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諸聖人の日のお菓子「la Niflette ;ニフレット」

la Niflette ;ニフレット」は、オレンジ・フラワー・ウオーターで香り付けしたクレーム・パティシエールをのせて焼いた、丸い小さなパイ菓子。
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↑ Boulangerie Marc Mecreantのニフレット

Provin ;プロヴァンの町とその近郊のスペシャリテで、11月1日 Toussaint ;トゥーサン(諸聖人の日 )
伝統的なお菓子です。
この日の前後2週間程度の間という短い期間しか販売されていません。
* Provin ;プロヴァンはIle-de-France ;イル・ド・フランス地方圏 Seine-et-Marne ;セーヌ・エ・マルヌ県の町。古くから栄えた町で、古い街並みも多く残され「中世市場都市プロヴァン」としてユネスコ世界遺産に登録されており、またコンフィチュール等バラを使った製品でも有名。
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↑ 青空市ではお供え用の鉢植えの菊が沢山売られていました。


この菓子の起源は中世に遡るという研究家もいるとのことですが、
現在のような形になったのはガルニチュールであるクレーム・パティシエールが考案された17世紀以降であることに間違いありません。
またかつては、現在のような小さいものの他に大きなサイズも存在し、売り子が通りでアツアツの出来たてを販売するのが伝統的なスタイルであったのに対し、現在では作り置きした小さいサイズのものを、
主に1ダースずつ販売するスタイルに変わっています(1個からでも購入可)。


それにしても何故、諸聖人の日にニフレットが食べられるお菓子となったのでしょう?
いつから、誰が作り始めたのか?はっきりしたことは全く分かっていません。

フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅する
L’inventaire du patrimine culinare de la France 」Ile de France版(1993年)によると、
この名前の由来はラテン語の「ne flete」(仏語でne pleure pas(泣かないで)という意味を示す)の変形だ
とされ、かつて「この菓子は両親のお墓の前で泣く孤児に贈る習慣があった」ため、これに由来するだろうと考えられています。 (残念ながら、この習慣については昔の資料を探しても出てこず…。)

これは現在一般的な説となっていて、調べてもおそらくこれ以外は出てこないでしょう。


私が見つけられたニフレットに関する一番古い記述は、色々な歌を集めて紹介するLouise Hardouin Prosper Tarbé著「Romancero de Champagne,Tome Ⅱ(1862年)」という本でした。
歌の題名はずばり
La Toussaint, ou Les Niflettes de Provin(諸聖人の日、或いはプロヴァンのニフレット)」。
歌詞からは諸聖人の日の頃、大小の熱々ニフレットを売り歩く売り子の様子が思い浮び、この頃にはこの地ですでに定着しているお菓子であることが分かります。
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添えられた注釈には『遠い昔から11月1日に若い売り子がこの歌をうたっていた』こと、『Nifletと言う語は美味しいものに付けられた別称であること』、そして『nifler,reniflerという動詞が「気取って嗅ぐ」ことを意味する(←ちょっとピンとこないけど) 語だということ』が説明されていました。
そして「この日にこの菓子をたべるのは『故人たちの葬送の食事』或いは『諸聖人への陽気なお祝い』の
どちらだろうか?」とも書かれていて、この時点でもその意味合いがはっきりしていないことが伺えます。

この次に古い記述は
Bulletin de la Société d'archéologie, sciences, lettres et arts du département de Seine-et-Marne (セーヌ・エ・マルヌ県 考古学、科学、文学、芸術の報告書)」の1869年度版
にありました。
ここでは上記の本よりも12年古い「1850年8月24日付『Feuille de Provins 』の記事の中で、
nifletteという語が、諸聖人の日のお祝いに対する楽しい感情を表現する意味合いを込めて、
ラテン語の「ne ftete(=ne pleurez pas泣かないで)」に由来したものであることを示そうと努めた・・・」という内容が書かれています。
つまり、ここでも結局のところは想像に過ぎないわけですが…。
悲しいと言うよりも楽しいイメージなのですね。


他にも「両親のお墓の前で泣く孤児にこの菓子を贈る習慣」の痕跡は見つけられなかったことを考えると、
現在に考えられている悲しい意味合いとは逆の、楽しそうな意味合いの方が強かったのではないかと言う印象を持ちました。
前者の本の注にあった「renifler」は現在でも使われている動詞で「(鼻をくんくんいわせて)臭いをかぐ」という意味もあることから、アツアツのニフレットからただよう良い香りを思わずくんくんしてしまう光景の方がしっくりくるような(笑)???


さて、実際にニフレットを食べにProvin ;プロヴァンを訪れたのはちょうど1年前のこと。

色々なお店のニフレットを食べ比べしたかったので、街にある6件のお店を訪ね歩きました。
1つがとても安く1ダースずつ買うのが普通なのですが、そんなに沢山食べられないので1種類1個ずつ購入(お店の人には申し訳ないけれど…汗)。
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多くのお店でNature(プレーン)Eau de Fleur d’oranger(オレンジフラワーウオーター味)の2種類を
販売していました。
パイ生地も薄いものや良く膨らんでいるものまで、クリームも色や量、絞り出す口金の形も様々で、
同じものは1つもなく、食べ比べのしがいがありました~♪
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↑ 小さいから6種類の食べ比べも楽勝~♪

日本へ帰る前、パリのブーランジュリー「Du Pain et des Idees」へ寄ると、1週間ほど前に行った時には無かったニフレットを発見!
これはパイ生地が四角いバージョン。(5個又は10個単位での販売で、バラ売りはなし)

今年8月自由が丘にオープンしていますが、同じく四角いニフレットも販売しているようです。
(こちらは期間限定では無く、通年販売)

気になった方はこのおかげで日本でも手に入るわけなのですが、出来ることならやっぱりこの時期
実際にここへ行ってみてくださいね~♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-10-30 21:25 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

fouace ;フアス似の「Gâteau de la Mariée ;ガトー・ドゥ・ラ・マリエ」

Gâteau de la Mariée ;ガトー・ドゥ・ラ・マリエ』は、Aveyron ;アヴェロン県Laissac ;レサックのスペシャリテです。
おそらくフランスでもこの辺りでしか知られていないであろうお菓子…。
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レサックは電車も通っておらず、バスも1日数本しか通っていないようなとても小さな町ながら、
毎週火曜の午前中に行われる家畜市はフランスで第2位の規模を誇り、その起源は15世紀初めに遡るという
アヴェロン県で一番最初に家畜市が行われた町でもあります。


以前フランスの食雑誌「Saveurs」にこの菓子が紹介されて以来、いつか行ってみたいと
思っていたお店でした。
2002年にこの地方を周る旅の計画を立てた時、お店にコンタクトを取ったところ快い返事を頂き、
どんなに嬉しかったことか♪
相手の都合に合わせての訪問だった為、滞在していたRodez ;ロデズからはバスではなく
タクシーでお店へ…(タクシーの運転手さんとの会話も楽しみ。いつも沢山の情報をいただけます^^)
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↑ 石造りの素敵な外観。

相手をしてくださったのはLaurence Roques;ロランス・ロックさん。妹のMartine;マルティーヌ と共に2つの店を切り盛りしています。
彼女たちの祖父母(Elie Roqueと妻でMeunier(製粉業者)を父に持つLouise Bru夫妻)が
1930年、このお店を始めたました。

店内には様々な形のpains au levainや大きく焼いた切り売りのタルト、シュー菓子等が並び、ひっきりなしにお客が買いに来る人気店で、ゆっくり話をする時間が取れないほど。
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↑ アプリコットぎっしりのタルト。切り売り。


ガトー・ドゥ・ラ・マリエ」は「fouace ;フアス」に似た生地を長方形のオーブンプレート一杯に
ドーナッツ形に成形して焼いてあり、量り売りされていました。

この菓子が誕生したのは、夫が戦争の為この地を離れ二代目のLouise Roques ;ルイーズ・ロック
1人で店を守っていた時のこと。
物の無い時期で材料も限られていた中、ある日結婚式のお菓子の注文が入り工夫して作ったのが始まりで、
最初は『fouace de la Mariée ;フアス・ドゥ・ラ・マリエ』と名付けられたと言います。

飾り気のない菓子ですが、ルイーズの夫が元々Dragées ;ドラジェを作る職人だったことから、結婚式用にとお菓子をドラジェで飾り付けたとのお話。で、実際に飾り付けて見せてくれました♪
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↑ ドラジェで飾った『ガトー・ドゥ・ラ・マリエ』

フアス同様こちらもオレンジフラワーウオーターで香り付けしてあってほとんど変わらないように感じますが、パン酵母は使われていないところが大きな違い。
甘味は強くなく、一緒に売っているフアスよりも柔らかい感じでした。


ロランスさんはあまり話す時間が取れなかったので、近所にある小さなMusée du Laissaguais(民俗博物館)のMaurice Gauffre氏をお店に呼んで下さり、この地方のお菓子についての話をお聞きしました。


この町には古いfour banal(共同の窯)も残っているのだとか。かつて3つの水車があってそこでは粉や油(胡桃)が作られいたそう。
かつてはこの辺りにもアーモンドの木が育てられていたという話なども…。

午後からは博物館を見学。
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↑ Musée du Laissaguais内、暖炉を再現したコーナー。
左端にはGâteau à la broche用の型やゴーフリエも。

私の大好きな昔の生活道具が沢山展示してあり、直々に解説して頂くことも出来てとても有意義な時間だったのでした♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-08-02 15:38 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(3)

Aveyron ;アヴェロン県の発酵菓子「fouace ;フアス」

fouace ;フアス』はAveyron ;アヴェロン県のスペシャリテで主に王冠形に作られ、
オレンジフラワーウォーターがしっかり香る発酵菓子。
パン生地に卵やバター等の材料を加えて作られた他の発酵生地同様、家族のお祝い事や祝祭時に
作られていたもので、現在では主に朝食やおやつとして食べられています。
パン屋さんやマルシェには大小様々な「fouace ;フアス」が並び、大きなものは好きな量だけ
量り売りしてくれ、地方や店によって特徴的な形をしていてワクワクします^^
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↑ fouace au levain de la Boulangerie Roques(Laissac)

fouaceの語は、7世紀に灰の中で焼いたパンを意味するラテン語「Focacius panis」に由来する俗ラテン語『focacia』から来た言葉。
フランスのみならず、イタリア語focaccia,スペイン語hogaza,ポルトガル語fogaça,ハンガリー語pogácsa等々、ヨーロッパ各地にこの語を語源に持つ語が存在しています。

また、このアヴェロン県のfouaceの他にフランス国内でもfougassefouée等々の似た名前を持つ菓子が
あり、地域ごとに特徴的な形・味のものがあり、それを探し歩くのはとても興味深い♪
* 日本でなじみ深いのは、プロヴァンス地方で作られる塩味のfougasse ;フガスでしょう。


元々パンから派生し、各地で独自に変化していった甘味&塩味のフアス&フガスたち。
中世からフランスの各地方で作られていたことが知られています。
Fernanc Molinierは著書「Promenade Culinaire en Occitanie(1973)」の中で、
1390年2月24日付けのCommandrie de Saint-André de Gaillacの規約と習慣についてロマンス語で書かれた手書き文書で、コマンドリー・メンバーにLe dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー(枝の主日)用として昼食と夕食に出される食材と共に「テーブルにfougasse ;フガス一切れとワインを置く」と書かれていることを引用しています。
* Commandrie ;コマンドリーとは中世、キリスト教騎士修道会が所有した地所、及び修道士、騎士とその関係者たちが暮らし、訓練する場のこと。
* Le dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー(枝の主日)についてはこちらをご参照ください。 
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↑ Fouace campagnarde d'Entraygue(Entraygueのマルシェで出会った田舎風フアス)


彼は同様に1593年の文書でラングドック州議会がアルビで開いた会議の際、アルビの町は議会のメンバーに「ローズ・ウォーターで香り付けしたfougassets(小さなフガス)を9ダース半とその他のお菓子をガイヤック・ワインと共に贈った」ことも引用しています。

いずれも現在のアヴェロン県の南隣に位置するタルヌ県辺りのことですが、
この辺りではこのころ既にデザートとしての甘いフガス(フアス)が作られていたことが分かります。


私が初めて出会ったのは(確か)1992年のこと。
Laguiole ;ライオルの町で1858年の創業以来ルセットを五代にわたって受け継ぐBoulangerie Rouxの、上に可愛いシニオンがのった『fouace de Laguiole;フアス・ドゥ・ライオル』でした。
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2002年、アヴェロン県を周った際にも様々に特徴的なフアスに出会うことができましたよ♪

現地では『fouace ;フアス』の名前が使われていますが「L’inventaire du patrimoine culinaire de la France ; Midi-Pyrénée版(1996)」では「fougasse aveyronnaise ;フガス・アヴェロネーズ(アヴェロン県のフガス)」として紹介されていて、少し不思議に感じました。
ポストカードにも稀に「fougasse」と書かれているものがあって、お店の人にも尋ねてみたのですが残念ながら「fougasseと呼ぶことは無いけど、そう書いてるものもあるわね」という返事しか聞くことができませんでした。

アヴェロン県の俚言では『fougásso又はfouásso』という名前でした。
なるほど「G」入り、無しの両方が使われていたのですね。

ではなぜ今は「G」無しの「fouace」となっているのでしょう?

あくまでも個人的な想像ですが「fougasse aveyronnaise」という書き方は、より一般的で認知度のある「fougasse」という名前に「aveyronnaise(アヴェロン県の) 」という形容詞を付けて、プロヴァンス地方のフガスとは違うものであることを強調し、また、実際に呼ぶ際は長すぎますし、区別する為にあえて「fouace」という名前を使うようになったのではないかな?と思いました。

フランス各地のスペシャリテについて書かれたCurnonskyとAustin de CROZE共著「Trésor gastronomique de France(1933)」の中にはfouaceやfougasseも掲載されていますが、
この地方のスペシャリテとしては『fougasse d’Espalion』の名前が挙げられていました。
このころは「fougasse」の名前も一般的に使われていたのでしょうか?
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↑ Fouace d'Espalion

いつごろから「fouace」の名前が使われるようになったのかは残念ながらよく分かりませんでしたが、
もう少し時間をかけて調べてみたいと思います♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-29 11:00 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(2)

「Navette de Saint-Victor ;ナヴェット・ドゥ・サン・ヴィクトール」

Navette ;ナヴェット」とはプロヴァンス地方でおおく見られる、オレンジフラワーウオーターで香りを付けた小舟形の焼き菓子のこと。 店によって大小様々なものが販売されています。

もっとも有名なのはやはりMarseille ;マルセイユの「Four des Navettes ;フール・デ・ナヴェット」というお店で作られている「Navette de Saint-Victor ;ナヴェット・ドゥ・サン・ヴィクトール」でしょう。
この店は1791年創業のマルセイユで最も古くからあるパン屋さんなのです♪
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創業者であるMonsieur Aveyrousが、小舟でプロヴァンスへたどり着いた聖母マリアたちや マルセイユのVieux Port(旧港)に漂着したヴィーナス像と言った伝説を想起させる「小舟形の焼き菓子=ナヴェット」を考案しました。
* 販売は翌年の1792年から

今も当時と変わらぬ秘密のルセットを用い、同じ窯で焼かれています。
* 現在はJean-Claude IMBERT氏と息子のNICOLASが計量や生地作りを行い、従業員が行うのは分割と焼成のみ。
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ここのナヴェットは他のものとは異なり、細長い棒状の生地を20㎝ほどの長さに切り分け、縦に切込みが入れてあります。
甘味も少なくかなり固め、当時と同じというのが頷ける味。
すぐそばにあるAbbaye Saint Victor(サン・ヴィクトール修道院)で行われる 「Chandeleur ;シャンドリュール」のお祝いに欠かせないお菓子でもあります。
* Chandeleur(2月2日)はキリスト教の祝祭の1つで、聖母お潔めの祝日。キリストの神殿奉献にあたる。
* 2月2日はキリスト生誕(=12/25クリスマス)の40日後にあたる。
旧約聖書レビ記第12章に「女が男の子を産めば7日間汚れる。…その女は血の清めに33日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。…」とあることに由来。

シャンドリュール当日の2月2日早朝、大司教が地下のクリプト内にあるNotre-Dame de la Confession(告解の聖母;黒マリア)の像をお迎えに行き、行列を作って修道院のすぐ横にある広場で町と海、そして緑の蝋燭を祝福してからミサが行われます。その後フール・デ・ナヴェットの店を訪れ「four ;窯」とその「ナヴェット」が祝福されるのだとか。
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↑ シャンドリュールの日のサン・ヴィクトール修道院の入口風景(ポストカード。public domaine)
Marchandes de navettes et de cierges, lors de la Chandeleur,devant l'abbaye Saint-Victor

この日はマルセイユのあちこちから信者がここへミサに訪れますが、 ミサが終わると緑色のロウソクとナヴェットを買うのが 古くからの習慣になっているそうで、お店の方から「列の終わりが見えないほど 長い列が出来る」とお聞きしました。
*この期間には8000~10000個ものナヴェットが販売されるとか !

この時に買った祝別を受けた緑の蝋燭とナヴェットは、家や自分たちをまもるお守りとして1年間保存。
1年後、蝋燭に火を灯してナヴェットを食べるのだそう。

マルセイユのナヴェットや、シャンドリュールのこの習慣についての古い記述を探してみましたが、一番古いものは1877年に出版された「Dictionnaire des villes, villages & hameaux du département des Bouches-du-Rhône/ Alfred Saurel 著」でした。(以下、一部引用)
「…A la porte même de l’antique édifice, ceux-ci achètent des cierges faites de cire vertes qu’ils vont faire brûler devant la Vierge Noire et des navettes ou gâteaux pétris avec de l'anis dont la saveur est, ce jour-là seulement, considérée comme délicieuse. …」
* 現在続く慣習と変わっていないのが分かります。ナヴェットはオレンジフラワーウオーターの香りでは無くて、アニス風味と書いてありますが…


マルセイユは何度か訪れましたが、このお店まで行ったのは2006年12月が初めて…。
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ちょうどある企業からの注文で、2本入りの小さな箱詰めを大量に作っているところでした。
他にも箱入りやナヴェットの並べられた天板等々、沢山のナヴェットにびっくりする半面、普通のパンも売っていたのはなんだか意外に感じてしまいました^^
(パン屋さんにパンがあるのは当然なのですが…^^;)


2月2日にマルセイユへ行くことはかなり難しいですが、1度は体験してみたい!
(* 2007-07-22 mixiでupした内容に加筆したものです。)



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-14 19:39 | 21 Provence-A.C | Trackback | Comments(2)

「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」と「Paris-Nice ;パリ・ニース」の関係は?

Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィットの「Pâtisserie Durand et Fils ;パティスリー・デュラン・エ・
フィス」を取材したかったのは、『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』が確かにLouis Durand ;ルイ・
デュランが考案したという確信の得られるような文書、或いは1909年から販売していたという文書等々を
見せてもらいたいと思ったからでした。

確かにいくつかの説があって「本当の考案者はこっちだ」と主張するものもありますが、
その根拠となるものを提示しているものはありません。

レヴェック氏はLouis Durand ;ルイ・デュランの息子、Paul Durand ;ポール・デュラン
父親の発明を守るため、1930年に特許申請をしたが(すでに広く作られていた為)却下された」と
話しているので、その時の書類等もあるのじゃないかと…。
こちらに1つでも多くの関連書類が残されていれば、もっとすっきりしますよね~。
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L’inventaire du patrimine culinare de la France;1993(*)」のIle-de-France地方版では
Émile Darenne,Emile Duval共著「Traité de pâtisserie moderne(1909)」の中にパリ・ブレストと
酷似した「Paris-Nice ;パリ・ニース」のルセットが掲載されていることが指摘されています。
そのルセットは『シュー生地を王冠形に絞り、表面をドレして焼き、間にプラリネ風味のクレーム・
サントノレを絞り入れる』というもの。
(*)フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅している本。

本の販売日までは分かりませんが、もし出版以降にパリ・ブレストが考案されたとすると
この本を参考にしたという可能性も出てきますよね。


さて一方で、この「パリ・ニース」という名前にも謎が…?

一見するとパリ・ブレスト同様自転車レースのことだと思いますが、このレースが始まったのは1933年
ということで違うようです。
南仏でもアーモンドが栽培されていますからプラリネ風味のお菓子には南仏っぽくないとは言えませんが、
あえてニースとしているところには説得力がないように思います。

著者のいずれかは考案したものなのでしょうか?で、なぜこの名前が付けられたのでしょうか???


パリ・ブレストはどのように広まっていったのか?という疑問も残ります。
本の方が多くのパティシエの目に触れるような気がしますが、
なぜ「パリ・ニース」ではなく、メゾン・ラフィットの1パティシエが作った「パリ・ブレスト」の方が
一般的になったのでしょう?

何かをきっかけにこの店から広まったのだとすれば「Guide UNA」や「Le Trésor gastronomique de
France」のようなガイドブックや広告等に載っていてもおかしくないように思うのですが、
探してもほとんど出てきませんでした。
*「パリ・ブレスト」と名前が地名であるため、様々な条件で検索しても目的のものはヒットしにくい。

見つけられた一番古いものは
Paris-Soir(1932年6月25日付)」という日刊紙のP-3に掲載されたJulien Damoyの広告内でした。
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また、パリ観光局発行の「La Semaine à Pais(1936年7月31日付)」のRestaurant Le Chapon fin
記事の中では「« Paris-Brest » ,crème Chantillly,pâte à choux et amandes,est digne de
louanges(*)」という記載も…。
(*)「パリ・ブレスト(クレーム・シャンティイ、シュー生地、アーモンド)は称賛に値する」という意味。

上記での特許申請がだめだったほど、確かに30年代にはパリでは一般的なお菓子となっていたようですね。

プロ向けの本で古いものはこれでしょうか。
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Pierre Lacamの娘婿、Paul Seurreの出版した「Le Nouveau mémorial de la pâtisserie
1934年の初版本には掲載されていませんが、私の持っている第9版(1946年)ではパリ・ブレストのルセットが加筆されていました。
アーモンドを散らして焼いたシュー生地にクリームはプラリネ風味のクレーム・オ・ブール、又はこれに
イタリアン・メレンゲを加えたもの。或いはプラリネ風味のクレーム・サントノーレでもよい。
クリームが入りすぎないよう、中に円形に焼いたシュー生地を入れる店もある。』というもの。
*何版目から掲載されるようになったのかは未確認。


ポピュラーながらも、20世紀に入ってから出来た比較的お菓子、「パリ・ブレスト」。
謎がはっきりする日は来るかな^^



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-11 17:41 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」の誕生したお店へ…

地方・国を問わず、多くのパティスリーでみられる『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』。

パリ・ブレストは
シュー生地を王冠型に絞ってアーモンド・スライスを振って焼き、間にプラリネ風味のクレーム・ムース
リーヌを星口金で絞り込み、粉砂糖を振ったもの
ですが、これもやっぱり立派な地方菓子、イル・ド・フランスのスペシャリテと言えます。

クラシックなフランス菓子がRevisité ;ルヴィジテ(現代風に再構築)されるようになり、パリ・ブレストも様々なスタイルのものが見られるようになりました。

でもやっぱり気になりますよね~、その原点が…^^

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↑ お店のガラスにも1910の文字…でも1909年末が本当らしい…


この菓子が誕生したのはパリの西方、ヴェルサイユを県庁所在地とするYvelines ;イヴリーヌ県の町
Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィット
建築家フランソワ・マンサールにより建てられた美しい城や、競馬場でも有名な町です。


パリ・ブレストの考案者の店は今でも当時と同じ場所・建物の中で、同じ家族によって受け継がれています。
お店の名前(当時)は「Pâtisserie Durand ;パティスリー・デュラン」。
Louis Durand ;ルイ・デュラン はその妻Marie ;マリーと共に、1907年創業しました。
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 ↑ お店に展示されていた写真より(創業当時のものではありません)


デュラン氏は1891年に始まった自転車レース「Paris-Brest-Paris ;パリ・ブレスト・パリ
(又はParis-Brest et retour)」にちなみ、自転車の車輪の形をイメージした菓子を考案しました。
考案した年は1910年と書かれていることもありますが、正確には1909年の年末
・レヴェック氏によると、おそらくクリスマス用に考案されたものだろうとのこと。

そのきっかけとなったのは
自宅の近くにあるCroix-de-Noaillesがコースに入っており、レースを見たことから
・ちなみに1909年以前に開催されたのは1891年と1901年の2回のみ(その後は1911年)。
パリ・ブレスト・パリ」の創設者で『Petit Journal』誌のPierre Giffard氏がメゾン・ラフィットに住んでおり、パティスリー・デュランのお客でもあった為、お菓子を作るよう勧めた(或いは頼んだ)…」
等々いくつかのお話があるようですが、今となってははっきりと分かりません。
(名前からしてレースがきっかけとなったことは確かなのでしょうが…。)


さて、ここを訪ねたのは昨年10月のこと。
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↑ 現在のお店のファサード

現在のオーナーで初代のひ孫にあたるStéphane Lévêque ;ステファン・レヴェック氏に
メールで取材のお願いをしていましたが、なぜか届いておらずRV無しでの訪問でした。
しかし運よくレヴェック氏が事務所にいて、超多忙な中「5分だけ」と言いながらも、
店横にある入口から上の階にある事務所に通され、きちんと座ってお話をお聞きすることが出来ました。

店のある建物自体は当時のまま、お店の方は当初ショーケースに冷蔵施設がなかったこともあり、
何度か改装をしているそうです。

現在は彼の妻Dorothy ;ドロシーがシェフ・パティシエとしてラボを仕切っています。
彼女は1993年に店で販売の仕事を始めたそうですが、それだけではつまらないと思うようになり
ステファンの叔父であるMichelPhilippeに教わりながらパティシエの仕事もするようになったのだそう。
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↑ Mme.Dorothy Lévêqueとパリ・ブレスト


レヴェック氏も最初はパティシエで店の管理も行っていましたが、現在ラボでの仕事は彼女に任せ、
自分は経営者としての仕事と政治活動を行っているとか。

この店のパリ・ブレストの特徴は、まず1人用サイズがよく見かけるドーナッツ形では無く、穴の無い楕円形であること。
これは自転車のサドルの形を模したものです。
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アントルメの大きなパリ・ブレストはよく見かけるものと違い、それほど厚みはありません。
わざとシュー生地を平らにして焼いてあります。
・厚みを出すため中にドーナッツ形に焼いたシューを入れることもあるが、それは無し。

クリームはあまりバターの量は多くなくて、自家製のプラリネが香り高く、コクのあるクレーム・パティシ
エールという感じ。
厚みは無くても平たい分、クリームはたっぷり入りますがとても食べやすいのでした。
見た目は素朴ですが、今まで食べた中で一番好きな味かな~♪
・ルセットは昔通りだが、クリームに入れるバターの量は減らしている。

ショーケースにはパリ・ブレストの他にも、
シュー生地を使ったお菓子が一杯並んでいて、それも店の特徴の1つだとのお話でした。

訪問した日はいつもより人数が少なくて忙しかった 為、残念ながらラボの見学はできませんでした。
まだ不明な点も多いパリ・ブレストについて、より詳細な歴史的資料等も拝見したいものです。

いつかまたリベンジ取材したい!



Pâtisserie Durand et Fils
9,avenue de Longueil
78600 Maisons-Laffitte




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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-09 21:42 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」 その② 色々な名前とルセット

Crémet ;クレメ」の名前はcrème ;クレーム(生クリーム)、或いはcrémer ;クレメ(生クリームを加えるという動詞)に由来します。
* 名前を調べると他にCrémet の他にCrêmet 、Crémé と言うスペルもみられる。

かつてアンジュー地方では特にAngers;アンジェやSaumur;ソミュール周辺で多く作られていたそうで、名称は「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」の他、町の名前を冠した「Crémet d’Angers ;クレメ・ダンジェ」や「Crémet de Saumur ;クレメ・ドゥ・ソミュール」という名前も見られました。
* 例えば20世紀前半に出版された古い有名なガイドブックを見ると、このように書かれている。
◎「Guide UNA(1931年)」では「Angers ; アンジェとSaumur ; ソミュールのスペシャリテ」としてクレメを紹介。
◎フランス各地のスペシャリテを紹介する「Trésor gastronomique de France(1933年)Curnonsky,Austin de CROZE共著」の中では「Crémets d’Angers;クレメ・ダンジェ」の名前で掲載。
Larousse gastronomique de Prosper Montagné( 1938年) の中では「Crémets d’Angers ou de Saumur」と記載。


この他にMaine-et-Loire県の隣県Loire-Atelantique ;ロワール・アトランティック県の中心地Nantes ;ナント近郊でも作られており、その名も「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ(或いはCrémet de Nantes ;クレメ・ドゥ・ナント)」。ここでも20世紀初めには既に有名でした。
* 1984年に出版されたフロマージュの本「Le Livre d’Or du Fromage,Pierre Androuet著」の中にはCrémet d’AnjouとCrémet nantaisの2つが掲載されており、「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ」は温めた牛乳にレンネットを加えて固めたものを穴のあいた型に入れて水気を切って作る方法が紹介されている。
* 現在「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ」と言う名前で販売されているものは、材料に生クリームと卵白の他に
フロマージュ・ブランが入っている。

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↑ こちらが実際に買ったクレメ・ナンテ

現在、一般的に「クレメ・ダンジュー」と「クレメ・ダンジェ」の違いはフロマージュ・ブランが入るかどうかで、
前者には入らないとされています。
しかし、これらに違いは無いと言うもの、「クレメ・ダンジュー以外はフロマージュ・ブランを使うという違いがある」と
書かれているものも存在してちょっとややこしい。
実際にルセットを集めてみると材料も作り方も様々で決まっていないようにさえ感じるほど…。


では、アンジェの古文書に初めて記載された当時の「フロマージュ・ドゥ・クレーム」や「クレメ」はどんなものだったのでしょう?
探してみると「Nouvelle Instruction pour les confitures,les liqueurs et les fruits,François Massialot 著」の1740年度版の中に「Fromage de Crême(P-285)」のルセットを見つけることが出来ました!
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作り方はこんな感じ…。
生クリームに牛乳を加えて熱し、指を入れられる温度まで冷ましてから牛乳を少し加えたレンネットを加え、
布か目の細かい裏漉しで漉す。蓋をして固まるまで置く。柳で出来た小さなカゴ、或いはブリキの型に
スプーンで入れ、水気を切る。器に盛り付け、上から砂糖を加えた生クリームをかける。


これは現在でいうとクレメというよりむしろフレッシュチーズ(フェッセル)の感覚ですね。
* François Massialot;フランソワ・マシアロ(1660-1733) 数多くの宮廷でシェフ・キュイジニエを務め、数冊の料理書を残している。クレーム・パティシエール(スペルはCrême pâticiere)やクレーム・ブリュレ(Crême brûlée)の
ルセットの初出は彼の著書「Le Cuisinier roial et bourgeois(1691)」。


この本のもっと古い版を探すと1712年度版が見つかりました。
この中に「Fromage de Crême」は無かったのですが「Crême en neige ;クレーム・アン・ネージュ」というものを発見!
1 pinte(1パント;昔の液量単位)の新しい生クリームと新鮮な卵白2つをオレンジ花水で香り付けして
泡立てる。表面に泡が上ってきたらすくって別の容器に移す。全てが泡立つまで繰り返す。砂糖を加えて溶けるまで泡立て、ガーゼか目の細かい布を敷いた小さなカゴに入れ、水気を切る。

こちらの方が現在のクレメにより近いような気がしました^^

両方の本には生クリームや牛乳と卵、砂糖を使って(いわゆるチーズは使わずに)作られた「Fromage」と分類されるものがいくつか紹介されており、この当時は同様のものが広く作られていたことを想像させます。


では次に形はどんなものだったのでしょうか?
ナントで使われる言葉(言い回し)について解説する「Les Locutions nantaises(1884年)Paul Eudel著」では、
クレメを「柳製の小さなカゴに入れて作られた半円形の乳製品」と説明しています。
また、円筒形のブリキ製型もあったようです。

また「Souvenirs d’un vieux Nantais,1808-1888(1888年)Léon Brunschwicg著」には
柳製の小さなピラミッド形(のカゴ)を使う」とあり、様々な形があったことが分かります。

20世紀初期には「その①」で紹介したような陶器製で水切り穴の付いたハート形の型が出てきます。
そしてこのハート形が作られる前は円錐台形だったのだとか。
こちらにはその型の写真が紹介されていて、偶然にも私が持っているのと同じ!
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それにしてもいったい誰がこれらの形にすることを思いついたのでしょう?
家庭では家にあったものを転用したのかもしれませんがお店ではどうだったのか?
Marie Renéaume ;マリー・ルネオムの店ではどんな形で販売されていたのでしょうね。とても気になります。
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本やネットでルセットを集めていくと、本来の生クリームと卵白と言うシンプルな物の他にも様々なものがあるのが分かります。
 ①泡立てた生クリーム(クレーム・エペッス+クレーム・フルーレットのことも有)と泡立てた卵白を混ぜる。
 ②フロマージュ・ブランに泡立てた生クリームと泡立てた卵白を混ぜる。
 ③生クリーム(クレーム・エペッス+クレーム・フルーレットのことも有)にレンネットを加えながら泡立てる。
 ④カイエ(牛乳にレンネットを加え、固めたもの)を水切りし、クレーム・エペッスとクレーム・フルーレット、
   バニラシュガー、泡立てた卵白を加える。
 ⑤牛乳を30℃に温めレンネットを加える。(Crémet nantais ;クレメ・ナンテ)


これらすべて試してみましたが、③は思ったように泡立たず、1度は泡立て過ぎてバターになりかけてしまいました。
* ちなみにアンジュー地方で使われる俚言や言い回しについて語彙集 「Glossaire étymologique et historique des patois et des parlers de l'Anjou(1908年)Verrier et Onillon共著」の中で、クレメは「バラットの中でバターに変わる寸前の生クリームで作った乳製品」と説明されている。

経済的な理由(高価な生クリームの量を減らす為 ?)からか、Caillé ;カイエやfromage blanc ;フロマージュ・ブラン等を加えるようになっていったとも言います。
ルセットは各自で秘密にされいたため作り方も様々になり、また恐らく家庭では手に入るものを使い工夫して作っていた為、材料にもバリエーションが出来たのかもしれませんね。
(いずれの作り方でもそれぞれに美味しいクレメが出来ました♪)



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-08-07 19:29 | ⑱Pays de la Loire | Trackback | Comments(2)

「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」 その① 歴史について

Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」はPays de la Loire地方圏Maine-et-Loire県のスペシャリテ。
Fontainebleau ;フォンテーヌブロー等と同様フロマージュの1種。主にFromagerie ;フロマジュリー(チーズ屋)やCrémerie ;クレムリー(乳製品を扱う店)で扱われるものです。
* Anjou ;アンジューはフランス革命以前に使われたAncienne province(旧州名/旧地方名)のこと。現在の県にほぼ一致している。中心都市はAngers ;アンジェ。

クレメ・ダンジューは泡立てた生クリームに泡立てた卵白を混ぜ、1人分ずつ水切りして作られるデザート。
(フロマージュ・ブランは使わないのが基本の作り方)
上から生クリームと砂糖をかけて、或いは赤いベリーのクーリをかけて食べられます。
1年中ありますが、赤いベリー類が採れる春から夏にかけてのシーズンに多く作られます。
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アンジェのサイトAngers.frにはその歴史が詳しく紹介されていました。
18世紀にはあったことが分かっており、市の古文書では1702年、続いて1704年に納入された食事の中に初めて
このデザートが記録されているそうです。
その当時は「fromege de crème ;フロマージュ・ドゥ・クレーム」と呼ばれていたとか。

Crémet ;クレメ」という名称が古文書の中で見られるようになったのは1741-1743年。1767-1779年には市当局から提供された宴会で定期的にクレメが出されていたそうですが、その後廃れてしまいました。


さて、18世紀後半に廃れてしまったクレメですが次に現れたのは1世紀後、偶然の出来事から・・・。
大きなお屋敷の女料理人Marie Renéaume ;マリー・ルネオムは1890年のある夜、デザートが足りない
ことに気付いた。機転を利かせて残っていた生クリームに泡立てた卵白を混ぜ、型代わりにポルト用のグラスに詰め、これを器に取り出してから表面に生クリームをかけバニラシュガーを振りかけた。


1898年1月10日、André Girault ;アンドレ・ジローと結婚したマリーは、1901年アンジェの2 rue Saint-Julienにあったバターや卵等、乳製品を販売するCrémerie David ;クレムリー・ダヴィッドを買い取り、
本格的にクレメを販売し始めます。
店で個人向けに販売するほか、レストランにも卸される他、女性たちによる移動販売も行われて大流行したとか。
* こちらのサイトではマリーのポートレートとお店の写真を掲載。
*こちらのサイトでは1918年に撮影された移動販売の写真を掲載。

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         ↑ こちらは古いハート形のクレメ型。いつから?、そして誰が?使い始めたのかは不明

アンジェ生まれの美食家、Curnonsky ;キュルノンスキー(本名;Maurice-Edmond SAILLAND ;モーリス・エドモン・サイアン)は著書「La France gastronomique, guide des merveilles culinaires et des bonnes auberges françaises. L'Anjou(1921)」の中で
アンジュー地方のクレメは神々のご馳走である。この地方の伝統のルセットで、残念なことに数人の農民たちの間で秘密にされている。どんなクレーム・シャンティーも、香り高くなめらかで軽いこの泡々とは比べものにならない」と絶賛しています。

人気が出ると真似をして販売する人が増えてくるのは世の常のようで、アンジェのブーランジェ・パティシエ
Louis Fouquet ;ルイ・フーケ(95,route de Paris)は1910年「Crémets des ducs d’Anjou ;クレメ・デ・デュック・ダンジュー」の商標登録までしたのだとか(Girault  夫妻は商標登録をしていなかった)。

1923年になるとジロー 夫妻は徐々に商売を縮小し、クレメの製造も途絶えました。
真似して製造していたところも多かったクレメですが、デリケートで遠くへの輸送も困難だった為に、製造する人も徐々に少なくなっていった模様。

数は減ったものの今でもスペシャリテとして作り続けられていて、私が初めて食べたのは1991年Angers ;アンジェへ行った時。市場のフロマジュリーで見つけることが出来ました。
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             ↑ この白っぽくてわけのわからない写真(恥)が市場で買った初めてのクレメ

現在レストランのデザートとして食べられるお店も数件ありますが、生クリームと卵白だけで作られているのかな。


その②へ続く・・・


                                   ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-08-04 10:42 | ⑱Pays de la Loire | Trackback | Comments(2)

Rousquille ;ルスキーユというお菓子  その2

その1に引き続き、今回はピレネー山脈の西側(ベアルン地方) で作られるルスキーユについて…。
こちらでも「Rousquille」「Rosquille」の名前が見られ、ベアルン語の「Rosquilhe」というスペルも見られます。
* ベアルン語;オック語の1方言であるガスコーニュ語の中に含まれる方言。

フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅する「L’inventaire du patrimine culinare de la France;1997」のAquitaine地方版では次のように書かれています。
『「Dictionnaire du béarnais et du gascon modernes 」(Simin Palay著 ;初版1932-1934)では「Rosquille」はベアルン語の「Rosque」に由来し、これはバイヨンヌでユダヤの祭礼パン、pain à l’anis;
パン・ア・ラニ(ス)を意味する。』

検索して出てくる一番古い本は1675年に出版された「Tesoro de las dos lenguas espanola y francesa
と言う辞書で、スペイン語の「Rosquilla」を「大きな指輪状のねじった丸いcraquelin ;クラックラン、小菓子」と
訳しています。
クラックランは生地を一度茹でてから焼くéchaudé ;エショデと呼ばれる固いお菓子ですので、
現在のルスキーユに近いものだと想像出来ます。

ただ、いずれにしてもフランスにおけるルスキーユの起源ははっきりとしていません。
「ユダヤの祭礼パン」だったと仮定してみましょう。
レコンキスタ(国土回復運動)が終結した1492年以降、スペイン(後にポルトガル)から追放されたユダヤ人たちが
バイヨンヌへ集まってきました。スペインで作られていた「Rosquilla」はユダヤ人と共にこの頃この地域に多く見られるようなり、広まっていったのかもしれません。

この地方で現在作られているのは、ベアルン地方の中心都市で非常に古い歴史を持つOloron-Sainte-Marie;
オロロン・サント・マリー


これが作られているのは、以前「le Russe;リュス」というお菓子について紹介した際(ココ)にご紹介したお店
Pâtisserie Artigarrède ;パティスリー・アルティガレッド」のみです。
大きなブレッツェル形と棒状の小さいものがあります。
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↑ 棒状のルスキーユ


2009年1月にこの店を取材させて頂いた際、
3代目のJean-Paul Bassignana;ジャン・ポール・バシニャナ氏のお話では
「かつては家庭で作られていたがだんだん作る人が居なくなり、今はここだけで作られている」とのことでした。
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↑ ブレッツェル形の大きなルスキーユ



<作り方はこんな感じ…>
小麦粉、卵、バター、塩、アニスの香りを煮出したもの、オレンジ花水で生地を作る。
これを寝かせてから棒状に伸ばしてブレッツェル形に成形しオーブンで焼成する。
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↑ 焼成の際は途中で裏返してさらにしっかりと焼く

レモンの皮で香り付けしたシロップに浸し、取り出してから刷毛をこすりつけるようにして白濁させ、乾燥させる。
(乾燥すると白さがはっきりしてくる)
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↑ 右側の鍋に入ったシロップに浸し、取り出してから刷毛でこする。


お店では3日間乾かしてから販売しているそうです。
(その場で出来たてと乾燥させたものと食べ比べさせて頂きましたが、私には出来たてが美味しく感じました)

味は最初の数日間の方がより美味しいとのこと。
ただ1カ月は日持ちするので、羊飼いが移牧に出掛ける際に持って行き、ポケットに入れておいて食べたい時に食べる携帯食でもあったとか。

この菓子がGäteau d’Oloron(オロロンのお菓子)として紹介された文献で、私が見つけられた最も古いものは
Grammaire béarnaise suivie d’un vocabulaire béarnais-français (Jean-Désiré Lespy著;1880)」。
Rousquilhe」の名前で出てきます。

また、その10年後に出版された「Bulletin de la Société des Sociétés,lettres et arts de Pau 1889-1890 IIme Série-Tome 19ème」では
Rosquillesは今日でもオロロンの伝統菓子として知られている。ロスキーユ入りの小さなバスケットの発送は1727年に遡り、100年近い歴史を裏付けている。』
とあり、18世紀初めにはおそらくオロロンのスペシャリテとなっていたことが伺えます。

さらに「Collection linguistique No46 ;1938」の中には
『ベアルン語 rousquilhe, オロロンに小さな製造所が1つある』
との記述があり、製造販売する所は1938年の時点で既に1軒だけになっていることが分かります。


ルシヨン地方のルスキーユとは異なり、昔からの姿をそのまま伝えている(と思われる)オロロンのルスキーユ。
本来はドーナッツ形だったであろうその形が、いつ現在の形になったのかは分からないままですが
これからもずっと受け継がれていって欲しいと思います。



※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-06-22 22:27 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

Rousquille ;ルスキーユというお菓子 その1

フランスの「Rousquille ;ルスキーユ」というお菓子は、
スペインとの国境となっているピレネー山脈の東(ルシヨン地方)と西(ベアルン地方)の2か所で
作られていますが、現在見られるものは別物と思えるほどの違いがあります。
*いずれもスペインから伝わったもの。彼の地では「Rosquilla ;ロスキーリャ」の名前で現在でも多くの
種類が作られ、またポルトガルでも「Rosquilha」「Rosquinha ;ロスキーニャ」と呼ばれるお菓子がある。


まずはルシヨン地方のルスキーユを…。

小麦粉、砂糖、、蜂蜜、卵、バター等で作られた生地にアニスやレモンの風味を付け、ドーナッツ形に
型抜きしたものをオーブンで焼き、メレンゲに熱したシロップを加えて作るグラサージュをかけて仕上げた
お菓子です。
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↑ Amélie-les BainsにあるPâtisserie Pi Rouéのルスキーユ

 
その柔らかさから「Rousquille fondante ;ルスキーユ・フォンダント」と呼ばれ、
また「Rosquille ;ロスキーユ」というスペルも見られ、丁寧な解説付きで地方菓子が紹介されている
「オーボンヴュータン」河田勝彦のフランス郷土菓子』の中ではこちらの名前で掲載されています。

パティシエによって作られるルスキーユはグラサージュで穴がふさがっていたりと不均一な形ながら
口溶けは良く、穴の無い円形に型抜きしたものもみられます。
工場製のものも広く出回っていますが、こちらは完璧なドーナッツ形でグラサージュもなめらか。
味わいも手作りものとは違います。

このルスキーユ、いつ頃から見られるようになったのかは不明ですが、
19世紀には大変人気があったそうでPyrénées-Orientalesピレネー・オリアンタル県、
特に「Le Valespir ;ヴァレスピール」と呼ばれるスペイン国境に接する地域のパティシエたちによって
作られてきました。
*Pyrénées-Orientalesピレネー・オリアンタル (正しくはピレネー・ゾリアンタル)県は、
北カタルーニャ(Catalogne Nord)或いはフレンチ・カタルーニャ(Catalogne francais)とも称され、
カタルーニャ語も使われる地域。他とは異なる文化圏となっている。


伝統的に作られているのは主にヴァレスピール地方の町であるAmélie-les-Bains ;アメリー・レ・バン
Arles-sur-Tech. ;アルル・スュール・テック、そしてPerpignan ;ペルピニャンの3か所。
かつては行商人たちがマルシェ等で移動販売していたような、ごく素朴な菓子でした。
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↑ 昔のポストカード。「Rosquilles Séguela-Combes」の文字が入っている。
この頃はロスキーユと呼ばれ、ドーナッツ形だったもよう


現在の形(表面を白いグラサージュで覆う)にしたのはアメリー・レ・バンのパティシエ Mr. Séguelaで、
1810年この素朴な菓子の表面をグラサージュで覆い、アニスをレモンに置き換えるアイディアを思いついたのだと言われ、周辺のパティシエたちもこれをまねて作るようになったのだそうな…。
*Maison Séguela-Combesのルセットは現在Maison Perez-Aubertによって引き継がれている。
ルスキーユのかたちはドーナッツ形ではなく丸形。
*「L’inventqire du patrimoine culinaire de la France Languedoc-Rousillon,1998」の中では考案者の名前はRobert Séguelaと記述されている。
しかし、こちらのブログ内でPâtisserie Perez Aubertで撮影された写真の中には「La Véritable rousquille a 200ans. C’est en 1810 que Monsieur Marius Séguela inventa ce biscuit moelleux parfumé au citron. Plusieurs fois médaillée,elle a fait tour du monde.En 2010,nous fêtons le bicentenaire de sa création.(…マリウス・セゲラ氏がこの柔らかいレモン風味のビスキュイを発明したのは1810年である。…)」
と書かれた掲示物がある為、Marius Séguelaという名前の方が正しいのかも?
(Patisserie Pérez Aubertに問い合わせてみたが回答なし)


またアルル・スュール・テックでは1850年以来、曾祖父Guy Touronの代から引き継がれているMaison Touronも知られています。
このようにルスキーユは時代と共に工夫が加えられ、パティシエそれぞれのこだわりと特徴のあるお菓子に
なっていったのです。
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↑ こちらはSaint-Paul de Fenouilletにあった今はなきBiscuiterie Brosseauのルスキーユ。



さて、私がこの地方を訪れたのは2004年6月のこと。

元々ルスキーユが目的の旅ではなく、どこかのお店で買えたらいいな…と思う程度でした。
パリのサロン・デュ・ショコラで知り合ったMaury;モーリーにあるDomaine Mas Amiel ;ドメーヌ・マザミエルのワイナリーを見学に行った帰り道。
タクシーで運転手さんに「どこか美味しいルスキーユを買える所は知りませんか?」と尋ねてみたところ、
わざわざお店まで連れて行って下さった上にプレゼントして頂き、しかもタクシー代までおまけして貰った
という、なんとも思い出深いお菓子となったのでした^^

その2へ続く…


※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-06-17 22:12 | ⑬Languedoc-Roussillo | Trackback | Comments(2)