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 「東京カド」のマドレーヌ

今から4年前「日本で最初のガレット・デ・ロワは?」というタイトルで書いたブログ(ココ→)にも
少しだけ書いている老舗フランス菓子店「東京カド」。
ワンダフルハウスさんにお誘いいただき、この夏初めての訪問が叶いました!
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カドの創業者である高田壮一郎氏(1934-2005)は私費留学生試験に合格し、
1956年パティシエとしては戦後初の政府認可私費留学生として渡仏しています。
翌年には労働手帳を取得して、当時パリの2区にあったパティスリー「Cadot ;カド」で働きながら職人としての技術を習得。フランス滞在中は、沢山の菓子やショコラを買ってきては写真を撮影していたのだそう。
(その後、膨大な写真は頼まれて貸したりしているうちにどこへあるのか分からなくなってしまったとか。
今これらの写真を見ることが出来たのなら、どれだけ素晴らしい資料になったことでしょう!)

そして帰国後、1960年に「東京カド」を設立しました。
創業者と、以前私の質問に答えて下さった息子さんの夏生さんはとても残念なことにもういませんが、
壮一郎氏の奥様である高田ハルさんはお元気でご活躍とのこと。
当日はわざわざお店で待っていて下さいました。
それがまたとってもチャーミングで素敵なマダム!
色々とお話をお聞きすることが出来、夢のようなひとときでした。

お店には創業当時から作り続けられているお菓子がいくつも並べられていましたよ♪
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↑ アントルメ「キルシュ」

いただいたお菓子はどれも美味しくて、アントルメの「キルシュ」はバタークリームを使ったものですが、
クレーム・シャンティイにバターの風味とコクを加えたものであるかのごとく軽やか。
既にお腹が一杯で食べきれないと思っていたのに、おしゃべりしながらいつのまにか完食・・・^^ ;


創業当時から作られているものの1つが『マドレーヌ』。
東京カド」は日本で貝殻形の型で焼いたマドレーヌを販売した最初のお店と言われているのです。
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↑ 好みの焼き色が選べるバラ売りも。

それまでは日本では型が無くて菊型しか作られていなかったのですが、
同時期パリに居た留学生たちと仲が良く、その中の1人、加賀乙彦氏に
日本で本物のマドレーヌをお売りなさい」と勧められ、フランスからマドレーヌ型を
買って帰ったが始まり。

「もしかして、その当時の型を使っているのかも?」と思わずワクワクしてしまいましたが、
当時からフランス帰りの人々を中心にかなりの人気があって沢山焼いていた為、早々に日本で同じ型を作って貰ったりもしてたそうで、そのようなことは無いと言われました。
が、なんと!今でも当時の型を使って焼かれているものもあるそうで、パン・ド・ジェーヌがそれだとのこと。(つまり50年以上も使い続けられているのですね!)

ショーケースの中でも特に目を引くのが可愛らしいコブタさん「コショネ」^^
マドレーヌ2個をクリームではさみ、マジパンで包み仔豚の形に成形してチョコ掛けしたものです。
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↑ コショネ。子供に喜ばれそうなひょうきんな表情の仔豚^^

これはロスになるマドレーヌを再利用するために誕生したものだそう。
職人気質の壮一郎氏は、色や形の悪いマドレーヌは捨ててしまっていたそうですが、お店の職人さんがそれを何とか活きかえらせたいと考案したのでした。
マドレーヌで出来ていると分かると、なんだかいっそう愛着が湧いて可愛くみえたりして…^^♪


さて、ここで販売されているマドレーヌ、せっかくフランスと同じように貝殻型で焼かれていると言うのに、
特有の「でべそ」はありませんでした。
う~ん、「マドレーヌ好き」としては「でべそ」の無いマドレーヌは「本物のマドレーヌ」とは言いかねる…。

気になって仕方なかったので、思い切って図々しくも尋ねてしまいました^^
ハルさん曰く『「でべそ」があるとご贈答用に箱詰めする際、綺麗に並べることが出来なかったので、
あえて「でべそ」がないものを作るようになった
』とのこと。
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↑ こちらは箱入り。確かに綺麗に並んでいます^^

「日本のお客様はそんなことを気にするのね~」と残念がっていると、
「でべそ」のあるマドレーヌも定期的に注文を受けていて、その時なら販売も出来ますよ』という嬉しい
お言葉♪

後日送って頂いたのが、この「でべそ」のあるマドレーヌ。
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食べ比べてみると「でべそ」無しの方が「ふんわり」、有りの方が「もっちり」に感じました。
焼き色の入り方も違うみたい。
(「でべそ」は小さめですが、創業当時と同じなのかな(?)と思うとやはり感慨深い)。
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↑ 左がお店で売っている「でべそ」無し、右が「でべそ」有りマドレーヌ

当時の面影をそのまま残していると思われるお店のしつらえと、地元の常連客さんたちが醸し出す
なんとも言えないノスタルジックな雰囲気のお店。
少しでも長くこのまま続いてほしいと願うばかりです。




                      ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-09-18 09:12 | その他 | Trackback | Comments(2)

「Madeleines de Liverdun;マドレーヌ ドゥ リヴェルダン 」

正式名称は「Les Véritables Madeleines de Liverdun ; ヴェリターブル マドレーヌ ドゥ リヴェルダン」。
Liverdun ; リヴェルダンはロレーヌ地方ナンシーの北西、15km程の所にある小さな町。
マドレーヌで有名なコメルシーからもほど近い、電車で30分程の所に位置しています。
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その歴史は…

1914年Joseph Rouvenachtと言うパン職人が、見習いMarcel Chenelを伴って駅前に店を出し
マドレーヌの製造を始めます。
(この当時から既に彼の店を含め4件のパン屋がマドレーヌを製造)
中世の面影を残すリヴェルダンは大都市ナンシーから近く、風光明媚なモーゼル川で水遊びを楽しむ家族連れや
釣り人の集まる観光スポットとなっており、マドレーヌはちょうどいいお土産でした。
10年後の1924年、Marcel Chenel氏は主人の店を引き継ぎます。
(マドレーヌの他にビスキュイ・ア・ラ・キュイエール、マカロンも製造)


この頃リヴェルダンではChenel氏の「Véritables Madeleines de Liverdun」の他に
Vautrot氏の「madeleines de la Gerbe d’Or」とVernier氏の「madeleines de la Tour」の
3種類のマドレーヌが販売されており、競争も激しかったのですが、
駅前で旅行者の交通量も多いChenel氏の店は利用客も多く、次第に有名店となって行きます。
お店で販売するほかにも、行商人たちがナンシーの通りでの販売もしており、これは1960年代まで続いたそうです。

美食家CurnonskyとAustin de CROZE共著「Trésor gastronomique de France(1933年)」という
フランス各地のスペシャリテについて書かれた本の中で取り上げられる等、ロレーヌ地方の菓子として
全国的にも知られるようになりました。

Marcel Chenel氏は40歳の若さで妻と5人の子供を残して亡くなり
第二次世界大戦時のドイツ軍から受けた被害もあった為、製造休止期間がありましたが
1947年、Marcelの長男André によって製造再開。
彼はマドレーヌ製造の他に、コンフィズリー等の卸売業を始めます。

Andréの退職が近づくと医業に携わっていた息子のSergeが家に戻り、3年間父の下で仕事を学んだ後
1998年に店と卸売業を引き継ぎます。
マドレーヌ製造の会社と卸売会社を完全に分離し、2000年に後者を売却。
マドレーヌ一本に絞り現在に至っています。


*******************************************************************


包装に描かれた「笑顔でマドレーヌを食べる老婆」はナンシーの画家、Scherbeckの手によるもの。
ごく初期の1920年代からこのロゴマークが使われています。
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↑ 両方ともScherbeckの描いたお婆さんの絵。左のおばあちゃんがカワイイかなぁ♪


牛乳と焦がしバターを使ったルセットは昔から一切変わっていません。
製造量が多くなるにつれ徐々に機械も導入されていきましたが、新鮮な卵やバターを用いた製造法は手工業のまま。
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↑ 左が マドレーヌ・ドゥ・リヴェルダン、右が新商品のミラベル味。

この町を訪れたのは2006年のこと。なんとも古めかしい小さなお店でマドレーヌ1種類を販売していました。
(「Madeleines de Liverdun」の他にスーパー等の量販店向け商品で使われるバターの質が異なる
「madeleines Chenel」も製造しており、現在はミラベル味のマドレーヌもあります)
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↑ ナンシーにあるPâtisserie St Epvreで売っていたChenelのマドレーヌ

現在でも地元でよく知られた存在で、あちこちのお菓子屋さん等でも見かけられる有名なマドレーヌのお店が
ごく素朴なかつての雰囲気をそのまま残しているというのがなんとも不思議な感じで、貴重にさえ感じてしまいます^^
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↑ ごく普通の外観

製造しているのは、駅から離れた工業地区にある建物内。
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どんな所なのか気になったので探してみると、案外簡単に見つかりました♪
さすがに覗いてみる勇気はありませんでしたが…^^; いつの日か見学してみたいものです。




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by Ethno-PATISSERIE | 2011-07-24 00:17 | ⑮Lorraine | Trackback | Comments(2)

St Yrieix La Perche ;サン・ティリエ・ラ・ペルシュ のマドレーヌ

b0189215_18232277.jpgリモージュの南、電車で40分程の所にあるSt Yrieix La Percheサン・ティリエ・ラ・ペルシュは自然の産物と歴史に恵まれた町。
町の起源は5千年以上前、ブルターニュと地中海を繋ぐ「金属の道」があったガリア時代に遡り、この地の豊かな鉱物資源、錫・鉛・銀・金がこの道を通って各地に運ばれていた他、水資源・木材等にも恵まれていた為に自然と人が集まり、古くから栄えていた町です。
1768年、硬質磁器を作るために重要なカオリンが発見された町でも
あり、それによりSèvres;セーブルにあった王室陶器製造所において
フランス最初の硬質磁器製造に成功しました。
↑ 立派なHôtel de Ville;市役所

b0189215_18305895.jpgマドレーヌがこの町のスペシャリテであることを知ったのは
初めてリモージュを訪れた2000年のこと。
この地方の特産物を扱う店で見つけたのがきっかけでした。

中世の時代サン・ティリエはスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路上重要な休憩地であり、帆立貝が巡礼者の印であったことから「マドレーヌという名前の娘が帆立貝の殻で焼いたお菓子を巡礼者たちに配っていた」と言う逸話もありますが「19世紀中頃にコメルシーから来た、あるコンパニヨン・パティシエによって作られた」という話も聞きます。
                                             ↑ 道路に埋め込まれた帆立貝マーク

b0189215_21571483.jpg町外れに工場があり、マドレーヌを製造している「Bijouビジュー」は
1845年Antoine Dubois氏によってbd. de l'Hôtel de Villeに創業された
パティスリーで、ショコラ・ノワールをかけたMadeleinettes(ミニマドレーヌ)がスペシャリテでした。(彼の息子、Pierreが工場化を推し進めて1970年に移転、現在は孫のJean-PhilippePierre-Louisが跡を継ぎ、約140人の従業員を抱えるまでになっています。)
← 「Bijou」の宣伝用Pins。土地柄磁器製のものも♪

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↑ Bijouの看板             工場直売所入り口           店内

L’inventaire du patrimoine culinaire de la France Limousinという本の中では「1931年のGuide UNAで、1840年創業のMaison PaublancがMadeleine de Saint Yrieixの創作者」となっていますが、観光局のパンフレット等では現在町のパティスリー等で販売されているマドレーヌは「1894年に創業したパティスリーのPierre Aublancの跡を引きついだもの」とあり、Paublancについては触れられていません。
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↑ Le Croquembouche       Pomminetteの看板          リモージュ焼きのマドレーヌ

かつてAublancの店があったと言われる場所にあるパティスリー「Le Croquembouche」のAlain Ponthier氏によれば、この店は1892年創業、彼が買い取った後、改装中に壁の中から「recettes des Madeleines Aublanc」とMadeleine limousineの創作者で1900年Aublancのシェフ・パティシエだったM.Vidalのルセットが書かれた
書類を発見して、大変驚いたといいます。
実際に拝見させて頂きましたが、手書きで丁寧に作り方が書かれており、Aublancの文字がはっきりと分かります。(PaublancというのはP. Aublancの間違いだったのかな?とも思えます)

b0189215_21353869.jpgMadeleines de St Yrieixの特徴はビターアーモンドで香り付けされていること、最初「Bijou」で販売されていたのがMadeleinettes;
マドレネットであることからサイズは大小の2種類あって、チョコをかけているものもあることでしょうか。


→ [La Cerise sur le Gâteau]のmadeleinettes
Ponthier氏の店ではLimousin地方の特産であるリンゴの香りを付けたPomminette;ポミネット(リンゴ濃縮果汁使用の小さいマドレーヌ)も販売しており、リモージュ焼きで作った大きなマドレーヌ形の容器(長さ:21cm,幅:15 cm,
高さ:15 cm。これにマドレーヌを入れて販売)を考案するなど、非常に独創的!
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↑ Ponthier氏によるPomminettesの実演


b0189215_21464193.jpgb0189215_21472162.jpgBijou」の他にもマドレーヌを製造販売している工場「Boule d’or」があります。
(以前はこの町にあったがSaint-Maurice-les-Broussesへ移転した「Madeleines Bébé」もある)

← 「Boule d’or」&店内

結局のところ実際の歴史解明までは至りませんでしたが、「Le Croquembouche」を始めとする多くのお店で
マドレーヌが見られ、町ぐるみで愛されているお菓子であることは確か。
生産数では負けるかもしれませんが、これを作っている店の数を比べるとCommercy;コメルシーよりも多いかもしれませんね。

お店の住所はこちら
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by Ethno-PATISSERIE | 2009-08-12 22:54 | ⑭Limousin | Trackback | Comments(6)

Les Madeleines de Commercy その2

実際にコメルシーでマドレーヌが販売されるようになったのはいつ頃でしょうか?

最も古いmadeleinier(マドレーヌ製造者)はMaison Colombé。
150年続くブーランジェ・パティシエの家系で、cardinal de Retzに仕えていた者もいました。
またスタニスラスの厨房で働いていたClaude Colombéは1780年自身の店で Madeleine Paulmierのルセットで製造していたと言います。
Colombé家は「la Cloche d'Argent」と「la Cloche Lorraine」(↓で出てくるGROJEANの流れ)の2つの店を所有していましたが、後にこの商売をやめることになりhôtel de la Cloche d’Orを、型や窯ごとフランス西部出身の
パティシエJean Brayに売却しています。

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madeleiniersにはCloche d'Or, Cloche d'Argent, Cloche Lorraineといったcloche;鐘の文字が入った名前のところが多い。
これは大きな鐘をEglise Saint Pantéonに贈ったスタニスラス公に敬意を表しているため。






←教会とその内部

ロレーヌの一地方都市であるコメルシーでは当初マドレーヌの需要もそれ程ありませんでした。
それが徐々に人口が増え始め、1851年にパリ-ストラスブール間の鉄道の開通し(完成は52年)、コメルシーにも駅が出来て交通の便が良くなると格段に需要が増えました。
(ヴォージュ産もみの木(後にブナの木)で作られた箱入りマドレーヌは輸送にも最適)
1874年10月13日には県令により駅ホームでのマドレーヌ販売が許可され、電車の停車中にマドレーヌを買うことが
出来るようになりました。

b0189215_091385.jpg20世紀初頭のポストカードにはマドレーヌ売りの娘たちをモチーフにしたものが見られます。第二次世界大戦前までその売り子たちの姿が見られたとか。





→ 当時のポストカード(複製品)


Maison Colombéの後、様々なmadeleinierが出現しますが20世紀初頭には10数件、1939年の段階では6件、
いずれも手工業的なものでした。

madeleines de la Cloche d’orの所有者となったMarcel Ullrichは、それまで1つ1つバラバラだった型を
現在のようなつながったものに改良。更にトンネル式のガスオーブンを導入し効率よく生産できるようにしました。
また薬剤師の助手をしていた父親はベーキングパウダー使用がビスキュイ製造に効果があることを発見した人で
あったこともあり、Ullrichは味・生産面での発展に貢献したと言えるでしょう。
1982年には、1時間200kg、1週間15トンのマドレーヌを製造したといいますが、残念ながら火事等の度重なる
不運の為、今はもうありません。

b0189215_20442183.jpg現在マドレーヌを製造販売しているのは2ヶ所のみ。1つは街中にあります。
Madeleine de Commercy GROJEAN/A la Cloche Lorrain /St Michel SAS
こちらは大企業の傘下にある企業。
お店には2007年Espace Madeleineが併設され、ビデオでマドレーヌの歴史を辿ったり、製造を見学できるようになりました。
(1986年biscuiterie St Michelに買収され、更にドイツBahlsenの傘下となるが2006年フランスのMorina Baieグループに買収されている)  




→Grosjeanの外観



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←92年訪問時の店内
     ↓08年訪問時の店内






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もう1つは町外れにあり、小規模に製造直売しています。
ガラス張りになっているので実際に作っているところが見られます。
駐車場も広く、喫茶コーナーもあるので車での旅行者に最適。




では、かつて町に沢山あったMadeleiniersの建物は今どうなっているでしょう?
Confrérieの会長Robert Stemmelin氏にお聞きすると、多くの建物が改築されたり壊されたとのこと。
住所を頼りに訪ねてみましたが、やはり面影の残る建物は1件だけしか見つけることが出来ませんでした。

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それぞれの店ではマドレーヌや地元特産品の他、マドレーヌグッズ等が色々あって行く度に違うものが発見でき、
何度訪れても飽きません。
マドレーヌ以外にこれと言ったもののないこの町へわざわざ立ち寄ってもらえるよう工夫しているのでしょう。
いつかまた行きたい町です。



※※※


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Bibliographie
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by Ethno-PATISSERIE | 2009-06-13 22:29 | ⑮Lorraine | Trackback | Comments(6)

Les Madeleines de Commercy その1

フランスで「マドレーヌの有名な町」と言えば、何と言っても真っ先にコメルシーが挙げられることでしょう。

b0189215_1658727.jpg1992年5月にフランス北東部からリュクセンブルク、ベルギー、オランダを(大雑把に)まわる旅の際、途中下車したのが最初でした。
ここへはこれまでに3度訪れており、昨年はConfrérie gastronomique des Compagnons de la Madeleine de Commercyへの取材を試みましたが、タイミングが悪くて実現せず(1週間後ならバッチリだったのですが…)。

←Commercy駅

さて、マドレーヌの由来は諸説あります。
1847年の段階で歴史学者Charles Dumontが「マドレーヌの考案者が分からないことは非常に残念だ」と言っているように、真実は闇の中。本当のことは誰にも分かりません。
ただ長い間作られていることを考えれば、帆立貝形のマドレーヌがこの町(或いはこの町に関係のある人)で考案されたと考えるのは、決して突飛なことではないように感じます。

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これを踏まえたうえで2つ紹介しましょう。

* Madeleine Simoninが考案したとする説。
マドレーヌは恐らく当時コメルシーに住んでいたcardinal de Retz(Retz枢機卿) Paul de Gondiの料理人、Madeleine Simoninによって1661年pâte à beignetsを改良した新しいお菓子として考案されたものである。
枢機卿の友人であり、彼の家でよく食事をしていた Longueville公爵夫人により、料理人の名前にちなんでマドレーヌと名付けられた。

* Madeleine Paulmierと言う名前の給仕係が作ったとする説。
コメルシーの城でStanislas Leszczyński(1677-1766;元ポーランド王、
ロレーヌ公)主催の食事中、ある見習い料理人がシェフに対する怒りからデザート用のお菓子を台無しにしてしまい、給仕係がすぐに用意できる祖母の作っていたお菓子を作り、この窮地を救った。スタニスラスがこの給仕係の名前Madeleine Paulmierからマドレーヌと名付けた。
(その後スタニスラスの娘でルイ15世の妃Marie Leszczyńska(1703-1768)がヴェルサイユでマドレーヌを作らせたという話も)

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← château Stanislas (観光局有)


かわいらしい名前にぴったり後者の説は広く受け入れられているように思います。
しかし、仮にも元国王であったスタニスラスの食事会で、雇われの身である見習い料理人が、癇癪を起こしてデザートをダメにしてしまうなんて、もし本当だったら許される話ではないような気がしますが…。

この他にも

* Talleyrandの料理人、Jean Aviceがカトルカールの生地をアスピック型で焼き、これをマドレーヌと名付けたとする説。
* Alexandre Dumasは「Le Grand Dictionnaire de cuisine(1873年)」の中でMme Perrotin de Barmondの下宿人で元料理人のMadeleine Paumier(Lは無い)に由来するというマドレーヌのルセットを紹介している。

などと、マドレーヌに関係する話は様々あります。

b0189215_1740691.jpgいろいろな人の解釈で組み合わさったり、尾ひれが付いたと思われるものもありますが、いずれもマドレーヌ誕生の確かな由来を証明できるものではありません。

コメルシーのマドレーヌ以前にもマドレーヌという名前のお菓子は存在したのでしょうか?
そしてそれは帆立貝形だったのでしょうか?



タイムマシンでも出来ない限り、このなぞが解明されることは無いのかもしれませんね^^




※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2009-06-11 19:35 | ⑮Lorraine | Trackback | Comments(6)

Les Madeleines de Proust (Illiers-Combray)

マドレーヌは様々な研究テーマの中でも特に愛着を感じるお菓子。
ぷっくりしたおへそのある貝殻の形がなんとも愛おしく、いつどこで誰がこの形で焼き始めたのか?
なぞに満ちた、研究心をくすぐるお菓子です。

日本ではお菓子屋さんに必ずあるアイテムで1つずつ包装されて販売されていますが
フランスではお菓子屋さんというより、大きな袋入りのものをスーパー等で買うイメージ。
また、マドレーヌをスペシャリテにしている町もいくつかあります。

Marcel Proust(1871-1922);マルセル・プルーストの本に出てくるマドレーヌのお話は、
実際に本を読んだことが無い人でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。
(お気付きの通り、ブログのタイトルはプルーストの「A la recherche du temps perdu;
失われた時を求めて」をもじったものです笑)

b0189215_18504142.jpg私が最初にIlliers-Combrayを訪れたのは1991年9月のこと。
2度目の留学の時、RouenにあるINBPという国立製菓・製パン学校へ入る前、
フランス各地を転々と移動しながら語学学校に通っている時でした。

元はIlliersという名前でしたが、プルーストがCombrayという架空の名前で小説を書いたことで有名になり、1971年、プルースト生誕100年を記念してIlliers-Combrayに改名されています。
実際この町は父の生まれ故郷。
マルセルが小さい頃、この町にある叔母Elisabeth Amiotの家でヴァカンスを過ごしたのだとか。

b0189215_21245784.jpg本に出てくるMaison de Tante Léonie;レオニ叔母さんの家はプルースト博物館になっていて見学可能。(写真→)2階にある叔母さんの寝室にはマドレーヌが置いてあり、まるで物語の世界に入り込んだよう。
「ここで紅茶(或いは菩提樹のハーブティ)にマドレーヌをひとかけら浸し、スプーンですくって…」とまるで今小説の中にいるかよう…。


b0189215_185486.jpgこの近くに「レオニ叔母さんがマドレーヌを買っていた」という看板を掲げるというお菓子屋さんがあって、袋入りのマドレーヌを買うことが出来ます。

こちらは最初に訪れた時のお菓子屋さんとマドレーヌb0189215_17233662.jpgb0189215_1715269.jpg

b0189215_1826113.jpg2度目に訪れたのは2006年10月
車でノルマンディーへ行く途中、またマドレーヌを買いたくて。
お店が全く変っていなかったことはビックリと同時に嬉しいものでした。
(でも前には無かった箱入りが登場…。とはいえ所有者のChristian Védieさんは代わらずそのまま !)
こちらは2回目に訪れた時。↑上と全く同じでしょ?(笑)
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b0189215_18221182.jpgここのマドレーヌの特徴は丸っこい形。
一般的なものは細長いものですが、より帆立貝に近いこの形が私のお気に入り。

マドレーヌがスペシャリテになっている町はスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼道沿いにあると言われ、巡礼の印で器としても使われていたという帆立貝とマドレーヌを結びつけて考えられています。
この町にある教会の名前はEglise Saint Jacques;サン・ジャック教会。
やはりこの町も巡礼道上にあったのでした。

さて、小説の主人公が紅茶に浸したマドレーヌを口にして、幼少期の出来事を思い出したように、
味覚や嗅覚からふと過去の記憶が蘇ることを「プルースト現象」等と呼ばれますが、
私にとって薪で燻された香りがそれにあたり、両親の実家で過ごした夏休みのことが鮮明に蘇ってきます。

あなたにとって「プルーストのマドレーヌ」は何ですか?



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2009-06-03 21:52 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)