バスチーユ広場辺りを古地図散歩してみる…

フランスの行事菓子・地方菓子(古典菓子も)が好きなのでパリよりも田舎の方が断然好き。
だけど都合でパリにしか滞在できなかった前回の旅行では、パリだからこそ楽しめる
古地図散歩を満喫しました♪
b0189215_00012752.jpg
革命記念日が終わったタイミングなので、今回はPlace de la Bastille(バスチーユ広場)を
縦軸で古地図散歩…。
(お菓子に直接関係はないけれど、フランス革命自体は当然(間接的に)関係あるので番外編^^)


まずは牢獄ではなく、まだ要塞だった頃の絵入り地図から。
b0189215_17492018.png
↑ Plan de Paris au seizième siècle Pour suivre les entrées de Henri II et de Charles IX
16世紀の地図(上が東)バスチーユから下へ伸びる大きな道がrue St Antoine(サンタントワーヌ通)

バスチーユ要塞は、国王シャルル5世( 1338 ~ 1380 / 在位 ; 1364~1380)の治世下、パリの街や王を守る目的でパリ東部の城壁に設置されたPorte St Antoine(サンタントワーヌ門)の脇に1370年から13年の歳月をかけて作られた。
当初丸い塔は角に4つあるだけだったが、後に加えられて8つに。建物の周りには堀がめぐらされ、セーヌ川から水が引かれていた(現在のBassin de l'Arsenal)。

ルイ11世の治世下、バスチーユは牢獄として使われ始める。


次の地図は革命前年のものを…。
b0189215_19202604.png
↑ Plan de la ville de Paris(Mondhare, Louis-Joseph (1734-1799)/1788

丸い塔が8つに増やされて以降、ほとんど変わっていないと思われるバスチーユ牢獄。
(城壁のあったところは並木のある大通りになっている)


そしてフランス革命後…
b0189215_20031774.png
↑ Nouveau plan routier de la ville et fauxbourgs de Paris divisé en 48 sections/1793

バスチーユ牢獄の建物は革命後解体(解体期間;1789~1791)され、この1793年の地図では建物があった所には「La Bastille détruite(解体されたバスチーユ)」の文字が入っている。


その後この場所には…
b0189215_20221310.png
↑ Plan de la ville de Paris, divisé en 12 arrondissements et 48 quartiers/ L. Vivien(1830)
バスチーユ広場の真ん中に「Fontaine de l'Eléphant(象の噴水)」の文字。

こんなものが…?
b0189215_20351873.jpg
↑ Projet d'Éléphant pour la Bastille/Jean-Antoine Alavoine(public domain)

<L'Éléphant de la Bastille;バスチーユの象>
ナポレオン1世の発案で、フランス革命後の記念碑として高さ24mの巨大な青銅製の象を作る計画が立てられ、まず原寸大の石膏製の象の模型が作られた(1814年)。
が、翌年ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れ、その後の計画は中止に。
模型の象は場所を移され、1846年には丸い台座のみを残して撤去された。


そして…
b0189215_23331169.png
↑ Plan itinéaire et administratif de la ville de Paris/Aristide-Michel Perrot(1840)
びっくりする程大きく描かれたColonne de Juillet!

<Colonne de Juillet(7月革命の記念柱)>
Trois Glorieuses(栄光の3日間)=フランス7月革命(1830年7月27~29日の3日間に起こった市民革命)を
記念し、象の台座の上に作られた高さ50,52mの円柱(建設期間;1835~1840)。

この地図ではかなり大きく強調された図入りで紹介されていました^^


記念柱の完成以降、バスチーユ広場はあまり変わっていないみたいようす。
バスチーユの建物は消えてしまいましたが、地図上でだけでなく、実際にその場へ行くと思わぬところで土台の一部を見つけたりして、昔にタイムスリップした気分に…。
Square Henri Galliやメトロのバスチーユ駅内にもvestiges(遺構)が見られますね。



※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ





おまけ
[PR]
# by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-16 10:51 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(3)

「Navette de Saint-Victor ;ナヴェット・ドゥ・サン・ヴィクトール」

Navette ;ナヴェット」とはプロヴァンス地方でおおく見られる、オレンジフラワーウオーターで香りを付けた小舟形の焼き菓子のこと。 店によって大小様々なものが販売されています。

もっとも有名なのはやはりMarseille ;マルセイユの「Four des Navettes ;フール・デ・ナヴェット」というお店で作られている「Navette de Saint-Victor ;ナヴェット・ドゥ・サン・ヴィクトール」でしょう。
この店は1791年創業のマルセイユで最も古くからあるパン屋さんなのです♪
b0189215_19035419.jpg
創業者であるMonsieur Aveyrousが、小舟でプロヴァンスへたどり着いた聖母マリアたちや マルセイユのVieux Port(旧港)に漂着したヴィーナス像と言った伝説を想起させる「小舟形の焼き菓子=ナヴェット」を考案しました。
* 販売は翌年の1792年から

今も当時と変わらぬ秘密のルセットを用い、同じ窯で焼かれています。
* 現在はJean-Claude IMBERT氏と息子のNICOLASが計量や生地作りを行い、従業員が行うのは分割と焼成のみ。
b0189215_19312468.jpg

ここのナヴェットは他のものとは異なり、細長い棒状の生地を20㎝ほどの長さに切り分け、縦に切込みが入れてあります。
甘味も少なくかなり固め、当時と同じというのが頷ける味。
すぐそばにあるAbbaye Saint Victor(サン・ヴィクトール修道院)で行われる 「Chandeleur ;シャンドリュール」のお祝いに欠かせないお菓子でもあります。
* Chandeleur(2月2日)はキリスト教の祝祭の1つで、聖母お潔めの祝日。キリストの神殿奉献にあたる。
* 2月2日はキリスト生誕(=12/25クリスマス)の40日後にあたる。
旧約聖書レビ記第12章に「女が男の子を産めば7日間汚れる。…その女は血の清めに33日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。…」とあることに由来。

シャンドリュール当日の2月2日早朝、大司教が地下のクリプト内にあるNotre-Dame de la Confession(告解の聖母;黒マリア)の像をお迎えに行き、行列を作って修道院のすぐ横にある広場で町と海、そして緑の蝋燭を祝福してからミサが行われます。その後フール・デ・ナヴェットの店を訪れ「four ;窯」とその「ナヴェット」が祝福されるのだとか。
b0189215_19211178.jpg
↑ シャンドリュールの日のサン・ヴィクトール修道院の入口風景(ポストカード。public domaine)
Marchandes de navettes et de cierges, lors de la Chandeleur,devant l'abbaye Saint-Victor

この日はマルセイユのあちこちから信者がここへミサに訪れますが、 ミサが終わると緑色のロウソクとナヴェットを買うのが 古くからの習慣になっているそうで、お店の方から「列の終わりが見えないほど 長い列が出来る」とお聞きしました。
*この期間には8000~10000個ものナヴェットが販売されるとか !

この時に買った祝別を受けた緑の蝋燭とナヴェットは、家や自分たちをまもるお守りとして1年間保存。
1年後、蝋燭に火を灯してナヴェットを食べるのだそう。

マルセイユのナヴェットや、シャンドリュールのこの習慣についての古い記述を探してみましたが、一番古いものは1877年に出版された「Dictionnaire des villes, villages & hameaux du département des Bouches-du-Rhône/ Alfred Saurel 著」でした。(以下、一部引用)
「…A la porte même de l’antique édifice, ceux-ci achètent des cierges faites de cire vertes qu’ils vont faire brûler devant la Vierge Noire et des navettes ou gâteaux pétris avec de l'anis dont la saveur est, ce jour-là seulement, considérée comme délicieuse. …」
* 現在続く慣習と変わっていないのが分かります。ナヴェットはオレンジフラワーウオーターの香りでは無くて、アニス風味と書いてありますが…


マルセイユは何度か訪れましたが、このお店まで行ったのは2006年12月が初めて…。
b0189215_19353583.jpg
ちょうどある企業からの注文で、2本入りの小さな箱詰めを大量に作っているところでした。
他にも箱入りやナヴェットの並べられた天板等々、沢山のナヴェットにびっくりする半面、普通のパンも売っていたのはなんだか意外に感じてしまいました^^
(パン屋さんにパンがあるのは当然なのですが…^^;)


2月2日にマルセイユへ行くことはかなり難しいですが、1度は体験してみたい!
(* 2007-07-22 mixiでupした内容に加筆したものです。)



※※※




にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ


[PR]
# by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-14 19:39 | 21 Provence-A.C | Trackback | Comments(2)

「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」と「Paris-Nice ;パリ・ニース」の関係は?

Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィットの「Pâtisserie Durand et Fils ;パティスリー・デュラン・エ・
フィス」を取材したかったのは、『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』が確かにLouis Durand ;ルイ・
デュランが考案したという確信の得られるような文書、或いは1909年から販売していたという文書等々を
見せてもらいたいと思ったからでした。

確かにいくつかの説があって「本当の考案者はこっちだ」と主張するものもありますが、
その根拠となるものを提示しているものはありません。

レヴェック氏はLouis Durand ;ルイ・デュランの息子、Paul Durand ;ポール・デュラン
父親の発明を守るため、1930年に特許申請をしたが(すでに広く作られていた為)却下された」と
話しているので、その時の書類等もあるのじゃないかと…。
こちらに1つでも多くの関連書類が残されていれば、もっとすっきりしますよね~。
b0189215_15593242.jpg

L’inventaire du patrimine culinare de la France;1993(*)」のIle-de-France地方版では
Émile Darenne,Emile Duval共著「Traité de pâtisserie moderne(1909)」の中にパリ・ブレストと
酷似した「Paris-Nice ;パリ・ニース」のルセットが掲載されていることが指摘されています。
そのルセットは『シュー生地を王冠形に絞り、表面をドレして焼き、間にプラリネ風味のクレーム・
サントノレを絞り入れる』というもの。
(*)フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅している本。

本の販売日までは分かりませんが、もし出版以降にパリ・ブレストが考案されたとすると
この本を参考にしたという可能性も出てきますよね。


さて一方で、この「パリ・ニース」という名前にも謎が…?

一見するとパリ・ブレスト同様自転車レースのことだと思いますが、このレースが始まったのは1933年
ということで違うようです。
南仏でもアーモンドが栽培されていますからプラリネ風味のお菓子には南仏っぽくないとは言えませんが、
あえてニースとしているところには説得力がないように思います。

著者のいずれかは考案したものなのでしょうか?で、なぜこの名前が付けられたのでしょうか???


パリ・ブレストはどのように広まっていったのか?という疑問も残ります。
本の方が多くのパティシエの目に触れるような気がしますが、
なぜ「パリ・ニース」ではなく、メゾン・ラフィットの1パティシエが作った「パリ・ブレスト」の方が
一般的になったのでしょう?

何かをきっかけにこの店から広まったのだとすれば「Guide UNA」や「Le Trésor gastronomique de
France」のようなガイドブックや広告等に載っていてもおかしくないように思うのですが、
探してもほとんど出てきませんでした。
*「パリ・ブレスト」と名前が地名であるため、様々な条件で検索しても目的のものはヒットしにくい。

見つけられた一番古いものは
Paris-Soir(1932年6月25日付)」という日刊紙のP-3に掲載されたJulien Damoyの広告内でした。
b0189215_16180206.png

また、パリ観光局発行の「La Semaine à Pais(1936年7月31日付)」のRestaurant Le Chapon fin
記事の中では「« Paris-Brest » ,crème Chantillly,pâte à choux et amandes,est digne de
louanges(*)」という記載も…。
(*)「パリ・ブレスト(クレーム・シャンティイ、シュー生地、アーモンド)は称賛に値する」という意味。

上記での特許申請がだめだったほど、確かに30年代にはパリでは一般的なお菓子となっていたようですね。

プロ向けの本で古いものはこれでしょうか。
b0189215_17365117.jpg
Pierre Lacamの娘婿、Paul Seurreの出版した「Le Nouveau mémorial de la pâtisserie
1934年の初版本には掲載されていませんが、私の持っている第9版(1946年)ではパリ・ブレストのルセットが加筆されていました。
アーモンドを散らして焼いたシュー生地にクリームはプラリネ風味のクレーム・オ・ブール、又はこれに
イタリアン・メレンゲを加えたもの。或いはプラリネ風味のクレーム・サントノーレでもよい。
クリームが入りすぎないよう、中に円形に焼いたシュー生地を入れる店もある。』というもの。
*何版目から掲載されるようになったのかは未確認。


ポピュラーながらも、20世紀に入ってから出来た比較的お菓子、「パリ・ブレスト」。
謎がはっきりする日は来るかな^^



※※※



にほんブログ村 スイーツブログへ

にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ




[PR]
# by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-11 17:41 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」の誕生したお店へ…

地方・国を問わず、多くのパティスリーでみられる『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』。

パリ・ブレストは
シュー生地を王冠型に絞ってアーモンド・スライスを振って焼き、間にプラリネ風味のクレーム・ムース
リーヌを星口金で絞り込み、粉砂糖を振ったもの
ですが、これもやっぱり立派な地方菓子、イル・ド・フランスのスペシャリテと言えます。

クラシックなフランス菓子がRevisité ;ルヴィジテ(現代風に再構築)されるようになり、パリ・ブレストも様々なスタイルのものが見られるようになりました。

でもやっぱり気になりますよね~、その原点が…^^

b0189215_21203285.jpg
↑ お店のガラスにも1910の文字…でも1909年末が本当らしい…


この菓子が誕生したのはパリの西方、ヴェルサイユを県庁所在地とするYvelines ;イヴリーヌ県の町
Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィット
建築家フランソワ・マンサールにより建てられた美しい城や、競馬場でも有名な町です。


パリ・ブレストの考案者の店は今でも当時と同じ場所・建物の中で、同じ家族によって受け継がれています。
お店の名前(当時)は「Pâtisserie Durand ;パティスリー・デュラン」。
Louis Durand ;ルイ・デュラン はその妻Marie ;マリーと共に、1907年創業しました。
b0189215_20425184.jpg
 ↑ お店に展示されていた写真より(創業当時のものではありません)


デュラン氏は1891年に始まった自転車レース「Paris-Brest-Paris ;パリ・ブレスト・パリ
(又はParis-Brest et retour)」にちなみ、自転車の車輪の形をイメージした菓子を考案しました。
考案した年は1910年と書かれていることもありますが、正確には1909年の年末
・レヴェック氏によると、おそらくクリスマス用に考案されたものだろうとのこと。

そのきっかけとなったのは
自宅の近くにあるCroix-de-Noaillesがコースに入っており、レースを見たことから
・ちなみに1909年以前に開催されたのは1891年と1901年の2回のみ(その後は1911年)。
パリ・ブレスト・パリ」の創設者で『Petit Journal』誌のPierre Giffard氏がメゾン・ラフィットに住んでおり、パティスリー・デュランのお客でもあった為、お菓子を作るよう勧めた(或いは頼んだ)…」
等々いくつかのお話があるようですが、今となってははっきりと分かりません。
(名前からしてレースがきっかけとなったことは確かなのでしょうが…。)


さて、ここを訪ねたのは昨年10月のこと。
b0189215_2050632.jpg
↑ 現在のお店のファサード

現在のオーナーで初代のひ孫にあたるStéphane Lévêque ;ステファン・レヴェック氏に
メールで取材のお願いをしていましたが、なぜか届いておらずRV無しでの訪問でした。
しかし運よくレヴェック氏が事務所にいて、超多忙な中「5分だけ」と言いながらも、
店横にある入口から上の階にある事務所に通され、きちんと座ってお話をお聞きすることが出来ました。

店のある建物自体は当時のまま、お店の方は当初ショーケースに冷蔵施設がなかったこともあり、
何度か改装をしているそうです。

現在は彼の妻Dorothy ;ドロシーがシェフ・パティシエとしてラボを仕切っています。
彼女は1993年に店で販売の仕事を始めたそうですが、それだけではつまらないと思うようになり
ステファンの叔父であるMichelPhilippeに教わりながらパティシエの仕事もするようになったのだそう。
b0189215_2122512.jpg
↑ Mme.Dorothy Lévêqueとパリ・ブレスト


レヴェック氏も最初はパティシエで店の管理も行っていましたが、現在ラボでの仕事は彼女に任せ、
自分は経営者としての仕事と政治活動を行っているとか。

この店のパリ・ブレストの特徴は、まず1人用サイズがよく見かけるドーナッツ形では無く、穴の無い楕円形であること。
これは自転車のサドルの形を模したものです。
b0189215_21143317.jpg

アントルメの大きなパリ・ブレストはよく見かけるものと違い、それほど厚みはありません。
わざとシュー生地を平らにして焼いてあります。
・厚みを出すため中にドーナッツ形に焼いたシューを入れることもあるが、それは無し。

クリームはあまりバターの量は多くなくて、自家製のプラリネが香り高く、コクのあるクレーム・パティシ
エールという感じ。
厚みは無くても平たい分、クリームはたっぷり入りますがとても食べやすいのでした。
見た目は素朴ですが、今まで食べた中で一番好きな味かな~♪
・ルセットは昔通りだが、クリームに入れるバターの量は減らしている。

ショーケースにはパリ・ブレストの他にも、
シュー生地を使ったお菓子が一杯並んでいて、それも店の特徴の1つだとのお話でした。

訪問した日はいつもより人数が少なくて忙しかった 為、残念ながらラボの見学はできませんでした。
まだ不明な点も多いパリ・ブレストについて、より詳細な歴史的資料等も拝見したいものです。

いつかまたリベンジ取材したい!



Pâtisserie Durand et Fils
9,avenue de Longueil
78600 Maisons-Laffitte




※※※


にほんブログ村 スイーツブログへ
にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ

[PR]
# by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-09 21:42 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

 「東京カド」のマドレーヌ

今から4年前「日本で最初のガレット・デ・ロワは?」というタイトルで書いたブログ(ココ→)にも
少しだけ書いている老舗フランス菓子店「東京カド」。
ワンダフルハウスさんにお誘いいただき、この夏初めての訪問が叶いました!
b0189215_19221125.jpg


カドの創業者である高田壮一郎氏(1934-2005)は私費留学生試験に合格し、
1956年パティシエとしては戦後初の政府認可私費留学生として渡仏しています。
翌年には労働手帳を取得して、当時パリの2区にあったパティスリー「Cadot ;カド」で働きながら職人としての技術を習得。フランス滞在中は、沢山の菓子やショコラを買ってきては写真を撮影していたのだそう。
(その後、膨大な写真は頼まれて貸したりしているうちにどこへあるのか分からなくなってしまったとか。
今これらの写真を見ることが出来たのなら、どれだけ素晴らしい資料になったことでしょう!)

そして帰国後、1960年に「東京カド」を設立しました。
創業者と、以前私の質問に答えて下さった息子さんの夏生さんはとても残念なことにもういませんが、
壮一郎氏の奥様である高田ハルさんはお元気でご活躍とのこと。
当日はわざわざお店で待っていて下さいました。
それがまたとってもチャーミングで素敵なマダム!
色々とお話をお聞きすることが出来、夢のようなひとときでした。

お店には創業当時から作り続けられているお菓子がいくつも並べられていましたよ♪
b0189215_1936074.jpg
↑ アントルメ「キルシュ」

いただいたお菓子はどれも美味しくて、アントルメの「キルシュ」はバタークリームを使ったものですが、
クレーム・シャンティイにバターの風味とコクを加えたものであるかのごとく軽やか。
既にお腹が一杯で食べきれないと思っていたのに、おしゃべりしながらいつのまにか完食・・・^^ ;


創業当時から作られているものの1つが『マドレーヌ』。
東京カド」は日本で貝殻形の型で焼いたマドレーヌを販売した最初のお店と言われているのです。
b0189215_19392588.jpg
↑ 好みの焼き色が選べるバラ売りも。

それまでは日本では型が無くて菊型しか作られていなかったのですが、
同時期パリに居た留学生たちと仲が良く、その中の1人、加賀乙彦氏に
日本で本物のマドレーヌをお売りなさい」と勧められ、フランスからマドレーヌ型を
買って帰ったが始まり。

「もしかして、その当時の型を使っているのかも?」と思わずワクワクしてしまいましたが、
当時からフランス帰りの人々を中心にかなりの人気があって沢山焼いていた為、早々に日本で同じ型を作って貰ったりもしてたそうで、そのようなことは無いと言われました。
が、なんと!今でも当時の型を使って焼かれているものもあるそうで、パン・ド・ジェーヌがそれだとのこと。(つまり50年以上も使い続けられているのですね!)

ショーケースの中でも特に目を引くのが可愛らしいコブタさん「コショネ」^^
マドレーヌ2個をクリームではさみ、マジパンで包み仔豚の形に成形してチョコ掛けしたものです。
b0189215_20483210.jpg
↑ コショネ。子供に喜ばれそうなひょうきんな表情の仔豚^^

これはロスになるマドレーヌを再利用するために誕生したものだそう。
職人気質の壮一郎氏は、色や形の悪いマドレーヌは捨ててしまっていたそうですが、お店の職人さんがそれを何とか活きかえらせたいと考案したのでした。
マドレーヌで出来ていると分かると、なんだかいっそう愛着が湧いて可愛くみえたりして…^^♪


さて、ここで販売されているマドレーヌ、せっかくフランスと同じように貝殻型で焼かれていると言うのに、
特有の「でべそ」はありませんでした。
う~ん、「マドレーヌ好き」としては「でべそ」の無いマドレーヌは「本物のマドレーヌ」とは言いかねる…。

気になって仕方なかったので、思い切って図々しくも尋ねてしまいました^^
ハルさん曰く『「でべそ」があるとご贈答用に箱詰めする際、綺麗に並べることが出来なかったので、
あえて「でべそ」がないものを作るようになった
』とのこと。
b0189215_19441162.jpg
↑ こちらは箱入り。確かに綺麗に並んでいます^^

「日本のお客様はそんなことを気にするのね~」と残念がっていると、
「でべそ」のあるマドレーヌも定期的に注文を受けていて、その時なら販売も出来ますよ』という嬉しい
お言葉♪

後日送って頂いたのが、この「でべそ」のあるマドレーヌ。
b0189215_2114654.jpg


食べ比べてみると「でべそ」無しの方が「ふんわり」、有りの方が「もっちり」に感じました。
焼き色の入り方も違うみたい。
(「でべそ」は小さめですが、創業当時と同じなのかな(?)と思うとやはり感慨深い)。
b0189215_20582966.jpg
↑ 左がお店で売っている「でべそ」無し、右が「でべそ」有りマドレーヌ

当時の面影をそのまま残していると思われるお店のしつらえと、地元の常連客さんたちが醸し出す
なんとも言えないノスタルジックな雰囲気のお店。
少しでも長くこのまま続いてほしいと願うばかりです。




                      ※※※



にほんブログ村 スイーツブログへ

[PR]
# by Ethno-PATISSERIE | 2014-09-18 09:12 | その他 | Trackback | Comments(2)