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GATEAU LABULLY ;ガトー・ラビュリー

Gâteau Labully ;ガトー・ラビュリー」という呼び名は知らなくても
Brioche de St Genix ;ブリオッシュ・ドゥ・サン・ジュニ」と言えば分かる方もいらっしゃるのでは
ないでしょうか。

この菓子はRhône-Alpes(ローヌ・アルプ地方圏)、Savoie(サヴォア県)にある小さな村St Genix sur Guiers ;サン・ジュニ・シュル・ギエのスペシャリテ。
オレンジフラワーウオーターで香り付けした天然酵母の丸いブリオッシュで、生地の中と外にある真っ赤な
プラリヌが特徴的です。
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↑赤と白の硫酸紙で丁寧に包まれた、とってもカワイイ「ガトー・ラビュリー」♪

伝説」では、3世紀シシリアの殉教者、聖アガタに結びつくと言います。
キリスト教徒の若く美しいアガタはローマ地方総督に言い寄られるも拒絶。
拷問によって改宗させようとするも失敗に終わり、両方の胸を切り落とされるも翌日奇跡的に元に戻りに。
彼女が火刑の薪山に登ると、地震が起きて死刑執行人たちは死んでしまいました。

サヴォアが1713年シシリア公国に合併されると、この伝説はこの地に伝わり聖アガタの誕生日である2月5日に胸形の菓子を作るようになったということで、このブリオッシュもそれにゆかりがあるというのです。


実際のお話は1848年、ここから10km程離れたIsère ;イゼール県les Abrets ;レ・ザブレ出身の
Françoise Guillaud ;フランソワーズ・ギヨーPierre Labully ;ピエール・ラビュリーと結婚したことから始まります。
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↑ ホテルだった頃の画像

ピエールは、1630年開業で部屋が36室もある大きなホテルを経営していました。
結婚後、フランソワーズは実家に伝わるルセットで上に赤いプラリーヌを飾ったブリオッシュを作り、
お客たちにおやつとして勧めました。

それが評判となり1855年に出版された「Guide de l’étranger en Savoie」Gabriel de Mortillet著には
「Hôtel Labully sur la place de l’Eglise(cuisine excellente)」
プラス・ド・レグリーズに面したホテル・ラビュリー(料理は素晴らしい)
そして
「La cuisine de MM.Labully est renommée ;ils font surtout une espèce de gâteau qui s’expédie au loin, sous le nom de Gâteau de St-Genix.」
ラビュリーの料理は有名で、なによりも彼らは遠くまで配送されているガトー・ドゥ・サン・ジュニと言う名前のお菓子を作っている
と書かれており、この段階で既にその名声が広く知られていたことが分かります。

1880年、彼らの息子François Labully;フランソワ・ラビュリーは上に飾っていただけの赤いプラリヌを
中にも詰めることを思いつきました。
すると更に人気が出て他の店でもまねをするようになった為、他の「ガトー・ドゥ・サン・ジュニ」との違いをはっきりとさせるために「Gâteau Labully ;ガトー・ラビュリー」の名前で商標登録をしています。
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↑これは店内に飾ってある油絵。上だけにプラリネをのせた初期のもの(左)と現在と同じもの(右)の2種類。



さて、この町を訪れたのは2005年10月のこと。
Biscuit de Savoie ;ビスキュイ・ドゥ・サヴォア」で有名なYenne ;イエンヌ
行った翌日、タクシーで向かいました。
* 「ビスキュイ・ドゥ・サヴォア」についてはコチラでご紹介しています。

予めアポイントを取っていたおかげで、ラボの見学や試食のほか、お話もお聞きすることが出来ました。
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↑ かつてホテルだった建物の左側1階部分がお店になっている。

パティスリーの開店はそれほど古くなく1949年とのこと(それ以前はホテルでの販売で、パティスリーでは
無かった)。
現在の所有者Alain Bavuz ;アラン・バヴュ氏は1964年、14歳の時にこのお店でアプランティッサージュ(見習い)を始めます。
当時のパトロンPaul Labully ;ポール・ラヴュリー氏の子供は娘2人で後を継ぐものが居なかった為
彼の退職する1979年に店を引き継いだそうです。
* ポール・ラヴュリー氏は2000年に亡くなったが彼の妻はまだこの町に住んでいるとの話でした。
* 生地の中にプラリヌを入れるようになった時期についてですが、アラン・バヴュ氏のお話では「生地の中にプラリヌを入れるようになったのは1937年のこと。中にも入れて欲しいとお客に頼まれて作って以降、中にも入れたバージョンへの注文が増えて行った」とのことでした。どちらが正しいのかは分かりません。


バヴュ氏の仕事は早朝3時に始まり、昼に終了。
ガトー・ラビュリーに使われるPralines rouges(赤いプラリーヌ)はすべて自家製で、週に2回製造されるそうです。
取材当日は一人息子のJean-Philippe ;ジャン・フィリップがちょうどプラリヌを作っている最中でした。
* 赤いプラリーヌは1回にワインの木箱で12箱分製造。
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↑ 赤く色を付けたシロップを煮詰め(写真左)、アーモンドをタービンにかけながらシロップを何度もかける(写真右)。

前日にルヴァン(パン酵母)を作り、翌日ブリオッシュに仕上げられます。
バターを除いた材料(小麦粉、ルヴァン、卵、砂糖、塩、オレンジ花水)を全てこねてから、澄ましバターを
何回かに分けて加えて混ぜ込みます。これを一晩寝かせ、翌朝4時に再び10分程こね、プラリヌ3/4量を
加えます。
これを分割して丸め、菩提樹製のcopets ;コペと言われる丸い木型に入れて1-1h30発酵。
紙の上に生地をひっくり返して、残りのプラリヌを上に差し込んでドレし、砂糖を振って
オーブンで焼成します。
焼き上がって冷ましてから、赤と白の硫酸紙で包んで完成です。

ラボにはビックリするほど大量のガトー・ラビュリー!

試食させていただくと、甘い中にも癖になる味でとっても美味しい。
丸ごとゴロッと入ったプラリヌが窯の熱と生地の水分で、その表面が溶けたところがなんとも言えません。
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↑ ガトー・ラビュリー。ホールのプラリヌを使うのが特徴。

店を見学させていただくと焼き菓子のみで生菓子はありませんでした。
以前職人4人だった時には製造していたそうですが、現在は2人だけなので作る時間がないそう。
たまたま訪れたお客さんも「無いのね。生菓子も美味しかったのに」と残念がっていました。

その後2007年にはConfrérie du Saint Genix ;コンフレリー・デュ・サン・ジュニが作られ、
スペシャリテである「Brioche de St Genix ;ブリオッシュ・ドゥ・サン・ジュニ」の保護と宣伝に
一躍買っています。


◎ブリオッシュ・ドゥ・サン・ジュニ(ガトー・ドゥ・サン・ジュニ)を紹介するニュース番組のビデオは
コチラから。
木製型コペやコンフレリーのコスチュームも見られます。



※※※



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◎おまけ… 
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by Ethno-PATISSERIE | 2013-10-10 20:37 | 22Rhone-Alpes | Trackback | Comments(3)

ベルギーのマカロン 「Macarons de Beaumont ; マカロン・ドゥ・ボーモン」

Beaumont ;ボーモンはベルギー南部ワロン地域 エノー州にある町。

以前ココでご紹介した、フランスのMacarons de Boulay ;マカロン・ドゥ・ブーレと同じく、
スプーンを使って成型するマカロンがあります。
製造しているのはBoulangerie-Pâtisserie Solbreux–Decamps一軒のみ。
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その歴史は古く起源は定かではありません。
-1667年ルイ14世の家臣がこの町に来て、ルセットを伝えた…
-ワーテルローの戦場へ向かうナポレオン一行の料理人から伝えられた…

などという言い伝えもあるようです。


公式文書に記載が残されているもので一番古いものは
1814年7月8日、フランス国王ルイ18世の使者がボーモンへ訪問した際、市長のPépin de Virが使者を歓迎する為に行われた饗宴のメニューの中に登場しています。
饗宴に関する勘定書には誰がマカロンを納品したのかは記載されていませんが、市長が利用した他の伝票に
Grand-Rue(現在のrue F.Dutry)に店を持つJean-Baptiste Debroeucqというパティシエの名前が記載されていて、マカロンを納品したものこの店だと考えられています。

Debroeucqには息子がおらず、一人娘Marie-Florenceが1807年Théophile Hairionと結婚し、
店を引き継ぎました。
Musée de la Tour Salamandreで展示されている最初のマカロン箱には
A la renommée des macarons de Beaumont. Veuve Hairion」という記載がありますが、
Veuve Hairion(エリオン未亡人)はMarie-Florenceのこと。
彼女にも一人娘しかおらず、娘は独身を通した為、店は1860年にMarie-Florenceで最後となっています。
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                 ↑ マカロン・ドゥ・ボーモン、外はカリッ中はフワッと香ばしい♪


1833年出版の「Dictionnaire géographique de la Province de Hainaut/Philippe Marlrn」P-52にはボーモンの町の紹介で「Macarons de Beaumontは全デザートの中心である」と書かれ、町のスペシャリテと
して定着し、広く知られていることが分かります。
* マカロン・ドゥ・ブーレが作られるようになったのは1854年、こちらの方がさらに古くからあった。


一方、現在このマカロンの製造をしているのはBeaumont ;ボーモンで6代続くブーランジェ・パティシエ
Solbreux–Decampsです。
その歴史は1842年、初代のJean-Joseph Solbreux;ジャン・ジョセフ・ソルブリュ(1815-1895年)が
Marie-Thélèseと共に、ボーモンのGrand Placeに菓子店を出したことに始まります。
双子を含む7人の子供に恵まれるも、双子と妻を亡くしたジャン・ジョセフは1859年Delphine-Couronnéeと再婚。この年にrue de Bincheにある現在の店へ移転しています。

二代目はArthur-Constant;アルチュール・コンスタン
彼は1892年12月26日Charleroi ;シャルルロワの商事裁判所にマカロン・ドゥ・ボーモンの商標登録を行いました。
このことは「Recueil officiel des marques de fabrique et de commerce(1893)」 の第 6 巻 P-478に掲載されています。                     ↓ コレ
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↑ 「Maison fondée en 1849 – Ancienne renommée des Macarons de Beaumont et des biscuits vanillés – A.Solbreux-Ruelle,Pâtissier-confiseur BEAUMONT(Hainaut)」と書かれている。


三代目Arthur-Paul-Constant;アルチュール・ポール・コンスタン、四代目Jules;ジュール
五代目Pierre;ピエールと続き、1992年には開店150周年が祝われました。

六代目が現当主Didier;ディディエ
父ピエールから家業を継ぐよう強要されることはなく、本人も化学を専攻してその分野の仕事に就いていたそうですが、一人息子でマカロン製造の存続は自分の肩にかかっていることを自覚し、最終的に家業を継ぐことに決めたのだそう。1994年から父親の下で働いた後、2001年に店を引き継ぎました。


現在のラベルはこちら。沢山のメダルと「Successeur Gérard-Hairion(ゲラール・エリオン後継者)」の文字が
入っています。               ↓ 中央部Beaumontの文字の下部分
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Hairionに関しては上で説明済みですが、Gérardというのはどこに由来するのでしょうか?
実は、初代のジャン・ジョセフが再婚後に移転した店の前所有者のことだったのでした。
ここは元々François Bienaimé;フランソワ・ビアンエメMarie Gérard;マリー・ゲラールの菓子店でした。
このカップルには後継者がおらず、フランソワが亡くなってからしばらくはマリーが店を続けていましたが、
後にソルブリュ氏へ譲られたと言う訳です。

つまり「Successeur Gérard-Hairion」のGérard ;ゲラールは店(建物)の後継者、Hairion ;エリオン
マカロン製造の後継者であるという意味が込められていると考えられているようです。
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16世紀に遡る、非常に古いこのゴシック様式の建物は幾度もの災難を逃れて奇跡的に残ったもので、
現在歴史的建造物に指定されています。
そんな貴重な建物(しかも菓子店だった!)を手に入れることが出来たことは、とても誇りに思えることだったので、
わざわざラベルに書きくわえたのではないでしょうか。


さて、取材に出かけたのは2009年11月のこと。
鉄道は通っておらず、Charleroi;シャルルロワからバスで40-50分、静かな落ち着いた町でした。
店内に入って自己紹介をするとすぐにラボへ通され、若いオーナーDidier Solbreux;ディディエ・ソルブリュ氏に
お会いすることが出来ました。
建物も店内もラボも、圧倒される位アンティーク感があってワクワク♪

マカロンの材料は基本通り「アーモンド、砂糖、卵白」の3種類ですが、アーモンドは
「カリフォルニア産、スペイン産、ポルトガル産の3種類のスイートアーモンドにビターアーモンドを加えた4種類」を
ブレンドして使用。
今まで取材した中でも4種類使うというのは初めてでした。
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丁寧に 皮をむいたアーモンドと砂糖を石のローラーで3回挽き、卵白を合わせて生地を作ります。
* 固さは「マカロン・ドゥ・ブーレ」よりも少し固めな感じ。


1つ1つ手で行う成形はこんな感じ。
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                          ↑ Didierさんによる実演

右手に持ったスプーンでボールから生地をすくい取り、左手の親指で生地をこそげとってその生地を親指と人差し指の間を使って丸め、紙を敷いたオーブンプレートに並べていきます。
面白いことに右利き左利きに構わず、生地は代々左手で丸める習慣なのだとか。
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                             ↑ 生地を焼く前

200℃のオーブンに入れて15分程焼いて出来あがり。
マカロン製造は週に3回。オフシーズンでも週に4000個を作っているそうな。
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                             ↑ 焼き上がり

ガスオーブンの為、どうしても焼きムラが出来るが、焼き色の濃いものは売らずによけておき、週末に作るTarte au rizに使います。このタルトは父、ピエールが考案したもので、中にマカロンを入れて上には砕いたアーモンドと砂糖を振りかけて焼き、とても人気があると言います。訪れたのは週末ではなかったのが残念!
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              ↑ Tarte au riz(お米のタルト)実物が無いので雑誌に載った写真を…^^

使われている大きなオーブンにも驚きましたが、使われている秤もローラー等の道具も全て現役のアンティーク。
代々使われていたものだと思うと感慨深いものがあります。

しかもマカロンを入れる箱も1つ1つ自ら作っていると言うのが更に驚き!
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木材を1から加工して、組み立てているとか。マドレーヌの木箱に似てはいますが、とても丈夫でしっかりした作り。
マカロンも、それを入れる木箱も自家製ってスゴイですよね!?
箱を作っているグルニエは雑然としているから見せられないと言われてしまいましたが、見たかったー。


まだ先の話ですが、ディディエには息子が3人いるので七代目もきっと大丈夫に違いありません^^


Solbreux – Decamps
rue de Binche, 6  BE-6500 Beaumont



                                 ※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-06-09 15:49 | ベルギー地方菓子 | Trackback | Comments(6)

Massepains de Reims;マスパン・ドゥ・ランス

以前からたびたび書いているMassepain ;マスパンという名前の付いた3タイプのお菓子。
アーモンド+フルーツの「カリソン」タイプ  
Massepain d’Issoudun ;マスパン・ディッスーダン 
アーモンドベースの素朴な「マカロン」タイプ   
Biscuits de Montbozon ;ビスキュイ・ドゥ・モンボゾン
Massepains de Saint-Léonard de Noblat ;マスパン・ドゥ・サンレオナール・ドゥ・ノブラ
ビスキュイタイプ(アーモンドは入っていない)  
Massepain de Montbazens ; マスパン・ドゥ・モンバザン 


今回は『「Fossier ;フォシエ」のBiscuit de Reims ; ビスキュイ・ドゥ・ランス』でちょっぴり触れたReimsのマスパン「Massepains de Reims;マスパン・ドゥ・ランス」のことを少しだけ…。
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この町のマスパンはアーモンド・砂糖・卵白で作られるマカロンタイプで、真ん中におへそのような凹みの
あるのが特徴です。
この凹みは細く丸い棒の先に砂糖をまぶし、生地の中央に押しつけることによって付けられています。
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↑ 真ん中にカワイイおへそ・・・^^♪


この町でいつ頃からマスパンが作られるようになったのかは不明ですが、
ランスの菓子屋で 1756年創業の「Maison Noël-Houzeau ;ノエル・ウゾー」では、創業時から 既に
Pains d’épice ;パン・デピス」や「Biscuits de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」などと共に
Massepains de Reims ;マスパン・ドゥ・ランス」が作られていました。

この3つのお菓子は18世紀以降、ランスで行われる戴冠式の際に王への贈り物とされていました。
また19世紀末にはパリの高級食料品店でも販売されており、
1911年ミシュランガイドでも「マスパンはランスのスペシャリテ」と紹介されるほど有名なお菓子だったのですが、現在、マスパンがランスのスペシャリテであることを知る人はあまりいないようです。

1950年代、これを作るビスキュイトリーは15軒ありましたが、
今日ではただ一軒、「Fossier ; フォシエ」で製造販売されているのみとなっているので、
それも仕方が無いのかもしれませんね。


ノエル・ウゾーを引き継いだフォシエは、現在ランスに残る最後のビスキュイトリーです。
大きな工場ではありますが、1997年Charles de Fougeroux;シャルル・ドゥ・フージュルー氏によって
買い取られた後、製造されなくなっていたパン・デピスとマスパンの製造を再開。

ランスのスペシャリテを復活させ、そのままの形で作り続けて下さるおかげで、現在我々も食べることが
出来るわけなののですから、喜ばしい限りですね^^

シャンパーニュと共にこの3種類のお菓子を食べれば、しばし王侯貴族の気分に浸れること間違いなし!?



※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-06-02 23:15 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

Biscuiteries ;ビスキュイトリー以外で作られるBiscuit rose ;ビスキュイ・ローズ

ちょっとしつこいくらい^^;Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスについて書いてきましたが
最後はビスキュイトリー以外で作られているものについて少しだけ・・・。

ビスキュイ・ドゥ・ランスを製造するBiscuiteries ;ビスキュイトリーはFossier ;フォシエ1軒だけになってしまったわけ
ですが、実はビスキュイトリーの他にもReims ;ランスやChampagne-Ardenne ;シャンパーニュ・アルデンヌ地方のお菓子屋さんやパン屋さんには 自家製のビスキュイ・ローズを販売しているところが何軒かあります。

Lise Bésème-Pia著「Le Biscuit Rose de Reims(1999)」の中では5軒のお店が紹介されており、
そのうち数軒だけ尋ねたことがありました。
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          ↑ ReimsにあるBoulangerie Patisserie Au Duc Champenoisのビスキュイ

この手作りのものは2度焼きしたもの1度焼きのみのものもありますが、どちらかと言うと きっちり乾燥させず
中を柔らかめに仕上げている印象。

ちょっと変わっていたのがCharleville-Mézières;シャルルヴィル・メジエールと言う町のパン屋さん
Boulangerie Fontaine;ブーランジュリー・フォンテーヌで売られているビスキュイ・ローズ。
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            ↑ Charleville-MézièresにあるBoulangerie Fontaineのビスキュイ

カヌレのように型を蜜蝋でコーティングしてから生地を流し、焼いていました。
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                ↑ Boulangerie Fontaineで使われているビスキュイ用型
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                     ↑ 型用の蜜蝋。鍋で溶かし刷毛で型に塗る

ビスキュイ・ドゥ・ランスの古いルセットでは型の下準備として、熱した型に蜜蝋とケンネ脂を溶かして混ぜたもの、
或いはケンネ脂やラードを単独で溶かしたもの刷毛で塗るという方法がありました。蜜蝋だけの単独使用も行われていたのでしょう。
* 型に蜜蝋を塗るのはカヌレだけじゃなかったんですよね~^^
このお店のオーナーClaude Fontaineさんはかつてスイスにあったコバ製菓学校で学び、昔ながらの伝統菓子に精通している方で、古い型のコレクターでもあります。古いオーブンで焼いたクロードさんならではのビスキュイはとても味わい深いものでした。


いつか色々なビスキュイ・ローズを集めた食べ比べもしてみたいものです♪



                                 ※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-29 20:39 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

気になるBiscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスの色

Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスの謎はまだあります。
それはなんといってもそのピンクに着色された「」。

Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」という名前の通り、バラ(ピンク)色に染められているわけですが、元々はBiscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスと呼ばれ、色付けされておらず白い色をしていました。
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                          ↑ その昔買ったビスキュイの缶

ではいつから、そして何故ピンク色に着色するようになったのでしょう?
前述の「l’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Champagne-Ardenne(2000年)」
の中では『奇妙なことに、19世紀末までビスキュイの色について言及する者は誰も居なかった。
しかしベルエポック(1900年代初頭)にépicerie de luxe Olidaはそのカタログの中で、他のビスキュイ・セック(ブードワール・シャンパーニュ・ペルレ・グラッセ等)と、2色(白と赤、赤は明らかにより高い)で販売されているビスキュイ・ドゥ・ランスを非常にはっきりと区別している。

とあります。

19-20世紀初めのルセットが掲載されている本20冊を見ると、全て「Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」。
Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」の名前は見当たらず、ピンクに着色するルセットは
1つも見つかりませんでした。

私が「Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」の名前が見つけられたのは2冊だけ。
Album Illustré de L’Almanache Didot-Bottin troisième volume (1878)」P-58-59
ここにはランスのビスキュイ製造者3つが名前を連ねており、そのうちのBrisset-Fossierだけが
Biscuits blancs et Roses vanillés 」と明記しています。
* これと同様に「Massepains blancs et Roses vanillés」の記述も有り、
マスパンにもピンク色のものがあったことが分かる。
* 他2つのメーカーは「Biscuits」の表記があるのみで、ピンク色があるのか無いのかは不明。


もう1冊は「Rome (avril 1885): Les Vosges (août-septembre 1885)」P-192で
biscuits roses de la maison Fossier à Reims …」と書かれています。

これだけを見るとFossierだけがピンク色のビスキュイを作っているような印象もありますが、
実際のところは残念ながら分からず・・・。


さて、ビスキュイの着色に使われるコチニール色素はいつからヨーロッパで使われるようになったのでしょう?
大航海時代に新大陸を発見したスペイン人は、古くから中南米で利用されていたこの色素を持ち帰り、
ヨーロッパ各国へ販売しました。16世紀のことです。
ビスキュイ・ドゥ・ランスが作られ始めた時代には既にコチニールが存在していたことになりますね。

色に関する記述は全く見つからないので、どうしてピンク色にしようと思ったのかは、残念ながら想像してみる以外
なさそうです。
このビスキュイには液体に浸しても容易に崩れず、屑がグラス等の底に落ちないという特徴があり、
ワイン、シャンパーニュ、リキュール等のアルコール飲料や、コーヒーや紅茶と言った温かい飲みものに浸して
食べられていました。

泡立つシャンパーニュが発明され、一般に普及するまでは、甘口ワインの他、当時地元で一般的だった
赤ワインと一緒に。
*ドン・ペリニヨンが発泡性のワインを始めて作ったのは1680年頃と言われる。
ただし、これ以前からすでにロンドンでは発泡性ワインが飲まれていた。


色の付いていないビスキュイを赤ワインに浸すと赤くなるので、シャンパーニュに浸すようになってからも
赤ワインに浸した時のようなピンク色に染めたらオシャレ~と想像したのかも?という仮説を立て、
試しに赤ワインに浸してみる為、赤く色付けない白いビスキュイを制作してみました^^
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         ↑ Coteaux champenois;コトー・シャンプノワ,Bouzy rouge;ブジ―・ルージュと一緒に
 
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      ↑ 実際に赤ワインに浸してみましたが、綺麗なピンクにはならないみたい・・・

浸して微妙な色になるからこそ、最初からピンク色にしてみたらキレイ?と思ったのかも・・・?
(う~ん、ちょっと無理があるかしら~^^;)


いずれにしてもビスキュイ・ドゥ・ランスはおしゃれなシーンが似合います♪




                              ※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-25 17:39 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランスの起源は?

さて、Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスは一体いつから作られるようになったのでしょうか?
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Fossier ;フォシエのサイトでは「1691年に考案された」と書かれています。
Lise Bésème-Pia著「LE BISCUITS ROSE DE REIMS(1999年)」には
1690年頃、シャンパーニュ地方のブーランジェたちはパン焼成後の窯の熱を利用して2度焼きすることを思いついた
とありますが、これを裏付けるものは見つけられず…。
ただ当初ビスキュイを作っていたのはパン屋だったことは確かなことです。


とは言え「Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」の歴史を考える前に、まずは「Biscuit ;ビスキュイ」について知る必要がありそうですね。

名前の起源。そもそもBiscuitとは どんなものだったのでしょうか?
「Biscuit ;ビスキュイ」とは 『bis-cuit(2度-焼いた)』と作り方がそのまま名前に付けられたもの。
Biscuitの語源は、後期ラテン語の「Biscotus」だといいます。
* 後期ラテン語(200~900年)では「Biscotus,Panis biscotus,Biscoctus」等いくつかある。
* 古フランス語(800~1300年)では「Besquis」10世紀に初めて現れた。


更に、このBiscotusの語源は
ラテン語の「Bis coquere(フランス語で「Bis=deux fois(二度) /coquere =cuire(焼く)」となっています。
これらはいずれもお菓子ではなく、「2度焼いたパン」のことでした。

多種類のパンを作っていた古代ギリシャ人は「dipyres」と呼ばれる2度焼きパンを作っており、これがビスキュイの誕生につながったのだそう。
* パン製造は、古代ギリシャ人があまりパンが発達していなかったローマへパン屋を出したことでその技術が伝わり、さらにガリア人へ伝わっていく。

この二度焼きパン、主に戦争で遠く離れた地へ赴く際に携帯する食料でした。
特に船で移動する海軍、商人、船乗りたちにとっては非常に重要な食料であり、中世には修道院で焼かれたパンをもう一度焼き、貧しい人々や巡礼者に配るものでもありました。


Nicolas-Abraham de La Framboisière著
Les Oeuvres de N. Abraham, Sieur de La Framboisière(1624年)」には
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節食(減食、ダイエット)用に、上質な小麦粉を使ったパン・ビスキュイがつくられる。四旬節のデザート用にはアニスを加えることもある
と書かれています。ここではまだパンの段階。


Antoine Furetière著「Dictionnaire universel (1690年)」では
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長期間保存させる為に2度焼成した、非常に乾燥させたパン。スペインワインに浸して食べるのによい
上等な小麦粉、卵、砂糖で作った美味しいお菓子のことでもある。アニス、レモン皮を加えることもある。また卵無しで、アーモンドペーストを用いたビスキュイ・ドゥ・カレーム(四旬節用ビスキュイ)もある
とあり、ようやくパンではないお菓子のビスキュイの記述がみられます。


また「Traité de Confiture ou Le nouveau et parfait Confiturier(1689年)」には
Biscuits(お菓子)のルセットが多く掲載されています。
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Biscuits communs(普通のビスキュイ)」の材料 「卵、砂糖、小麦粉、アニス」、「生地を型に入れて表面に粉砂糖を振って高温のオーブンで焼いた後、さらに熱い所において乾燥させる
という作り方は、まるでビスキュイ・ドゥ・ランスそのもの


つまり、『17世紀前半の時点でまだパンだったビスキュイは、その後お菓子のビスキュイがつくられるようになり、後半には2度焼きして乾燥させたお菓子のビスキュイも作られるようになった』ことが分かったことに…。
ただ、これがどこで作られるようになったか?は明記されておらず、残念ながら分かりません。


ではお菓子のビスキュイとランスの町が結びついたのはいつだったのでしょうか?
地方の特産物について詳しく紹介されている
l’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Champagne-Ardenne(2000年)」の中では
Legrand d’Aussyが『ランスは16世紀からbiscuits délicats(繊細なビスキュイ)で有名である』と主張しているのは18世紀でしかない
と書かれています。

どういうことなのか具体的に説明すると
Pierre Jean-Baptiste Legrand d’Aussy)著「Histoire de la vie privée des français(1782年)」には
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            ↑ 「bis-cuits delicats」と「Rheims(Reimsのこと)」の文字が見えますか?
「(*最初ビスキュイは2度焼きしたパンであったが)人は全てを洗練させいていくものなので、その後乾燥したカリカリの上品なビスキュイが作られても、最初の名前がそのまま使用された。今日、Reims ;ランス、Abbeville ;アブヴィル、その他フランスの多くの町がこの種のガトー・セックで有名である。ランスは既にリエボーの時代に有名であった。
という内容が書かれています。
それで「ここで書かれていることが16世紀のことであるか確証はないが、この本の書かれた18世紀では確かなはず」ということなのでしょうね^^
* リエボーの時代というのは恐らく「L'Agriculture et Maison Rustique(1564年)」等を著したJean Liebault (1535-1596年)の時代のこと。その為「16世紀から」という記述になっていると思われる。


1801年に出版された「Rapport du Jury Central sur les priduits de l’Agriculture et de l’industrie Tome II 」の中では
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                      ↑ 「biscuits dits de Reims」の文字。
  製造しているのがパリの為、ditsという語を加えてランス製ではなく「ランスタイプの」という意味合いにしてある。

ランスとその周辺で作られていたビスキュイ・ドゥ・ランスが数年前からパリでも作られるようになり、パリに工場を持つGuillout 氏は毎日5-6万個製造している
と書かれていることを考えると「17世紀中頃にはランスで既に知られた存在になっていた」としてもおかしくないような気がします。


一方、ランスに古くからあった主なビスキュイトリーの歴史から考えてみると
Petitjean 1722年創業。ただし当初はパン・デピスのみ製造。1838年Dagobert Petitjeanが店を引きついだ頃パン・デピスとビスキュイを製造。
Noël-Houzeau(Fossier1845年~) 1756年創業。ビスキュイとパン・デピスを製造。
Rogeron 1791年Marie Hongnatにより創業。当初はパン・デピスのみの製造だったが、すぐにビスキュイの製造も始められる。
Derungs 1800年創業。この年にパン屋を辞めビスキュイトリーとしてビスキュイ・ドゥ・ランスの工業化を行う。
Tarpin  1864年Charles Tarpinがrue de Marsでパン屋を始めたことに始まり、当初から既にビスキュイが作られていた。
Elie Sigaut 1877年 創業。当初からパン・デピスとビスキュイ・ドゥ・ランスが作られいた。

これを見ると1800年を前後してビスキュイを製造し始める所が殆ど。Noël-Houzeauが1756年と一番早いように見えます。
が、しかしMichel Thibault著「Les Biscuiteries de Reims (2003)」の中で
1793年annuaire du Familistère(ファミリステール年鑑)の広告にbiscuits Derungsの箱が紹介されており、
そこには
Maison Doyenne des Biscuits de Reims(ビスキュイ・ドゥ・ランスの最古の店)
Maison fondée en 1691(1691年創設の店)
Les vrais Biscuits de Reims(本物のビスキュイ・ドゥ・ランス)

と書かれている

とあります。

創業の1800年より以前というのがちょっと気になりますが、
『1793年あるビスキュイティエが保守反動勢力の容疑者としてギロチンにかけられ』、このあるビスキュイティエの後継者Jean-François LejeuneがDerungsを創設し、彼は1800年、ビスキュイとパン・デピスの生産に集中するために工場を造り、パン屋を辞めた
とのことで、1800年に工業化する前もパン屋としてお店は存続していたのでしょうね。
さらに『Derungs の建物があったrue Dieu Lumièreには、1691年の時点であるパン屋が既にビスキュイを製造しており、それが最初のビスキュイ・ドゥ・ランスだ』と言う話(伝説?)があるのでした。

実際にこの最初の広告を確認することは出来ませんでしたが、
Fossierやその他の人々によって
『ビスキュイ・ドゥ・ランスは1691年に作られた』或いは『1690年頃に作られた』とされている根拠
はどうもそこにあるようです。

前述の「Dictionnaire universel (1690年)」と「Traité de Confiture ou Le nouveau et parfait Confiturier(1689年)」にあるビスキュイ(お菓子)の存在も、それを裏付ける根拠にされているのでは?と思います。


戦争で多くの書類が失われてしまっている為、ビスキュイ・ドゥ・ランスの起源を明らかにするのもこの辺が限界かなぁ?



                                 ※※※





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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-03 15:19 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(4)

「Fossier ;フォシエ」のBiscuit de Reims ; ビスキュイ・ドゥ・ランス

日本でもたまに見かける「Fossier ;フォシエ」の「Biscuit Rose de Reims;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」。
ビスキュイ・ドゥ・ランスは卵・砂糖・小麦粉で作った生地を2度焼きして作られた保存の効く焼き菓子で
そのまま食べるというよりもsec;セック或いはdemi sec;ドゥミ・セックのシャンパーニュ、もしくはカフェや紅茶等
温かい飲み物等に浸して食べたり、またこれを素材にしてデザートに加工したりと広く利用されています。

フォシエは現在ランスの町に唯一残ったビスキュイトリーですが、歴史あるメゾンでもあります。

1845年ランスのパン職人Fossier;フォシエは、Maison Noël-Houzeau;ノエル・ウゾーの後継者として
place des Marchés(現在のPlace du Forum)に工房を作りました。

そのノエル・ウゾー社は1756年創業。
この当時からbiscuits ;ビスキュイ、massepains ;マスパン、pains d’épices ;パン・デピスが既に作られていました。
1775年6月ランスのノートルダム大聖堂で行われたルイ16世の戴冠式の折りには、この店のお菓子も献上されたと言いますので、ルイ16世は勿論マリー・アントワネットも一緒にノエル・ウゾー(フォシエ)のビスキュイをシャンパーニュと共に召し上がったことでしょう~^^
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その1756年創業のノエル・ウゾー社(10 place du Marché au bléに店がありました)を引き継いだことから、
フォシエでは創業を1756年としているのです。今年(2013年)は257周年と言うことになりますね。

1871年にはフォシエ氏の娘Marie-Clémentine Fossier;マリー=クレモンティヌ・フォシエが共同事業者であった
Emile Brisset氏と結婚。
これを機にL’Hôtel de La Salle(Jean-Baptiste de La Salleの生家,6 rue de l’Arbalète)にも店と工房が
作られています。
◎捕捉;Jean-Baptiste de La Salle ;ジャン・バチスト・ドゥ・ラ・サル(1651 - 1719年))は、上流階級ではない
平民の子供たちを教育する目的でラ・サール修道会を創設した修道士。迫害され苦労したが、その死後19世紀になってから認められて1900年には聖人に列せられ、1950年には 教育者の守護聖人とされた。現在ラ・サール会(キリスト教学校修士会)は世界中で学校を経営しており日本にもある。因みにタレントのラサール石井氏はラ・サール高等学校出身


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Lettre du tour de France Reims et le pays rémois en 1872」(Georges Le Guesnier著1873年刊)の中で『現在フォシエの名前は最もよく知られ、とても客が多い』と書かれているように、当時から既にとても
評判の良い有名店でした。

当初ランスだけで製造されていたビスキュイ・ドゥ・ランスですが、1820年頃には他の地域でも製造されるようになり
とりわけパリに工場が集中し、1866年には200もの工場で大量生産されるようになり世界中へ輸出されるほどに。
つまりビスキュイ・ドゥ・ランスは『ランスで作られたビスキュイ』ではなく
ランス(で製造されている)タイプのビスキュイ』という認識に変わっていました。

ただそれらは全く同じものであったわけではなく、ランス製ビスキュイは細長くて一方の幅がより狭くなった
シャンパーニュに浸しやすいスタイル。
材料もランス製が『卵、砂糖、小麦粉、バニラ』であるのに対し、他ではミョウバンや重曹を加えているものもあり、
しっかり乾燥したものだけではなく柔らかいものもある等、ランス製以外のものはバラツキがあったようです。
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さて、1950年代のランスにはビスキュイトリーが15軒ありました。
それが次第に財政的困難(倒産、合併、買収)の為に数が減り、最後に残ったのはBiscuiterie Rémoise;
ビスキュイトリー・レモワーズ
(1984-1987年まで一時閉鎖)とFossier;フォシエの2軒でした。

1994年Société Générale Biscuit Luの所有となっていたビスキュイトリー・レモワーズを
Luの元幹部Charles de Fougeroux;シャルル・ドゥ・フージュルー氏が買い取り、1996年彼の兄弟であるAlain;アランも副社長として加わります。
1997年には厳しい経営状態にあったフォシエを買い取り、より歴史のあるフォシエの名のもとにブランドを統一。
こうしてフォシエがランスでビスキュイ・ドゥ・ランスを製造販売する唯一のビスキュイトリーとなったのでした。

その後シャルル・ドゥ・フージュルー氏は生産力の強化と合理化を図る為、ランス郊外に新しく工場を建設。
(2004年11月完成)
工場は団体で申し込めば見学することが可能で、直売所も併設されています。
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さて、私がこの工場を訪れたのは2006年のこと・・・。

フランス地方菓子・伝統菓子の取材と言うことで見学をさせて頂きました。
見学はまずビスキュイとフォシエについてのビデオから始まりました。
この部屋にはかつて使われたポスターやかつて使われていたビスキュイの型などの展示も♪

次はいよいよ工場へ。まずは中2階の位置にあるガラス張りの廊下からの見学です。
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かなり余裕のある広い場所で数人の男性が作業をしていました。中へも入れて頂きましたが、完全に機械化されているという印象ではなく、特に包装をする部屋ではビスキュイの袋詰め作業が女性たちの手によって全て手作業で行われていました。
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女性の担当者が検査やデータを管理する、品質管理室の見学まで♪
従業員の心得的な内容を掲げた額も飾ってあったりして、真面目で明るい、前向きな職場という印象でした。


かつてのフォシエについて尋ねてみると、合併された1997年頃までは44,bd Jaminにあったフォシエの建物に
古いFour à bois(薪釜)がまだ残っていたのだとか!

ビスキュイも一部はこれで焼成され、cours Jean-Baptiste Langletにあるお店では他の通常品とは別に
(もちろん高い値段設定で)販売されていました。
生地は手作業で三連の小さな型に詰め、粉砂糖を2回振りかけ、オーブンへ。その後エチューブに1晩入れて乾燥。
古い薪釜であるために焼きムラもありましたが、昔からの常連客は自分の好みの焼き具合のビスキュイを買いに来ていたのだそうです。もちろん味も現代的なオーブンで焼かれたものとは明らかに違っていたそうで…。


初めてランスを訪れたのは今からかれこれ20年以上前。
このことを知っていたら何としてでも薪釜で焼いたビスキュイも食べてみたかった!



                               ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2013-04-27 00:28 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

Le Coq des Rameaux ; コック・デ・ラモー

今日はPâques ;パック(復活祭)ですが、ちょうど一週間前のLe dimanche des Rameaux ;
ディマンシュ・デ・ラモー(枝の主日)
のお菓子をご紹介します。
* 枝の主日についてはコチラをご参照ください。

以前、枝の主日の際に枝に下げるものとしてご紹介したメレンゲと同類のお菓子。
Coq des Rameaux ;コック・デ・ラモー(枝の主日の雄鶏)」と言う名前の通り、雄鶏の形をしています。
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↑ Guérétのお菓子屋さんVillechalane-Sionneauの「Coq 」


サブレ生地を雄鶏の形に抜き、ノワゼットの木で出来た棒を取り付けて焼成、表面にグラスロワイヤルと
ノンパレイユ(飾り用の極小ドラジェ、日本ではノンパレルの名前で販売されているようです)で飾り付けしたお菓子で
くちばしの部分に黄楊製(プラスチック製も有)の笛を付けるところもあります。

これはかつてリムーザン地方で見られたお菓子で、残念ながら今ではあまり見かけることが出来ません。
1900年頃Limoges ;リモージュのパティスリーでは枝の主日にこれを販売する為、
四旬節の間せっせとこれを作っていたのだとか。
50年代には殆ど姿を消し、80年代にはLimoges;リモージュとBellac ;ベラックでしか見られなくなったと言います。
枝の主日のミサに子供たちはこのコックを手に、或いは枝に下げて持って行き
ミサの間おとなしくしていたご褒美にこれを食べさせてもらえる」のでした。
この地方で育った年配の人々にとって、このお菓子は子供の頃の楽しい思い出の1つとなっているそうな…^^


でも、いったいどうして雄鶏の形をしているのでしょう???
かつて民間伝承では、日の出に鳴いて朝を知らせる雄鶏は太陽を表す動物とされ、
自然が眠っているかのような暗い冬に対する太陽、光の勝利を連想させ、さらには雄々しさ・男らしさを象徴する
意味合いを持っていました。
このいわば異教の雄鶏を、カトリック教会は枝の主日の際、キリストの受難に出てくる
le coq de saint Pierre ;コック・ドゥ・サン・ピエール(聖ペトロの雄鶏)
(イエスがペトロに「雄鶏が鳴く前に、あなたは三度私を否定するだろう」と言った)へと
巧みに置き換えたのでした。
そう、取り付けられた笛は雄鶏の鳴き声を意味していたのですね。。

元々このお菓子はCreuse ;クリューズ県特有のものであったということで、現在ではクリューズ県のGuéret ;ゲレ
Ahun ;アアン等で作られています。
写真を提供して下さったゲレのお菓子屋さん「Villechalane-Sionneau 」によると販売期間は2週間。

Le Diable sucré gâteau,cannibalisme,mort et fécondité ;Christine Armengaud著」という本に
このコックの写真が3種類掲載されていますが、そのうちの1つはこのお店のもの^^
こちらでも別のコックの写真が見られます。



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by Ethno-PATISSERIE | 2013-03-31 20:07 | ⑭Limousin | Trackback | Comments(6)

La Rissole aux pruneaux ; リッソル・オ・プリュノー

Rissoles ;リッソル 』には大きく分けて塩味・甘味の2種類があり、
前者はアントレやオードブルに、後者はデザートやおやつとして食べられています。
中世に遡ることが出来るほど古くからあり、かつてはフランス各地で様々なタイプのリッソルが作られ
ていました。
現在ではサヴォア地方を中心にいくつかの地方、町で作られ、スペシャリテとなっています。


Midi-Pyrénées ;ミディ・ピレネー地方Aveyron ;アヴェロン県のスペシャリテと言われて思い浮かぶお菓子の1つが「Rissole aux pruneaux ;リッソル・オ・プリュノー」。
甘いプリュノー入りがスタンダードで、県内(特に北西部)のブーランジュリー・パティスリーで見られる
かなりポピュラーなお菓子です。
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             ↑ Villefranche de Rouergue,Rodez,Entraygueで出会ったリッソル

L’inventaire du patrimoine culinaire de la France Midi-Pyrénées(1996)」によると、
アヴェロン県でリッソルが作られるようになったのはそれほど古くなく、20世紀以前に遡ることは出来ないだろうと書かれています。
それが徐々に知られるようになり、1950年代にはその名声が隣接するラングドック・ルシヨン地方のモンペリエまで達していたのだとか。
(周辺の地方ではもっと以前から作られていることが分かっています。アヴェロン県でも文献の中で見つかっていないだけで、作られていたかもしれませんね^^)


このRissole aux pruneauxのガルニは、紅茶で戻したプリュノーの種を外し、砂糖と一緒に粗くつぶしたもの。
Pâte brisée(ブリゼ生地)を薄く伸ばして円形に型抜きし、ガルニを乗せて半円に折り、ドレをしてオーブンで焼きます。
シンプルなお菓子なだけに、お店によって形や色、味も微妙に違って面白い!
* パイ生地の使用は稀で、油で揚げたものはあまり見かけない。
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           ↑ Espalion,Boulangerie-Pâtisserie Majorelのリッソル&断面

実はこの地方のスペシャリテであるリッソルには他に塩味バージョンの「Rissole à la viande ;リッソル・ア・ラ・ヴィアンド」もあるのだとか…。
でもこの地方を旅した際(初夏と秋)には見つけることが出来ませんでした。
なぜか?というと、元々これがCarnaval(カーニヴァル、謝肉祭)の時期に食べるものだったから^^

かつてはその後に続く四旬節には節制期間でを避けるべき肉の代わりにプリュノーを入れたリッソルを作って食べられていました。
そのことから、肉入りを「Rissole gras ;リッソル・グラ(脂っこい=肉入り リッソル)」、
プリュノー入りを「Rissole maigre(脂肪のない=肉の入っていない リッソル)」という
呼び方もありました。


さて、その塩味リッソルとはどんなものか?と言うと、小さく刻み、火を通したブタ肉を詰めたものでした。
Rieupeyroux ;リュペイルーと言う町ではLundi Gras ;ランディ・グラの日に「Fête de la rissole(リッソル祭)」が行われ、この塩味リッソルとプリュノー入りの2種類が沢山販売されます。
* 「Lundi Gras ;ランディ・グラ」はカーニヴァル期間の最終日である「Mardi gras ;マルディ・グラ」前日、月曜のこと。マルディ・グラ翌日の「 Mercredi des Cendres(灰の水曜日)」からキリスト教徒の節制期間である「Carême ;カレーム(四旬節)」が始まる。四旬節は灰の水曜日から復活祭の前日までの40日間(日曜日を除く)

そしてかつてここではこの日「男性はミモザの花、娘はリッソル」を好きな人に渡すという習慣があり、
好きな人と交換することが出来れば両思いであると、愛を確認できる日でもあったとか。

現在ではプリュノー入りのリッソルだけが一年を通して作られていて、もう片方は一般的に限られた期間
少しだけしか見られないようですが、いつか食べてみたいものです^^♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-09-15 17:43 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(2)

幻の「La Brioche aux Pruneaux ;ブリオッシュ・オ・プリュノー」

8月15日。皆さんご存じの通り、日本では月遅れのお盆、第2次世界大戦終戦記念日でもあります。

カトリック教会では「Assomption ;アソンプション(聖母マリア被昇天の祝日)」。
この日に食べるお菓子は特にありませんが、ブルゴーニュの小さな町La Clayette ;ラ・クレットでは、
かつてこの日に「Brioche aux Pruneaux ;ブリオッシュ・オ・プリュノー」を食べる習慣がありました。
* Saône-et-Loire ;ソーヌ・エ・ロワール県の南西部、Macôn ;マコンの西60kmの所に位置する。
* La Clayette 、本来ならばラ・クレイエットと発音するが、ここでは例外的にラ・クレットと発音される。

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↑ Château de la Clayette(建築開始は14世紀。個人所有)

この菓子は「L’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Bourgogne(1999)」と言う本の中で見つけました。
説明では「Bernard Dufoux ;ベルナール・デュフー氏のお店でのみ作られている」と書いてあります。
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↑ 小さい町にあるお店にもかかわらずチョコを求めて大勢のお客が訪れる

それで2003年彼のお店を取材させて頂いた際、このお菓子のことを尋ねてみると
8月15日に毎年楽しみにしている年配のお客様の要望で15個程作っている
とのお返事。いつか食べに来たいと思っていたのでした。

ところがその後、Dufoux氏と日本からのやり取りの中で現在はなんと作っていないことが判明!
しかもルセットは秘密。具体的なお菓子のイメージも分からず、幻のお菓子となってしまい、
毎年この日になると「どんなお菓子だったのか?」が気になって仕方がない状態がぶり返します^^。

その後の調べでは
かつてこの町ではこの日「Foire aux pruneaux et aux melon(プリュノー&メロン市)」が行われ、
パン屋&お菓子屋が「Brioche aux Pruneaux(プリュノー入りブリオッシュ)」を作って販売していたことが分かりました。
* この習慣が始まったのは20世紀初め頃だと言われている。
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↑ Dufouxさんお決まりのポーズ♪お店の奥にあるこのスペースでは見学用にビデオも用意されている

やがて作るのはDufoux氏だけに・・・。
* もしかしたら「プリュノー&メロン市」が無くなったことが原因で作られなくなったのかも?

Dufoux氏がこの町にお店を開いたのは1960年、当初はパティスリー・ショコラトリーでした。

リヨンのベルナションで修業をしたDufoux氏はその後ショコラティエとして専念することを決意し、
1988年ショコラトリーに変更。
この時からパティスリーは一切作らなくなりましたが、それに伴いBrioche aux Pruneauxの製造も
行われなくなったということでした。

私が訪れた際このお菓子のことを知っている人に出会わなかったのは、年に一度の製造をやめてから
15年も経っていたことと、少数の年配者だけがこの菓子を愛好していたことが原因だったのでしょう。

お菓子の具体的な姿が分からなかったので今まで作ったことはありませんでしたが、
今年は想像を働かせながら作ってみることに・・・。

ブリオッシュ生地を25×15cm、5mm厚に成形し、上に卵・牛乳・砂糖・小麦粉を混ぜたものを薄く塗り
種を取ったPruneaux d’Agen ;プリュノー・ダジャンを表面に乗せて焼く
」と言うのが大まかな作り方。
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生地を厚みの薄い長方形に成形するのが難しく、プリュノーを固定するためのアパレイユも配合が分からないので適当に混ぜて固さで判断。
プリュノーはホールだと全体に散らしにくいので1/4にカット。
薄く伸ばして沢山ピケしたつもりでしたが、やっぱり不均一に発酵して焼き上がりは平らではなく
多少こんもりとして、あまり美しくない出来上がりに…(涙)。
とは言え、プリュノーの軽い酸味のある味とアパレイユ&ブリオッシュの歯応えの違いもあって、非常に美味でした♪
*ブリオッシュをもっと薄くすると更に美味しくて、見た目も良くなり私好みになりそう。ただしそれが正解なのかは不明。

「foire aux pruneaux et aux melonがいつから始まり、いつ終わったのか?」「どんなお菓子だったのか?」はまだ分からないまま…。
恐らくそのあたりを知っているのはDufoux氏のみだと思われますが、なにぶん現在78歳。
まだまだお元気だとはいえ、このブリオッシュについてまたお会いしてお教え頂ける機会は果たしてあるのでしょうか?



                       ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-08-16 20:18 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(8)