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La Rissole aux pruneaux ; リッソル・オ・プリュノー

Rissoles ;リッソル 』には大きく分けて塩味・甘味の2種類があり、
前者はアントレやオードブルに、後者はデザートやおやつとして食べられています。
中世に遡ることが出来るほど古くからあり、かつてはフランス各地で様々なタイプのリッソルが作られ
ていました。
現在ではサヴォア地方を中心にいくつかの地方、町で作られ、スペシャリテとなっています。


Midi-Pyrénées ;ミディ・ピレネー地方Aveyron ;アヴェロン県のスペシャリテと言われて思い浮かぶお菓子の1つが「Rissole aux pruneaux ;リッソル・オ・プリュノー」。
甘いプリュノー入りがスタンダードで、県内(特に北西部)のブーランジュリー・パティスリーで見られる
かなりポピュラーなお菓子です。
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             ↑ Villefranche de Rouergue,Rodez,Entraygueで出会ったリッソル

L’inventaire du patrimoine culinaire de la France Midi-Pyrénées(1996)」によると、
アヴェロン県でリッソルが作られるようになったのはそれほど古くなく、20世紀以前に遡ることは出来ないだろうと書かれています。
それが徐々に知られるようになり、1950年代にはその名声が隣接するラングドック・ルシヨン地方のモンペリエまで達していたのだとか。
(周辺の地方ではもっと以前から作られていることが分かっています。アヴェロン県でも文献の中で見つかっていないだけで、作られていたかもしれませんね^^)


このRissole aux pruneauxのガルニは、紅茶で戻したプリュノーの種を外し、砂糖と一緒に粗くつぶしたもの。
Pâte brisée(ブリゼ生地)を薄く伸ばして円形に型抜きし、ガルニを乗せて半円に折り、ドレをしてオーブンで焼きます。
シンプルなお菓子なだけに、お店によって形や色、味も微妙に違って面白い!
* パイ生地の使用は稀で、油で揚げたものはあまり見かけない。
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           ↑ Espalion,Boulangerie-Pâtisserie Majorelのリッソル&断面

実はこの地方のスペシャリテであるリッソルには他に塩味バージョンの「Rissole à la viande ;リッソル・ア・ラ・ヴィアンド」もあるのだとか…。
でもこの地方を旅した際(初夏と秋)には見つけることが出来ませんでした。
なぜか?というと、元々これがCarnaval(カーニヴァル、謝肉祭)の時期に食べるものだったから^^

かつてはその後に続く四旬節には節制期間でを避けるべき肉の代わりにプリュノーを入れたリッソルを作って食べられていました。
そのことから、肉入りを「Rissole gras ;リッソル・グラ(脂っこい=肉入り リッソル)」、
プリュノー入りを「Rissole maigre(脂肪のない=肉の入っていない リッソル)」という
呼び方もありました。


さて、その塩味リッソルとはどんなものか?と言うと、小さく刻み、火を通したブタ肉を詰めたものでした。
Rieupeyroux ;リュペイルーと言う町ではLundi Gras ;ランディ・グラの日に「Fête de la rissole(リッソル祭)」が行われ、この塩味リッソルとプリュノー入りの2種類が沢山販売されます。
* 「Lundi Gras ;ランディ・グラ」はカーニヴァル期間の最終日である「Mardi gras ;マルディ・グラ」前日、月曜のこと。マルディ・グラ翌日の「 Mercredi des Cendres(灰の水曜日)」からキリスト教徒の節制期間である「Carême ;カレーム(四旬節)」が始まる。四旬節は灰の水曜日から復活祭の前日までの40日間(日曜日を除く)

そしてかつてここではこの日「男性はミモザの花、娘はリッソル」を好きな人に渡すという習慣があり、
好きな人と交換することが出来れば両思いであると、愛を確認できる日でもあったとか。

現在ではプリュノー入りのリッソルだけが一年を通して作られていて、もう片方は一般的に限られた期間
少しだけしか見られないようですが、いつか食べてみたいものです^^♪



※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-09-15 17:43 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(2)

幻の「La Brioche aux Pruneaux ;ブリオッシュ・オ・プリュノー」

8月15日。皆さんご存じの通り、日本では月遅れのお盆、第2次世界大戦終戦記念日でもあります。

カトリック教会では「Assomption ;アソンプション(聖母マリア被昇天の祝日)」。
この日に食べるお菓子は特にありませんが、ブルゴーニュの小さな町La Clayette ;ラ・クレットでは、
かつてこの日に「Brioche aux Pruneaux ;ブリオッシュ・オ・プリュノー」を食べる習慣がありました。
* Saône-et-Loire ;ソーヌ・エ・ロワール県の南西部、Macôn ;マコンの西60kmの所に位置する。
* La Clayette 、本来ならばラ・クレイエットと発音するが、ここでは例外的にラ・クレットと発音される。

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↑ Château de la Clayette(建築開始は14世紀。個人所有)

この菓子は「L’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Bourgogne(1999)」と言う本の中で見つけました。
説明では「Bernard Dufoux ;ベルナール・デュフー氏のお店でのみ作られている」と書いてあります。
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↑ 小さい町にあるお店にもかかわらずチョコを求めて大勢のお客が訪れる

それで2003年彼のお店を取材させて頂いた際、このお菓子のことを尋ねてみると
8月15日に毎年楽しみにしている年配のお客様の要望で15個程作っている
とのお返事。いつか食べに来たいと思っていたのでした。

ところがその後、Dufoux氏と日本からのやり取りの中で現在はなんと作っていないことが判明!
しかもルセットは秘密。具体的なお菓子のイメージも分からず、幻のお菓子となってしまい、
毎年この日になると「どんなお菓子だったのか?」が気になって仕方がない状態がぶり返します^^。

その後の調べでは
かつてこの町ではこの日「Foire aux pruneaux et aux melon(プリュノー&メロン市)」が行われ、
パン屋&お菓子屋が「Brioche aux Pruneaux(プリュノー入りブリオッシュ)」を作って販売していたことが分かりました。
* この習慣が始まったのは20世紀初め頃だと言われている。
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↑ Dufouxさんお決まりのポーズ♪お店の奥にあるこのスペースでは見学用にビデオも用意されている

やがて作るのはDufoux氏だけに・・・。
* もしかしたら「プリュノー&メロン市」が無くなったことが原因で作られなくなったのかも?

Dufoux氏がこの町にお店を開いたのは1960年、当初はパティスリー・ショコラトリーでした。

リヨンのベルナションで修業をしたDufoux氏はその後ショコラティエとして専念することを決意し、
1988年ショコラトリーに変更。
この時からパティスリーは一切作らなくなりましたが、それに伴いBrioche aux Pruneauxの製造も
行われなくなったということでした。

私が訪れた際このお菓子のことを知っている人に出会わなかったのは、年に一度の製造をやめてから
15年も経っていたことと、少数の年配者だけがこの菓子を愛好していたことが原因だったのでしょう。

お菓子の具体的な姿が分からなかったので今まで作ったことはありませんでしたが、
今年は想像を働かせながら作ってみることに・・・。

ブリオッシュ生地を25×15cm、5mm厚に成形し、上に卵・牛乳・砂糖・小麦粉を混ぜたものを薄く塗り
種を取ったPruneaux d’Agen ;プリュノー・ダジャンを表面に乗せて焼く
」と言うのが大まかな作り方。
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生地を厚みの薄い長方形に成形するのが難しく、プリュノーを固定するためのアパレイユも配合が分からないので適当に混ぜて固さで判断。
プリュノーはホールだと全体に散らしにくいので1/4にカット。
薄く伸ばして沢山ピケしたつもりでしたが、やっぱり不均一に発酵して焼き上がりは平らではなく
多少こんもりとして、あまり美しくない出来上がりに…(涙)。
とは言え、プリュノーの軽い酸味のある味とアパレイユ&ブリオッシュの歯応えの違いもあって、非常に美味でした♪
*ブリオッシュをもっと薄くすると更に美味しくて、見た目も良くなり私好みになりそう。ただしそれが正解なのかは不明。

「foire aux pruneaux et aux melonがいつから始まり、いつ終わったのか?」「どんなお菓子だったのか?」はまだ分からないまま…。
恐らくそのあたりを知っているのはDufoux氏のみだと思われますが、なにぶん現在78歳。
まだまだお元気だとはいえ、このブリオッシュについてまたお会いしてお教え頂ける機会は果たしてあるのでしょうか?



                       ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-08-16 20:18 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(8)

La Navette arbigeoise ;ナヴェット・アルビジョワーズ

Navette;ナヴェットというと、まず思い浮かぶのはプロヴァンス地方でよく見られるオレンジ花水で
香り付けをした、小舟形で縦に切り込みを入れた焼き菓子ではないでしょうか。
Midi-Pyrénées ;ミディ・ピレネー地方圏Tarn ;タルヌ県の県庁所在地、Albi ;アルビにも
Navette arbigeoise ;ナヴェット・アルビジョワーズ」と呼ばれるお菓子があって
町のスペシャリテの1つとなっています。

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↑ Pâtisserie Galyのナヴェット(真ん中)      ↑ Michel Belinのナヴェット
* Pâtisserie Galyは現在「Au Fournil d'Ernest et Juliette」に代替わりしている。

Pâte sablée ;パート・サブレを紡錘形に成型し、表面にホールのアーモンドを飾って焼いたお菓子で
生地にフリュイ・コンフィを混ぜ、オレンジ花水で香りをつけたりと、お店によって多少バリエーションは
ありますがプロヴァンスのものとは異なり、切り込みは入っていません。

プロヴァンスのナヴェットが「小舟」をイメージしているのに対し、こちらは「糸巻き棒」をモチーフにしたものなのだとか。(だから切り込みが無い?^^)

これは11-12世紀頃にこの地方で活動していたCathares(カタリ派;アルビジョワ派、アルビ派とも
呼ばれた)がquenouille;クヌイユ(糸巻き棒)やnavette de tisserands ;ナヴェット・ドゥ・ティスラン
(機織の杼)をシンボルの1つとしていたことに由来しているのだそうです。
* この地方は繊維産業が盛んで織工が多く、彼らの間でカタリ派の教義が広まっていた。
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↑ La Fileuse(一部) ; William-Adolphe Bouguereau (1825–1905) Public domain
左手で抱えている棒がquenouille

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↑ こちらが古いnavette de tisserands ;ナヴェット・ドゥ・ティスラン(機織の杼)



アルビのナヴェット」という名前ではありますが、タルヌ県内の他の地域でも作られています。
Rabastens ;ラバスタンと言う町の「Pâtisserie Rivières ;パティスリー・リヴィエール」で
作られているナヴェットは、アルビのそれとは少し違うものでした。
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↑ その名は「navette tarnaise;ナヴェット・タルネーズ(タルヌ県のナヴェット)」
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↑ サイズは大きめの3種類

雑誌で見つけた、そのちょっと異なるナヴェットを食べたくってRabastens へGo!
* Toulouse ;トゥールーズからGaillac ;ガイヤックまで電車で50分、更にバスで20分♪

小さな町のお菓子屋さんではありましたが、美しくてクオリティーの高いお菓子が並んでいました♥

お店のご主人が奥にある広いラボで、実際にナヴェットの成形を実演してくださいました♪
型抜きしているのではなく、丸めた生地からあっと言う間に同じ大きさ&形に成形していく姿は
まさしくプロの技。
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これにアーモンドスライスと砂糖を振って焼けば出来あがりです。
生地はPâte sabléeと同じようなもので細かく刻んだraisins secs(レーズン)とbigarreaux confits
(ドレンチェリー)が入っており、香りつけにはオレンジ花水ではなく、乾燥させたオレンジの皮とバニラの鞘(使った後の鞘を再利用)を細かい粉にしたものを使っているため、とても自然で上品な香りがします。
アルビで買ったナヴェットは生地が厚めで外側はサクッ、中はフワッとした感じでこれも美味しかったのです
が、こちらは全体的にサクッとした食感。形も味も洗練されている印象でした♪


この菓子の起源については、はっきりしていません。
ナヴェット形に成形するお菓子は古くからあったようですが、19世紀中頃以前の本でナヴェットと言う名前の
お菓子は今のところ見つけられず・・・。


L’inventaire du patrimoine culinaire de la France Midi-Pyrénées」の中では
Albi ;アルビのスペシャリテと言うだけではなく、Nantes ;ナント、Orléans ;オルレアン、Marseille ;
マルセイユ、Castelnaudary ;カステルノーダリーの町でもスペシャリテでもあったと書かれています。

しかし、現在でもスペシャリテとして残っているのはマルセイユをはじめとするプロヴァンス地方と
このアルビを中心とする地域を含む(革命以前の州としての)ラングドックではないでしょうか。

19世紀末から20世紀前半に出版された本の中には他にも
Navettes aux amandes(アーモンド入りナヴェット)」や「Navettes d’Italie (イタリアのナヴェット)」「Navettes d’Espagne(スペインのナヴェット)」という名前もありましたが、
地名が付いたものは「Navettes d’Orléans(オルレアンのナヴェット)」しか見つけることは
出来ず・・・。

*とはいえ、 フランス各地のスペシャリテについて書かれた「Trésor gastronomique de France(Curnonsky /Austin de Croze共著1933年)」の中にはAlbiの他にCastelnaudaryでもスペシャリテとしてナヴェットは記載されている。

*いずれもオレンジ花水やレモンのゼストで香り付けした生地を小さなナヴェット形に成型し、縦方向に切り込みを入れて焼いたお菓子だが、Navettes d’Italieは発酵生地で作られ、Navettes d’Orléansには重曹が使われているという違いがある。
* 「Le Mémorial historique et géographique de la Pâtisserie(Pierre Lacam 1908)」の中では、Navettes d’ItalieとNavettes d’Espagneはナヴェット形の両端に小さく丸い頭が出来るように成形してありこれはかつてスペインとのつながりがあったフランスの北部やベルギーでクリスマス前の時期に見られるcoquilleやcougnouの形を想起させる。


さて、アルビでこの菓子が作られるようになったのはいつのことだったのでしょう?
カタリ派の時代だという説もありますが、一般には18世紀だと言われています。
*因みにマルセイユにある「Four des Navettes ;フール・デ・ナヴェット」のナヴェットが考案されたのは
店の創業と同じ1781年。


記述として残っているのは1913年に出版されたアルビ地方の料理本
La vie provinciale. Au pays de Cocagne(Louis Rieux)」で、生地には刻んだcédrat confitが
入っているものでした。

Pâtisserie Rivièresの店主で4代目のGuy Rivières氏によれば
店が創業した1894年からすでに作っていたということですので、19世末にはもう作られていたことになりますね。
このことから想像するに18世紀からあったかどうかは分かりませんが、19世紀中頃にはあったかも?

* Pâtisserie Rivièresを訪れたのは今から10年前の2002年7月のこと。
Guy Rivières氏はすでに引退し、残念ながらお店は違う人の手に渡っているもよう。
同じナヴェットが作られているかどうかは不明。




※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-08-12 00:04 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(2)

「la Brioche de Bourgoin ;ブリオッシュ・ドゥ・ブルゴワン」

ブリオッシュ系の地方菓子は数多く存在し、それぞれに特徴があって面白いのですが
中でも見た目が特徴的なのが「Brioche de Bourgoin ;ブリオッシュ・ドゥ・ブルゴワン」。
リヨンの東南40km余離れた、Isère県にある町Bourgoin-Jallieu ;ブルゴワン・ジャリユーのスペシャリテです。
* Bourgoin-Jallieu ;ブルゴワン・ジャリユーはブルゴワン・ジャリューと書いてあることもある。

王冠形に成形・焼成したブリオッシュの表面に、紅白の細かいドラジェを貼り付け、赤いプラリヌと
白いドラジェを刺してあります。
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↑ これがそのブリオッシュ

言い伝えでは1449年王太子ルイ2世(後のフランス国王ルイ11世)がこの地に滞在していた折、パン屋たちが
王太子に敬意を表し、小麦粉、牛乳、蜂蜜、酵母で作った発酵生地で王冠形のお菓子を作ったのが始まりだ
と言います。

実際にいつから存在しているのかは定かではありません。

フランス各地の食に関するスペシャリテを詳しく解説している
L’inventaire du patrimine culinare de la France 」のRhône-Alpes版では
Maurice Varilleは1928年『Pogne(=Brioche) de Bourgoin ;ポーニュ・ドゥ・ブルゴワンは
Saint Genix ;サン・ジュニのLabully ;ラビュリー家が作るプラリヌ入り菓子(=Brioche de Saint Genix)と同様に有名である』と書いている
」ことを取り上げ、更に「LabullyのブリオッシュはBourgoin のDelaye氏にポーニュを紅白の砂糖で飾るというアイディアを与えた」ことが書かれています。


b0189215_22403970.jpgMaurice Varilleよりも古い記述を探してみると、1907年に出版された
AD.Vachet著「Glossaire des Gones de Lyon」の中に
La pogne de Bourgoin a de la renommée(Bourgoin のポーニュは有名である)」という記述を見つけることが出来ました。
更に「これはエピファニーのブリオッシュである」ともあります。

現在でもポーニュはガレット・デ・ロワと一緒にフェーヴ入りでエピファニーに販売されています。
もしかしたらブリオッシュ・ドゥ・ブルゴワンもガトー・デ・ロワとして
販売されているかも。
かつて町で行われる『市』では非常に沢山販売されたと言いますし、Pâques(復活祭)に食べられるお菓子でもありました。



さて、私がこの町を訪れたのは2003年のこと。

目指すはその名もA la brioche de Bourgoin ;ア・ラ・ブリオッシュ・ドゥ・ブルゴワン」。
アポイントは取りませんでしたが、事前に手紙で伺うことを知らせていたお店です。
お客が多かったにもかかわらず当時この店のご主人Pierre Broizat氏の奥さまMoniqueさんが
とても親切に応対して下さいました。
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店は創業100年以上経つそうで、ご主人は見習いの時代からここで働いていたそうです。
外からガラス越しに見えるブリオッシュが立体的にとても可愛くディスプレーされ、
味のある素敵な看板も含めていい雰囲気。
聞けば奥さまはお店の装飾に力を入れて講習会にも通い、コンクールにも参加する腕前なのだとか。

ブリオッシュは飾り付け済みとそうでないものの2種類置いてあって、嬉しいことにどんな風に飾り付けするのか見せて下さいました。
ブリオッシュをこんな風にデコレーションするのを見たのは初めてだったので軽い驚きを感じました^^

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↑ 表面に刷毛で卵白を塗る。 そして手のひら全体を使い、最初に白くて細かいドラジェをまぶしつける。

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↑ 同様に赤くて細かいドラジェもまぶす。赤い部分に白いドラジェ、白い部分に赤いプラリヌを2つずつ差し込む。


お持ち帰りの包みもカワイイ♪
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このお店に、実はブリオッシュの他にもう1つスペシャリテがあります。そのご紹介はまた次の機会に。

◎Pierre Broizat氏は既に引退し、現在お店の所有者はSylvain Dauchy氏となっていますが、店名は同じままなので恐らく2つのスペシャリテは変わらずに作り続けられていることと思います。
◎店のfbページによると、残念ながらSylvain Dauchy氏のお店は2014年9月に法廷清算に入ったそうです。その後お店がどうなったのか?このブリオッシュはどこかで作り続けられているのかどうかは不明。


※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-07-05 23:17 | 22Rhone-Alpes | Trackback | Comments(2)

「le Russe ;リュス」と言う名のお菓子

Russe ;リュス」が誕生したのはアキテーヌ地方 Pyrénées-Atlantiques ;ピレネー・アトランティック県にある町
Oloron-Sainte-Marie ;オロロン・サント・マリー
* この町は県庁所在地であるPau ;ポーの東南に位置し、ユネスコの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」に登録されている。

考案者のAdrien Artigarrède ;アドリアン・アルティガレッド氏は近郊にある小さな村Bescat出身でBiarritz ;ビアリッツとLuchon ;リュションのパティスリーで修業した後、1925年故郷に近いOloron-Sainte-Marieにあった
お菓子屋を購入しました。

Russe ;リュス」 とは、プララン入りのバタークリームを、アーモンドとメレンゲを使って薄く焼いた、軽くて香ばしい
生地で挟んだもので、表面に粉砂糖を振り、大きいサイズにはクリームで「Russe」の文字と縁にジグザグ模様を
入れてあります。
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Adrienが買い取ったお店では「Russe ;リュス」と呼ばれるお菓子がすでに存在していたそうですが
彼はこれを元に自分のアイディアを加え、現在のようなお菓子へと作り替えました。
* 18世紀末頃に出版されたLacamやQuentin等が著した製菓本には「Gâteau Russe ;ガトー・リュス」という
名前の菓子が掲載されており、いずれもアーモンドが使われているという共通点がある。
* Gaston Lenôtre氏が1950年代に完成させた「Succès ;シュクセ」や 「Progrès ;プログレ
ナンシーのスペシャリテで1895年に考案された「Saint-Epvre」、シャンベリーの「Saint-Anthèlm」等々
同タイプのお菓子は全国に存在する。


ルセットはAdrienとその妻だけの秘密にされ現在まで家族代々伝えられてきましたが、近隣ではこれに似せた
お菓子が多く見られるようになったほどの人気菓子となりました。
Adrienの孫で3代目のJean-Paul Bassignana ;ジャン・ポール・バシニャナ氏はその秘密を教わる前
自分で試してみたことがあったそうですが、結局作ることは出来なかったと言います。
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↑ラボに飾られていた一代目(左)と二代目(右)の写真。上には「枝の主日(ココ参照」に祝別された枝が飾られている

名前の「Russe ;リュス」は「ロシアの(菓子)」という形容詞が元になっています。
エキゾチックな名前から「オロロンに亡命したロシア人捕虜がルセットを伝えた」とか
粉砂糖を振ったその外観がロシアの平原に積もった雪をあらわしている」とか
Adrienはロシア皇帝ニコライ2世の料理人だった」等々多くの逸話がささやかれているようですが、
Jean-Paul Bassignana氏によれば「その当時美味しいと言われていたクリミア産(ウクライナ南部にある半島で、その頃ロシア帝国の1部だった)のアーモンドを使っていた」ことに由来するのだそうです。


b0189215_115150.jpgさて、初めて「Russe ;リュス」を買ったのは12年前。
Pau ;ポーへ行った時のことでした。
← 初めて買った1人用のRusse

* PauとTarbesに支店有。


そして、実際にオロロンへ行けたのは3年前の1月。
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この地方のガレット・デ・ロワについて調べていた時に地元の料理やワイン等について詳しいHenri Combret;
アンリ・コンブレ
氏と知り合いになり、ガレット・デ・ロワ食べ歩き旅行の際この地を訪ねることに。
そして実際に作っているところを見せてくれるという知り合いのパティスリーをご紹介くださったのですが、それがまさしくこのMaison Artigarrède (!)。

b0189215_1049544.jpgオロロンにはリンツ(Lindt&Sprüngli)のチョコレート工場があったり、
フランスでも有数の美しさを誇るcrècheがあるCathédrale Ste-Marie ;サント=マリー大聖堂等々、興味深いところがあったので私としては長めに1日半の滞在を予定していましたが、この直前に居たマルセイユで大雪に見舞われて
足止めを食らい1日缶詰状態に(涙)。
翌日の昼過ぎにやっと電車へ乗れたものの、ポーからオロロンまでの電車は無く
タクシーを使用。
オロロンのホテルに到着したのは真夜中過ぎ…(疲れた)。
その為オロロンの町を見学出来たのは実質半日だけに~~~。
* この町では「Concours International de la Photo Culinaire(料理写真コンクール)web 」も開催されており
今年9月で5回目を数える。



とはいえ、Combret氏とBassignana氏にお会いして工房も見学でき、お昼には切り立ての美味しい生ハムと
コンクールでの優勝経験もあるというBassignana氏お手製のGarbure ;ガルビュールをご馳走になって
大満足の訪問となりました。
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               ↑ こちらが三代目のJean-paul Bassignana(左)と息子Michel (右)

(電車の時間ぎりぎりまで食べていたので、ホテルに預けていたフレッシュチーズを受け取り忘れ、駅の自動販売機で水を買おうとしたら機械の途中で引っかかって出てこず、電車は乗車後に故障という理由で下ろされ、バスへ代替になるというオチまであったのでした…涙)



                                    ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-30 11:08 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

La fête de la Saint-Jean(洗礼者ヨハネの祝日)と夏至、そして「Le Fra ;フラ」

ここで言うSaint-Jean ;サン・ジャンとはJean le Baptiste ;ジャン・ル・バティスト(洗礼者ヨハネ)
ことを指します。

イエス誕生の半年前に産まれ、ヨルダン川でイエスに洗礼を施す洗礼者ヨハネは特別な存在。
彼の母エリザベトは従姉妹の聖母マリア同様、大天使ガブリエルによって受胎告知を受けました。
洗礼者ヨハネの聖名祝日は6月24日で、誕生したとされる日です。
そもそも聖名祝日は殉教者の命日を記念することに由来している為、一般的には亡くなった日に祝われますが、キリストや聖母マリア同様に洗礼者ヨハネもまた誕生した日に祝われています。
このことからも彼が重要な立場であることが分かりますね。


一方、夏至は一年で昼間の時間が一番長い日(北半球)で、6月21日頃(今年は6月21日)。

夏至には多くの場合、盛大に祝火が燃やされました。
太陽の恩恵を大きく受けている人類が昼間の一番長い日を祝うのはごく自然なことだったのでしょう。
火を燃やして太陽に力を与え、その火で生贄を焼いて捧げたり、また火の燃え方によって収穫を占ったり
火や燃え残りによって浄化の意味をもたせたり健康や幸福を祈ったり…と、夏至を祝うことは古代から時代や地域に応じて様々な儀式・習俗が行われてきたのです。

夏至に火を燃やすことは2月に行われるBrandon ;ブランドン(松明祭)等と共に火祭りの年間サイクルの1つで、これはキリスト教よりもずっと以前から世界的に存在していた、太古から続く太陽信仰の名残であり
異教的起源をもつ祝祭でした。

初期のキリスト教会では布教の為、異教の祝祭を禁止、或いはキリスト教的な修正を加えたり
キリスト教の祝祭に置き換えていきました。
キリストの誕生日とされる12月25日は異教によって祝われていた冬至の祝祭を置き換えたものですが
これと同様にキリスト教会は6世紀に「Feux de la Saint Jean(聖ヨハネの火)」を制定し
夏至の日に行われていた祝祭を洗礼者ヨハネの祝日の日である6月24日に取り込んだのでした。


さて「Le Fra ;フラ」と言うのは…    

この日に食べる(食べられていた)お菓子のこと^^
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↑ 自作の Fra ;フラ


以前ココでご紹介したチーズタルト「Le Cion ;シオン」の塩味バージョンで
Tarte au Fra ;タルト・オ・フラ」とも呼ばれています。
ブルゴーニュでポピュラーな「flans au fromage ;フラン・オ・フロマージュ」の1つ。
こればブルゴーニュ地方圏Yonne ;ヨンヌ県の南西部に位置する「la Puisaye ;ピュイゼ」と呼ばれる地域のスペシャリテで、Saint-Sauveur-en-Puisaye ;サン・ソヴール・アン・ピュイゼではかつて
Fête de la Saint-Jean(6/24)の日のみに作られ「fra de la Saint-Jean ;フラ・ドゥ・ラ・サン・
ジャン」の別名もありました。
今日では1年中作られており、焼き立ての温かいものにサラダを添えてアントレとして食べられています。
* Moutiers-en-Puisaye;ムーティエ・アン・ピュイゼではFête de la Saint-Pierre(6/29)に作られていた。
* 女性作家Colette ;コレット(Sidonie-Gabrielle Colette ;1873-1954)はこの町の生まれで
町には彼女の博物館がある。


ブルゴーニュでこのようなタルトは15世紀から存在すると言われていますが
具体的にこのFra ;フラがいつ頃から作られるようになったのか、名前の由来等々は分からず…。


2006年Saint-Sauveur に近いSaint-Fargeau ;サン・ファルジョーを車で通る機会がありました。
パン屋でも売っていると聞いていたので寄ってみたのですが、その店では週末にしか作らないそうで
残念ながら買うことは出来ず・・・(涙)。
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↑ Saint-Fargeauにあるお城の内部。壁には獲物の戦利品がいっぱい!


もうこの辺りへ来る機会は当分ありそうにもないし、写真でもいいからどんなものか教えて欲しいとお願い
したところなんと親切にもお店で実際に使っているルセットを見せて下さいました。
基本はパータブリゼに、水けをきったフロマージュ・ブラン、クレーム・エペッス、卵、小麦粉、そして塩・胡椒・ナツメグを加えて作ったアパレイユを詰めて焼いたもので、le Cion ;シオン同様、ガルニチュールは入らないシンプルなタルトですが、このお店ではグリュイエールチーズを少しとシブレットも加えられていました。

この辺りのレストランにはFra ;フラをメニューに入れているところもありますので、
この辺りを訪れる機会がおありでしたらお試しくださいね♪



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-21 23:01 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(4)

瓦で焼いたお菓子 「Le Creusois ;ル・クリュゾワ」

Creusois ;クリュゾワ」はCreuse ;クリューズ県のスペシャリテ。
ノワゼット、砂糖、バター、小麦粉、卵白で作られるお菓子です。
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↑ Le Creusois ;クリュゾワ、1人前サイズ

同県にあるタピスリー(タペストリー)製造で有名なAubusson ;オービュッソンでは20世紀初めには
Pâtisserie Passant-Robertの「la Noisettine aubussonnaise ;ノワゼティーヌ・オービュッソネーズ
(商標登録済)」と言う名前のノワゼットを使った焼き菓子が既に知られていました。

これらのお菓子の元となるお菓子の歴史は古く、
14世紀Crocq ;クロックの近くにある町La Mazière aux Bonshommes;ラ・マジエール・オ・ボンノム
あった修道院に始まると言います。

1969年この修道院の解体作業をしている際、古いフランス語で書かれた15世紀の古文書が発見され
その中に「窪みのある瓦で焼く菓子」のルセットが書かれていました。
当時クリューズ県菓子組合会長だったAubusson のパティシエAndré Lacombe氏と
彼の友人でCrocq のパティシエRobert Langlade氏がこれに手を加えて「Le Creusois ;ル・クリュゾワ」と
言う名前のノワゼットを使った焼き菓子のルセットを完成させ、販売を始めました。
* この古文書のコピーはクロックの観光局で見ることが出来ます。

彼らは県のスペシャリテ、旅行者がお土産に持ち帰ることが出来るような日持ちのするお菓子を作りたいと考えていたので、古文書発見は創作のいいきっかけになったと思います。

彼らは県内のパティシエ、ブーランジェ31人から成るL'Association Le Creusoisという協会を作り、
会員のみが同じルセットと容器を使って製造し、専用のラベルを付けて販売出来ると言う仕組みを作りました。
1972年には商標登録されています。
* L'Association Le Creusoisが「Le Creusois」のプロモーションビデオを作っている。


販売されている大きさは主に以下の3種類;
・1人前の小さなクリュゾワ(60g) 縁が波(菊)形になったアルミ容器を使用
・大きいクリュゾワ(360g)
・瓦で焼いたクリュゾワ(瓦込2,48kg)


私が初めてこの菓子に出会ったのは2000年、リモージュのLes Halles(屋内市場)でした(↓ コレ)。
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正確には「Creusois ;クリュゾワ」ではなく、「Gâteau creusois ;ガトー・クリュゾワ」と言う名前でしたが、
Creuse県出身のパン屋さんが作るこの菓子はノワゼットとバターの豊かな香りで、中は柔らかく外がカリッとしていて美味しい!

「次は瓦で焼いたものが食べてみたい!」と思うようになり、6年後クリュ―ズ県の県庁所在地Guéret ;ゲレへ。
(Creuse県は初めての訪問♪)

Guéret には協会に加入しているお店は3軒あり、そのうちの2軒で3個購入。
シンプルな焼き菓子で同じルセットで作られているとはいえ、やはり違いがあって瓦(と言うか瓦風に作った専用焼き型)は平らな容器で焼いたものより厚みがあるので内層が柔らかく、見た目のインパクトもあって楽しい♪
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お土産に買って帰って皆で食べるにはぴったり!(日本まで持ち帰るのはいささか大変でしたが・・・汗)


考案されてから40周年となる2009年には、92歳となった考案者の1人Robert Langlade氏の自宅に
大勢の関係者が集まってお祝いをしたそうです。
* Robert Langlade氏の息子Christianが1998年にCrocq の店を継いでいる。


最初にリモージュで食べたものが美味しかったように「Le Creusois ;ル・クリュゾワ」の名前ではなくても
同様に美味しいものがあります。
検索すればルセットも出てきますから、ナッツ風味の焼き菓子好きの方は是非お試しを。



                                      ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-17 00:37 | ⑭Limousin | Trackback | Comments(2)

「Le Cion ;シオン」という名のお菓子

『L’Ascension(キリスト昇天祭)のお菓子 「Corniottes ;コルニオット」』のブログ(ココ)で名前だけご紹介した
お菓子です。

Le Cion ;シオン」はBresse louhannaise ;ブレス・ルーアネーズと呼ばれる地域のスペシャリテ。
フロマージュ・ブランを使ったtarte au fromage ;タルト・オ・フロマージュ、あるいは
flan au fromage ;フラン・オ・フロマージュの種類に入るお菓子です。
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                                 ↑ 焼き立てのシオン

* フランスには県など行政区分とは別に、自然地理区(region naturelle)と呼ばれる地域区分があり
地形などの物理的特徴や独自の文化的アイデンティティによって分けられている。
ブレス地区はローヌ・アルプ、ブルゴーニュ、フランシュ・コンテの各県にまたがり、
Bresse bourguignonne ;ブレス・ブールギニヨンヌ
Bresse de l'Ain ;ブレス・ドゥ・ラン
Bresse jurassienne ;ブレス・ジュラシエンヌと呼ばれる3つの地域に分かれる。
ソーヌ・エ・ロワール県の東部に位置するブレス・ブールギニヨンヌは
更に Bresse louhannaise ;ブレス・ルーアネーズとBresse chalonnaise ;ブレス・シャロネーズに分かれている。


スペルは「cion ;シオン」の他にscion, s’cion, shion等と書く場合もあります。

なんだかフランス語っぽくない、ちょっぴりカワイイこの名前^^
気になって色々と探してみたのですが、どうしてもその由来は分からず…。
他に「tarte au quemeau ;タルト・オ・クモー」という別名もあって、こちらの方は広い地域で見られる名前です。
* 同様のお菓子はフランス北東部で広く見られる。

quemeau ;クモ―」 と言う語はブレスの俚言で「フロマージュ・ブランと生クリーム或いは牛乳、卵を混ぜたもの」を
指し、甘味・塩味の両方に使用されます。
古くはパン生地で作ったガレットの上にのせて焼いていました。
* シオンは甘味バージョンのみ。別の地域には「Fra ;フラ」と言う名前で塩味バージョンが作られている。

作り方は地域や家庭によって変化はありますが、大体こんな感じ。
沸騰させた牛乳にセモリナ粉を入れ、濃度が出るまで煮る。
これを冷ましたものに、水けをきったフロマージュ・ブラン、砂糖、塩、卵を混ぜる。
パート・ブリゼを敷いた型に入れてオーブンで焼く。

これにフルーツ等を加えることはありません。


このお菓子、年中作られているというお話でしたが、
Louhans ;ルーアンでは取材させて頂いたPâtisserie aux Fiançailles ;パティスリー・オ・フィアンサイユ
でしか見つけることは出来ませんでした。
しかも「シオン」という名前では無くて「Flan Fromage blanc ;フラン・フロマージュ・ブラン」と言う
ごく普通の名前…。
せっかくカワイイ名前が付いているのにもったいない!
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                             ↑ ショーウインドー内のシオン


さて肝心のお味の方ですが…。
訪問時、タイミング良く焼き立てのホヤホヤがテーブルに♪
フロマージュ・ブランのあっさりとした味といくらでも食べられそうなくらいの軽さで、とっても美味しい!
(冷めると多少しぼむので焼き立ての方が見た目も美味しそうですが、冷めても美味)

この辺りは同じようなお菓子が、名前も様々に存在していて興味深いです^^



                                      ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-06-01 11:12 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(2)

Pentecôteのお菓子「Le Colombier 」その3

現在、マルセイユのスペシャリテとして販売されている「Le Colombier ;コロンビエ 」。
以前は各地で見られましたが、その多くは廃れてしまいました。

ブルゴーニュ地方のDijon ;ディジョンもその1つ。
ここには
Princesse Yolande (ヨランド王女)の婚姻の日、宮殿の塔から幸せの前兆である1羽の白鳩が飛び立った
という伝説があり、これがPentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Colombier ;コロンビエ」に結び付けられ
「コロンブが入っていた者は1年以内に結婚する」と言う話と共に販売されていました。

このお菓子を売っているお店を知らないか、ディジョンのMOFショコラティエ Fabirce Gillotte ;ジロットさんに
尋ねてみたところ、このお菓子のことは知っているがさすがに売っているところまでは分からず
調べても売っているお店は見つからなかったとのお返事でした。


フランスではあまり見られなくなったお菓子ですが、日本ではオー・ボン・ヴュー・タン↓ コレ)他で買うことが出来ます。
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またワンダフルハウスさんのサイト(ココ)ではパティシエ・シマさんに特注したという貴重なコロンビエを
見ることが出来ます。

これは島田シェフが1971年フランスで修業をしたお店「ブッタ」で覚えたという
丸く焼いたパン・ド・ジェンヌにフォンダン(糖衣)をかけ、白い鳩とピンクのアーモンドダイスを飾った」コロンビエを再現、或いはお手本にしたもののようです。
この時代にはまだコロンビエを作るお店があったのですね。


2006年にはイルドフランスのSainte-Geneviève des Boisと言う町にあるパン屋さんが
聖霊降臨祭のコロンビエを再び作り始めた」という記事を見つけたのですが、果たして今でもあるでしょうか・・・。


今日(2012/05/27)はPentecôte ;パントコート(聖霊降臨祭)当日。このお菓子を食べた人はいるかなぁ^^


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-27 10:28 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(2)

Pentecôteのお菓子 「Le Colombier 」 その2

前回のブログでPentecôte(聖霊降臨祭)のお菓子「Le Colombier ;コロンビエ」の別名として
Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」や「Gâteau Porte-bonheur ;ガトー・ポルト・ボヌール
があることをお話ししました。
Arbois ;アルボワにある1900年創業の老舗パティスリーHirsinger ;イルサンジェでは
Le Porte-Bonheur ;ポルト・ボヌール」と言う名前で販売されています。


このお菓子の存在を知ったのは偶然から…。
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2003年6月にショコラの取材でお店へ伺った際、何気なく写した写真(↑ コレ)の中にこのお菓子はありました。
しかもそれに気付いたのはだいぶ後になってからのこと。
以前の写真を見直している時に、お菓子の上に飾られたリボン状の紙に

Je cache en ma pâte exquise une Colombe  美味しい生地の中にコロンブを1つ隠しています
Celui à qui elle échouera            それを見つけた者は
Dans l’année se mariera            1年以内に結婚するか
Ou bonheur lui surviendra           幸せが訪れるでしょう

と書かれていたのです。
とっても気になったので、メゾン・イルサンジェの4代目 Edouard;エドワールに尋ねたところ、
聖霊降臨祭のお菓子コロンビエと同じもの」だと教えてくれたのでした。
この時期限定販売のお菓子だっただけに、買わなかったことを激しく後悔したのは言うまでもありません。


その後、聖霊降臨祭の時期にアルボワへ行く機会は無く…。
2008年11月、ようやくお店を訪れる機会があり、どうしても食べたくて季節外れではありましたがわがままを言って
作って頂きました。

作り方はこんな感じ…。
メレンゲにTPT(アーモンドパウダー+粉砂糖)と溶かしバターを加えて作った生地をセルクルに入れて焼く。
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型を外して冷めたら側面に切り込みを入れてプラスチックのコロンブを差し込む。
全体にナパージュをかけ、側面にグリエしたアーモンドダイスをまぶす。
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紙をのせ、バタークリームで「Porte-Bonheur」と書きいれる。


この紙を更によく見ると左右にメダルが印刷されており、パリのパレ・ロワイヤルで行われたエキスポで
1902年と1903年にこのお菓子でメダルを獲得していることが分かります。
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マルセイユのコロンビエは「1906年のコンクールで考案された」と言うことでしたが
それよりも早い時期にこのお菓子は作られていたのですね。

エドワールのお父さんで3代目のClaude ;クロードにこのお菓子のことを聞いてみると
このお菓子は20世紀初頭に行われたコンクールで考案されたもので、Pentecôte ;パントコートの他に
Fête des Mères(母の日)にも作られることがあった
」とのことでした。

そして、なぜイルサンジェでは「Porte-Bonheur ;ポルト・ボヌール」という名前で販売されているのか?
というと「コロンビエの名前は組合に入っているお店だけしか使えなかったから」と言うことも分かりました。
「Gâteau de la Paix ;ガトー・ドゥ・ラ・ペ」の別名もありますが、恐らく組合に入っていないお店が
コロンビエ以外の名前」と言うことで命名したものなのでしょう。


モダンで新しいお菓子やショコラを作りつつ、100年以上前のお菓子を今でも丁寧に作り続けているイルサンジェ。
とても貴重なお店です!


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-26 11:34 | キリスト教 行事 | Trackback | Comments(4)