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ベルギーのマカロン 「Macarons de Beaumont ; マカロン・ドゥ・ボーモン」

Beaumont ;ボーモンはベルギー南部ワロン地域 エノー州にある町。

以前ココでご紹介した、フランスのMacarons de Boulay ;マカロン・ドゥ・ブーレと同じく、
スプーンを使って成型するマカロンがあります。
製造しているのはBoulangerie-Pâtisserie Solbreux–Decamps一軒のみ。
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その歴史は古く起源は定かではありません。
-1667年ルイ14世の家臣がこの町に来て、ルセットを伝えた…
-ワーテルローの戦場へ向かうナポレオン一行の料理人から伝えられた…

などという言い伝えもあるようです。


公式文書に記載が残されているもので一番古いものは
1814年7月8日、フランス国王ルイ18世の使者がボーモンへ訪問した際、市長のPépin de Virが使者を歓迎する為に行われた饗宴のメニューの中に登場しています。
饗宴に関する勘定書には誰がマカロンを納品したのかは記載されていませんが、市長が利用した他の伝票に
Grand-Rue(現在のrue F.Dutry)に店を持つJean-Baptiste Debroeucqというパティシエの名前が記載されていて、マカロンを納品したものこの店だと考えられています。

Debroeucqには息子がおらず、一人娘Marie-Florenceが1807年Théophile Hairionと結婚し、
店を引き継ぎました。
Musée de la Tour Salamandreで展示されている最初のマカロン箱には
A la renommée des macarons de Beaumont. Veuve Hairion」という記載がありますが、
Veuve Hairion(エリオン未亡人)はMarie-Florenceのこと。
彼女にも一人娘しかおらず、娘は独身を通した為、店は1860年にMarie-Florenceで最後となっています。
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                 ↑ マカロン・ドゥ・ボーモン、外はカリッ中はフワッと香ばしい♪


1833年出版の「Dictionnaire géographique de la Province de Hainaut/Philippe Marlrn」P-52にはボーモンの町の紹介で「Macarons de Beaumontは全デザートの中心である」と書かれ、町のスペシャリテと
して定着し、広く知られていることが分かります。
* マカロン・ドゥ・ブーレが作られるようになったのは1854年、こちらの方がさらに古くからあった。


一方、現在このマカロンの製造をしているのはBeaumont ;ボーモンで6代続くブーランジェ・パティシエ
Solbreux–Decampsです。
その歴史は1842年、初代のJean-Joseph Solbreux;ジャン・ジョセフ・ソルブリュ(1815-1895年)が
Marie-Thélèseと共に、ボーモンのGrand Placeに菓子店を出したことに始まります。
双子を含む7人の子供に恵まれるも、双子と妻を亡くしたジャン・ジョセフは1859年Delphine-Couronnéeと再婚。この年にrue de Bincheにある現在の店へ移転しています。

二代目はArthur-Constant;アルチュール・コンスタン
彼は1892年12月26日Charleroi ;シャルルロワの商事裁判所にマカロン・ドゥ・ボーモンの商標登録を行いました。
このことは「Recueil officiel des marques de fabrique et de commerce(1893)」 の第 6 巻 P-478に掲載されています。                     ↓ コレ
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↑ 「Maison fondée en 1849 – Ancienne renommée des Macarons de Beaumont et des biscuits vanillés – A.Solbreux-Ruelle,Pâtissier-confiseur BEAUMONT(Hainaut)」と書かれている。


三代目Arthur-Paul-Constant;アルチュール・ポール・コンスタン、四代目Jules;ジュール
五代目Pierre;ピエールと続き、1992年には開店150周年が祝われました。

六代目が現当主Didier;ディディエ
父ピエールから家業を継ぐよう強要されることはなく、本人も化学を専攻してその分野の仕事に就いていたそうですが、一人息子でマカロン製造の存続は自分の肩にかかっていることを自覚し、最終的に家業を継ぐことに決めたのだそう。1994年から父親の下で働いた後、2001年に店を引き継ぎました。


現在のラベルはこちら。沢山のメダルと「Successeur Gérard-Hairion(ゲラール・エリオン後継者)」の文字が
入っています。               ↓ 中央部Beaumontの文字の下部分
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Hairionに関しては上で説明済みですが、Gérardというのはどこに由来するのでしょうか?
実は、初代のジャン・ジョセフが再婚後に移転した店の前所有者のことだったのでした。
ここは元々François Bienaimé;フランソワ・ビアンエメMarie Gérard;マリー・ゲラールの菓子店でした。
このカップルには後継者がおらず、フランソワが亡くなってからしばらくはマリーが店を続けていましたが、
後にソルブリュ氏へ譲られたと言う訳です。

つまり「Successeur Gérard-Hairion」のGérard ;ゲラールは店(建物)の後継者、Hairion ;エリオン
マカロン製造の後継者であるという意味が込められていると考えられているようです。
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16世紀に遡る、非常に古いこのゴシック様式の建物は幾度もの災難を逃れて奇跡的に残ったもので、
現在歴史的建造物に指定されています。
そんな貴重な建物(しかも菓子店だった!)を手に入れることが出来たことは、とても誇りに思えることだったので、
わざわざラベルに書きくわえたのではないでしょうか。


さて、取材に出かけたのは2009年11月のこと。
鉄道は通っておらず、Charleroi;シャルルロワからバスで40-50分、静かな落ち着いた町でした。
店内に入って自己紹介をするとすぐにラボへ通され、若いオーナーDidier Solbreux;ディディエ・ソルブリュ氏に
お会いすることが出来ました。
建物も店内もラボも、圧倒される位アンティーク感があってワクワク♪

マカロンの材料は基本通り「アーモンド、砂糖、卵白」の3種類ですが、アーモンドは
「カリフォルニア産、スペイン産、ポルトガル産の3種類のスイートアーモンドにビターアーモンドを加えた4種類」を
ブレンドして使用。
今まで取材した中でも4種類使うというのは初めてでした。
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丁寧に 皮をむいたアーモンドと砂糖を石のローラーで3回挽き、卵白を合わせて生地を作ります。
* 固さは「マカロン・ドゥ・ブーレ」よりも少し固めな感じ。


1つ1つ手で行う成形はこんな感じ。
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                          ↑ Didierさんによる実演

右手に持ったスプーンでボールから生地をすくい取り、左手の親指で生地をこそげとってその生地を親指と人差し指の間を使って丸め、紙を敷いたオーブンプレートに並べていきます。
面白いことに右利き左利きに構わず、生地は代々左手で丸める習慣なのだとか。
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                             ↑ 生地を焼く前

200℃のオーブンに入れて15分程焼いて出来あがり。
マカロン製造は週に3回。オフシーズンでも週に4000個を作っているそうな。
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                             ↑ 焼き上がり

ガスオーブンの為、どうしても焼きムラが出来るが、焼き色の濃いものは売らずによけておき、週末に作るTarte au rizに使います。このタルトは父、ピエールが考案したもので、中にマカロンを入れて上には砕いたアーモンドと砂糖を振りかけて焼き、とても人気があると言います。訪れたのは週末ではなかったのが残念!
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              ↑ Tarte au riz(お米のタルト)実物が無いので雑誌に載った写真を…^^

使われている大きなオーブンにも驚きましたが、使われている秤もローラー等の道具も全て現役のアンティーク。
代々使われていたものだと思うと感慨深いものがあります。

しかもマカロンを入れる箱も1つ1つ自ら作っていると言うのが更に驚き!
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木材を1から加工して、組み立てているとか。マドレーヌの木箱に似てはいますが、とても丈夫でしっかりした作り。
マカロンも、それを入れる木箱も自家製ってスゴイですよね!?
箱を作っているグルニエは雑然としているから見せられないと言われてしまいましたが、見たかったー。


まだ先の話ですが、ディディエには息子が3人いるので七代目もきっと大丈夫に違いありません^^


Solbreux – Decamps
rue de Binche, 6  BE-6500 Beaumont



                                 ※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-06-09 15:49 | ベルギー地方菓子 | Trackback | Comments(6)

「le Russe ;リュス」と言う名のお菓子

Russe ;リュス」が誕生したのはアキテーヌ地方 Pyrénées-Atlantiques ;ピレネー・アトランティック県にある町
Oloron-Sainte-Marie ;オロロン・サント・マリー
* この町は県庁所在地であるPau ;ポーの東南に位置し、ユネスコの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」に登録されている。

考案者のAdrien Artigarrède ;アドリアン・アルティガレッド氏は近郊にある小さな村Bescat出身でBiarritz ;ビアリッツとLuchon ;リュションのパティスリーで修業した後、1925年故郷に近いOloron-Sainte-Marieにあった
お菓子屋を購入しました。

Russe ;リュス」 とは、プララン入りのバタークリームを、アーモンドとメレンゲを使って薄く焼いた、軽くて香ばしい
生地で挟んだもので、表面に粉砂糖を振り、大きいサイズにはクリームで「Russe」の文字と縁にジグザグ模様を
入れてあります。
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Adrienが買い取ったお店では「Russe ;リュス」と呼ばれるお菓子がすでに存在していたそうですが
彼はこれを元に自分のアイディアを加え、現在のようなお菓子へと作り替えました。
* 18世紀末頃に出版されたLacamやQuentin等が著した製菓本には「Gâteau Russe ;ガトー・リュス」という
名前の菓子が掲載されており、いずれもアーモンドが使われているという共通点がある。
* Gaston Lenôtre氏が1950年代に完成させた「Succès ;シュクセ」や 「Progrès ;プログレ
ナンシーのスペシャリテで1895年に考案された「Saint-Epvre」、シャンベリーの「Saint-Anthèlm」等々
同タイプのお菓子は全国に存在する。


ルセットはAdrienとその妻だけの秘密にされ現在まで家族代々伝えられてきましたが、近隣ではこれに似せた
お菓子が多く見られるようになったほどの人気菓子となりました。
Adrienの孫で3代目のJean-Paul Bassignana ;ジャン・ポール・バシニャナ氏はその秘密を教わる前
自分で試してみたことがあったそうですが、結局作ることは出来なかったと言います。
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↑ラボに飾られていた一代目(左)と二代目(右)の写真。上には「枝の主日(ココ参照」に祝別された枝が飾られている

名前の「Russe ;リュス」は「ロシアの(菓子)」という形容詞が元になっています。
エキゾチックな名前から「オロロンに亡命したロシア人捕虜がルセットを伝えた」とか
粉砂糖を振ったその外観がロシアの平原に積もった雪をあらわしている」とか
Adrienはロシア皇帝ニコライ2世の料理人だった」等々多くの逸話がささやかれているようですが、
Jean-Paul Bassignana氏によれば「その当時美味しいと言われていたクリミア産(ウクライナ南部にある半島で、その頃ロシア帝国の1部だった)のアーモンドを使っていた」ことに由来するのだそうです。


b0189215_115150.jpgさて、初めて「Russe ;リュス」を買ったのは12年前。
Pau ;ポーへ行った時のことでした。
← 初めて買った1人用のRusse

* PauとTarbesに支店有。


そして、実際にオロロンへ行けたのは3年前の1月。
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この地方のガレット・デ・ロワについて調べていた時に地元の料理やワイン等について詳しいHenri Combret;
アンリ・コンブレ
氏と知り合いになり、ガレット・デ・ロワ食べ歩き旅行の際この地を訪ねることに。
そして実際に作っているところを見せてくれるという知り合いのパティスリーをご紹介くださったのですが、それがまさしくこのMaison Artigarrède (!)。

b0189215_1049544.jpgオロロンにはリンツ(Lindt&Sprüngli)のチョコレート工場があったり、
フランスでも有数の美しさを誇るcrècheがあるCathédrale Ste-Marie ;サント=マリー大聖堂等々、興味深いところがあったので私としては長めに1日半の滞在を予定していましたが、この直前に居たマルセイユで大雪に見舞われて
足止めを食らい1日缶詰状態に(涙)。
翌日の昼過ぎにやっと電車へ乗れたものの、ポーからオロロンまでの電車は無く
タクシーを使用。
オロロンのホテルに到着したのは真夜中過ぎ…(疲れた)。
その為オロロンの町を見学出来たのは実質半日だけに~~~。
* この町では「Concours International de la Photo Culinaire(料理写真コンクール)web 」も開催されており
今年9月で5回目を数える。



とはいえ、Combret氏とBassignana氏にお会いして工房も見学でき、お昼には切り立ての美味しい生ハムと
コンクールでの優勝経験もあるというBassignana氏お手製のGarbure ;ガルビュールをご馳走になって
大満足の訪問となりました。
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               ↑ こちらが三代目のJean-paul Bassignana(左)と息子Michel (右)

(電車の時間ぎりぎりまで食べていたので、ホテルに預けていたフレッシュチーズを受け取り忘れ、駅の自動販売機で水を買おうとしたら機械の途中で引っかかって出てこず、電車は乗車後に故障という理由で下ろされ、バスへ代替になるというオチまであったのでした…涙)



                                    ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-30 11:08 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

「Massepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン」

以前にも書きましたが、Massepain ;マスパンという名前の付いたお菓子は、次の3タイプに分けることが出来ます。
・アーモンド+フルーツの「カリソン」タイプ
・アーモンドベースの素朴な「マカロン」タイプ
・ビスキュイタイプ(アーモンドは入っていない)



この町のマスパンはカリソンタイプ。

この菓子の生まれたIssoudun;イスーダンは、フランス中部に位置するCentre地域圏、Indre;アンドル県にある町。
スぺインのサンチャゴデコンポステラへ向かう巡礼路上にあり、
19世紀末からはBasilique Notre-Dame du Sacré-Coeur(ノートルダム・デュ・サクレクール寺院)の聖母マリアへの巡礼も行われています。

他のマスパンやマカロン同様これもまた地元の聖ウルスラ会修道女によって作られたもので、
フランス革命後の1790年、彼女たちはrue Porte Neuve (現在のrue Danièle-Casanova)に店を出し
販売を始めました。
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                   ↑ rue Porte Neuveを撮影したポストカード。ココから借用


このパティスリーの最後の所有者はDujardinという人物。
ルセットは秘密にされたまま1960年まで作り続けられ、Jacques Guyard ;ジャック・ギヤール氏が再び製造し始める
までの30年間廃れた状態だったと言います。
* 元はBourgesのベネディクト会修道女たちの作っていたルセットが聖ウルスラ会修道女へ伝えられたと言う説もある。サン・ローラン・ベネディクト会修道女たちはブルジュのマルシェで自分たちの作ったお菓子を販売しており、使われた型や道具が残っている。

この菓子はフランス中に知られるほど有名で、ロシア宮廷やバチカンへも送られていました。
* ナポレオン(1769-1821)やローマ教皇ピオ9世(1792-1878)も好物だったとか。


作家Honoré de Balzac ; オノレ・ド・バルザック(1799-1850年) は、その名声に一役買った一人。
バルザックは1823年から1830年の間Issoudun ;イスーダンをしばしば訪れ
友人のZulma Carraudの家に滞在しています。
この時Auberge de la Mère Cognet ;オーベルジュ・ドゥ・ラ・メール・コニエへも赴いて
コーヒーと共にこのマスパンを好んで食べていました。
彼の小説「La Rabouilleuse ;ラ・ラブイユーズ(1842)」の舞台はイスーダン。
バルザックはこの中でMassepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン
フランスのコンフィズリーで最も偉大な発明の1つである
と紹介し、このオーベルジュについても詳しく描写されています。
* 大きなお屋敷の元馬丁だったCognet氏と、元ブルジョワ家庭の料理女だった賢くて料理上手の妻が切り盛りする
このオーベルジュは非常に人気があった。現在でもRestaurant La Cognette ;ラ・コニェットの名前で存在している。


バルザックのラ・ラブイユーズが後押しとなり、出版から2年後の1844年3月には
ある菓子屋によってパリの39 bis rue Vivienneにマスパン・ディッスーダンを販売する店が開店したほどの
大人気となっています。


私がIssoudun ;イスーダンを訪れたのは2004年6月のこと。
Jacques Guyard ;ジャック・ギヤール氏によって1989年に創立された
マスパン・ディッスーダンの製造販売会社Benuxの工房を見学させて頂きました。
* 残念ながらこの工房は現在無くなってしまったようです。
この記事を書く前に問い合わせた返事が今日(6/26)届きました。現在でも少量ながら製造を続けているそうです。webはこちら

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                                 ↑ 工房の一部

購入したマスパンの箱には原材料として
アーモンド、砂糖、レモン、セドラ、卵白、転化糖、オレンジ花水」と書かれています。
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                             ↑ 購入したマスパンのパッケージ

ジョルジュ・サンドのひ孫の妻、Christiane Sandが出版した「A la table de George Sand(1993)」
には、Lisa Sand(ジョルジュ・サンドの息子の妻)が書き遺したMassepain d’Issoudun;マスパン・ディッスーダン
のルセット(Ulric Richard Desaix (1838-1924)のルセット)が掲載されています。

材料は「アーモンド、砂糖、ライムのゼスト、セドラコンフィ、卵白」。
焼いた生地の表面に、バニラ或いはオレンジ花水で香り付けしたグラスロワイヤルを薄く上掛けします。

ギヤール氏がどこからルセットを手に入れたのかは分かりませんが、このルセットからみても
当時からのルセットとほぼ同じものなのだろうと想像できます。

Benuxが無くなってしまったので、現在マスパンの販売はどうなっているのか観光局に問い合わせてみたところ
マスパンはラ・コニェットで販売されています」とのお返事を頂きました。
Benuxとラ・コニェットのマスパンが同じものなのかは不明ですが、取りあえずは販売されていることが分かって
ちょっぴりホッとしました^^
* こちらの映像ではラ・コニェットのシェフ、ジャン・ジャック・ドミー氏がデザートとして柔らかくアレンジした
マスパンの作り方を見ることが出来る。




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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-18 21:42 | ⑦Centre | Trackback | Comments(4)

ニームのお菓子「 Le Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」

Croquant ; クロカン」は、「Croquet ;クロケ」, 「croquettes ;クロケット」等と共に、
ナッツ入りの固いビスキュイのことで、古くからフランス各地で様々なタイプのものが作られていました。
* 名前は動詞croquer;クロケ(カリカリかじる)に由来し、croquantの名はcroquerの形容詞と同じ。
biscuit croquant;ビスキュイ・クロカンというと、「カリカリしたビスキュイ」の意味になる。

b0189215_0452693.jpg最近では「Croquant ; クロカン」の名称が良く見かけられますが、
古い本で探すと、かつては「Croquet ;クロケ」という名前の方が多く見られたことが分かります。。
分かっているもので一番古いと思われるのは1642年の文献で
Croquet ;クロケ」でした。
粉、卵、アーモンドを使い、バニラかオレンジ花水で香りを付けたものだった
ということで現在のものと大差ないものだったことが分かります。

フランス各地のスペシャリテについて書かれた「Trésor gastronomique de France(1933年)
Curnonsky /Austin de Croze共著の中で、croquettes,croquets,croquantsの名前のついたスペシャリテは全部で20個。
そのうちcroquantsは「Croquants de Nîmes ;クロカン・ド・ニーム」の1つのみ。
これは「Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」のことです。
 
↓ コチラがクロカン・ヴィラレ
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Nîmes ;ニームのrue de la Madeleine(マドレーヌ通)に、同じGard県Lédignanから来たブーランジェClaude Villaret ;クロード・ヴィラレがパン屋を出したのが、今でも続くこの店の始まり。
* かつてrue de la Madeleineの1部はrue des Barquettesと呼ばれパン屋が多く集まっていた。
それは近くに粉を引く水車が多くあり、小麦粉が効率よく供給されていた為。


Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」はクロードの息子、Jules Villaret ;ジュール・ヴィラレ
よって1775年に考案されました。
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                            ↑ 現役で使われている古い窯
* フォトグラファーのMichel Pradelにより1973年に撮影された写真では古い窯の様子が良く分かります。
ここのページの上から5枚目がその写真です。



その経緯はこんなものだったと言います。
この頃、政府による通貨変更により1個6liards(=1sou et demi ;1スー半)だったPain au lait ;パン・オ・レをお客が2スーで支払った場合1/2スー硬貨が存在しなかった為、お釣りに困っていた。
そこでクロカンを作って、お釣り代わりこれをお客に渡した

* Liardはフランスの古い硬貨で、1lirad=4sous。最後に鋳造されたのは1792年。1856年まで流通していた。
フランス革命以前の貨幣制度では 1 Livre ; リーブル=20 Sous ;スー(Sol ;ソル)=80Liards ; リアル=240Denier ; ドゥニエ。

お釣りがお菓子だなんて、お客は皆納得していたのかちょっと気になりますが
よほど美味しかったのか、もしかしたら(良くある)単なる「お話」なのかもしれませんね。
それにしてもこのような問題は他のお店でもあったはずですが、どうしていたのでしょう?

三代目はクロードの孫で「Croquanet ;クロカネ」と呼ばれたPaul Villaret ;ポール・ヴィラレ
後を継ぎ、Coque;コックと呼ばれるブリオッシュやFougasette;フガセット、1つ前のブログで取り上げた
Minerve;ミネルヴ等も製造するようになり、商品が充実されました。

しかしその後1969年、店を地元企業のSociété Raymond-Geoffroyに売却されます。
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↑ お店に飾ってあるポールさんの絵

* このポールさんが店を売却したとする記述もありますが、この企業のサイトには「1969年にクロカンヴィラレの秘密を手にする」というような内容の文章があり、ポールさんが亡くなったのは彼の肖像画に書かれているように1936年なので、辻褄が合いません。ヴィラレ家による店の経営は何代続いたのかは分からず。

さらに1987年にはRecolin Breydeが店を引き継ぎ、
2007年からは彼の孫Rémy Braydeが家族と共に店を切り盛りしています。


材料は「小麦粉、砂糖、アーモンド、レモン、オレンジ花水」で分量や作り方は秘密。非常に硬いのが特徴。
彼が店を継いだ当初は「クロカンが柔らかすぎる」と言いに来る常連客もいたのだとか…^^



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-07 11:21 | ⑬Languedoc-Roussillo | Trackback | Comments(2)

Le Nougat de Tours ; ヌガー・ドゥ・トゥール

Indre-et-Loire県の県庁所在地Tours ; トゥールのスペシャリテ「Nougat de Tours ; ヌガー・ドゥ・トゥール」。
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                     ↑ Le Livre Tournois(Poirault)のヌガー・ドゥ・トゥール

パート・シュクレに小さく角切りにしたフリュイ・コンフィと杏のジャムを敷き、アーモンドプードル・砂糖・卵白で出来た
マカロナードをかぶせ、表面に粉糖を振って焼いたタルトです。
本来はalberges ;アルベルジュと呼ばれる、種と果肉がくっついて外れない種類の杏から作るジャム、
confiture d'albergesを使いますが、オレンジ・マーマレード等も使われています。
* ヌガーというとヌガー・ドゥ・モンテリマールのようなコンフィズリーが思い浮かぶかもしれませんが、
このようなタイプのお菓子もヌガーと呼ばれます。
*Jules Gouffé (1807 – 1877)著「Le Livre de Pâtisserie」の中ではnougats d’abricots ;ヌガー・ダブリコ、
ブリオッシュ生地の上に杏のジャムを重ね、アーモンドスライス等を振りかけて焼いたヌガー等が掲載。
Pierre Lacam (1836 – 1902)著「Le Mémorial historique et géographique de la pâtisserie」では
同じnougats d’abricots ;ヌガー・ダブリコの名前で、ブリオッシュの代わりにパータフォンセを使用。


1998年から、このお菓子の販売促進活動を行っているConfrérie Gourmande du nougat de Tours ;
コンフレリー・グルマンド・ドゥ・ヌガー・ドゥ・トゥールのサイトによれば、
この菓子の最初のルセットは1865年頃に遡り、レストランオーナーシェフCharles BARRIER氏(故人)の蔵書の中にあったモナコ大公シャルル3世(1818-1889)の料理人が書いた本の中に見つけ、お客に勧めるお菓子があまり無かったことから1970年代に作りだしたのだとか。
*このコンフレリーでは年に一度、プロ向けのコンクールを開催。
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                           ↑ こちらは小さな1人前サイズ

パティスリーで販売されるようになったのは1992年で、最初に売りだしたのはPoirault;ポワローというお菓子屋さんだという話もありますが、真偽のほどはいかに?
(この店では「Le Véritable nougat de Tours(本物のヌガー・ドゥ・トゥール)」の名前で販売)
*「第二次大戦前に流行していた」という説もありましたが
美食家CurnonskyとAustin de CROZEの書いた「Trésor gastronomique de France(1933年)」という
フランス各地のスペシャリテについて書かれた本の中にはPruneaux fourrésは載っているもののヌガーは無し。



現在、伊勢丹新宿店で開催中のフランス展(4/18-23)では ルレ・デセールのメンバーでもある
La Chocolatière;ラ・ショコラティエールのヌガー&その他の商品が販売されていますね♪
(こちらは杏ジャムの代わりにオレンジマーマレードを使用です)
 


                                      ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-19 22:46 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

スペイン菓子をお取り寄せ・・・

前回のブログでご紹介した「Roscón de Reyes ; ロスコン・デ・レイジェス(レイエス)」を購入した際
Polvoron ; ポルボロン」も販売するとのことだったので一緒に購入♪
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ポルボロンは、これに似たmantecado ;マンテカード(と言うか、ポルボロンがマンテカードのバリエーションの1つ、と言う方が正しいらしい)やTurrón ; トゥロンMazapan ;マサパン等と共にクリスマスに欠かせないお菓子だったからこそ、ロスコンと一緒に販売されていたのですね~^^♪
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                ↑ とっても口溶けが良くて、口に入れるとホロッ、サラッとほぐれていくのが特徴


SDC東京のお仕事の際に差し入れに持って行ったところ、評判も良くて「また食べたい♥」という要望にお答えして、
これを販売していたスペイン料理アカデミーの渡辺万里さんにお尋ねしたところ、
「今は藤本恭子さんが直接販売しています」とのお返事が・・・。

早速連絡してみたところ、現在販売しているのは
・ポルボロン
・ロスコ・デ・ヴィノ(マスカットの甘いワインが入ったクッキー)
・ロスコ・デ・イェマ(卵黄が入ったクッキー)
・ブランコ(白いクッキー)
・パナジェッツ(アーモンド生地と松の実のお菓子)
・タルタ・デ・サンティアゴ(アーモンドタルト)

と、教えて頂いたので
ポルボロンの他に、ロスコ・デ・ヴィノ、パナジェッツ、タルタ・デ・サンティアゴも購入してみました♪
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どれもアーモンドの香り豊かな、素朴ながらも丁寧に作られた滋味に富んだお菓子でした。
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              ↑ タルタ・デ・サンティアゴ。タルト生地もサクサクで美味しい

藤本さんはスペイン菓子を探求するため4年間スペインに滞在したそうで、今のところ実店舗の予定は無いものの、
6月に大阪・梅田で開催されるスペインフェアに出展する予定とお聞きしました。
スペインフェア(スペイン文化協会))
スペインは大好きなので何回か訪れていますが、出会ったお菓子はどれも美味しいものばかり♥
そんな本格的なスペイン菓子が日本で食べられるとは嬉しい~~~♪


お菓子に添えられたリーフレットには「ポルボロンとは粉を意味するpolvo ;ポルヴォが語源」と説明されていました。
食べた時、粉のようにほぐれていく食感から名付けられたのでしょうね。
調べてみる(日本語とスペイン語で)とマンテカードと共に、ラードと粉を材料にアンダルシア地方で16世紀頃から
作られるようになったとありました。
セヴィーリャ県Estepa ;エステパとマラガ県Antequera ;アンテケラの2つの町が
その発祥地であると主張しているのだとか。
(日本語で検索したら、こんな興味深いブログを見つけましたよ)


こんなに色々な情報が発信されているのに、
本当のスペイン菓子って日本では意外にもあまり知られていなかった!? ということを改めて実感です^^;



                                  ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-03-06 21:59 | その他 | Trackback | Comments(4)