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アルザスの復活祭菓子『Tarte à la semoule et au safran』

去る4月16日はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日、Pâques;パック(復活祭)でした。

復活祭のお菓子というと、やはり様々な形に象られたチョコレート細工。伝統的な形には卵や鶏、ウサギや鐘等々があります。

* 1956年にはアルザスのBas-Rhin県には総勢1300人を有する10の大きなショコラトリーが存在し、国内3位の規模を誇っていた。野兎や卵等々の復活祭向けチョコレート細工もアルザスでは多く作られていた。


これとは別にアルザスでは陶製型で焼かれた仔羊形のビスキュイ「Agneau pascal;アニョー・パスカル」も作られていて、ショーウインドーには沢山の仔羊たちが並べられた光景が見られてワクワクします♪

* 元々はお菓子ではなく仔羊肉を食べる習慣のあったものが、仔羊形に作った発酵生地のお菓子に置き換えられ、その後ようやくビスキュイ生地でも作られるようになったと言われる。

*アニョー・パスカルについてはこちら でご紹介。


アルザスでは、このアニョー・パスカルの他に『Tarte à la semoule;タルト・ア・ラ・スムール(別名;Osterfladen;オスターフラーデン)というお菓子も作られていました。

特にサフラン入りのものは『Tarte à la semoule du Kochersberg;タルト・ア・ラ・スムール・デュ・コッヘルスベルグ』と名付けられ、Kochersbergの地名が加えられています。

* コッヘルスベルグ(正確な発音とはちょっと違う)はストラスブールの北西に位置する自然地理区。

* フランスには県など行政区分とは別に、自然地理区(region naturelle)と呼ばれる地域区分があり地形などの物理的特徴や独自の文化的アイデンティティによって分けられている。

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↑ Tarte à la semoule et au safran du Kochersberg


サフラン無しの『Tarte à la semoule』、これは現在スイス(ドイツ語圏)で作られている「Osterfladen」とおそらく同じ起源のもの。

かの地では中に詰めるアパレイユをあらかじめ煮たもの(お米やセモリナ粉をドロリとした粥状のもの)を入れる場合と、材料を混ぜただけのものがあり、軽くするためか最後にメレンゲを加えているものが多いようです。

* ドイツにもOsterfladenは存在するが、こちらは丸く焼いた発酵菓子を指す。


アルザスの『Tarte à la semoule;タルト・ア・ラ・スムール』は、前者(あらかじめ煮たアパレイユを詰める)の作り方でメレンゲは加えません(加えるルセットもある)。

ずっと作り続けられているスイスの「Osterfladen」は現代的なものへと徐々に変化しているであろうと考えると、アルザスに伝わるルセットはより古い形を留めているのではないかと想像…^^


現在アルザスではあまり見かけなくなったこのタルト、非常に古くからあったと言われているのですが、具体的にはいつ頃からあるお菓子なのでしょう?

私が見つけることのできたフランス語での記述「Osterfladen(flan dePâques)」で、一番古いものは1861年発行のRevue d'Alsaceでした。アルザスで作られる様々なお菓子が列記される中、この菓子も記載されています(たたし、どのようなお菓子だったのか詳細は不明)


スイスで「Osterfladenと言う名前の付くお菓子はさらに古くから存在していたようです。でも現在作られている菓子と類似したルセットの記述は16世紀末なのだとか…(残念ながらドイツ語が読めないので詳しく調べることが出来ず)。

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↑ サフラン無しのOsterfladen(Tarte à la semoule)

地方の名前が付いたサフラン入りのバージョンは残念ながら現在はKochersbergのお菓子屋さんで見かけることはなく、地元観光局のお姉さんに尋ねても知らないレベル…。

* Sélestat;セレスタ(ストラスブールとミュルーズの中間にある町)にあるパン屋さんのミュゼ(博物館)La Maison du Pain d’Alsace」では、復活祭のお菓子としてlammala (Agneau pascal)と共にOsterfläde (tarte à la semoule et raisins)Osterbrot (Pain de Pâques)が紹介されており、季節になればこのタルト(サフラン無し)が店に並んでいるようです。ミュゼのサイトに「Lammalas,Osterbrot et osterflade」の文字が見られ、4/15~16の3日間店頭に並んでいたことが分かります。


さて、いつからサフランを加えるようになり、いつからKochersbergの復活祭菓子として作られるようになったのでしょうか?

中世にはフランスを含むヨーロッパで広くサフランの栽培が行われ、アルザスでも栽培されていました。お祝い用のパンやお菓子・料理などにも使われています。

観光局のお姉さんによると「Kochersbergは人々が往来する場でもあり、アルザスの他の地域よりも伝統的にスパイスが多用されていた地域だった」と言います。

サフランの色は太陽や金、栄光を象徴する色。スパイスが身近だったこの地の誰かが復活祭のお祝いにとサフランを加えたのでしょうが、謎は解明されないまま…。


先日行ったお菓子講習会では復活祭が近いこともあり、この『Tarte à lasemoule et au safran;タルト・ア・ラ・スムール・エ・オ・サフラン』を作りました(三宝柑とイチゴのフルーツサラダ、クレーム・シャンティイを添えて…)。

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もうお店で作られることは無くなったサフラン入りのOsterfladen。中世の時代に思いを馳せて…。冷めて時間が経つと、中のガルニチュールが固くコンパクトになるので、やはり出来立てが一番美味しい~♪


おまけのお菓子はAgneau(仔羊)ではなくてLièvre(野ウサギ) pascalアルザス・スフレンナイムで作られた陶製型を使って焼いたビスキュイです。

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by Ethno-PATISSERIE | 2017-04-20 18:13 | ①Alsace | Trackback | Comments(2)

カーニバルのお菓子『Garguesse ;ガルゲス』   

もうすぐPâques;パック(復活祭;今年2017年は4月16日)とちょっと季節遅れではありますが、先月お菓子講習会で作ったカーニバルのお菓子をご紹介…。

フランスで、Carnaval (カーニバル)の時期に食べられるお菓子は大きく分けて3つ。

Begnet ;ベニエ Crêpe ;クレープ Gaufre ;ゴーフル


それぞれ地域によって作られる種類が変わります。1種類だけ、或いは2種類作る地域、家庭によっては全部作るというところも

ゴーフルは型が無いと出来ませんが、その昔オーブンが無かった家庭で作ることの出来るものばかり。ここからも、これらの菓子がいかに古くから作られてきたかが分かると思います。元々が家庭で作られていたお菓子だけあって、各家庭で独自のルセットがありました。

中でもベニエは、地域によって様々なタイプや形、そして名前が存在し、とても興味深いものです^^


さて、肝心の『garguesse ;ガルゲスについて

* スペル違いでGargaisses, Gargessesという語も見られる。

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↑ 教えてもらったルセットで作ったGarguesses;ガルゲス

garguesse;ガルゲス』は上記3種の中に含まれるベニエの1種で、Chandeleur ;シャンドルール(2月2日;聖母お清めの祝日)やカーニヴァルの時期に作られるベニエ(揚げ菓子)

Bourgogne-Franche-Comté地域圏Côte-d’Orコートドール県北部に位置するChatillonnais ;シャティヨネと呼ばれる自然地域圏辺りで使われていた、非常に限られた地域での古い名称です。

同じコートドール県とは言っても、croquignoles, golottes(golotes),pognonsという別の名称が使われていた地域もあり、県庁所在地Dijon ;ディジョンでは「fantaisies ;ファンテジー」という名称が使われました。

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↑ こちらはイースト菌を加えた発酵生地のGarguesse;ガルゲス

さて、『garguesseという一風変わったこの語の由来はどこから来たのでしょう。

ラブレーの「Gargantua ;ガルガンチュア」という語の中にもみられるように、「喉」を意味する古フランス語「gargate」に由来する』と考える人、或いは『frire(油で揚げる)が転じてbouillir(沸騰する)を意味するgargouiller(ボコボコ音を立てる)と同じ起源をもつ』のだろうと推察する人もいるようですが、残念ながら実際のところは不明です。

このベニエの存在を知ったのは、私が地方菓子の研究をしていることを知るフランスの友人から「お祖母さんのルセット」を教えて貰ったのがきっかけでした。

お祖母さんのガルゲスは小麦粉・バター・生クリーム(クレーム・エペス)・砂糖・卵を使い、オレンジフラワーウオーター、或いはバニラで香りをつけ、ごく薄く伸ばして揚げるものでしたが、他にもイースト菌やベーキングパウダーを加えたもの等、生クリームは加えないものなど、ルセットは様々あります。

その家だけの特別なものである分、知り合いから直接教えて貰ったルセットはやっぱり特別ですね^^


*他のベニエについてはこちら↓で少し紹介しています。


補足<Carnaval ;カルナヴァル(カーニバル)について>

「カーニヴァル」の語は、ラテン語のcarne « » levare « 取り除く »に由来し、「四旬節の開始」を意味しています。

一般的には「Carême(四旬節)の始まりを表すMercredi des Cendres(灰の水曜日) の前日であるMardi Gras ;マルディ・グラ(告解火曜日)を含む3日間から一週間ほど」がカーニヴァルの期間とされますが、 Carnaval de Nice(ニースのカーニヴァル)など、大々的に行われる町ではこの限りではありません。

* 本来の期間はEpiphanie(公現祭 ;16)からマルディ・グラ(移動祝祭日 ;今年2017年は228)までの期間で、そして当初はクリスマスからマルディ・グラまでの期間であったといいます。

仮面や仮装をすることによって社会的身分から解き放たれ、自由になって羽目をはずす、そして節制期間に入る前に飲んで踊って大いに楽むという目的でしたが、それも元々はキリスト教が現れる以前にあった春の訪れを祝う古代の春祭りで、寒く厳しい冬を追い出して春を呼び込む民俗行事でした。

冬から春に移り変わるこの時期に冬の悪霊追放、災害をもたらす精霊たちを威嚇するために変装や悪ふざけをしたり、あるいは社会的身分やタブーの境界線を消し去り、混沌としたカオスを作り出すことによって象徴的な「死=冬の象徴」を再現し、冬を追い出して(見送って)太陽を呼び戻し、植物が再び目覚める春を迎え入れることを目的とした原始的な行事だったと考えられています。


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by Ethno-PATISSERIE | 2017-04-08 21:00 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(2)

諸聖人の日のお菓子「la Niflette ;ニフレット」

la Niflette ;ニフレット」は、オレンジ・フラワー・ウオーターで香り付けしたクレーム・パティシエールをのせて焼いた、丸い小さなパイ菓子。
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↑ Boulangerie Marc Mecreantのニフレット

Provin ;プロヴァンの町とその近郊のスペシャリテで、11月1日 Toussaint ;トゥーサン(諸聖人の日 )
伝統的なお菓子です。
この日の前後2週間程度の間という短い期間しか販売されていません。
* Provin ;プロヴァンはIle-de-France ;イル・ド・フランス地方圏 Seine-et-Marne ;セーヌ・エ・マルヌ県の町。古くから栄えた町で、古い街並みも多く残され「中世市場都市プロヴァン」としてユネスコ世界遺産に登録されており、またコンフィチュール等バラを使った製品でも有名。
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↑ 青空市ではお供え用の鉢植えの菊が沢山売られていました。


この菓子の起源は中世に遡るという研究家もいるとのことですが、
現在のような形になったのはガルニチュールであるクレーム・パティシエールが考案された17世紀以降であることに間違いありません。
またかつては、現在のような小さいものの他に大きなサイズも存在し、売り子が通りでアツアツの出来たてを販売するのが伝統的なスタイルであったのに対し、現在では作り置きした小さいサイズのものを、
主に1ダースずつ販売するスタイルに変わっています(1個からでも購入可)。


それにしても何故、諸聖人の日にニフレットが食べられるお菓子となったのでしょう?
いつから、誰が作り始めたのか?はっきりしたことは全く分かっていません。

フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅する
L’inventaire du patrimine culinare de la France 」Ile de France版(1993年)によると、
この名前の由来はラテン語の「ne flete」(仏語でne pleure pas(泣かないで)という意味を示す)の変形だ
とされ、かつて「この菓子は両親のお墓の前で泣く孤児に贈る習慣があった」ため、これに由来するだろうと考えられています。 (残念ながら、この習慣については昔の資料を探しても出てこず…。)

これは現在一般的な説となっていて、調べてもおそらくこれ以外は出てこないでしょう。


私が見つけられたニフレットに関する一番古い記述は、色々な歌を集めて紹介するLouise Hardouin Prosper Tarbé著「Romancero de Champagne,Tome Ⅱ(1862年)」という本でした。
歌の題名はずばり
La Toussaint, ou Les Niflettes de Provin(諸聖人の日、或いはプロヴァンのニフレット)」。
歌詞からは諸聖人の日の頃、大小の熱々ニフレットを売り歩く売り子の様子が思い浮び、この頃にはこの地ですでに定着しているお菓子であることが分かります。
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添えられた注釈には『遠い昔から11月1日に若い売り子がこの歌をうたっていた』こと、『Nifletと言う語は美味しいものに付けられた別称であること』、そして『nifler,reniflerという動詞が「気取って嗅ぐ」ことを意味する(←ちょっとピンとこないけど) 語だということ』が説明されていました。
そして「この日にこの菓子をたべるのは『故人たちの葬送の食事』或いは『諸聖人への陽気なお祝い』の
どちらだろうか?」とも書かれていて、この時点でもその意味合いがはっきりしていないことが伺えます。

この次に古い記述は
Bulletin de la Société d'archéologie, sciences, lettres et arts du département de Seine-et-Marne (セーヌ・エ・マルヌ県 考古学、科学、文学、芸術の報告書)」の1869年度版
にありました。
ここでは上記の本よりも12年古い「1850年8月24日付『Feuille de Provins 』の記事の中で、
nifletteという語が、諸聖人の日のお祝いに対する楽しい感情を表現する意味合いを込めて、
ラテン語の「ne ftete(=ne pleurez pas泣かないで)」に由来したものであることを示そうと努めた・・・」という内容が書かれています。
つまり、ここでも結局のところは想像に過ぎないわけですが…。
悲しいと言うよりも楽しいイメージなのですね。


他にも「両親のお墓の前で泣く孤児にこの菓子を贈る習慣」の痕跡は見つけられなかったことを考えると、
現在に考えられている悲しい意味合いとは逆の、楽しそうな意味合いの方が強かったのではないかと言う印象を持ちました。
前者の本の注にあった「renifler」は現在でも使われている動詞で「(鼻をくんくんいわせて)臭いをかぐ」という意味もあることから、アツアツのニフレットからただよう良い香りを思わずくんくんしてしまう光景の方がしっくりくるような(笑)???


さて、実際にニフレットを食べにProvin ;プロヴァンを訪れたのはちょうど1年前のこと。

色々なお店のニフレットを食べ比べしたかったので、街にある6件のお店を訪ね歩きました。
1つがとても安く1ダースずつ買うのが普通なのですが、そんなに沢山食べられないので1種類1個ずつ購入(お店の人には申し訳ないけれど…汗)。
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多くのお店でNature(プレーン)Eau de Fleur d’oranger(オレンジフラワーウオーター味)の2種類を
販売していました。
パイ生地も薄いものや良く膨らんでいるものまで、クリームも色や量、絞り出す口金の形も様々で、
同じものは1つもなく、食べ比べのしがいがありました~♪
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↑ 小さいから6種類の食べ比べも楽勝~♪

日本へ帰る前、パリのブーランジュリー「Du Pain et des Idees」へ寄ると、1週間ほど前に行った時には無かったニフレットを発見!
これはパイ生地が四角いバージョン。(5個又は10個単位での販売で、バラ売りはなし)

今年8月自由が丘にオープンしていますが、同じく四角いニフレットも販売しているようです。
(こちらは期間限定では無く、通年販売)

気になった方はこのおかげで日本でも手に入るわけなのですが、出来ることならやっぱりこの時期
実際にここへ行ってみてくださいね~♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-10-30 21:25 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

fouace ;フアス似の「Gâteau de la Mariée ;ガトー・ドゥ・ラ・マリエ」

Gâteau de la Mariée ;ガトー・ドゥ・ラ・マリエ』は、Aveyron ;アヴェロン県Laissac ;レサックのスペシャリテです。
おそらくフランスでもこの辺りでしか知られていないであろうお菓子…。
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レサックは電車も通っておらず、バスも1日数本しか通っていないようなとても小さな町ながら、
毎週火曜の午前中に行われる家畜市はフランスで第2位の規模を誇り、その起源は15世紀初めに遡るという
アヴェロン県で一番最初に家畜市が行われた町でもあります。


以前フランスの食雑誌「Saveurs」にこの菓子が紹介されて以来、いつか行ってみたいと
思っていたお店でした。
2002年にこの地方を周る旅の計画を立てた時、お店にコンタクトを取ったところ快い返事を頂き、
どんなに嬉しかったことか♪
相手の都合に合わせての訪問だった為、滞在していたRodez ;ロデズからはバスではなく
タクシーでお店へ…(タクシーの運転手さんとの会話も楽しみ。いつも沢山の情報をいただけます^^)
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↑ 石造りの素敵な外観。

相手をしてくださったのはLaurence Roques;ロランス・ロックさん。妹のMartine;マルティーヌ と共に2つの店を切り盛りしています。
彼女たちの祖父母(Elie Roqueと妻でMeunier(製粉業者)を父に持つLouise Bru夫妻)が
1930年、このお店を始めたました。

店内には様々な形のpains au levainや大きく焼いた切り売りのタルト、シュー菓子等が並び、ひっきりなしにお客が買いに来る人気店で、ゆっくり話をする時間が取れないほど。
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↑ アプリコットぎっしりのタルト。切り売り。


ガトー・ドゥ・ラ・マリエ」は「fouace ;フアス」に似た生地を長方形のオーブンプレート一杯に
ドーナッツ形に成形して焼いてあり、量り売りされていました。

この菓子が誕生したのは、夫が戦争の為この地を離れ二代目のLouise Roques ;ルイーズ・ロック
1人で店を守っていた時のこと。
物の無い時期で材料も限られていた中、ある日結婚式のお菓子の注文が入り工夫して作ったのが始まりで、
最初は『fouace de la Mariée ;フアス・ドゥ・ラ・マリエ』と名付けられたと言います。

飾り気のない菓子ですが、ルイーズの夫が元々Dragées ;ドラジェを作る職人だったことから、結婚式用にとお菓子をドラジェで飾り付けたとのお話。で、実際に飾り付けて見せてくれました♪
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↑ ドラジェで飾った『ガトー・ドゥ・ラ・マリエ』

フアス同様こちらもオレンジフラワーウオーターで香り付けしてあってほとんど変わらないように感じますが、パン酵母は使われていないところが大きな違い。
甘味は強くなく、一緒に売っているフアスよりも柔らかい感じでした。


ロランスさんはあまり話す時間が取れなかったので、近所にある小さなMusée du Laissaguais(民俗博物館)のMaurice Gauffre氏をお店に呼んで下さり、この地方のお菓子についての話をお聞きしました。


この町には古いfour banal(共同の窯)も残っているのだとか。かつて3つの水車があってそこでは粉や油(胡桃)が作られいたそう。
かつてはこの辺りにもアーモンドの木が育てられていたという話なども…。

午後からは博物館を見学。
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↑ Musée du Laissaguais内、暖炉を再現したコーナー。
左端にはGâteau à la broche用の型やゴーフリエも。

私の大好きな昔の生活道具が沢山展示してあり、直々に解説して頂くことも出来てとても有意義な時間だったのでした♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-08-02 15:38 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(3)

Aveyron ;アヴェロン県の発酵菓子「fouace ;フアス」

fouace ;フアス』はAveyron ;アヴェロン県のスペシャリテで主に王冠形に作られ、
オレンジフラワーウォーターがしっかり香る発酵菓子。
パン生地に卵やバター等の材料を加えて作られた他の発酵生地同様、家族のお祝い事や祝祭時に
作られていたもので、現在では主に朝食やおやつとして食べられています。
パン屋さんやマルシェには大小様々な「fouace ;フアス」が並び、大きなものは好きな量だけ
量り売りしてくれ、地方や店によって特徴的な形をしていてワクワクします^^
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↑ fouace au levain de la Boulangerie Roques(Laissac)

fouaceの語は、7世紀に灰の中で焼いたパンを意味するラテン語「Focacius panis」に由来する俗ラテン語『focacia』から来た言葉。
フランスのみならず、イタリア語focaccia,スペイン語hogaza,ポルトガル語fogaça,ハンガリー語pogácsa等々、ヨーロッパ各地にこの語を語源に持つ語が存在しています。

また、このアヴェロン県のfouaceの他にフランス国内でもfougassefouée等々の似た名前を持つ菓子が
あり、地域ごとに特徴的な形・味のものがあり、それを探し歩くのはとても興味深い♪
* 日本でなじみ深いのは、プロヴァンス地方で作られる塩味のfougasse ;フガスでしょう。


元々パンから派生し、各地で独自に変化していった甘味&塩味のフアス&フガスたち。
中世からフランスの各地方で作られていたことが知られています。
Fernanc Molinierは著書「Promenade Culinaire en Occitanie(1973)」の中で、
1390年2月24日付けのCommandrie de Saint-André de Gaillacの規約と習慣についてロマンス語で書かれた手書き文書で、コマンドリー・メンバーにLe dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー(枝の主日)用として昼食と夕食に出される食材と共に「テーブルにfougasse ;フガス一切れとワインを置く」と書かれていることを引用しています。
* Commandrie ;コマンドリーとは中世、キリスト教騎士修道会が所有した地所、及び修道士、騎士とその関係者たちが暮らし、訓練する場のこと。
* Le dimanche des Rameaux ;ディマンシュ・デ・ラモー(枝の主日)についてはこちらをご参照ください。 
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↑ Fouace campagnarde d'Entraygue(Entraygueのマルシェで出会った田舎風フアス)


彼は同様に1593年の文書でラングドック州議会がアルビで開いた会議の際、アルビの町は議会のメンバーに「ローズ・ウォーターで香り付けしたfougassets(小さなフガス)を9ダース半とその他のお菓子をガイヤック・ワインと共に贈った」ことも引用しています。

いずれも現在のアヴェロン県の南隣に位置するタルヌ県辺りのことですが、
この辺りではこのころ既にデザートとしての甘いフガス(フアス)が作られていたことが分かります。


私が初めて出会ったのは(確か)1992年のこと。
Laguiole ;ライオルの町で1858年の創業以来ルセットを五代にわたって受け継ぐBoulangerie Rouxの、上に可愛いシニオンがのった『fouace de Laguiole;フアス・ドゥ・ライオル』でした。
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2002年、アヴェロン県を周った際にも様々に特徴的なフアスに出会うことができましたよ♪

現地では『fouace ;フアス』の名前が使われていますが「L’inventaire du patrimoine culinaire de la France ; Midi-Pyrénée版(1996)」では「fougasse aveyronnaise ;フガス・アヴェロネーズ(アヴェロン県のフガス)」として紹介されていて、少し不思議に感じました。
ポストカードにも稀に「fougasse」と書かれているものがあって、お店の人にも尋ねてみたのですが残念ながら「fougasseと呼ぶことは無いけど、そう書いてるものもあるわね」という返事しか聞くことができませんでした。

アヴェロン県の俚言では『fougásso又はfouásso』という名前でした。
なるほど「G」入り、無しの両方が使われていたのですね。

ではなぜ今は「G」無しの「fouace」となっているのでしょう?

あくまでも個人的な想像ですが「fougasse aveyronnaise」という書き方は、より一般的で認知度のある「fougasse」という名前に「aveyronnaise(アヴェロン県の) 」という形容詞を付けて、プロヴァンス地方のフガスとは違うものであることを強調し、また、実際に呼ぶ際は長すぎますし、区別する為にあえて「fouace」という名前を使うようになったのではないかな?と思いました。

フランス各地のスペシャリテについて書かれたCurnonskyとAustin de CROZE共著「Trésor gastronomique de France(1933)」の中にはfouaceやfougasseも掲載されていますが、
この地方のスペシャリテとしては『fougasse d’Espalion』の名前が挙げられていました。
このころは「fougasse」の名前も一般的に使われていたのでしょうか?
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↑ Fouace d'Espalion

いつごろから「fouace」の名前が使われるようになったのかは残念ながらよく分かりませんでしたが、
もう少し時間をかけて調べてみたいと思います♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-29 11:00 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(2)

「Navette de Saint-Victor ;ナヴェット・ドゥ・サン・ヴィクトール」

Navette ;ナヴェット」とはプロヴァンス地方でおおく見られる、オレンジフラワーウオーターで香りを付けた小舟形の焼き菓子のこと。 店によって大小様々なものが販売されています。

もっとも有名なのはやはりMarseille ;マルセイユの「Four des Navettes ;フール・デ・ナヴェット」というお店で作られている「Navette de Saint-Victor ;ナヴェット・ドゥ・サン・ヴィクトール」でしょう。
この店は1791年創業のマルセイユで最も古くからあるパン屋さんなのです♪
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創業者であるMonsieur Aveyrousが、小舟でプロヴァンスへたどり着いた聖母マリアたちや マルセイユのVieux Port(旧港)に漂着したヴィーナス像と言った伝説を想起させる「小舟形の焼き菓子=ナヴェット」を考案しました。
* 販売は翌年の1792年から

今も当時と変わらぬ秘密のルセットを用い、同じ窯で焼かれています。
* 現在はJean-Claude IMBERT氏と息子のNICOLASが計量や生地作りを行い、従業員が行うのは分割と焼成のみ。
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ここのナヴェットは他のものとは異なり、細長い棒状の生地を20㎝ほどの長さに切り分け、縦に切込みが入れてあります。
甘味も少なくかなり固め、当時と同じというのが頷ける味。
すぐそばにあるAbbaye Saint Victor(サン・ヴィクトール修道院)で行われる 「Chandeleur ;シャンドリュール」のお祝いに欠かせないお菓子でもあります。
* Chandeleur(2月2日)はキリスト教の祝祭の1つで、聖母お潔めの祝日。キリストの神殿奉献にあたる。
* 2月2日はキリスト生誕(=12/25クリスマス)の40日後にあたる。
旧約聖書レビ記第12章に「女が男の子を産めば7日間汚れる。…その女は血の清めに33日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。…」とあることに由来。

シャンドリュール当日の2月2日早朝、大司教が地下のクリプト内にあるNotre-Dame de la Confession(告解の聖母;黒マリア)の像をお迎えに行き、行列を作って修道院のすぐ横にある広場で町と海、そして緑の蝋燭を祝福してからミサが行われます。その後フール・デ・ナヴェットの店を訪れ「four ;窯」とその「ナヴェット」が祝福されるのだとか。
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↑ シャンドリュールの日のサン・ヴィクトール修道院の入口風景(ポストカード。public domaine)
Marchandes de navettes et de cierges, lors de la Chandeleur,devant l'abbaye Saint-Victor

この日はマルセイユのあちこちから信者がここへミサに訪れますが、 ミサが終わると緑色のロウソクとナヴェットを買うのが 古くからの習慣になっているそうで、お店の方から「列の終わりが見えないほど 長い列が出来る」とお聞きしました。
*この期間には8000~10000個ものナヴェットが販売されるとか !

この時に買った祝別を受けた緑の蝋燭とナヴェットは、家や自分たちをまもるお守りとして1年間保存。
1年後、蝋燭に火を灯してナヴェットを食べるのだそう。

マルセイユのナヴェットや、シャンドリュールのこの習慣についての古い記述を探してみましたが、一番古いものは1877年に出版された「Dictionnaire des villes, villages & hameaux du département des Bouches-du-Rhône/ Alfred Saurel 著」でした。(以下、一部引用)
「…A la porte même de l’antique édifice, ceux-ci achètent des cierges faites de cire vertes qu’ils vont faire brûler devant la Vierge Noire et des navettes ou gâteaux pétris avec de l'anis dont la saveur est, ce jour-là seulement, considérée comme délicieuse. …」
* 現在続く慣習と変わっていないのが分かります。ナヴェットはオレンジフラワーウオーターの香りでは無くて、アニス風味と書いてありますが…


マルセイユは何度か訪れましたが、このお店まで行ったのは2006年12月が初めて…。
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ちょうどある企業からの注文で、2本入りの小さな箱詰めを大量に作っているところでした。
他にも箱入りやナヴェットの並べられた天板等々、沢山のナヴェットにびっくりする半面、普通のパンも売っていたのはなんだか意外に感じてしまいました^^
(パン屋さんにパンがあるのは当然なのですが…^^;)


2月2日にマルセイユへ行くことはかなり難しいですが、1度は体験してみたい!
(* 2007-07-22 mixiでupした内容に加筆したものです。)



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-14 19:39 | 21 Provence-A.C | Trackback | Comments(2)

「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」と「Paris-Nice ;パリ・ニース」の関係は?

Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィットの「Pâtisserie Durand et Fils ;パティスリー・デュラン・エ・
フィス」を取材したかったのは、『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』が確かにLouis Durand ;ルイ・
デュランが考案したという確信の得られるような文書、或いは1909年から販売していたという文書等々を
見せてもらいたいと思ったからでした。

確かにいくつかの説があって「本当の考案者はこっちだ」と主張するものもありますが、
その根拠となるものを提示しているものはありません。

レヴェック氏はLouis Durand ;ルイ・デュランの息子、Paul Durand ;ポール・デュラン
父親の発明を守るため、1930年に特許申請をしたが(すでに広く作られていた為)却下された」と
話しているので、その時の書類等もあるのじゃないかと…。
こちらに1つでも多くの関連書類が残されていれば、もっとすっきりしますよね~。
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L’inventaire du patrimine culinare de la France;1993(*)」のIle-de-France地方版では
Émile Darenne,Emile Duval共著「Traité de pâtisserie moderne(1909)」の中にパリ・ブレストと
酷似した「Paris-Nice ;パリ・ニース」のルセットが掲載されていることが指摘されています。
そのルセットは『シュー生地を王冠形に絞り、表面をドレして焼き、間にプラリネ風味のクレーム・
サントノレを絞り入れる』というもの。
(*)フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅している本。

本の販売日までは分かりませんが、もし出版以降にパリ・ブレストが考案されたとすると
この本を参考にしたという可能性も出てきますよね。


さて一方で、この「パリ・ニース」という名前にも謎が…?

一見するとパリ・ブレスト同様自転車レースのことだと思いますが、このレースが始まったのは1933年
ということで違うようです。
南仏でもアーモンドが栽培されていますからプラリネ風味のお菓子には南仏っぽくないとは言えませんが、
あえてニースとしているところには説得力がないように思います。

著者のいずれかは考案したものなのでしょうか?で、なぜこの名前が付けられたのでしょうか???


パリ・ブレストはどのように広まっていったのか?という疑問も残ります。
本の方が多くのパティシエの目に触れるような気がしますが、
なぜ「パリ・ニース」ではなく、メゾン・ラフィットの1パティシエが作った「パリ・ブレスト」の方が
一般的になったのでしょう?

何かをきっかけにこの店から広まったのだとすれば「Guide UNA」や「Le Trésor gastronomique de
France」のようなガイドブックや広告等に載っていてもおかしくないように思うのですが、
探してもほとんど出てきませんでした。
*「パリ・ブレスト」と名前が地名であるため、様々な条件で検索しても目的のものはヒットしにくい。

見つけられた一番古いものは
Paris-Soir(1932年6月25日付)」という日刊紙のP-3に掲載されたJulien Damoyの広告内でした。
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また、パリ観光局発行の「La Semaine à Pais(1936年7月31日付)」のRestaurant Le Chapon fin
記事の中では「« Paris-Brest » ,crème Chantillly,pâte à choux et amandes,est digne de
louanges(*)」という記載も…。
(*)「パリ・ブレスト(クレーム・シャンティイ、シュー生地、アーモンド)は称賛に値する」という意味。

上記での特許申請がだめだったほど、確かに30年代にはパリでは一般的なお菓子となっていたようですね。

プロ向けの本で古いものはこれでしょうか。
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Pierre Lacamの娘婿、Paul Seurreの出版した「Le Nouveau mémorial de la pâtisserie
1934年の初版本には掲載されていませんが、私の持っている第9版(1946年)ではパリ・ブレストのルセットが加筆されていました。
アーモンドを散らして焼いたシュー生地にクリームはプラリネ風味のクレーム・オ・ブール、又はこれに
イタリアン・メレンゲを加えたもの。或いはプラリネ風味のクレーム・サントノーレでもよい。
クリームが入りすぎないよう、中に円形に焼いたシュー生地を入れる店もある。』というもの。
*何版目から掲載されるようになったのかは未確認。


ポピュラーながらも、20世紀に入ってから出来た比較的お菓子、「パリ・ブレスト」。
謎がはっきりする日は来るかな^^



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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-11 17:41 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「Paris-Brest ;パリ・ブレスト」の誕生したお店へ…

地方・国を問わず、多くのパティスリーでみられる『Paris-Brest ;パリ・ブレスト』。

パリ・ブレストは
シュー生地を王冠型に絞ってアーモンド・スライスを振って焼き、間にプラリネ風味のクレーム・ムース
リーヌを星口金で絞り込み、粉砂糖を振ったもの
ですが、これもやっぱり立派な地方菓子、イル・ド・フランスのスペシャリテと言えます。

クラシックなフランス菓子がRevisité ;ルヴィジテ(現代風に再構築)されるようになり、パリ・ブレストも様々なスタイルのものが見られるようになりました。

でもやっぱり気になりますよね~、その原点が…^^

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↑ お店のガラスにも1910の文字…でも1909年末が本当らしい…


この菓子が誕生したのはパリの西方、ヴェルサイユを県庁所在地とするYvelines ;イヴリーヌ県の町
Maisons-Laffitte ;メゾン・ラフィット
建築家フランソワ・マンサールにより建てられた美しい城や、競馬場でも有名な町です。


パリ・ブレストの考案者の店は今でも当時と同じ場所・建物の中で、同じ家族によって受け継がれています。
お店の名前(当時)は「Pâtisserie Durand ;パティスリー・デュラン」。
Louis Durand ;ルイ・デュラン はその妻Marie ;マリーと共に、1907年創業しました。
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 ↑ お店に展示されていた写真より(創業当時のものではありません)


デュラン氏は1891年に始まった自転車レース「Paris-Brest-Paris ;パリ・ブレスト・パリ
(又はParis-Brest et retour)」にちなみ、自転車の車輪の形をイメージした菓子を考案しました。
考案した年は1910年と書かれていることもありますが、正確には1909年の年末
・レヴェック氏によると、おそらくクリスマス用に考案されたものだろうとのこと。

そのきっかけとなったのは
自宅の近くにあるCroix-de-Noaillesがコースに入っており、レースを見たことから
・ちなみに1909年以前に開催されたのは1891年と1901年の2回のみ(その後は1911年)。
パリ・ブレスト・パリ」の創設者で『Petit Journal』誌のPierre Giffard氏がメゾン・ラフィットに住んでおり、パティスリー・デュランのお客でもあった為、お菓子を作るよう勧めた(或いは頼んだ)…」
等々いくつかのお話があるようですが、今となってははっきりと分かりません。
(名前からしてレースがきっかけとなったことは確かなのでしょうが…。)


さて、ここを訪ねたのは昨年10月のこと。
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↑ 現在のお店のファサード

現在のオーナーで初代のひ孫にあたるStéphane Lévêque ;ステファン・レヴェック氏に
メールで取材のお願いをしていましたが、なぜか届いておらずRV無しでの訪問でした。
しかし運よくレヴェック氏が事務所にいて、超多忙な中「5分だけ」と言いながらも、
店横にある入口から上の階にある事務所に通され、きちんと座ってお話をお聞きすることが出来ました。

店のある建物自体は当時のまま、お店の方は当初ショーケースに冷蔵施設がなかったこともあり、
何度か改装をしているそうです。

現在は彼の妻Dorothy ;ドロシーがシェフ・パティシエとしてラボを仕切っています。
彼女は1993年に店で販売の仕事を始めたそうですが、それだけではつまらないと思うようになり
ステファンの叔父であるMichelPhilippeに教わりながらパティシエの仕事もするようになったのだそう。
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↑ Mme.Dorothy Lévêqueとパリ・ブレスト


レヴェック氏も最初はパティシエで店の管理も行っていましたが、現在ラボでの仕事は彼女に任せ、
自分は経営者としての仕事と政治活動を行っているとか。

この店のパリ・ブレストの特徴は、まず1人用サイズがよく見かけるドーナッツ形では無く、穴の無い楕円形であること。
これは自転車のサドルの形を模したものです。
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アントルメの大きなパリ・ブレストはよく見かけるものと違い、それほど厚みはありません。
わざとシュー生地を平らにして焼いてあります。
・厚みを出すため中にドーナッツ形に焼いたシューを入れることもあるが、それは無し。

クリームはあまりバターの量は多くなくて、自家製のプラリネが香り高く、コクのあるクレーム・パティシ
エールという感じ。
厚みは無くても平たい分、クリームはたっぷり入りますがとても食べやすいのでした。
見た目は素朴ですが、今まで食べた中で一番好きな味かな~♪
・ルセットは昔通りだが、クリームに入れるバターの量は減らしている。

ショーケースにはパリ・ブレストの他にも、
シュー生地を使ったお菓子が一杯並んでいて、それも店の特徴の1つだとのお話でした。

訪問した日はいつもより人数が少なくて忙しかった 為、残念ながらラボの見学はできませんでした。
まだ不明な点も多いパリ・ブレストについて、より詳細な歴史的資料等も拝見したいものです。

いつかまたリベンジ取材したい!



Pâtisserie Durand et Fils
9,avenue de Longueil
78600 Maisons-Laffitte




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by Ethno-PATISSERIE | 2015-07-09 21:42 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」 その② 色々な名前とルセット

Crémet ;クレメ」の名前はcrème ;クレーム(生クリーム)、或いはcrémer ;クレメ(生クリームを加えるという動詞)に由来します。
* 名前を調べると他にCrémet の他にCrêmet 、Crémé と言うスペルもみられる。

かつてアンジュー地方では特にAngers;アンジェやSaumur;ソミュール周辺で多く作られていたそうで、名称は「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」の他、町の名前を冠した「Crémet d’Angers ;クレメ・ダンジェ」や「Crémet de Saumur ;クレメ・ドゥ・ソミュール」という名前も見られました。
* 例えば20世紀前半に出版された古い有名なガイドブックを見ると、このように書かれている。
◎「Guide UNA(1931年)」では「Angers ; アンジェとSaumur ; ソミュールのスペシャリテ」としてクレメを紹介。
◎フランス各地のスペシャリテを紹介する「Trésor gastronomique de France(1933年)Curnonsky,Austin de CROZE共著」の中では「Crémets d’Angers;クレメ・ダンジェ」の名前で掲載。
Larousse gastronomique de Prosper Montagné( 1938年) の中では「Crémets d’Angers ou de Saumur」と記載。


この他にMaine-et-Loire県の隣県Loire-Atelantique ;ロワール・アトランティック県の中心地Nantes ;ナント近郊でも作られており、その名も「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ(或いはCrémet de Nantes ;クレメ・ドゥ・ナント)」。ここでも20世紀初めには既に有名でした。
* 1984年に出版されたフロマージュの本「Le Livre d’Or du Fromage,Pierre Androuet著」の中にはCrémet d’AnjouとCrémet nantaisの2つが掲載されており、「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ」は温めた牛乳にレンネットを加えて固めたものを穴のあいた型に入れて水気を切って作る方法が紹介されている。
* 現在「Crémet nantais ;クレメ・ナンテ」と言う名前で販売されているものは、材料に生クリームと卵白の他に
フロマージュ・ブランが入っている。

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↑ こちらが実際に買ったクレメ・ナンテ

現在、一般的に「クレメ・ダンジュー」と「クレメ・ダンジェ」の違いはフロマージュ・ブランが入るかどうかで、
前者には入らないとされています。
しかし、これらに違いは無いと言うもの、「クレメ・ダンジュー以外はフロマージュ・ブランを使うという違いがある」と
書かれているものも存在してちょっとややこしい。
実際にルセットを集めてみると材料も作り方も様々で決まっていないようにさえ感じるほど…。


では、アンジェの古文書に初めて記載された当時の「フロマージュ・ドゥ・クレーム」や「クレメ」はどんなものだったのでしょう?
探してみると「Nouvelle Instruction pour les confitures,les liqueurs et les fruits,François Massialot 著」の1740年度版の中に「Fromage de Crême(P-285)」のルセットを見つけることが出来ました!
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作り方はこんな感じ…。
生クリームに牛乳を加えて熱し、指を入れられる温度まで冷ましてから牛乳を少し加えたレンネットを加え、
布か目の細かい裏漉しで漉す。蓋をして固まるまで置く。柳で出来た小さなカゴ、或いはブリキの型に
スプーンで入れ、水気を切る。器に盛り付け、上から砂糖を加えた生クリームをかける。


これは現在でいうとクレメというよりむしろフレッシュチーズ(フェッセル)の感覚ですね。
* François Massialot;フランソワ・マシアロ(1660-1733) 数多くの宮廷でシェフ・キュイジニエを務め、数冊の料理書を残している。クレーム・パティシエール(スペルはCrême pâticiere)やクレーム・ブリュレ(Crême brûlée)の
ルセットの初出は彼の著書「Le Cuisinier roial et bourgeois(1691)」。


この本のもっと古い版を探すと1712年度版が見つかりました。
この中に「Fromage de Crême」は無かったのですが「Crême en neige ;クレーム・アン・ネージュ」というものを発見!
1 pinte(1パント;昔の液量単位)の新しい生クリームと新鮮な卵白2つをオレンジ花水で香り付けして
泡立てる。表面に泡が上ってきたらすくって別の容器に移す。全てが泡立つまで繰り返す。砂糖を加えて溶けるまで泡立て、ガーゼか目の細かい布を敷いた小さなカゴに入れ、水気を切る。

こちらの方が現在のクレメにより近いような気がしました^^

両方の本には生クリームや牛乳と卵、砂糖を使って(いわゆるチーズは使わずに)作られた「Fromage」と分類されるものがいくつか紹介されており、この当時は同様のものが広く作られていたことを想像させます。


では次に形はどんなものだったのでしょうか?
ナントで使われる言葉(言い回し)について解説する「Les Locutions nantaises(1884年)Paul Eudel著」では、
クレメを「柳製の小さなカゴに入れて作られた半円形の乳製品」と説明しています。
また、円筒形のブリキ製型もあったようです。

また「Souvenirs d’un vieux Nantais,1808-1888(1888年)Léon Brunschwicg著」には
柳製の小さなピラミッド形(のカゴ)を使う」とあり、様々な形があったことが分かります。

20世紀初期には「その①」で紹介したような陶器製で水切り穴の付いたハート形の型が出てきます。
そしてこのハート形が作られる前は円錐台形だったのだとか。
こちらにはその型の写真が紹介されていて、偶然にも私が持っているのと同じ!
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それにしてもいったい誰がこれらの形にすることを思いついたのでしょう?
家庭では家にあったものを転用したのかもしれませんがお店ではどうだったのか?
Marie Renéaume ;マリー・ルネオムの店ではどんな形で販売されていたのでしょうね。とても気になります。
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本やネットでルセットを集めていくと、本来の生クリームと卵白と言うシンプルな物の他にも様々なものがあるのが分かります。
 ①泡立てた生クリーム(クレーム・エペッス+クレーム・フルーレットのことも有)と泡立てた卵白を混ぜる。
 ②フロマージュ・ブランに泡立てた生クリームと泡立てた卵白を混ぜる。
 ③生クリーム(クレーム・エペッス+クレーム・フルーレットのことも有)にレンネットを加えながら泡立てる。
 ④カイエ(牛乳にレンネットを加え、固めたもの)を水切りし、クレーム・エペッスとクレーム・フルーレット、
   バニラシュガー、泡立てた卵白を加える。
 ⑤牛乳を30℃に温めレンネットを加える。(Crémet nantais ;クレメ・ナンテ)


これらすべて試してみましたが、③は思ったように泡立たず、1度は泡立て過ぎてバターになりかけてしまいました。
* ちなみにアンジュー地方で使われる俚言や言い回しについて語彙集 「Glossaire étymologique et historique des patois et des parlers de l'Anjou(1908年)Verrier et Onillon共著」の中で、クレメは「バラットの中でバターに変わる寸前の生クリームで作った乳製品」と説明されている。

経済的な理由(高価な生クリームの量を減らす為 ?)からか、Caillé ;カイエやfromage blanc ;フロマージュ・ブラン等を加えるようになっていったとも言います。
ルセットは各自で秘密にされいたため作り方も様々になり、また恐らく家庭では手に入るものを使い工夫して作っていた為、材料にもバリエーションが出来たのかもしれませんね。
(いずれの作り方でもそれぞれに美味しいクレメが出来ました♪)



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-08-07 19:29 | ⑱Pays de la Loire | Trackback | Comments(2)

「Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」 その① 歴史について

Crémet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」はPays de la Loire地方圏Maine-et-Loire県のスペシャリテ。
Fontainebleau ;フォンテーヌブロー等と同様フロマージュの1種。主にFromagerie ;フロマジュリー(チーズ屋)やCrémerie ;クレムリー(乳製品を扱う店)で扱われるものです。
* Anjou ;アンジューはフランス革命以前に使われたAncienne province(旧州名/旧地方名)のこと。現在の県にほぼ一致している。中心都市はAngers ;アンジェ。

クレメ・ダンジューは泡立てた生クリームに泡立てた卵白を混ぜ、1人分ずつ水切りして作られるデザート。
(フロマージュ・ブランは使わないのが基本の作り方)
上から生クリームと砂糖をかけて、或いは赤いベリーのクーリをかけて食べられます。
1年中ありますが、赤いベリー類が採れる春から夏にかけてのシーズンに多く作られます。
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アンジェのサイトAngers.frにはその歴史が詳しく紹介されていました。
18世紀にはあったことが分かっており、市の古文書では1702年、続いて1704年に納入された食事の中に初めて
このデザートが記録されているそうです。
その当時は「fromege de crème ;フロマージュ・ドゥ・クレーム」と呼ばれていたとか。

Crémet ;クレメ」という名称が古文書の中で見られるようになったのは1741-1743年。1767-1779年には市当局から提供された宴会で定期的にクレメが出されていたそうですが、その後廃れてしまいました。


さて、18世紀後半に廃れてしまったクレメですが次に現れたのは1世紀後、偶然の出来事から・・・。
大きなお屋敷の女料理人Marie Renéaume ;マリー・ルネオムは1890年のある夜、デザートが足りない
ことに気付いた。機転を利かせて残っていた生クリームに泡立てた卵白を混ぜ、型代わりにポルト用のグラスに詰め、これを器に取り出してから表面に生クリームをかけバニラシュガーを振りかけた。


1898年1月10日、André Girault ;アンドレ・ジローと結婚したマリーは、1901年アンジェの2 rue Saint-Julienにあったバターや卵等、乳製品を販売するCrémerie David ;クレムリー・ダヴィッドを買い取り、
本格的にクレメを販売し始めます。
店で個人向けに販売するほか、レストランにも卸される他、女性たちによる移動販売も行われて大流行したとか。
* こちらのサイトではマリーのポートレートとお店の写真を掲載。
*こちらのサイトでは1918年に撮影された移動販売の写真を掲載。

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         ↑ こちらは古いハート形のクレメ型。いつから?、そして誰が?使い始めたのかは不明

アンジェ生まれの美食家、Curnonsky ;キュルノンスキー(本名;Maurice-Edmond SAILLAND ;モーリス・エドモン・サイアン)は著書「La France gastronomique, guide des merveilles culinaires et des bonnes auberges françaises. L'Anjou(1921)」の中で
アンジュー地方のクレメは神々のご馳走である。この地方の伝統のルセットで、残念なことに数人の農民たちの間で秘密にされている。どんなクレーム・シャンティーも、香り高くなめらかで軽いこの泡々とは比べものにならない」と絶賛しています。

人気が出ると真似をして販売する人が増えてくるのは世の常のようで、アンジェのブーランジェ・パティシエ
Louis Fouquet ;ルイ・フーケ(95,route de Paris)は1910年「Crémets des ducs d’Anjou ;クレメ・デ・デュック・ダンジュー」の商標登録までしたのだとか(Girault  夫妻は商標登録をしていなかった)。

1923年になるとジロー 夫妻は徐々に商売を縮小し、クレメの製造も途絶えました。
真似して製造していたところも多かったクレメですが、デリケートで遠くへの輸送も困難だった為に、製造する人も徐々に少なくなっていった模様。

数は減ったものの今でもスペシャリテとして作り続けられていて、私が初めて食べたのは1991年Angers ;アンジェへ行った時。市場のフロマジュリーで見つけることが出来ました。
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             ↑ この白っぽくてわけのわからない写真(恥)が市場で買った初めてのクレメ

現在レストランのデザートとして食べられるお店も数件ありますが、生クリームと卵白だけで作られているのかな。


その②へ続く・・・


                                   ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2014-08-04 10:42 | ⑱Pays de la Loire | Trackback | Comments(2)