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L’Ascension(キリスト昇天祭)のお菓子 「Corniottes ;コルニオット」

Ascension ;アサンシヨン(キリスト昇天祭)はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日。
復活したキリストが40日間弟子たちのもとに現れた後、天に挙げられたことを祝うもので、
Pâques ;パック(復活祭)の40日後(復活祭の当日を含める)の木曜日にあたり
2012年は5月17日がその日です。
*フランス等では祝日なので旅行時には注意が必要!

パック(復活祭)の時とは異なり、Ascension(キリスト昇天祭)の日に食べるお菓子というのはあまりなく
思い浮かぶのは「Corniottes ;コルニオット(↓ コレ)くらいでしょうか。
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これはブルゴーニュ地方のLouhans ;ルーアン(Saône-et-Loire県)を中心とした周辺地域で作られるお菓子。
一般的には「丸く抜いたPâte brisée(ブリゼ生地)の真ん中にシュー生地を丸く絞り、縁を三か所折って
成形しオーブンで焼いた
」ものですが、フロマージュブランとグリュイエールチーズで作る塩味バージョンもあります。
* かつてはシュー生地の代わりにフルーツを入れて焼き、クレームシャンティーを添えたもの等のバリエーションや
大きいサイズのもの等々も作られていた。


三角形の形が「三位一体」を象徴しているということで復活祭、キリスト昇天祭、聖霊降臨祭等の
キリスト教の祝祭日に食べられるお菓子とされています。

Les Corniottes de L’Ascension (キリスト昇天祭のコルニオット)という名前もあるように
特にキリスト昇天祭の際に多く食べられます。
第一次世界大戦前まで、この日はFête des corniottes(コルニオット祭)が行われて
パン屋さんでも家庭でも沢山のコルニオットが作られ、食べられていました。
*今では一年中作らるお菓子だが、この日は普段よりも沢山販売される。

言い伝えでは
この町にあるHôtel-Dieu ;オテル・デューで病人を看護していたordre de Sainte-Marthe(聖マルタ会)の修道女たちが病院運営のための資金を得るためにこれを考案し、Ascension ;アサンシヨンのミサの後
教会の出口で販売していた

のだそうな・・・。
*オスピス・ド・ボーヌのような、周りを囲った寝台の置かれた男女別になった2つの大きな病室と礼拝堂、15-16世紀のイスパノ・モレスク陶器の素晴らしいコレクションを展示する薬剤室からなり、必見に値する。

名前は看護をする修道女が被るCornette ;コルネットと呼ばれる被り物に由来すると言う説もありますが
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                             ↑ この画像はココから借用

現代に見られるコルニオットの形はどちらかと言うとTricorne ;トリコルヌと呼ばれる、18世紀頃まで被られていた
三角帽の方が似ているような…。
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                             ↑ これはココから借用

残念ながら、実際のところは不明です。
*三角帽の画像を探していたらココに色々あるのを発見♪この時代に流行っていた。


ルーアンにあった農業・園芸協会の月刊誌「La Bresse Louhanaise1896年1月版では
中世から1789年(フランス革命の年)までの宗教上の祝祭に関するこの地域の慣習について書かれており
その中には
il y avait les corniottes de l'Ascension,corniottes au fromage ou à la bouillie,aux bords relevés formant trois cornes,d'où le nom du gâteau,qui se mangeait ce jour-là par milliers dans des goûters champêtres ・・・
キリスト昇天祭のコルニオット(チーズ或いはブイイ;粥をガルニにしたもの)があった。
菓子の名前は、縁を折って形作られた三角の形に由来する。この日、ピクニックで沢山食べられていた

と言う記述があります。
ここから名前はやはり形に由来していて、非常に古くからこの日に食べられていたことが分かりますね。


Bresse Bourguignon ;ブレス・ブールギニヨンと呼ばれる地域の中心地であるLouhans ;ルーアン
小さな町ながらも13世紀にはその地理的条件の良さから、シャンパーニュ地方とジュラ地方の産物が集まる
商業的役割を果たしていました。
* カタカナにするとジャンヌ・ダルクが火刑にされたノルマンディー地方の町Rouen ;ルーアンと同じになりますが
全く別の町。


町の中心にあるGrande Rue (大通り)の両脇にはアーチが157もあるアーケードが連なり
その長さは400m以上あってフランス一の長さを誇り
そのうち一番古い建物は15世紀に遡り、その歴史を感じさせます。
b0189215_1648166.jpgb0189215_16532266.jpg← アーケード外側と内側

現在でも毎週月曜日にはその歴史と規模の大きさで非常に有名なマルシェが行われ
地元産のVolaille de Bresse(ブレスの鶏)も勿論見られます。
このマルシェに関する足跡は1269年に遡り、最初のアーケード建設はこの頃には既に始まっていました。



さてこの町を訪れたのはだいぶ前、2003年5月のこと・・・。

旅の途中でストライキが始まってしまい、取材を申し込んでいたお店へ行く為にディジョンからタクシーでかかった費用は凡そ100ユーロ(涙) !!!

約束していたPâtisserie aux FiançaillesのBouvier氏は「来れないかも?」と思いながらも
地元新聞社の記者さんと共に到着を待っていてくだったのでした。
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                             ↑ 右がBouvier氏 左が記者さん

ここではコルニオットと共に これまたこの辺りのスペシャリテである 焼き立ての「le Cion ; ル シオン」と呼ばれる
チーズタルトを試食させて頂きました。
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                             ↑ 試食させて頂いたコルニオット

* le Cion ; ル シオンについてはまたこんど。こちらに写真だけup ♪


次回はキリスト昇天祭の頃に、出来ればゆっくりと滞在したいものです^^。




                                       ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-15 17:11 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(4)

ニームのお菓子「 Le Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」

Croquant ; クロカン」は、「Croquet ;クロケ」, 「croquettes ;クロケット」等と共に、
ナッツ入りの固いビスキュイのことで、古くからフランス各地で様々なタイプのものが作られていました。
* 名前は動詞croquer;クロケ(カリカリかじる)に由来し、croquantの名はcroquerの形容詞と同じ。
biscuit croquant;ビスキュイ・クロカンというと、「カリカリしたビスキュイ」の意味になる。

b0189215_0452693.jpg最近では「Croquant ; クロカン」の名称が良く見かけられますが、
古い本で探すと、かつては「Croquet ;クロケ」という名前の方が多く見られたことが分かります。。
分かっているもので一番古いと思われるのは1642年の文献で
Croquet ;クロケ」でした。
粉、卵、アーモンドを使い、バニラかオレンジ花水で香りを付けたものだった
ということで現在のものと大差ないものだったことが分かります。

フランス各地のスペシャリテについて書かれた「Trésor gastronomique de France(1933年)
Curnonsky /Austin de Croze共著の中で、croquettes,croquets,croquantsの名前のついたスペシャリテは全部で20個。
そのうちcroquantsは「Croquants de Nîmes ;クロカン・ド・ニーム」の1つのみ。
これは「Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」のことです。
 
↓ コチラがクロカン・ヴィラレ
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Nîmes ;ニームのrue de la Madeleine(マドレーヌ通)に、同じGard県Lédignanから来たブーランジェClaude Villaret ;クロード・ヴィラレがパン屋を出したのが、今でも続くこの店の始まり。
* かつてrue de la Madeleineの1部はrue des Barquettesと呼ばれパン屋が多く集まっていた。
それは近くに粉を引く水車が多くあり、小麦粉が効率よく供給されていた為。


Croquant Villaret ; クロカン・ヴィラレ」はクロードの息子、Jules Villaret ;ジュール・ヴィラレ
よって1775年に考案されました。
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                            ↑ 現役で使われている古い窯
* フォトグラファーのMichel Pradelにより1973年に撮影された写真では古い窯の様子が良く分かります。
ここのページの上から5枚目がその写真です。



その経緯はこんなものだったと言います。
この頃、政府による通貨変更により1個6liards(=1sou et demi ;1スー半)だったPain au lait ;パン・オ・レをお客が2スーで支払った場合1/2スー硬貨が存在しなかった為、お釣りに困っていた。
そこでクロカンを作って、お釣り代わりこれをお客に渡した

* Liardはフランスの古い硬貨で、1lirad=4sous。最後に鋳造されたのは1792年。1856年まで流通していた。
フランス革命以前の貨幣制度では 1 Livre ; リーブル=20 Sous ;スー(Sol ;ソル)=80Liards ; リアル=240Denier ; ドゥニエ。

お釣りがお菓子だなんて、お客は皆納得していたのかちょっと気になりますが
よほど美味しかったのか、もしかしたら(良くある)単なる「お話」なのかもしれませんね。
それにしてもこのような問題は他のお店でもあったはずですが、どうしていたのでしょう?

三代目はクロードの孫で「Croquanet ;クロカネ」と呼ばれたPaul Villaret ;ポール・ヴィラレ
後を継ぎ、Coque;コックと呼ばれるブリオッシュやFougasette;フガセット、1つ前のブログで取り上げた
Minerve;ミネルヴ等も製造するようになり、商品が充実されました。

しかしその後1969年、店を地元企業のSociété Raymond-Geoffroyに売却されます。
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↑ お店に飾ってあるポールさんの絵

* このポールさんが店を売却したとする記述もありますが、この企業のサイトには「1969年にクロカンヴィラレの秘密を手にする」というような内容の文章があり、ポールさんが亡くなったのは彼の肖像画に書かれているように1936年なので、辻褄が合いません。ヴィラレ家による店の経営は何代続いたのかは分からず。

さらに1987年にはRecolin Breydeが店を引き継ぎ、
2007年からは彼の孫Rémy Braydeが家族と共に店を切り盛りしています。


材料は「小麦粉、砂糖、アーモンド、レモン、オレンジ花水」で分量や作り方は秘密。非常に硬いのが特徴。
彼が店を継いだ当初は「クロカンが柔らかすぎる」と言いに来る常連客もいたのだとか…^^



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-05-07 11:21 | ⑬Languedoc-Roussillo | Trackback | Comments(2)

フランスのラスク(?)「Le Minerve ; ミネルヴ」

日本で見られるラスク(Rusk) ですが、フランスでは一般的ではなく強いて言えば
Biscottes ;ビスコットがそれに近いのでしょうが、それ自体は決して甘いお菓子ではありません。
* 知り合いのフランス人は朝食用に常備、これにバターとジャムを塗りカフェオレに浸して食べていた。
スーパーへ行くとプレーンやレーズン入り、ふすま入り、グルテンフリー等様々なものが販売されている。


そんな中、唯一( ?)ラスクっぽいと思われる地方菓子が、この「Minerve ; ミネルヴ」。
Languedoc ;ラングドック地方Grad;ガール県のスペシャリテで、Hérault;エロー県等周辺地域でも
見られるようです。
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↑ これがミネルヴ

大きくナマコ形に焼いたオレンジ花水風味のブリオッシュ或いは売れ残りの大きなブリオッシュを使いますが
元々はエピファニーの時期に売れ残ったGâteau des Rois ;ガトー・デ・ロワを利用して誕生したものだと
考えられています。
* 以前ポルトガルからパン・デ・ローで作ったラスクを取り寄せたことがあった。
非常に美味しかったので充分考えられる話かも・・・?
果たして現在でもガトー・デ・ロワで作ったミネルヴは作られているのかな?



作り方はごく簡単。
ブリオッシュを薄切りにして軽く焼き、表面を乾燥させてから、卵白と粉砂糖で固めに作ったグラサージュを塗り、更にオーブンで乾燥焼きして出来あがり。
グラサージュはごく薄い焼き色しか付けない為 「tranche dorée ;トランシュ・ドレ」(黄金色の(=doré(e))薄切りしたもの(=tranche) の意味)という別名もあり、小さいブリオッシュで作った「minervette ;ミネルヴェット(小さいミネルヴの意味)」というものもあります。


その歴史についてですが、残念ながらはっきりしていません。
Larousse Ménager Illustré(1926年)にはラングドック地方特産品の中では、Uzèsのスペシャリテとして
記載されており、Guide Una(1931年)ではVilleraugueのスペシャリテとされていますが、20世紀初めにはあっただろうという程度で、更にはっきりとした情報は見つけられませんでした。
(source ; L’Inventaire du patrimoine culinaire de la France,Languedoc-Roussillon)


私がこの菓子に出会ったのは2004年6月、Nîmes;ニームを訪れた時のことでした。
予め売っているお店をメモして行きましたが、既に無くなってしまったお店もあって実際に見つけられたのは1775年創業の老舗ブーランジュリー「Croquants Villaret ;クロカン・ヴィラレ」だけ。
一見固そうですが実際はそれほどでもなく、素朴で美味しいお菓子でした。



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by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-28 19:55 | ⑬Languedoc-Roussillo | Trackback | Comments(2)

マリー・アントワネットも食べた(?)「Biscuits de Montbozon ;ビスキュイ・ドゥ・モンボゾン」

Franche-Comté ;フランシュ・コンテ地方 Haute-Saône ;オート・ソーヌ県にある
人口500人余りの小さな町 Montbozon ;モンボゾン

鉄道も通っておらず、バスさえも週に数本しかないこの町で
Biscuits de Montbozon ;ビスキュイ・ドゥ・モンボゾン」は作られています。
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↑ 箱のラベルには「Le rois des desserts et le dessert des rois(デザートの王様、王様のデザート)」の文字が・・・

この菓子の存在を知るきっかけは、研究テーマにしているお菓子の1つMassepains;マスパンでした。
たまたま目にした本の中に「Biscuits de Montbozon、別名 Massepain」と書かれていたので、
それほど遠くないFavernay ;ファヴェルネにあるフェーヴ会社Primeへの取材時に訪れました。
(訪問日2006,10,17)


言い伝えによるとこのビスキュイは、その昔フランス革命によってルイ16世がこの世を去った後、
宮廷パティシエだったGuichard ;ギシャールという人物がモンボゾンへ逃れてきたことに始まります。
彼はHôtel de la Croix d’Or ;オテル・ドゥ・ラ・クロワ・ドールというホテルで余生を過ごし、
そして、隣人であり日用品やお菓子を売る店の所有者であったMademoiselle Prudhon ;プリュドンさんに
このビスキュイのルセットを教えたのだとか。
(L’inventaire de patrimoine culinaire de la France ;Franche-Comté ;1993による)
* このホテルの所有者がLanternier ;ランテルニエ家で、彼が直接この一家にルセットを教えたとする説もある。
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↑ お店に飾ってあった写真や文書(絵葉書?)にはLanternier-Prudhonの名前も見られる

彼女はこのビスキュイを販売、その後そのルセットはCaney氏に引き継がれます。
* このビスキュイはCaney氏によって1857年商標登録されている。


Caney氏の死後、この一族は2つの家系に分かれ、その両方それぞれがビスキュイの製造を続けた為、
工房が2つとなりました。

その一方は婚姻によりランテルニエ家によってルセットは引き継がれ、次いで第一次世界大戦前に
現在の所有者Frédérique Ventron-Cuseniers ;フレデリック・ヴァントロン・キュズニエさんの
祖父Jules Ventron ;ジュール・ヴァントロン氏へと引き継がれました。
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↑ フレデリックさん。後ろには木箱入、紙箱入、ビニル袋入のビスキュイが・・・


フレデリックさんは1994年、彼女の父が退職するのを機に店を継いでいます。
そして2006年、段差もあって働き辛かったという以前工房&店から600m程の所へ近代的な工房と販売所を
作り移転しました。
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↑ こちらは新しい工房&店舗


* もう一方のJeannerot-Hostalの工房は第二次世界大戦後に閉められましたが、
モンボゾン出身のBoisson氏がルセットを取得し、Favernay ;ファヴェルネで製造販売をしていましたが
ここを訪れた際には既に店を閉めた後でした。

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↑ 旧工房&店舗
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↑ お店に飾ってあった写真。左から3人目の白衣を着た人がフレデリックさんの祖父ジュールさん、左の男の子が父親


さて、肝心のビスキュイの方はと言うと…

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材料は砂糖、小麦粉、卵、転化糖、ベーキングパウダー、香料。
生地を長径6cm程の楕円形に絞り出したものに粉砂糖を振りかけて焼き、2枚1組にくっつけてあります。
生地を絞り出した後、粉砂糖を振って焼いてあるので表面はカリッとしていますが、中は柔らかくて口溶けもよく、コントラストが良い感じ。
何で香りを付けているかは企業秘密とのことですが、私には強いベルガモットの香りとオレンジフラワー
ウオーターの香りを感じました。
* こちらの動画では、訪問時には「見せられません」と言われた工房の中が紹介されています♪

透明な袋に入れて簡単にシールされているだけなのに、日持ちは2カ月。
時間がたってもカリッとした表面と内側の柔らかさは変わらないのに驚きでした!

ベルガモットがフランス(ナンシー)に入ってきたのは1750年のことで、その使用は王族や貴族に限られていたそうな。
スタニスラス・レクチンスキーのシェフ・キュイジニエGilliers ;ジリエ
ベルガモット風味のSucre d’orge ;シュクル・ドルジュを作っていたことから見ても
ルイ16世やマリー・アントワネットがベルガモット風味のビスキュイを食べていた」というのは
ちっとも不思議ではありませんね♪


そして、当初の目的であったマスパンの方は・・・
ビスキュイの別名と言う訳ではなく、別に販売されていました(ここのはマカロン系)。
両方とも古くからあるスペシャリテだったのですね。
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↑ これがマスパン。丸くドロップ状に絞り出してある




※※※


* これはmixiで(2007,04,01)upしたものに加筆したものです。

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by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-26 20:16 | ⑩Franche-Comte | Trackback | Comments(2)

トゥールの「La Livre Tournois;ラ・リーヴル・トゥルノワ」のスペシャリテ 色々

Tours;トゥールにはかつて「Poirault ;ポワロー」と言う名前の老舗菓子店がありました。

1807年創業。そのスペシャリテには
Sucre d’orge de Tours ;シュクル・ドルジュ・ドゥ・トゥール
Pruneaux farcis ; プリュノー・ファルシ
* これについてはこちらをご参照ください
Muscadine ;ミュスカディーヌ
* ミルクチョコのトリュフ、グランマルニエ風味、ショコラノワールでコーティングし、粉砂糖をまぶしてある
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Livre tournois ;リーヴル・トゥルノワ

そしてNougat de Tours ;ヌガー・ドゥ・トゥール等がありました。


現在は、かつてポワローの職人として働いていたJean-Marie Soignier;ジャン・マリー・ソワニエ氏が
店を買い取って「La Livre Tournois;ラ・リーヴル・トゥルノワ」と言う名前になっており、
当時のスペシャリテはそのまま作り続けられています。
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                           ↑ Jean-Marie Soignierさん

* 現在の店はかつての店の工房だったところ。
看板の横にはPoirault のロゴが加えてあり、元ポワローだったことが分かるようになっている ↓

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Sucre d’orge ;シュクル・ドルジュとは、かつて大麦を煎じた汁と砂糖のシロップを煮詰めて作られていた飴。
ここでは砂糖を140度に煮詰めて昔ながらの方法で作られ、バニラとニワトコの花の香りを付けた2種類があります。
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Livre Tournois;リーヴル・トゥルノワというのは中世にトゥールで鋳造され、その品質の高さから
フランス王国の貨幣として使われるようになったというコインの形を再現したチョコレートで
以前の所有者で4代目のClaude Delaunay氏によって作られました。
* Livre tournois ;リーヴル・トゥルノワにはプレーンとオレンジアメール、カフェの3種類ある
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Nougat de Tours ;ヌガー・ドゥ・トゥールはこの店によって日持ちのする地方発送可能な商品に改良。
Claudeさんの奥さまであるNicole Delaunayさんはこのお菓子の販売促進活動を行う
Confrérie Gourmande du nougat de Tours ;コンフレリー・グルマンド・ドゥ・ヌガー・ドゥ・トゥールを1998年に創設。10年間会長を務めてその発展に努めたのでした。
* これについてはこちらをご参照ください

ソワニエ氏もこのコンフレリーのメンバー。
Confrérie du Pithiviersの総会で偶然出会い、お店の訪問につながりました。



トゥールは今までに何度も訪れる機会があり短期間住んでいたこともありますが、美味しいものに溢れた
好きな街の1つです^^


                                     ※※※


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by Ethno-PATISSERIE | 2012-04-25 17:34 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

「Les Aristocrates;アリストクラット(貴族)」と言う名前のお菓子

「Tarte Tatin ; タルト・タタン」が誕生したLamotte-Beuvron ; ラモット・ブーヴロンから南西20km程の所にある町、Neung-sur-Beuvron;ナン・スュル・ブーヴロンのスペシャリテ。
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19世紀中頃この地方で「鉄道が開通し、ナポレオン三世がラモット・ブーヴロンにお城を購入した」と
言うこともあって、パリに住むお金持ちの人々が週末狩をして過ごす豪華なセカンドハウスを作ることが
流行しました。
1860年、この町のパン屋「Jean-Constantin LEMEUNE」氏は、おそらく美食家であるパリからのお客たちを満足させようとこの菓子を考案したのでしょう。

材料は砂糖、アーモンド、蜂蜜、卵白のみ。
皮付きのホールアーモンドがゴロっと入った大きなテュイル状の焼き菓子です。
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その大きさにはちょっとビックリですが、アーモンドやキャラメル状になった砂糖の香ばしい香りや
カリカリとした歯触りなどはその当時、さぞやハイカラなものだったに違いありません。


*******************************************************************


このお店を訪れたのは2004年。
小さな町のお菓子だったので情報がごく少なく、見つけたパン屋さんの名前もこの当時の所有者のものでは
なく住所も違っていたので、コンタクトを取る為に出した手紙は戻ってくる始末でしたが
近くに住むフランス人の知り合いに探してもらって、なんとか会う約束を取り付けて貰うことが出来ました。
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↑ ごく普通のパン屋さん。奥にラボがあります。

実際に行ってみるとパン屋はここ一軒しかなく、Pajon夫妻が2人で切り盛りしているお店でした。
1860年から場所も変わらず、同じルセットを使って作られており、1年に1トンも焼くほどの人気が
あるとか。
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↑ 所有者でパン職人のDenis Pajon氏と販売を担当する奥さま。

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↑ こちらはもう1つのスペシャリテ、マーガレットの花を象ったパン「La Marguerite ; マルグリット」



残念ながら現在は所有者が変わってしまいましたが、変わらず作り続けられています。




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現在このお菓子が買えるお店は…
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by Ethno-PATISSERIE | 2011-07-19 16:30 | ⑦Centre | Trackback | Comments(2)

La Flaune;フローヌ

フランス全土に数え切れないほど様々なフロマージュのあるフランス。
地元で作られるフレッシュチーズを使ったチーズケーキもあちこちで目にすることが出来ます。

la flaune;フローヌ」は、チーズ作りの際に残る乳清(ホエー)から作られた「recuite ;ルキュイット」と呼ばれるフレッシュチーズに卵、砂糖を加え、オレンジ花水で香りつけたものをPâte à brisée;
パータブリゼを敷いた型に入れオーブンで焼いたタルトです。
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Aveyron;アヴェイロン県南部(Millau;ミヨー/St Affrique;サン・タフリック)やTarn;タルン県北東部、Lacaune;ラコーヌ種の羊が育てられている地域(ロックフォールチーズ等を生産)のスペシャリテでflône,flausone,flazoune(オック語ではflausona)とも呼ばれます。
b0189215_14184587.jpg← フロマジュリーでルキュイットを購入。
ビニール袋で量り売り。
 
b0189215_14202129.jpg← 脂肪分の少ないモロモロしたチーズだけど、
羊乳製なのでコクがある。
 

これらの「flaune,flône,flausone」という名前は『flan;フラン』の変形。
この『flan;フラン』という語は古フランク語で円盤状のものを示す「flado;フラド」に由来しています。
flan;フランはご存知の方も多いでしょうが、「卵ベースのappareilを詰めて焼いたタルト」のこと。
Pays de la Loireのfion;フィオンやCorseのfiadone;フィアドーヌ等も同じflan;フランの仲間です。

b0189215_14412252.jpg→ こちらは取材させて頂いたパティスリーで購入した
フローヌのタルトレット(ミニサイズ)
 

12世紀には「flaon」と呼ばれる、チーズやクリームに卵や砂糖を混ぜたもので作る大きなタルトが存在していました。
14世紀にトゥールーズで「 flausones 」や「 flauzon 」と言うお菓子についての記述が見られますが、
これについて記載されている資料は19世紀以前までは非常に珍しいものだったようです。
この菓子は元々、お祭りや家族のお祝いの時に家庭で作られるものでした。
お菓子屋さんで製造・販売ざれるようになったのは第一次・第二次世界大戦間頃から。


さて、これを初めて食べたのは2004年、Millauへ行った時のこと。

b0189215_1444059.jpgランチを食べたレストランでこの菓子について尋ねると、デザートの後にわざわざ小さな
フローヌとお皿に盛ったルキュイットを持ってきて味見させてくださったのでした♥

日本でも「Ricotta di Pecora;リコッタ ディ ペコラ」というイタリアの羊乳製リコッタ(ホエーチーズ)が手に入るので、ルキュイットの代わりにこれを使ってフローヌを作りました。
(因みにRicottaもrecuite も「もう一度火を通した」という同じ意味の名前が付けられています)
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b0189215_14354549.jpg←こちらが「リコッタ ディ ペコラ」

以前コルシカのBrocciu;ブロッチュでFiadone; フィアドーヌを作った時には多少羊臭さがあったのですが、
このリコッタでは全く臭さは感じられず、出来上がりもルキュイットを使ったものにそっくり♪
今度この地方へ行く機会があったら、また是非食べたいお菓子です。



※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2011-05-08 14:54 | ⑯Midi-Pyrenees | Trackback | Comments(4)

Agneau pascal ;アニョー・パスカル(復活祭の仔羊)

Agneau pascal ;アニョー・パスカルはアルザス地方で復活祭の時に食べられるお菓子。
地元Soufflenheim ;スフレンナイムで作られる陶器型を使って焼かれます。
復活祭は移動祝祭日で、今年(2011年)は4月24日がその日。
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フランス語でAgneau pascal 或いはAgneau de Paquesと書かれるこの菓子は、
アルザス語ではOschterlammele,Lammala, lämele , Haemele, hamele等々、地域によって微妙に違います。

*Soufflenheimカタカナではスフレンハイム、スフレンアイムと書かれていることが多いようですが、
スフレンナイム(より正確にはスフロンナイム)の方が実際の発音に近いように思います。


季節になるとパン屋さんやお菓子屋さんのショーウインドーに沢山並びます。
伝統的なアニョー・パスカルには粉砂糖を振った後、赤いリボンを首に結び、背中には赤と白(アルザスの旗の色)か
黄と白(バチカン国旗の色)の旗がたてられるそうですが、実際には様々な色のリボンや旗が使われています。

<参考>
* バチカンの国旗はこちら
* アルザス地方の旗はこちら


多くの場合ビスキュイ生地で作られていますが、
アルザスに住むフェーヴコレクター友達はクグロフ生地(発酵生地)で作っていたそうです。
復活祭の日の朝食やおやつの時間にコーヒーや紅茶に浸して、或いはアルザスの白ワイン(Gewurztraminer vendanges tardives等々)と一緒に供されます。
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かつては復活祭のミサの後、名付け親から名付け子へこの菓子を贈る習慣がありました。

この習慣は16世紀に遡ると言われています。
1519年、アルザスのキリスト教神学者Thomas Murner(1475年―1537年)が書簡の中で
「男性がフィアンセの女性にアニョー・パスカルを贈っていた」ことや、「復活祭のミサの帰り、子供たちに贈られていた」ことに言及しているのだそうです。

一方「Les Moules à gâteaux/Bernard Demay著」によれば
陶器のクグロフ型は17世紀から、仔羊や魚形等の型は18世紀から広く作られるようになったとあります。

祝い菓子は元々普段作られるパン生地に卵や砂糖、牛乳などを加えて作られたものでした。
同じ陶器型で焼かれるクグロフが現在でも発酵生地で作られていることや、
上記のように現在でも発酵生地で作る人もいることから、
アニョー・パスカルもかつては発酵生地で作られていたことは想像に難くありません。

発酵生地であれば家庭でも材料が揃いやすく、
オーブンが無くてもパン屋さんに持っていって焼いてもらうことが可能でした。

ビスキュイ生地の材料は小麦粉、卵、砂糖だけでバターも使わない為、比較的誰にでも作りやすいものです。
とは言え、かつて高価であった砂糖が多く使われ、泡立てる道具や技術も必要であり
生地が出来たらすぐオーブンで焼く必要もあることから、
一般的な家庭でも広く作られるようになるにはそれらの条件が整っていなければなりません。
18世紀末になって、それまでの暖炉での直火調理から竈へと変化していったことにより
家庭でもビスキュイ生地のアニョー・パスカルが作られるようになったのではないかと思われます。


現在これらの型はストラスブールの北40km程の所にあるSoufflenheim ;スフレンナイムで作られています。
すぐ近くにあるHaguenau ;アグノーの森からは陶土が採れ、窯に使われる薪も調達できることから
古代から陶器製造で有名な所でした。
19世紀まではアルザス地方の各町や村には、それぞれ陶器製の生活用品を作る為に陶器職人が居ました。
作り手の職人によって独自のスタイル、釉薬の色のものが作られた為、古い陶器型には様々なものが存在しています。
かつて子供に贈る習慣があったことから複数の型を所有していた家庭も多かったためか
蚤の市等でもこの型を目にすることができます。

b0189215_2125660.jpg私が持っているアニョーの型は大小4個。
一番小さなものはニーデルモルシュヴィルにある
メゾン・フェルベールで買ったもの。
この店で販売されている陶器の型はスフレンナイムで最も古い1802年創業の工房「Poterie Friedmann」製で、
特にクグロフ型はクリスチーヌさんが気にいった形に作って貰ったという特注品です。
(煙突部分が細くデザインされていて、ふっくら美しいクグロフに仕上がります^^)
1888年創業の「Poterie Philippe Lehmann」製の型も
なかなかハンサムに焼き上がります。

この子羊型の他にも魚、ユリの花、星、ザリガニ等々、色々な形の陶器型があり、それぞれに作られる時期やこめられる願いがあり、アルザス地方菓子の特徴的なものと言えます。
(これらの型は現在でもPoterie Friedmannで製造されています)


← 下の小さいのがフェルベールさんのお店で買った子羊型

<参考>
*こちらはスフレンナイムの工房でアニョー・パスカル型を製造している映像です。興味のある方は是非ご覧ください。


そしてこちらは福岡にあるオーストリア菓子サイラーで買った「Osterlamm;オースタラム」。
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小旗も付いた本格的なもので、ローマジパンを使った生地で出来ています。
まわりの白いのは粉砂糖ではなくてココナッツ。
アプリコットジャムを塗った後にココナッツをまぶしてあるので、適度に酸味もあって美味しい~♪

2000年4月にはじめてお店を訪れた時購入した「オースタラム」はクルミ入りでした。
知らずに買ってしまったのですが、クルミアレルギーの私は結局食べられず…(涙)。
(今年のはクルミを使っていないということでリベンジです^^)


こちらはHarukoさんとのコラボレッスン「coeur à cour」で作ったアニョー・パスカル。
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シンプルなビスキュイ生地のアニョーに
フルーツサラダとフランボワーズソース、そしてクレーム・シャンティを添えました。
レモンのジュレとコンフィチュールを添えても。
生地にナッツを加えたヴァージョンにはプラリネ入りのクリームを…。
Harukoさんの素敵なコーディネイトのお陰で美味しさ激増~♥

*コラボレッスン「coeur à cour」は現在行っておりません。


復活祭、詳細についてはまた次回に。

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by Ethno-PATISSERIE | 2011-04-20 22:36 | ①Alsace | Trackback | Comments(4)

フランスの伝統菓子 Tourtière ; トゥルティエール  その②

b0189215_16165294.jpgこの地を再び訪れたのは前回から2年後の2002年。
当然のことながら『Foire à la tourtière ; トゥルティエール祭』に合わせて行ってまいりました^^。
お祭りの開催されるPenne d’Agenais ; ペンヌ ダジュネに泊ろうとホテルを探しても見つからなかったので、どこか安くて適当な所を知らないかMme.Salesse;サレッスさんに尋ねてみたら「うちに泊りなさい」という嬉しいお言葉!
お祭りの前日(前回同様^^:)バス停まで迎えに来て頂き、家に到着。
すると、昼間だけ手伝いに来ていると言うサレッスさんのお母さんが出迎えて下さいました。
このおばあちゃまと一緒に畑や豚、兎、牛等の家畜を見学したり、この地方の家庭で作られるお菓子のことや
この地域の俚言を教えてもらったり(例えば単数形la tourtièreはla tourtieraになり、複数形les tourtièresはlous tourtierairesとなるとか…)、この地方のお料理をご馳走になったりと、フランスの農家生活をちょっぴり垣間見ることが出来た、とってもとっても貴重な一日に…。 

そしていよいよお祭りの当日。
早めに家を出て、近くのワイナリー(Château des Ardailloux)やプルーンを栽培してプリュノーを作っている農家
(Les Vergers d’Escoute)を回った後、お祭り会場のあるペンヌ ダジュネへ。
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 ↑ こちらがプルーンの林         まだ青いプルーン、見えるかな?

Lot川を見下ろす小高い丘の上にあり、中世の街並みを残した、小さいながらも魅力的な町!
会場へ到着すると既に沢山スタンドが出来ていてトゥルティエールやその他の物産品も売られています。
このお祭りはConfrérie des tourtéraires ; コンフレリー デ トゥルテライル(トゥルティエールの愛好者団体)主催
なので、最初にこのコンフレリーの衣装をまとった人々がトゥルティエールのおみこし(?)を担いで行進して開会。
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コンクール(コンフレリーのメンバーが出品されたものを審査して点数を付け、合計点の多かった人の表彰)を行ったり、新しくメンバーに加わる人々が入会する儀式も行われました。
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*おまけに偶然にも当日が7月14日(革命記念日)だったので、広場のわきではそのセレモニーまで♪
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この辺りでは本職のお菓子屋さんが作るというよりも「家庭で代々受け継がれてきた」お菓子である為、作る人によってデコレーションの仕方や生地の薄さも様々。
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↑ この4種類を比べただけでもその違い、分かりませんか?

この違いによって味も微妙に変わってしまうと言うのが楽しい所でもあり、 それを一度に食べ比べ(しかも作った人に直接お逢い)出来るという、とても有意義な1日でした。
(*因みに今年のはお祭りは7月11日でした。どんなトゥルティエールがあったのでしょう~♪)



<補足>
*Tourtière ;トゥルティエールとは元々tourte ;トゥルト(蓋付きのパイ、塩味&甘味の両方有)やタルトを焼く道具のことを示す名前でした。
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↑ これが実際に使われていたトゥルティエール

名詞「tourte」 に「接尾辞 -ière」 が付いて、それを作る道具を示す名詞に。
それが時を経て、これで作られたものも意味するようになった言うわけです。




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by Ethno-PATISSERIE | 2010-11-03 17:58 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)

フランスの伝統菓子 Tourtière ; トゥルティエール その①

フランス南西部で見られるお菓子。地域によって違う名前が付いています。
例えば…
Tourtière ; トゥルティエール=Dordogne県、Lot-et-Garonne県、Landes県
Croustade ; クルスタード=Gers県、Ariège県、Lot県
Pastis ; パスティス=Quercy地方(Cahors ;カオールを中心とする旧州)
           Gers県ではPastis gascon; パスティス ガスコンとも呼ばれる。


生地をごく薄く伸ばして重ねる作り方は古く7-8世紀、ローマ帝国の支配が弱まってきたころ、
地中海沿岸地域がサラセン人によって侵攻されていた時期に遡ります。
711年イスラム帝国(ウマイヤ朝)がピレネー山脈を越え、当時のフランク王国(カロリング朝)へ侵入
占領して行きました。
732年「トゥール・ポワティエの戦い」でシャルル・マルテルがサラセン人を撃破し、退却。
『この時に作り方が伝えられた』と言われています。
とは言えその製造はフランス南西部に限らず、リエージュで料理長をしていたLancelot de Casteauが
1604年に出版した本の中には同じ製法で作られる「tourte」が掲載されています。
また、現在でもオーストリアをはじめとする地域で見られる「Strudel ; シュトルーデル」や
ポルトガルの「Pastéis de tentúgal ; パステイシュ・デ・テントゥガル」と言ったお菓子が作られています。
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↑ Konditorei FercherのMilchrahmstrudel   ↑ Café AndréのPastel de Tentúgal

これらは地中海沿岸の各地で見られるパート・フィロを使ったバクラヴァ系のお菓子と同じ起源を持ったもの
と考えられます。

それまでもこのお菓子に出会ったことはありましたが、作っているところを見たくて、年に一度「Foire à la tourtière ; トゥルティエール祭」を開催しているPenne d’Agenaisの観光局に問い合わせ、デモンストレーションをしてくれる方を紹介して頂きました。
その中で訪問を快諾してくださったのがBonaguil ; ボナギルに住むOdette Salesse ; オデット サレスさん。

この地を訪れたのは2000年の6月。
電車も通っていない所だった為、大方の行き方しか分からないままのちょっぴり不安な旅でした。
(まあ、いつもこんな感じ…^^)
プリュノーで有名なAgen;アジャンから1両編成の電車で30分、Monsempron Libosでバスに乗り換えてCondatで下車。バス停からはSalesse さんが車で迎えに来て下さることになり、なんとか無事目的地へ到着したのでした。
バス停からは2km程のドライブ。途中木陰から現れるChâteau de Bonaguil ; ボナギル城はとても美しく、感動的♪

b0189215_14484264.jpg彼女の家はトウモロコシや穀類、たばこを栽培している他に、牛や豚等も
飼っている典型的な農家。
お宅へ到着すると、新しく家を建てる時に作ったそうで、大きなテーブルを
いくつも並べた広い工房へ案内されました。
さらに奥のダイニングキッチンへ通されて、まずはお味見から♪。

b0189215_1521794.jpg温かくないと美味しくないとのことでレンジで温めたものを頂きました。飼っている豚から作った自家製のパテ等も!
繊細な見た目に反して、ホールの状態で1週間以上日持ちするそうな。
彼女は近隣のお店へ卸したり、直接家でも販売しているそうですが、お店からの注文で数日置くこともあるからと
ラム酒をたっぷり入れるよう頼まれている為、味見させて頂いたものも当然しっかり効いていました。
表面の飾りがとても特徴的で美しい。作り方はおばあさんから習ったそうで、お母さんは作れないとか。
もう30年も作っているベテランです。

さて、いよいよ工房へ移動して作り方を見せて頂きます。
材料は10-12人前で『小麦粉1kg、卵2個、塩、油大匙3杯、バニラオイル、水500ml

生地は水をたっぷり加え、プロ用の大きな生地をこねる機械にかけてから、1時間寝かせたものを使います。
寝かせるのは1時間で充分。それ以上寝かせても変わらないとか。粉も油も普通のものを使っているそうです。
b0189215_157272.jpg

寝かせた生地を白い布を敷いた大きなテーブルの中央に置き、テーブルの長さに合わせて縦に伸ばします。b0189215_15101323.jpgb0189215_15113783.jpg

端から生地をのばしながらテーブルの周りを2周。これであっと言う間にテーブルいっぱいに広げられました。
テーブルからはみ出した部分をナイフで切り落とします。
(切り取った生地は1つにまとめて水を加え、再びこねて再利用。それでも残ったものは焼いて豚ちゃんのおやつに)
b0189215_1514830.jpgb0189215_15153823.jpgb0189215_15164628.jpg

次に、上に吊るしてあるガスのラジエーターをテーブルの上に移動させて点火。これで生地を乾かします。
夏の間はあっと言う間に乾くそうですが、この時期(6月)は乾燥に時間がかかるので、これを使わないと
かなり時間がかかるそう。


この他に2~3個生地を伸ばす作業をしましたが、1個だけ私もやらせて頂きました。
とっても柔らかい生地なので思い切ってやらないとすぐに伸びてしまって、折り目が出来たり、穴があいてしまいます。
(というよりも実際、穴を1つ作ってしまいました…^^;)。

生地がある程度乾いて透明になってきたら(パリパリに乾燥させないのがポイント)、ローラーを使って溶かしバター
を塗ります。刷毛では時間がかかり過ぎるので、ローラーを使うことを思いついたそう。
(おばあさんの頃はガチョウの脂を使い、ガチョウの羽根で塗っていました)
そして全体にグラニュー糖を軽く振ります。

b0189215_15251218.jpgb0189215_15273431.jpg

型には大中小の鉄製フライパンを使用。
オーブンへ入れやすいように柄を短く切断してあります。これに油を塗って使います。
(小さいサイズは4人分。中位のサイズにはテーブル2台分の生地が必要になる)

テーブルナイフで適度に乾燥した生地を適当に丸く切って型に敷きます。
何枚か重ねて、リンゴを乗せる前には型に合わせて丸く切ったものを重ねていました。
b0189215_15325689.jpgb0189215_15341929.jpgb0189215_15353074.jpg

リンゴはフランスで多く栽培されているpomme golden ; ゴールデン・デリシャスを使っています。
皮をむき、半分に切って芯を取り、薄切りにしたものを、中央からあまり重ねないようにして並べて行きます。
バニラオイルを加えた水を小さなコップ1杯注ぎ、さらに同量のラム酒を注きます。
(想像していたよりも液体が沢山入るのでビックリ!)
  
b0189215_15375752.jpgb0189215_15385556.jpgb0189215_1540822.jpg

その後さらに生地を重ね、最後は少し小さめに丸く切った生地の一方にひだを寄せて丸め、全体にきれいに並べて
終わり。(この上の部分に使う生地は乾燥しすぎていないものが作業しやすい)
あとは中くらいのオーブンで45分焼いて完成!

b0189215_15414848.jpgb0189215_15425913.jpgb0189215_1553208.jpg

この菓子は元々カーニヴァルのお菓子だったそうです。
シンプルな身近にある材料で出来るわりには豪華なので、お祝い事にも多く作られたことでしょう。
甘いデザートだけではなく、一昔前には『la tourtière au poulat et au salsifis ;鶏肉とサルシフィ(西洋ごぼうと
呼ばれる根菜)のトゥルティエール』と言った料理も作られていたそうで、おばあさんたちの中には今でも作る人がいると
聞きました。(ボナギルの北部にあたるドルドーニュ県では観光客向けにこの料理を出す所があるようです)

7月の第2日曜日には行われるお祭りではTourtièreを作る人が何人も集まってものすごい数が販売されるとか。
「今度はもっと色々なトゥルティエールが食べてみたい!」と、再訪を誓ったのでした。(その②へ続く…)


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by Ethno-PATISSERIE | 2010-11-01 16:08 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(2)