「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」と「Paris-Nice ;パリ・ニース」の関係は?

Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィットの「Pâtisserie Durand et Fils ;パティスリー・デュラン・エ・
フィス」を取材したかったのは、『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』が確かにLouis Durand ;ルイ・
デュランが考案したという確信の得られるような文書、或いは1909年から販売していたという文書等々を
見せてもらいたいと思ったからでした。

確かにいくつかの説があって「本当の考案者はこっちだ」と主張するものもありますが、
その根拠となるものを提示しているものはありません。

レヴェック氏はLouis Durand ;ルイ・デュランの息子、Paul Durand ;ポール・デュラン
父親の発明を守るため、1930年に特許申請をしたが(すでに広く作られていた為)却下された」と
話しているので、その時の書類等もあるのじゃないかと…。
こちらに1つでも多くの関連書類が残されていれば、もっとすっきりしますよね~。
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L’inventaire du patrimine culinare de la France;1993(*)」のIle-de-France地方版では
Émile Darenne,Emile Duval共著「Traité de pâtisserie moderne(1909)」の中にパリ・ブレストと
酷似した「Paris-Nice ;パリ・ニース」のルセットが掲載されていることが指摘されています。
そのルセットは『シュー生地を王冠形に絞り、表面をドレして焼き、間にプラリネ風味のクレーム・
サントノレを絞り入れる』というもの。
(*)フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅している本。

本の販売日までは分かりませんが、もし出版以降にパリ・ブレストが考案されたとすると
この本を参考にしたという可能性も出てきますよね。


さて一方で、この「パリ・ニース」という名前にも謎が…?

一見するとパリ・ブレスト同様自転車レースのことだと思いますが、このレースが始まったのは1933年
ということで違うようです。
南仏でもアーモンドが栽培されていますからプラリネ風味のお菓子には南仏っぽくないとは言えませんが、
あえてニースとしているところには説得力がないように思います。

著者のいずれかは考案したものなのでしょうか?で、なぜこの名前が付けられたのでしょうか???


パリ・ブレストはどのように広まっていったのか?という疑問も残ります。
本の方が多くのパティシエの目に触れるような気がしますが、
なぜ「パリ・ニース」ではなく、メゾン・ラフィットの1パティシエが作った「パリ・ブレスト」の方が
一般的になったのでしょう?

何かをきっかけにこの店から広まったのだとすれば「Guide UNA」や「Le Trésor gastronomique de
France」のようなガイドブックや広告等に載っていてもおかしくないように思うのですが、
探してもほとんど出てきませんでした。
*「パリ・ブレスト」と名前が地名であるため、様々な条件で検索しても目的のものはヒットしにくい。

見つけられた一番古いものは
Paris-Soir(1932年6月25日付)」という日刊紙のP-3に掲載されたJulien Damoyの広告内でした。
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また、パリ観光局発行の「La Semaine à Pais(1936年7月31日付)」のRestaurant Le Chapon fin
記事の中では「« Paris-Brest » ,crème Chantillly,pâte à choux et amandes,est digne de
louanges(*)」という記載も…。
(*)「パリ・ブレスト(クレーム・シャンティイ、シュー生地、アーモンド)は称賛に値する」という意味。

上記での特許申請がだめだったほど、確かに30年代にはパリでは一般的なお菓子となっていたようですね。

プロ向けの本で古いものはこれでしょうか。
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Pierre Lacamの娘婿、Paul Seurreの出版した「Le Nouveau mémorial de la pâtisserie
1934年の初版本には掲載されていませんが、私の持っている第9版(1946年)ではパリ・ブレストのルセットが加筆されていました。
アーモンドを散らして焼いたシュー生地にクリームはプラリネ風味のクレーム・オ・ブール、又はこれに
イタリアン・メレンゲを加えたもの。或いはプラリネ風味のクレーム・サントノーレでもよい。
クリームが入りすぎないよう、中に円形に焼いたシュー生地を入れる店もある。』というもの。
*何版目から掲載されるようになったのかは未確認。


ポピュラーながらも、20世紀に入ってから出来た比較的お菓子、「パリ・ブレスト」。
謎がはっきりする日は来るかな^^



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# by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-11 17:41 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」の誕生したお店へ…

地方・国を問わず、多くのパティスリーでみられる『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』。

パリ・ブレストは
シュー生地を王冠型に絞ってアーモンド・スライスを振って焼き、間にプラリネ風味のクレーム・ムース
リーヌを星口金で絞り込み、粉砂糖を振ったもの
ですが、これもやっぱり立派な地方菓子、イル・ド・フランスのスペシャリテと言えます。

クラシックなフランス菓子がRevisité ;ルヴィジテ(現代風に再構築)されるようになり、パリ・ブレストも様々なスタイルのものが見られるようになりました。

でもやっぱり気になりますよね~、その原点が…^^

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↑ お店のガラスにも1910の文字…でも1909年末が本当らしい…


この菓子が誕生したのはパリの西方、ヴェルサイユを県庁所在地とするYvelines ;イヴリーヌ県の町
Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィット
建築家フランソワ・マンサールにより建てられた美しい城や、競馬場でも有名な町です。


パリ・ブレストの考案者の店は今でも当時と同じ場所・建物の中で、同じ家族によって受け継がれています。
お店の名前(当時)は「Pâtisserie Durand ;パティスリー・デュラン」。
Louis Durand ;ルイ・デュラン はその妻Marie ;マリーと共に、1907年創業しました。
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 ↑ お店に展示されていた写真より(創業当時のものではありません)


デュラン氏は1891年に始まった自転車レース「Paris-Brest-Paris ;パリ・ブレスト・パリ
(又はParis-Brest et retour)」にちなみ、自転車の車輪の形をイメージした菓子を考案しました。
考案した年は1910年と書かれていることもありますが、正確には1909年の年末
・レヴェック氏によると、おそらくクリスマス用に考案されたものだろうとのこと。

そのきっかけとなったのは
自宅の近くにあるCroix-de-Noaillesがコースに入っており、レースを見たことから
・ちなみに1909年以前に開催されたのは1891年と1901年の2回のみ(その後は1911年)。
パリ・ブレスト・パリ」の創設者で『Petit Journal』誌のPierre Giffard氏がメゾン・ラフィットに住んでおり、パティスリー・デュランのお客でもあった為、お菓子を作るよう勧めた(或いは頼んだ)…」
等々いくつかのお話があるようですが、今となってははっきりと分かりません。
(名前からしてレースがきっかけとなったことは確かなのでしょうが…。)


さて、ここを訪ねたのは昨年10月のこと。
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↑ 現在のお店のファサード

現在のオーナーで初代のひ孫にあたるStéphane Lévêque ;ステファン・レヴェック氏に
メールで取材のお願いをしていましたが、なぜか届いておらずRV無しでの訪問でした。
しかし運よくレヴェック氏が事務所にいて、超多忙な中「5分だけ」と言いながらも、
店横にある入口から上の階にある事務所に通され、きちんと座ってお話をお聞きすることが出来ました。

店のある建物自体は当時のまま、お店の方は当初ショーケースに冷蔵施設がなかったこともあり、
何度か改装をしているそうです。

現在は彼の妻Dorothy ;ドロシーがシェフ・パティシエとしてラボを仕切っています。
彼女は1993年に店で販売の仕事を始めたそうですが、それだけではつまらないと思うようになり
ステファンの叔父であるMichelPhilippeに教わりながらパティシエの仕事もするようになったのだそう。
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↑ Mme.Dorothy Lévêqueとパリ・ブレスト


レヴェック氏も最初はパティシエで店の管理も行っていましたが、現在ラボでの仕事は彼女に任せ、
自分は経営者としての仕事と政治活動を行っているとか。

この店のパリ・ブレストの特徴は、まず1人用サイズがよく見かけるドーナッツ形では無く、穴の無い楕円形であること。
これは自転車のサドルの形を模したものです。
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アントルメの大きなパリ・ブレストはよく見かけるものと違い、それほど厚みはありません。
わざとシュー生地を平らにして焼いてあります。
・厚みを出すため中にドーナッツ形に焼いたシューを入れることもあるが、それは無し。

クリームはあまりバターの量は多くなくて、自家製のプラリネが香り高く、コクのあるクレーム・パティシ
エールという感じ。
厚みは無くても平たい分、クリームはたっぷり入りますがとても食べやすいのでした。
見た目は素朴ですが、今まで食べた中で一番好きな味かな~♪
・ルセットは昔通りだが、クリームに入れるバターの量は減らしている。

ショーケースにはパリ・ブレストの他にも、
シュー生地を使ったお菓子が一杯並んでいて、それも店の特徴の1つだとのお話でした。

訪問した日はいつもより人数が少なくて忙しかった 為、残念ながらラボの見学はできませんでした。
まだ不明な点も多いパリ・ブレストについて、より詳細な歴史的資料等も拝見したいものです。

いつかまたリベンジ取材したい!



Pâtisserie Durand et Fils
9,avenue de Longueil
78600 Maisons-Laffitte




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# by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-09 21:42 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

 「東京カド」のマドレーヌ

今から4年前「日本で最初のガレット・デ・ロワは?」というタイトルで書いたブログ(ココ→)にも
少しだけ書いている老舗フランス菓子店「東京カド」。
ワンダフルハウスさんにお誘いいただき、この夏初めての訪問が叶いました!
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カドの創業者である高田壮一郎氏(1934-2005)は私費留学生試験に合格し、
1956年パティシエとしては戦後初の政府認可私費留学生として渡仏しています。
翌年には労働手帳を取得して、当時パリの2区にあったパティスリー「Cadot ;カド」で働きながら職人としての技術を習得。フランス滞在中は、沢山の菓子やショコラを買ってきては写真を撮影していたのだそう。
(その後、膨大な写真は頼まれて貸したりしているうちにどこへあるのか分からなくなってしまったとか。
今これらの写真を見ることが出来たのなら、どれだけ素晴らしい資料になったことでしょう!)

そして帰国後、1960年に「東京カド」を設立しました。
創業者と、以前私の質問に答えて下さった息子さんの夏生さんはとても残念なことにもういませんが、
壮一郎氏の奥様である高田ハルさんはお元気でご活躍とのこと。
当日はわざわざお店で待っていて下さいました。
それがまたとってもチャーミングで素敵なマダム!
色々とお話をお聞きすることが出来、夢のようなひとときでした。

お店には創業当時から作り続けられているお菓子がいくつも並べられていましたよ♪
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↑ アントルメ「キルシュ」

いただいたお菓子はどれも美味しくて、アントルメの「キルシュ」はバタークリームを使ったものですが、
クレーム・シャンティイにバターの風味とコクを加えたものであるかのごとく軽やか。
既にお腹が一杯で食べきれないと思っていたのに、おしゃべりしながらいつのまにか完食・・・^^ ;


創業当時から作られているものの1つが『マドレーヌ』。
東京カド」は日本で貝殻形の型で焼いたマドレーヌを販売した最初のお店と言われているのです。
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↑ 好みの焼き色が選べるバラ売りも。

それまでは日本では型が無くて菊型しか作られていなかったのですが、
同時期パリに居た留学生たちと仲が良く、その中の1人、加賀乙彦氏に
日本で本物のマドレーヌをお売りなさい」と勧められ、フランスからマドレーヌ型を
買って帰ったが始まり。

「もしかして、その当時の型を使っているのかも?」と思わずワクワクしてしまいましたが、
当時からフランス帰りの人々を中心にかなりの人気があって沢山焼いていた為、早々に日本で同じ型を作って貰ったりもしてたそうで、そのようなことは無いと言われました。
が、なんと!今でも当時の型を使って焼かれているものもあるそうで、パン・ド・ジェーヌがそれだとのこと。(つまり50年以上も使い続けられているのですね!)

ショーケースの中でも特に目を引くのが可愛らしいコブタさん「コショネ」^^
マドレーヌ2個をクリームではさみ、マジパンで包み仔豚の形に成形してチョコ掛けしたものです。
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↑ コショネ。子供に喜ばれそうなひょうきんな表情の仔豚^^

これはロスになるマドレーヌを再利用するために誕生したものだそう。
職人気質の壮一郎氏は、色や形の悪いマドレーヌは捨ててしまっていたそうですが、お店の職人さんがそれを何とか活きかえらせたいと考案したのでした。
マドレーヌで出来ていると分かると、なんだかいっそう愛着が湧いて可愛くみえたりして…^^♪


さて、ここで販売されているマドレーヌ、せっかくフランスと同じように貝殻型で焼かれていると言うのに、
特有の「でべそ」はありませんでした。
う~ん、「マドレーヌ好き」としては「でべそ」の無いマドレーヌは「本物のマドレーヌ」とは言いかねる…。

気になって仕方なかったので、思い切って図々しくも尋ねてしまいました^^
ハルさん曰く『「でべそ」があるとご贈答用に箱詰めする際、綺麗に並べることが出来なかったので、
あえて「でべそ」がないものを作るようになった
』とのこと。
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↑ こちらは箱入り。確かに綺麗に並んでいます^^

「日本のお客様はそんなことを気にするのね~」と残念がっていると、
「でべそ」のあるマドレーヌも定期的に注文を受けていて、その時なら販売も出来ますよ』という嬉しい
お言葉♪

後日送って頂いたのが、この「でべそ」のあるマドレーヌ。
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食べ比べてみると「でべそ」無しの方が「ふんわり」、有りの方が「もっちり」に感じました。
焼き色の入り方も違うみたい。
(「でべそ」は小さめですが、創業当時と同じなのかな(?)と思うとやはり感慨深い)。
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↑ 左がお店で売っている「でべそ」無し、右が「でべそ」有りマドレーヌ

当時の面影をそのまま残していると思われるお店のしつらえと、地元の常連客さんたちが醸し出す
なんとも言えないノスタルジックな雰囲気のお店。
少しでも長くこのまま続いてほしいと願うばかりです。




                      ※※※



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# by Ethno-PATISSERIE | 2014-09-18 09:12 | その他 | Trackback | Comments(2)

「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」 その② 色々な名前とルセット

Crémet ;クレメ」の名前はcrème ;クレーム(生クリーム)、或いはcrémer ;クレメ(生クリームを加えるという動詞)に由来します。
* 名前を調べると他にCrémet の他にCrêmet 、Crémé と言うスペルもみられる。

かつてアンジュー地方では特にAngers;アンジェやSaumur;ソミュール周辺で多く作られていたそうで、名称は「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」の他、町の名前を冠した「Crémet d’Angers ;クレメ・ダンジェ」や「Crémet de Saumur ;クレメ・ドゥ・ソミュール」という名前も見られました。
* 例えば20世紀前半に出版された古い有名なガイドブックを見ると、このように書かれている。
◎「Guide UNA(1931年)」では「Angers ; アンジェとSaumur ; ソミュールのスペシャリテ」としてクレメを紹介。
◎フランス各地のスペシャリテを紹介する「Trésor gastronomique de France(1933年)Curnonsky,Austin de CROZE共著」の中では「Crémets d’Angers;クレメ・ダンジェ」の名前で掲載。
Larousse gastronomique de Prosper Montagné( 1938年) の中では「Crémets d’Angers ou de Saumur」と記載。


この他にMaine-et-Loire県の隣県Loire-Atelantique ;ロワール・アトランティック県の中心地Nantes ;ナント近郊でも作られており、その名も「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ(或いはCrémet de Nantes ;クレメ・ドゥ・ナント)」。ここでも20世紀初めには既に有名でした。
* 1984年に出版されたフロマージュの本「Le Livre d’Or du Fromage,Pierre Androuet著」の中にはCrémet d’AnjouとCrémet nantaisの2つが掲載されており、「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ」は温めた牛乳にレンネットを加えて固めたものを穴のあいた型に入れて水気を切って作る方法が紹介されている。
* 現在「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ」と言う名前で販売されているものは、材料に生クリームと卵白の他に
フロマージュ・ブランが入っている。

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↑ こちらが実際に買ったクレメ・ナンテ

現在、一般的に「クレメ・ダンジュー」と「クレメ・ダンジェ」の違いはフロマージュ・ブランが入るかどうかで、
前者には入らないとされています。
しかし、これらに違いは無いと言うもの、「クレメ・ダンジュー以外はフロマージュ・ブランを使うという違いがある」と
書かれているものも存在してちょっとややこしい。
実際にルセットを集めてみると材料も作り方も様々で決まっていないようにさえ感じるほど…。


では、アンジェの古文書に初めて記載された当時の「フロマージュ・ドゥ・クレーム」や「クレメ」はどんなものだったのでしょう?
探してみると「Nouvelle Instruction pour les confitures,les liqueurs et les fruits,François Massialot 著」の1740年度版の中に「Fromage de Crême(P-285)」のルセットを見つけることが出来ました!
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作り方はこんな感じ…。
生クリームに牛乳を加えて熱し、指を入れられる温度まで冷ましてから牛乳を少し加えたレンネットを加え、
布か目の細かい裏漉しで漉す。蓋をして固まるまで置く。柳で出来た小さなカゴ、或いはブリキの型に
スプーンで入れ、水気を切る。器に盛り付け、上から砂糖を加えた生クリームをかける。


これは現在でいうとクレメというよりむしろフレッシュチーズ(フェッセル)の感覚ですね。
* François Massialot;フランソワ・マシアロ(1660-1733) 数多くの宮廷でシェフ・キュイジニエを務め、数冊の料理書を残している。クレーム・パティシエール(スペルはCrême pâticiere)やクレーム・ブリュレ(Crême brûlée)の
ルセットの初出は彼の著書「Le Cuisinier roial et bourgeois(1691)」。


この本のもっと古い版を探すと1712年度版が見つかりました。
この中に「Fromage de Crême」は無かったのですが「Crême en neige ;クレーム・アン・ネージュ」というものを発見!
1 pinte(1パント;昔の液量単位)の新しい生クリームと新鮮な卵白2つをオレンジ花水で香り付けして
泡立てる。表面に泡が上ってきたらすくって別の容器に移す。全てが泡立つまで繰り返す。砂糖を加えて溶けるまで泡立て、ガーゼか目の細かい布を敷いた小さなカゴに入れ、水気を切る。

こちらの方が現在のクレメにより近いような気がしました^^

両方の本には生クリームや牛乳と卵、砂糖を使って(いわゆるチーズは使わずに)作られた「Fromage」と分類されるものがいくつか紹介されており、この当時は同様のものが広く作られていたことを想像させます。


では次に形はどんなものだったのでしょうか?
ナントで使われる言葉(言い回し)について解説する「Les Locutions nantaises(1884年)Paul Eudel著」では、
クレメを「柳製の小さなカゴに入れて作られた半円形の乳製品」と説明しています。
また、円筒形のブリキ製型もあったようです。

また「Souvenirs d’un vieux Nantais,1808-1888(1888年)Léon Brunschwicg著」には
柳製の小さなピラミッド形(のカゴ)を使う」とあり、様々な形があったことが分かります。

20世紀初期には「その①」で紹介したような陶器製で水切り穴の付いたハート形の型が出てきます。
そしてこのハート形が作られる前は円錐台形だったのだとか。
こちらにはその型の写真が紹介されていて、偶然にも私が持っているのと同じ!
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それにしてもいったい誰がこれらの形にすることを思いついたのでしょう?
家庭では家にあったものを転用したのかもしれませんがお店ではどうだったのか?
Marie Renéaume ;マリー・ルネオムの店ではどんな形で販売されていたのでしょうね。とても気になります。
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本やネットでルセットを集めていくと、本来の生クリームと卵白と言うシンプルな物の他にも様々なものがあるのが分かります。
 ①泡立てた生クリーム(クレーム・エペッス+クレーム・フルーレットのことも有)と泡立てた卵白を混ぜる。
 ②フロマージュ・ブランに泡立てた生クリームと泡立てた卵白を混ぜる。
 ③生クリーム(クレーム・エペッス+クレーム・フルーレットのことも有)にレンネットを加えながら泡立てる。
 ④カイエ(牛乳にレンネットを加え、固めたもの)を水切りし、クレーム・エペッスとクレーム・フルーレット、
   バニラシュガー、泡立てた卵白を加える。
 ⑤牛乳を30℃に温めレンネットを加える。(Crémet nantais ;クレメ・ナンテ)


これらすべて試してみましたが、③は思ったように泡立たず、1度は泡立て過ぎてバターになりかけてしまいました。
* ちなみにアンジュー地方で使われる俚言や言い回しについて語彙集 「Glossaire étymologique et historique des patois et des parlers de l'Anjou(1908年)Verrier et Onillon共著」の中で、クレメは「バラットの中でバターに変わる寸前の生クリームで作った乳製品」と説明されている。

経済的な理由(高価な生クリームの量を減らす為 ?)からか、Caillé ;カイエやfromage blanc ;フロマージュ・ブラン等を加えるようになっていったとも言います。
ルセットは各自で秘密にされいたため作り方も様々になり、また恐らく家庭では手に入るものを使い工夫して作っていた為、材料にもバリエーションが出来たのかもしれませんね。
(いずれの作り方でもそれぞれに美味しいクレメが出来ました♪)



※※※



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# by Ethno-PATISSERIE | 2014-08-07 19:29 | ⑱Pays de la Loire | Trackback | Comments(2)

「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」 その① 歴史について

Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」はPays de la Loire地方圏Maine-et-Loire県のスペシャリテ。
Fontainebleau ;フォンテーヌブロー等と同様フロマージュの1種。主にFromagerie ;フロマジュリー(チーズ屋)やCrémerie ;クレムリー(乳製品を扱う店)で扱われるものです。
* Anjou ;アンジューはフランス革命以前に使われたAncienne province(旧州名/旧地方名)のこと。現在の県にほぼ一致している。中心都市はAngers ;アンジェ。

クレメ・ダンジューは泡立てた生クリームに泡立てた卵白を混ぜ、1人分ずつ水切りして作られるデザート。
(フロマージュ・ブランは使わないのが基本の作り方)
上から生クリームと砂糖をかけて、或いは赤いベリーのクーリをかけて食べられます。
1年中ありますが、赤いベリー類が採れる春から夏にかけてのシーズンに多く作られます。
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アンジェのサイトAngers.frにはその歴史が詳しく紹介されていました。
18世紀にはあったことが分かっており、市の古文書では1702年、続いて1704年に納入された食事の中に初めて
このデザートが記録されているそうです。
その当時は「fromege de crème ;フロマージュ・ドゥ・クレーム」と呼ばれていたとか。

Crémet ;クレメ」という名称が古文書の中で見られるようになったのは1741-1743年。1767-1779年には市当局から提供された宴会で定期的にクレメが出されていたそうですが、その後廃れてしまいました。


さて、18世紀後半に廃れてしまったクレメですが次に現れたのは1世紀後、偶然の出来事から・・・。
大きなお屋敷の女料理人Marie Renéaume ;マリー・ルネオムは1890年のある夜、デザートが足りない
ことに気付いた。機転を利かせて残っていた生クリームに泡立てた卵白を混ぜ、型代わりにポルト用のグラスに詰め、これを器に取り出してから表面に生クリームをかけバニラシュガーを振りかけた。


1898年1月10日、André Girault ;アンドレ・ジローと結婚したマリーは、1901年アンジェの2 rue Saint-Julienにあったバターや卵等、乳製品を販売するCrémerie David ;クレムリー・ダヴィッドを買い取り、
本格的にクレメを販売し始めます。
店で個人向けに販売するほか、レストランにも卸される他、女性たちによる移動販売も行われて大流行したとか。
* こちらのサイトではマリーのポートレートとお店の写真を掲載。
*こちらのサイトでは1918年に撮影された移動販売の写真を掲載。

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         ↑ こちらは古いハート形のクレメ型。いつから?、そして誰が?使い始めたのかは不明

アンジェ生まれの美食家、Curnonsky ;キュルノンスキー(本名;Maurice-Edmond SAILLAND ;モーリス・エドモン・サイアン)は著書「La France gastronomique, guide des merveilles culinaires et des bonnes auberges françaises. L'Anjou(1921)」の中で
アンジュー地方のクレメは神々のご馳走である。この地方の伝統のルセットで、残念なことに数人の農民たちの間で秘密にされている。どんなクレーム・シャンティーも、香り高くなめらかで軽いこの泡々とは比べものにならない」と絶賛しています。

人気が出ると真似をして販売する人が増えてくるのは世の常のようで、アンジェのブーランジェ・パティシエ
Louis Fouquet ;ルイ・フーケ(95,route de Paris)は1910年「Crémets des ducs d’Anjou ;クレメ・デ・デュック・ダンジュー」の商標登録までしたのだとか(Girault  夫妻は商標登録をしていなかった)。

1923年になるとジロー 夫妻は徐々に商売を縮小し、クレメの製造も途絶えました。
真似して製造していたところも多かったクレメですが、デリケートで遠くへの輸送も困難だった為に、製造する人も徐々に少なくなっていった模様。

数は減ったものの今でもスペシャリテとして作り続けられていて、私が初めて食べたのは1991年Angers ;アンジェへ行った時。市場のフロマジュリーで見つけることが出来ました。
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             ↑ この白っぽくてわけのわからない写真(恥)が市場で買った初めてのクレメ

現在レストランのデザートとして食べられるお店も数件ありますが、生クリームと卵白だけで作られているのかな。


その②へ続く・・・


                                   ※※※



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# by Ethno-PATISSERIE | 2014-08-04 10:42 | ⑱Pays de la Loire | Trackback | Comments(2)