェーヴ同様、Colombe ;コロンブが中に入っていました。
ガレット・デ・ロワのフェーヴ同様、中に小さな白鳩(Colombe ;コロンブ)を入れてくじ引きをするお菓子で
Qui la Colombe aura dans l’année se marira ;コロンブの入っていた者は一年以内に結婚する
と言われています。

Colombier ;コロンビエ」というのはフランス語で「鳩小屋」を意味し、「Colombe ;コロンブ」は
白い鳩」のこと。
平和の象徴、三位一体の「聖霊の象徴」でもあり、聖霊降臨等で主要なモチーフとなっています。

現在コロンビエはマルセイユのスペシャリテとして、聖霊降臨祭の前後一週間程の期間限定で買うことが出来ます。
そしてこの菓子の起源は、この町の創設者とされる「Gyptis ;ジプティスとProtis ;プロティス」の伝説にちなんだもの。

紀元前600年頃
この地にギリシャのフォカイア人船団が上陸し、ここを治めていたリグリア人部族セゴブリージュの首長ナンシスの元を訪問する。折しもこの日は首長の娘ジプティスの婿選びを行う日。慣例によって祝宴の際に彼女は自らの意思で将来の夫を選ぶことになっていたのであるが、彼女は訪問してきた初対面のフォカイア人プロティスを将来の夫に選び、この2人を中心にマルセイユの町の基礎が築かれた
というものです。

この伝説を元に、
この「祝宴の際にコロンブ入りのお菓子を切り分け、多くの求婚者の中からコロンブが当たったプロティスがジプティスの夫となった」というお話が創作され、パティシエたちがマルセイユのスペシャリテとして販売されるようになりました。

マルセイユの「Colombier ; コロンビエ」は1906年に行われたコンクールの際、マルセイユのパティシエによって考案されたものだといいます。

しかし、なぜこのような運試しを聖霊降臨祭の日に行うのでしょう?
コロンブがキリスト教では聖霊の象徴とされているので、聖霊降臨祭の日に食べるお菓子ということはしっくりきますが、なぜこれが「一年以内に結婚する人」を引き当てるお菓子とつながったのか? がちょっと謎に感じます。

さて、コロンビエの中に入っている陶器或いはプラスチック製のフィギュア、
これは本来フェーヴではなくコロンブといわれるべきものです。
* 厳密に言えばガレット・デ・ロワに入っている(入れられた)ものだけをフェーヴと呼ぶことが出来る
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↑ 左は大小のプラスチック製コロンブ、右3つは陶器製。

マルセイユのあるパン・菓子職人の組合Maison des Patissiersでは1997年に「LE COLOMBIER」を
商標登録しており、Marque déposéeの文字が入ったコロンブも作られています。
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↑ コロンビエ用に作られたコロンブ。組合で製造したもの。
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↑ 文字がつぶれて分かりにくいがMarque déposéeと書いてあるのが分かる


マルセイユのパティシエClaude Leonard氏はこのお菓子を買う時は「職人の手によって制作されたことを証明する紙のテープが巻いてあることをしっかり確認して買うこと」を勧めています。
恐らく組合に加入しているお店だけがこの紙のテープとコロンブを使用することが出来るのでしょう。


◎この動画(2008)ではマルセイユの人々でもこのお菓子の存在をあまり知らないことがわかります。

◎この動画(2009)に映っているお菓子に巻いてある紙がそれ。
お菓子の上にはフェーヴも乗せてあります。

◎この動画(2010)では制作風景を見ることが出来ます。
ここのお菓子にも同じ紙が巻いてあり、同じコロンブが使われています。



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-24 19:07 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(4)

「Massepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン」

以前にも書きましたが、Massepain ;マスパンという名前の付いたお菓子は、次の3タイプに分けることが出来ます。
・アーモンド+フルーツの「カリソン」タイプ
・アーモンドベースの素朴な「マカロン」タイプ
・ビスキュイタイプ(アーモンドは入っていない)



この町のマスパンはカリソンタイプ。

この菓子の生まれたIssoudun;イスーダンは、フランス中部に位置するCentre地域圏、Indre;アンドル県にある町。
スぺインのサンチャゴデコンポステラへ向かう巡礼路上にあり、
19世紀末からはBasilique Notre-Dame du Sacré-Coeur(ノートルダム・デュ・サクレクール寺院)の聖母マリアへの巡礼も行われています。

他のマスパンやマカロン同様これもまた地元の聖ウルスラ会修道女によって作られたもので、
フランス革命後の1790年、彼女たちはrue Porte Neuve (現在のrue Danièle-Casanova)に店を出し
販売を始めました。
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                   ↑ rue Porte Neuveを撮影したポストカード。ココから借用


このパティスリーの最後の所有者はDujardinという人物。
ルセットは秘密にされたまま1960年まで作り続けられ、Jacques Guyard ;ジャック・ギヤール氏が再び製造し始める
までの30年間廃れた状態だったと言います。
* 元はBourgesのベネディクト会修道女たちの作っていたルセットが聖ウルスラ会修道女へ伝えられたと言う説もある。サン・ローラン・ベネディクト会修道女たちはブルジュのマルシェで自分たちの作ったお菓子を販売しており、使われた型や道具が残っている。

この菓子はフランス中に知られるほど有名で、ロシア宮廷やバチカンへも送られていました。
* ナポレオン(1769-1821)やローマ教皇ピオ9世(1792-1878)も好物だったとか。


作家Honoré de Balzac ; オノレ・ド・バルザック(1799-1850年) は、その名声に一役買った一人。
バルザックは1823年から1830年の間Issoudun ;イスーダンをしばしば訪れ
友人のZulma Carraudの家に滞在しています。
この時Auberge de la Mère Cognet ;オーベルジュ・ドゥ・ラ・メール・コニエへも赴いて
コーヒーと共にこのマスパンを好んで食べていました。
彼の小説「La Rabouilleuse ;ラ・ラブイユーズ(1842)」の舞台はイスーダン。
バルザックはこの中でMassepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン
フランスのコンフィズリーで最も偉大な発明の1つである
と紹介し、このオーベルジュについても詳しく描写されています。
* 大きなお屋敷の元馬丁だったCognet氏と、元ブルジョワ家庭の料理女だった賢くて料理上手の妻が切り盛りする
このオーベルジュは非常に人気があった。現在でもRestaurant La Cognette ;ラ・コニェットの名前で存在している。


バルザックのラ・ラブイユーズが後押しとなり、出版から2年後の1844年3月には
ある菓子屋によってパリの39 bis rue Vivienneにマスパン・ディッスーダンを販売する店が開店したほどの
大人気となっています。


私がIssoudun ;イスーダンを訪れたのは2004年6月のこと。
Jacques Guyard ;ジャック・ギヤール氏によって1989年に創立された
マスパン・ディッスーダンの製造販売会社Benuxの工房を見学させて頂きました。
* 残念ながらこの工房は現在無くなってしまったようです。
この記事を書く前に問い合わせた返事が今日(6/26)届きました。現在でも少量ながら製造を続けているそうです。webはこちら

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                                 ↑ 工房の一部

購入したマスパンの箱には原材料として
アーモンド、砂糖、レモン、セドラ、卵白、転化糖、オレンジ花水」と書かれています。
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                             ↑ 購入したマスパンのパッケージ

ジョルジュ・サンドのひ孫の妻、Christiane Sandが出版した「A la table de George Sand(1993)」
には、Lisa Sand(ジョルジュ・サンドの息子の妻)が書き遺したMassepain d’Issoudun;マスパン・ディッスーダン
のルセット(Ulric Richard Desaix (1838-1924)のルセット)が掲載されています。

材料は「アーモンド、砂糖、ライムのゼスト、セドラコンフィ、卵白」。
焼いた生地の表面に、バニラ或いはオレンジ花水で香り付けしたグラスロワイヤルを薄く上掛けします。

ギヤール氏がどこからルセットを手に入れたのかは分かりませんが、このルセットからみても
当時からのルセットとほぼ同じものなのだろうと想像できます。

Benuxが無くなってしまったので、現在マスパンの販売はどうなっているのか観光局に問い合わせてみたところ
マスパンはラ・コニェットで販売されています」とのお返事を頂きました。
Benuxとラ・コニェットのマスパンが同じものなのかは不明ですが、取りあえずは販売されていることが分かって
ちょっぴりホッとしました^^
* こちらの映像ではラ・コニェットのシェフ、ジャン・ジャック・ドミー氏がデザートとして柔らかくアレンジした
マスパンの作り方を見ることが出来る。




                                   ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-18 21:42 | ⑦Centre | Trackback | Comments(4)

L’Ascension(キリスト昇天祭)のお菓子 「Corniottes ;コルニオット」

Ascension ;アサンシヨン(キリスト昇天祭)はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日。
復活したキリストが40日間弟子たちのもとに現れた後、天に挙げられたことを祝うもので、
Pâques ;パック(復活祭)の40日後(復活祭の当日を含める)の木曜日にあたり
2012年は5月17日がその日です。
*フランス等では祝日なので旅行時には注意が必要!

パック(復活祭)の時とは異なり、Ascension(キリスト昇天祭)の日に食べるお菓子というのはあまりなく
思い浮かぶのは「Corniottes ;コルニオット(↓ コレ)くらいでしょうか。
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これはブルゴーニュ地方のLouhans ;ルーアン(Saône-et-Loire県)を中心とした周辺地域で作られるお菓子。
一般的には「丸く抜いたPâte brisée(ブリゼ生地)の真ん中にシュー生地を丸く絞り、縁を三か所折って
成形しオーブンで焼いた
」ものですが、フロマージュブランとグリュイエールチーズで作る塩味バージョンもあります。
* かつてはシュー生地の代わりにフルーツを入れて焼き、クレームシャンティーを添えたもの等のバリエーションや大きいサイズのもの等々も作られていた。

三角形の形が「三位一体」を象徴しているということで復活祭、キリスト昇天祭、聖霊降臨祭等の
キリスト教の祝祭日に食べられるお菓子とされています。

Les Corniottes de L’Ascension (キリスト昇天祭のコルニオット)という名前もあるように
特にキリスト昇天祭の際に多く食べられます。
第一次世界大戦前まで、この日はFête des corniottes(コルニオット祭)が行われて
パン屋さんでも家庭でも沢山のコルニオットが作られ、食べられていました。
*今では一年中作らるお菓子だが、この日は普段よりも沢山販売される。

言い伝えでは
この町にあるHôtel-Dieu ;オテル・デューで病人を看護していたordre de Sainte-Marthe(聖マルタ会)の修道女たちが病院運営のための資金を得るためにこれを考案し、Ascension ;アサンシヨンのミサの後
教会の出口で販売していた

のだそうな・・・。
*オスピス・ド・ボーヌのような、周りを囲った寝台の置かれた男女別になった2つの大きな病室と礼拝堂、15-16世紀のイスパノ・モレスク陶器の素晴らしいコレクションを展示する薬剤室からなり、必見に値する。

名前は看護をする修道女が被るCornette ;コルネットと呼ばれる被り物に由来すると言う説もありますが
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↑ この画像はココから借用

現代に見られるコルニオットの形はどちらかと言うとTricorne ;トリコルヌと呼ばれる、18世紀頃まで被られていた三角帽の方が似ているような…。
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↑ これはココから借用

残念ながら、実際のところは不明です。
*三角帽の画像を探していたらココに色々あるのを発見♪この時代に流行っていた。


ルーアンにあった農業・園芸協会の月刊誌「La Bresse Louhanaise1896年1月版では
中世から1789年(フランス革命の年)までの宗教上の祝祭に関するこの地域の慣習について書かれており
その中には
il y avait les corniottes de l'Ascension,corniottes au fromage ou à la bouillie,aux bords relevés formant trois cornes,d'où le nom du gâteau,qui se mangeait ce jour-là par milliers dans des goûters champêtres ・・・
キリスト昇天祭のコルニオット(チーズ或いはブイイ;粥をガルニにしたもの)があった。
菓子の名前は、縁を折って形作られた三角の形に由来する。この日、ピクニックで沢山食べられていた

と言う記述があります。
ここから名前はやはり形に由来していて、非常に古くからこの日に食べられていたことが分かりますね。


Bresse Bourguignon ;ブレス・ブールギニヨンと呼ばれる地域の中心地であるLouhans ;ルーアン
小さな町ながらも13世紀にはその地理的条件の良さから、シャンパーニュ地方とジュラ地方の産物が集まる
商業的役割を果たしていました。
* カタカナにするとジャンヌ・ダルクが火刑にされたノルマンディー地方の町Rouen ;ルーアンと同じになりますが全く別の町。

町の中心にあるGrande Rue (大通り)の両脇にはアーチが157もあるアーケードが連なり
その長さは400m以上あってフランス一の長さを誇り
そのうち一番古い建物は15世紀に遡り、その歴史を感じさせます。
b0189215_1648166.jpgb0189215_16532266.jpg← アーケード外側と内側

現在でも毎週月曜日にはその歴史と規模の大きさで非常に有名なマルシェが行われ
地元産のVolaille de Bresse(ブレスの鶏)も勿論見られます。
このマルシェに関する足跡は1269年に遡り、最初のアーケード建設はこの頃には既に始まっていました。



さてこの町を訪れたのはだいぶ前、2003年5月のこと・・・。

旅の途中でストライキが始まってしまい、取材を申し込んでいたお店へ行く為にディジョンからタクシーでかかった費用は凡そ100ユーロ(涙) !!!

約束していたPâtisserie aux FiançaillesのBouvier氏は「来れないかも?」と思いながらも
地元新聞社の記者さんと共に到着を待っていてくだったのでした。
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↑ 右がBouvier氏 左が記者さん

ここではコルニオットと共に これまたこの辺りのスペシャリテである 焼き立ての「le Cion ; ル シオン」と呼ばれるチーズタルトを試食させて頂きました。
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↑ 試食させて頂いたコルニオット

* le Cion ; ル シオンについてはまたこんど。こちらに写真だけup ♪


次回はキリスト昇天祭の頃に、出来ればゆっくりと滞在したいものです^^。




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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-15 17:11 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(4)

ニームのお菓子「 Le Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」

Croquant ; クロカン」は、「Croquet ;クロケ」, 「croquettes ;クロケット」等と共に、
ナッツ入りの固いビスキュイのことで、古くからフランス各地で様々なタイプのものが作られていました。
* 名前は動詞croquer;クロケ(カリカリかじる)に由来し、croquantの名はcroquerの形容詞と同じ。
biscuit croquant;ビスキュイ・クロカンというと、「カリカリしたビスキュイ」の意味になる。

b0189215_0452693.jpg最近では「Croquant ; クロカン」の名称が良く見かけられますが、
古い本で探すと、かつては「Croquet ;クロケ」という名前の方が多く見られたことが分かります。。
分かっているもので一番古いと思われるのは1642年の文献で
Croquet ;クロケ」でした。
粉、卵、アーモンドを使い、バニラかオレンジ花水で香りを付けたものだった
ということで現在のものと大差ないものだったことが分かります。

フランス各地のスペシャリテについて書かれた「Trésor gastronomique de France(1933年)
Curnonsky /Austin de Croze共著の中で、croquettes,croquets,croquantsの名前のついたスペシャリテは全部で20個。
そのうちcroquantsは「Croquants de Nîmes ;クロカン・ド・ニーム」の1つのみ。
これは「Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」のことです。
 
↓ コチラがクロカン・ヴィラレ
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Nîmes ;ニームのrue de la Madeleine(マドレーヌ通)に、同じGard県Lédignanから来たブーランジェClaude Villaret ;クロード・ヴィラレがパン屋を出したのが、今でも続くこの店の始まり。
* かつてrue de la Madeleineの1部はrue des Barquettesと呼ばれパン屋が多く集まっていた。
それは近くに粉を引く水車が多くあり、小麦粉が効率よく供給されていた為。


Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」はクロードの息子、Jules Villaret ;ジュール・ヴィラレ
よって1775年に考案されました。
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                            ↑ 現役で使われている古い窯
* フォトグラファーのMichel Pradelにより1973年に撮影された写真では古い窯の様子が良く分かります。
ここのページの上から5枚目がその写真です。



その経緯はこんなものだったと言います。
この頃、政府による通貨変更により1個6liards(=1sou et demi ;1スー半)だったPain au lait ;パン・オ・レをお客が2スーで支払った場合1/2スー硬貨が存在しなかった為、お釣りに困っていた。
そこでクロカンを作って、お釣り代わりこれをお客に渡した

* Liardはフランスの古い硬貨で、1lirad=4sous。最後に鋳造されたのは1792年。1856年まで流通していた。
フランス革命以前の貨幣制度では 1 Livre ; リーブル=20 Sous ;スー(Sol ;ソル)=80Liards ; リアル=240Denier ; ドゥニエ。

お釣りがお菓子だなんて、お客は皆納得していたのかちょっと気になりますが
よほど美味しかったのか、もしかしたら(良くある)単なる「お話」なのかもしれませんね。
それにしてもこのような問題は他のお店でもあったはずですが、どうしていたのでしょう?

三代目はクロードの孫で「Croquanet ;クロカネ」と呼ばれたPaul Villaret ;ポール・ヴィラレ
後を継ぎ、Coque;コックと呼ばれるブリオッシュやFougasette;フガセット、1つ前のブログで取り上げた
Minerve;ミネルヴ等も製造するようになり、商品が充実されました。

しかしその後1969年、店を地元企業のSociété Raymond-Geoffroyに売却されます。
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↑ お店に飾ってあるポールさんの絵

* このポールさんが店を売却したとする記述もありますが、この企業のサイトには「1969年にクロカンヴィラレの秘密を手にする」というような内容の文章があり、ポールさんが亡くなったのは彼の肖像画に書かれているように1936年なので、辻褄が合いません。ヴィラレ家による店の経営は何代続いたのかは分からず。

さらに1987年にはRecolin Breydeが店を引き継ぎ、
2007年からは彼の孫Rémy Braydeが家族と共に店を切り盛りしています。


材料は「小麦粉、砂糖、アーモンド、レモン、オレンジ花水」で分量や作り方は秘密。非常に硬いのが特徴。
彼が店を継いだ当初は「クロカンが柔らかすぎる」と言いに来る常連客もいたのだとか…^^



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-07 11:21 | ⑬Languedoc-Roussillo | Trackback | Comments(2)