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Gâteau Marjolaine ;ガトー・マルジョレーヌ

Gâteau Marjolaine ;ガトー・マルジョレーヌ」は、フランスのIsère県(Rhône-Alpes地方圏)Vienne ;
ヴィエンヌの町にある「Restaurant de la Pyamide ;レストラン・ドゥ・ラ・ピラミッド」で
作られていたデザート菓子です。

* このレストランのオーナー・シェフであったFernand Point ;フェルナン・ポワン(1897-1955)は、
父の店を継いだ3年後の1928年にはミシュランガイドで2つ星獲得。
1933年には3つ星を獲得。第二次大戦中に閉店していた時期を除き、亡くなる1955年まで、
更には、その後を引き継いだマダム・ポワンが亡くなるまで3つ星を保ち続けました。
フェルナン・ポワンは厨房の機能性にこだわり、なによりも素材の新鮮さと風味を尊重する現代フランス料理の基を確立。後に活躍するポール・ボキューズ、トロワグロ兄弟、アラン・シャペル、ルイ・ウーティエ等々才能ある多くの料理人を育ててました。
*1986年マダム・ポワンの死後、店は売却されて所有者が代わりマルジョレーヌも作られなくなり、
幻のデザートに…。
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↑ ピラミッドのメニュー。写真右はマダム・ポワン直筆。下方には「marjolaine」の別名「gâteau succès」の文字が見えます。

現在日本でも幾つかのお菓子屋さんでマルジョレーヌが販売されています。
勿論本物に近いものもあるとは思いますが、デセールとして作られたものをパティスリー用でお持ち帰り
できるようアレンジされているでしょうし、(作り手の個性やそれぞれの事情から)
ピラミッドのマルジョレーヌと同じと言えるようなものにはなかなか巡り合えないというのが
実情ではないでしょうか。
それは自然なこととは思いますが、多くの場合それがピラミッドのマルジョレーヌと結びつけて紹介されるので、本物を食べたことが無い人は同じものだと感じるのでは?と、本物をリスペクトする身としては
多少の疑問を感じていました。

幸い1970年代、辻調理の先生方がピラミッドで研修してマルジョレーヌの作り方も学んで来られたおかげで、今でも本物を再現することが可能です^^
その中でも、やはり川北先生のマルジョレーヌは限りなく本物に近くて美味しいと誰もが納得のお味!
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↑ 完成品の写真が無いのは残念すぎるのでココから拝借しました

嬉しいことに先日、その川北先生が行うデモがありました。
今回再現するにあたり現在手に入る最高の材料を使って試作してみたそうですが、当時の味を再現することは
出来なかったと言います。
ナッツはコクに欠け、生クリームも薄い。
契約農家が直接納入されていた当時のクリームとは美味しさが違うのも仕方がないのかもしれません。
それだけ素材の味が出来上がりに大きく影響する繊細なデセールだったのですね。


一番の特徴はfond(生地)と2種類のcrème(クリーム)。
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↑とっても薄い「fond de Marjolaine」焼成後すぐにパリパリになる。これを柔らかく戻して使用。

生地はメレンゲを十二分に泡立て過ぎと思う位まで泡立て、油が出ないよう注意深く
ブロワイユーズにかけられたナッツを加えて泡がつぶれてトロリとするまで混ぜた生地を、出来る限り薄く
伸ばしてしっかりと焼き色が付くまで焼成。
店ではそれをワインカーヴに3日間保存して柔らかく戻していたそうです(日本ではどうしても戻らない為、
止むを得ず霧吹きで湿らせていましたが、当然ながら自然に戻ったものと同じにはなりません)。

一般的なシュクセと異なり、挟むクリームはバタークリームではなく、クレーム・シャンティ。
泡立てたシャンティーに溶かした熱いバターを混ぜ込むことで保形性を持たせると同時に香りとコクをプラスしています。
保形性と言う点でもゼラチン等ではなく、口に入れた瞬間に溶けるバターを使っている所がポイント。
もう1層のシャンティ・オ・プラリネも、ただシャンティに混ぜればよいわけではなく、泡をつぶさないよう、分離させないように合わせないと出来上がりのクリームは重く、厚みの無いものになってしまいます。

上下のフォンにはさんだガナッシュも硬すぎず厚すぎず、口の中で全部が一緒に溶けていくような食べ心地♪
フォンが薄く柔らかいので、よくあるビスキュイのように口から水分を奪うようなこともありません。

この時は運よくセミナー後に川北先生からさらに貴重なお話をたっぷりお聞きすることが出来ました♪
(あまりおしゃべりが過ぎて、なんと完成品の写真が撮れず・・・ガックリ)
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残念ながらいつ考案されたのかは不明です。
(古くから働いていた現在のグラン・シェフの方々にお聞きすれば分かるかもしれません)
ポワン氏自身が考案したとのことですから、20世紀初めであることは間違いありません。

1970年代のフランスでもシャンティーを使ったお菓子はシュー・シャンティイ位しか見つからなかったそうですが、それよりもっと以前に、しかもそれまでにない作り方でこれほど繊細なものを作りだすとは驚き!

マルジョレーヌという名前のお菓子はピラミッド以外でも作られてはいましたが、全く別物だったそう。
自分の持っている本で調べてみると、確かに「La Pâtisserie d’Aujourd’hui」(Urbain Dubois著1894年)に「Gâteau Marjolaine」が、「Traité de Pâtisserie Moderne」(Darenne et Duval共著 )には「Marjolaine」という名前のお菓子が掲載されていました。
いずれも薄く焼いたアーモンド入りのメレンゲ生地(シュクセ生地)に、クレーム・フエッテ或いは
クレーム・オ・ブールを挟んで層にし表面にグラサージュをかけて飾り付けしたもので、ポワンさんのはこれらの進化系とも言える感じ。

また、上の写真のようにマルジョレーヌには「Gâteau succès ;ガトー・シュクセ」と言う別名がありましたが、これらのマルジョレーヌは「19世紀末から20世紀前半にかけてフランス各地で見られ、
現在でも多くの地域でスペシャリテとして残っている、メレンゲにナッツを細かく引いた粉を混ぜて焼いた生地にバタークリームを挟んだお菓子」の1種(*)だと言ってもよいのではないでしょうか。
ただしパティスリーで販売されるこれらの菓子とは違い、一流レストランのデセールとして作られている為、
見た目も食べた感じもかなり異なりますが…。
* 個人的にこれらの菓子を「Dacquoise系菓子」と分類しています。
Saint-Epvre,Russe,St-Antheme,Ideal Chaumontais等々各地にスペシャリテとして残っています。
一部ですが、ココと、写真のみですがココでも紹介しています。



折を見てはダコワーズ系菓子を取材していましたが、今頃マルジョレーヌもその1つだったことに
気付いたのでした^^;
本物の「レストラン・ピラミッドのマルジョレーヌ」がいつまでも食べることが出来ますように。



※※※




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マルジョレーヌの写真や作り方・・・
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by Ethno-PATISSERIE | 2013-07-31 20:24 | 22Rhone-Alpes | Trackback | Comments(7)

気になるBiscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスの色

Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスの謎はまだあります。
それはなんといってもそのピンクに着色された「」。

Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」という名前の通り、バラ(ピンク)色に染められているわけですが、元々はBiscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスと呼ばれ、色付けされておらず白い色をしていました。
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                          ↑ その昔買ったビスキュイの缶

ではいつから、そして何故ピンク色に着色するようになったのでしょう?
前述の「l’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Champagne-Ardenne(2000年)」
の中では『奇妙なことに、19世紀末までビスキュイの色について言及する者は誰も居なかった。
しかしベルエポック(1900年代初頭)にépicerie de luxe Olidaはそのカタログの中で、他のビスキュイ・セック(ブードワール・シャンパーニュ・ペルレ・グラッセ等)と、2色(白と赤、赤は明らかにより高い)で販売されているビスキュイ・ドゥ・ランスを非常にはっきりと区別している。

とあります。

19-20世紀初めのルセットが掲載されている本20冊を見ると、全て「Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」。
Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」の名前は見当たらず、ピンクに着色するルセットは
1つも見つかりませんでした。

私が「Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」の名前が見つけられたのは2冊だけ。
Album Illustré de L’Almanache Didot-Bottin troisième volume (1878)」P-58-59
ここにはランスのビスキュイ製造者3つが名前を連ねており、そのうちのBrisset-Fossierだけが
Biscuits blancs et Roses vanillés 」と明記しています。
* これと同様に「Massepains blancs et Roses vanillés」の記述も有り、
マスパンにもピンク色のものがあったことが分かる。
* 他2つのメーカーは「Biscuits」の表記があるのみで、ピンク色があるのか無いのかは不明。


もう1冊は「Rome (avril 1885): Les Vosges (août-septembre 1885)」P-192で
biscuits roses de la maison Fossier à Reims …」と書かれています。

これだけを見るとFossierだけがピンク色のビスキュイを作っているような印象もありますが、
実際のところは残念ながら分からず・・・。


さて、ビスキュイの着色に使われるコチニール色素はいつからヨーロッパで使われるようになったのでしょう?
大航海時代に新大陸を発見したスペイン人は、古くから中南米で利用されていたこの色素を持ち帰り、
ヨーロッパ各国へ販売しました。16世紀のことです。
ビスキュイ・ドゥ・ランスが作られ始めた時代には既にコチニールが存在していたことになりますね。

色に関する記述は全く見つからないので、どうしてピンク色にしようと思ったのかは、残念ながら想像してみる以外
なさそうです。
このビスキュイには液体に浸しても容易に崩れず、屑がグラス等の底に落ちないという特徴があり、
ワイン、シャンパーニュ、リキュール等のアルコール飲料や、コーヒーや紅茶と言った温かい飲みものに浸して
食べられていました。

泡立つシャンパーニュが発明され、一般に普及するまでは、甘口ワインの他、当時地元で一般的だった
赤ワインと一緒に。
*ドン・ペリニヨンが発泡性のワインを始めて作ったのは1680年頃と言われる。
ただし、これ以前からすでにロンドンでは発泡性ワインが飲まれていた。


色の付いていないビスキュイを赤ワインに浸すと赤くなるので、シャンパーニュに浸すようになってからも
赤ワインに浸した時のようなピンク色に染めたらオシャレ~と想像したのかも?という仮説を立て、
試しに赤ワインに浸してみる為、赤く色付けない白いビスキュイを制作してみました^^
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         ↑ Coteaux champenois;コトー・シャンプノワ,Bouzy rouge;ブジ―・ルージュと一緒に
 
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      ↑ 実際に赤ワインに浸してみましたが、綺麗なピンクにはならないみたい・・・

浸して微妙な色になるからこそ、最初からピンク色にしてみたらキレイ?と思ったのかも・・・?
(う~ん、ちょっと無理があるかしら~^^;)


いずれにしてもビスキュイ・ドゥ・ランスはおしゃれなシーンが似合います♪




                              ※※※




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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-25 17:39 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

Biscuit rose de Reims ;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランスの起源は?

さて、Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランスは一体いつから作られるようになったのでしょうか?
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Fossier ;フォシエのサイトでは「1691年に考案された」と書かれています。
Lise Bésème-Pia著「LE BISCUITS ROSE DE REIMS(1999年)」には
1690年頃、シャンパーニュ地方のブーランジェたちはパン焼成後の窯の熱を利用して2度焼きすることを思いついた
とありますが、これを裏付けるものは見つけられず…。
ただ当初ビスキュイを作っていたのはパン屋だったことは確かなことです。


とは言え「Biscuit de Reims ;ビスキュイ・ドゥ・ランス」の歴史を考える前に、まずは「Biscuit ;ビスキュイ」について知る必要がありそうですね。

名前の起源。そもそもBiscuitとは どんなものだったのでしょうか?
「Biscuit ;ビスキュイ」とは 『bis-cuit(2度-焼いた)』と作り方がそのまま名前に付けられたもの。
Biscuitの語源は、後期ラテン語の「Biscotus」だといいます。
* 後期ラテン語(200~900年)では「Biscotus,Panis biscotus,Biscoctus」等いくつかある。
* 古フランス語(800~1300年)では「Besquis」10世紀に初めて現れた。


更に、このBiscotusの語源は
ラテン語の「Bis coquere(フランス語で「Bis=deux fois(二度) /coquere =cuire(焼く)」となっています。
これらはいずれもお菓子ではなく、「2度焼いたパン」のことでした。

多種類のパンを作っていた古代ギリシャ人は「dipyres」と呼ばれる2度焼きパンを作っており、これがビスキュイの誕生につながったのだそう。
* パン製造は、古代ギリシャ人があまりパンが発達していなかったローマへパン屋を出したことでその技術が伝わり、さらにガリア人へ伝わっていく。

この二度焼きパン、主に戦争で遠く離れた地へ赴く際に携帯する食料でした。
特に船で移動する海軍、商人、船乗りたちにとっては非常に重要な食料であり、中世には修道院で焼かれたパンをもう一度焼き、貧しい人々や巡礼者に配るものでもありました。


Nicolas-Abraham de La Framboisière著
Les Oeuvres de N. Abraham, Sieur de La Framboisière(1624年)」には
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節食(減食、ダイエット)用に、上質な小麦粉を使ったパン・ビスキュイがつくられる。四旬節のデザート用にはアニスを加えることもある
と書かれています。ここではまだパンの段階。


Antoine Furetière著「Dictionnaire universel (1690年)」では
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長期間保存させる為に2度焼成した、非常に乾燥させたパン。スペインワインに浸して食べるのによい
上等な小麦粉、卵、砂糖で作った美味しいお菓子のことでもある。アニス、レモン皮を加えることもある。また卵無しで、アーモンドペーストを用いたビスキュイ・ドゥ・カレーム(四旬節用ビスキュイ)もある
とあり、ようやくパンではないお菓子のビスキュイの記述がみられます。


また「Traité de Confiture ou Le nouveau et parfait Confiturier(1689年)」には
Biscuits(お菓子)のルセットが多く掲載されています。
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Biscuits communs(普通のビスキュイ)」の材料 「卵、砂糖、小麦粉、アニス」、「生地を型に入れて表面に粉砂糖を振って高温のオーブンで焼いた後、さらに熱い所において乾燥させる
という作り方は、まるでビスキュイ・ドゥ・ランスそのもの


つまり、『17世紀前半の時点でまだパンだったビスキュイは、その後お菓子のビスキュイがつくられるようになり、後半には2度焼きして乾燥させたお菓子のビスキュイも作られるようになった』ことが分かったことに…。
ただ、これがどこで作られるようになったか?は明記されておらず、残念ながら分かりません。


ではお菓子のビスキュイとランスの町が結びついたのはいつだったのでしょうか?
地方の特産物について詳しく紹介されている
l’inventaire du patrimoine culinaire de la France ;Champagne-Ardenne(2000年)」の中では
Legrand d’Aussyが『ランスは16世紀からbiscuits délicats(繊細なビスキュイ)で有名である』と主張しているのは18世紀でしかない
と書かれています。

どういうことなのか具体的に説明すると
Pierre Jean-Baptiste Legrand d’Aussy)著「Histoire de la vie privée des français(1782年)」には
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            ↑ 「bis-cuits delicats」と「Rheims(Reimsのこと)」の文字が見えますか?
「(*最初ビスキュイは2度焼きしたパンであったが)人は全てを洗練させいていくものなので、その後乾燥したカリカリの上品なビスキュイが作られても、最初の名前がそのまま使用された。今日、Reims ;ランス、Abbeville ;アブヴィル、その他フランスの多くの町がこの種のガトー・セックで有名である。ランスは既にリエボーの時代に有名であった。
という内容が書かれています。
それで「ここで書かれていることが16世紀のことであるか確証はないが、この本の書かれた18世紀では確かなはず」ということなのでしょうね^^
* リエボーの時代というのは恐らく「L'Agriculture et Maison Rustique(1564年)」等を著したJean Liebault (1535-1596年)の時代のこと。その為「16世紀から」という記述になっていると思われる。


1801年に出版された「Rapport du Jury Central sur les priduits de l’Agriculture et de l’industrie Tome II 」の中では
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                      ↑ 「biscuits dits de Reims」の文字。
  製造しているのがパリの為、ditsという語を加えてランス製ではなく「ランスタイプの」という意味合いにしてある。

ランスとその周辺で作られていたビスキュイ・ドゥ・ランスが数年前からパリでも作られるようになり、パリに工場を持つGuillout 氏は毎日5-6万個製造している
と書かれていることを考えると「17世紀中頃にはランスで既に知られた存在になっていた」としてもおかしくないような気がします。


一方、ランスに古くからあった主なビスキュイトリーの歴史から考えてみると
Petitjean 1722年創業。ただし当初はパン・デピスのみ製造。1838年Dagobert Petitjeanが店を引きついだ頃パン・デピスとビスキュイを製造。
Noël-Houzeau(Fossier1845年~) 1756年創業。ビスキュイとパン・デピスを製造。
Rogeron 1791年Marie Hongnatにより創業。当初はパン・デピスのみの製造だったが、すぐにビスキュイの製造も始められる。
Derungs 1800年創業。この年にパン屋を辞めビスキュイトリーとしてビスキュイ・ドゥ・ランスの工業化を行う。
Tarpin  1864年Charles Tarpinがrue de Marsでパン屋を始めたことに始まり、当初から既にビスキュイが作られていた。
Elie Sigaut 1877年 創業。当初からパン・デピスとビスキュイ・ドゥ・ランスが作られいた。

これを見ると1800年を前後してビスキュイを製造し始める所が殆ど。Noël-Houzeauが1756年と一番早いように見えます。
が、しかしMichel Thibault著「Les Biscuiteries de Reims (2003)」の中で
1793年annuaire du Familistère(ファミリステール年鑑)の広告にbiscuits Derungsの箱が紹介されており、
そこには
Maison Doyenne des Biscuits de Reims(ビスキュイ・ドゥ・ランスの最古の店)
Maison fondée en 1691(1691年創設の店)
Les vrais Biscuits de Reims(本物のビスキュイ・ドゥ・ランス)

と書かれている

とあります。

創業の1800年より以前というのがちょっと気になりますが、
『1793年あるビスキュイティエが保守反動勢力の容疑者としてギロチンにかけられ』、このあるビスキュイティエの後継者Jean-François LejeuneがDerungsを創設し、彼は1800年、ビスキュイとパン・デピスの生産に集中するために工場を造り、パン屋を辞めた
とのことで、1800年に工業化する前もパン屋としてお店は存続していたのでしょうね。
さらに『Derungs の建物があったrue Dieu Lumièreには、1691年の時点であるパン屋が既にビスキュイを製造しており、それが最初のビスキュイ・ドゥ・ランスだ』と言う話(伝説?)があるのでした。

実際にこの最初の広告を確認することは出来ませんでしたが、
Fossierやその他の人々によって
『ビスキュイ・ドゥ・ランスは1691年に作られた』或いは『1690年頃に作られた』とされている根拠
はどうもそこにあるようです。

前述の「Dictionnaire universel (1690年)」と「Traité de Confiture ou Le nouveau et parfait Confiturier(1689年)」にあるビスキュイ(お菓子)の存在も、それを裏付ける根拠にされているのでは?と思います。


戦争で多くの書類が失われてしまっている為、ビスキュイ・ドゥ・ランスの起源を明らかにするのもこの辺が限界かなぁ?



                                 ※※※





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by Ethno-PATISSERIE | 2013-05-03 15:19 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(4)

「Fossier ;フォシエ」のBiscuit de Reims ; ビスキュイ・ドゥ・ランス

日本でもたまに見かける「Fossier ;フォシエ」の「Biscuit Rose de Reims;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」。
ビスキュイ・ドゥ・ランスは卵・砂糖・小麦粉で作った生地を2度焼きして作られた保存の効く焼き菓子で
そのまま食べるというよりもsec;セック或いはdemi sec;ドゥミ・セックのシャンパーニュ、もしくはカフェや紅茶等
温かい飲み物等に浸して食べたり、またこれを素材にしてデザートに加工したりと広く利用されています。

フォシエは現在ランスの町に唯一残ったビスキュイトリーですが、歴史あるメゾンでもあります。

1845年ランスのパン職人Fossier;フォシエは、Maison Noël-Houzeau;ノエル・ウゾーの後継者として
place des Marchés(現在のPlace du Forum)に工房を作りました。

そのノエル・ウゾー社は1756年創業。
この当時からbiscuits ;ビスキュイ、massepains ;マスパン、pains d’épices ;パン・デピスが既に作られていました。
1775年6月ランスのノートルダム大聖堂で行われたルイ16世の戴冠式の折りには、この店のお菓子も献上されたと言いますので、ルイ16世は勿論マリー・アントワネットも一緒にノエル・ウゾー(フォシエ)のビスキュイをシャンパーニュと共に召し上がったことでしょう~^^
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その1756年創業のノエル・ウゾー社(10 place du Marché au bléに店がありました)を引き継いだことから、
フォシエでは創業を1756年としているのです。今年(2013年)は257周年と言うことになりますね。

1871年にはフォシエ氏の娘Marie-Clémentine Fossier;マリー=クレモンティヌ・フォシエが共同事業者であった
Emile Brisset氏と結婚。
これを機にL’Hôtel de La Salle(Jean-Baptiste de La Salleの生家,6 rue de l’Arbalète)にも店と工房が
作られています。
◎捕捉;Jean-Baptiste de La Salle ;ジャン・バチスト・ドゥ・ラ・サル(1651 - 1719年))は、上流階級ではない
平民の子供たちを教育する目的でラ・サール修道会を創設した修道士。迫害され苦労したが、その死後19世紀になってから認められて1900年には聖人に列せられ、1950年には 教育者の守護聖人とされた。現在ラ・サール会(キリスト教学校修士会)は世界中で学校を経営しており日本にもある。因みにタレントのラサール石井氏はラ・サール高等学校出身


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Lettre du tour de France Reims et le pays rémois en 1872」(Georges Le Guesnier著1873年刊)の中で『現在フォシエの名前は最もよく知られ、とても客が多い』と書かれているように、当時から既にとても
評判の良い有名店でした。

当初ランスだけで製造されていたビスキュイ・ドゥ・ランスですが、1820年頃には他の地域でも製造されるようになり
とりわけパリに工場が集中し、1866年には200もの工場で大量生産されるようになり世界中へ輸出されるほどに。
つまりビスキュイ・ドゥ・ランスは『ランスで作られたビスキュイ』ではなく
ランス(で製造されている)タイプのビスキュイ』という認識に変わっていました。

ただそれらは全く同じものであったわけではなく、ランス製ビスキュイは細長くて一方の幅がより狭くなった
シャンパーニュに浸しやすいスタイル。
材料もランス製が『卵、砂糖、小麦粉、バニラ』であるのに対し、他ではミョウバンや重曹を加えているものもあり、
しっかり乾燥したものだけではなく柔らかいものもある等、ランス製以外のものはバラツキがあったようです。
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さて、1950年代のランスにはビスキュイトリーが15軒ありました。
それが次第に財政的困難(倒産、合併、買収)の為に数が減り、最後に残ったのはBiscuiterie Rémoise;
ビスキュイトリー・レモワーズ
(1984-1987年まで一時閉鎖)とFossier;フォシエの2軒でした。

1994年Société Générale Biscuit Luの所有となっていたビスキュイトリー・レモワーズを
Luの元幹部Charles de Fougeroux;シャルル・ドゥ・フージュルー氏が買い取り、1996年彼の兄弟であるAlain;アランも副社長として加わります。
1997年には厳しい経営状態にあったフォシエを買い取り、より歴史のあるフォシエの名のもとにブランドを統一。
こうしてフォシエがランスでビスキュイ・ドゥ・ランスを製造販売する唯一のビスキュイトリーとなったのでした。

その後シャルル・ドゥ・フージュルー氏は生産力の強化と合理化を図る為、ランス郊外に新しく工場を建設。
(2004年11月完成)
工場は団体で申し込めば見学することが可能で、直売所も併設されています。
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さて、私がこの工場を訪れたのは2006年のこと・・・。

フランス地方菓子・伝統菓子の取材と言うことで見学をさせて頂きました。
見学はまずビスキュイとフォシエについてのビデオから始まりました。
この部屋にはかつて使われたポスターやかつて使われていたビスキュイの型などの展示も♪

次はいよいよ工場へ。まずは中2階の位置にあるガラス張りの廊下からの見学です。
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かなり余裕のある広い場所で数人の男性が作業をしていました。中へも入れて頂きましたが、完全に機械化されているという印象ではなく、特に包装をする部屋ではビスキュイの袋詰め作業が女性たちの手によって全て手作業で行われていました。
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女性の担当者が検査やデータを管理する、品質管理室の見学まで♪
従業員の心得的な内容を掲げた額も飾ってあったりして、真面目で明るい、前向きな職場という印象でした。


かつてのフォシエについて尋ねてみると、合併された1997年頃までは44,bd Jaminにあったフォシエの建物に
古いFour à bois(薪釜)がまだ残っていたのだとか!

ビスキュイも一部はこれで焼成され、cours Jean-Baptiste Langletにあるお店では他の通常品とは別に
(もちろん高い値段設定で)販売されていました。
生地は手作業で三連の小さな型に詰め、粉砂糖を2回振りかけ、オーブンへ。その後エチューブに1晩入れて乾燥。
古い薪釜であるために焼きムラもありましたが、昔からの常連客は自分の好みの焼き具合のビスキュイを買いに来ていたのだそうです。もちろん味も現代的なオーブンで焼かれたものとは明らかに違っていたそうで…。


初めてランスを訪れたのは今からかれこれ20年以上前。
このことを知っていたら何としてでも薪釜で焼いたビスキュイも食べてみたかった!



                               ※※※



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by Ethno-PATISSERIE | 2013-04-27 00:28 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

「Marianne Hirigoyenのガトー バスク」

ガトー バスク博物館のマリシュラール氏に教わった店「Pâtisserie Ingres-Echeverria」。
初めてガトー バスクを商品として販売し始めたMarianne Hirigoyenのルセットを継承している
唯一のお店です。

この店があるのはCambo-les-Bains ;カンボ レ バン。
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↑ 駅から中心地まで歩く

b0189215_1451117.jpg古くは温泉を意味を意味していたles-Bainsという地名が
示すように温泉地で、現在でも温泉施設が残されている他、
マルセイユ出身の劇作家で「シラノ・ド・ベルジュラック」を書いたEdmond Rostand ; エドモン・ロスタンの別荘villa Arnagaがあることでも有名な街。
ここへはバイヨンヌからバスと電車が通っていますが、季節によっては無人駅となっていることもあるのでご注意を。
タクシーも無く、中心地は駅から少し遠い丘の上にあるので、荷物が重いと歩くのはちょっと大変!





 ← 駅から畑の横を通り、橋を渡って上の町までテクテク♪

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1999年にもこの町へ来ましたが、
その当時はこの店のことは知らず、
サクランボ農家を取材した際お土産に
頂いたガトー バスクは同じ町にある別のお店のものでした。

2000年にガトー バスク博物館を訪ねた際は、時間が無くて帰りがけに店の前を通ってもらうことしかできず、念願かなって訪問できたのは2003年のこと。


→ 当日、店前にある広場の気持ちよさそうな木陰では古書市が…


現在のオーナーはJean-Michel Echeverria氏。
彼の父がAnneとElisabethの姉妹からルセットを引き継いだAlbert Ingres氏の店に1948年から働き始め、
1950年にIngres氏から店とルセットを買い取ったそうです。

「Soeurs Biskotx」とあだ名されたDibar姉妹の姉Anne Dibarが
「地元のIngresというパティシエにルセットを伝えた」
ということなので、現在のPâtisserie Ingres-EcheverriaはIngresの店があった場所と同じではありますが、
Marianne Hirigoyenの店があった場所とは違うことが分かります。

Jean-Michelはまだまだ若い青年で、菓子の歴史については詳しく知らず(あまり興味がない様子)、
クレーム パティシエール入りのガトー バスクの方がサクランボ入りよりも古いと思っていたようで…
(クリーム入りが作られるようになったのは19世紀末から)
彼の父親は既に退職している為、色々な話を聞けなかったことが非常に残念でなりません。

b0189215_15105416.jpg店はクラッシックな作りで、店内には広めの喫茶スペースがあり、母親がお店を担当していました。

外から見えるスペースにはスペシャリテの
ガトー バスク。ショーケースには彼が修業したバスクにある有名店にあるような今どきのお菓子も並んでいます。



← Jean-Michelさんと
お菓子を持つ彼のお母さん



ひと通り話し終わると地下にあるラボへ行き、作り方を見せていただきました。
「ガトー バスクのスペシャリスト」と紹介されたJean-Claude Lazcanoさん。
この当時59歳で「もうすぐ引退する」と言っていたので、きっともういらっしゃいませんね。

使う生地はPâte sabléeに似た(でも違う)もので、大量に仕込んでありました。
b0189215_15305055.jpgb0189215_15313989.jpgb0189215_15321873.jpg
これを適当な大きさ切り取って手早く円形に伸ばし、タルト型に敷きこみます。
ブリブリッと固めに煮たcrème pâtissièreをコルネですくって詰め、同様に丸く伸ばした生地で蓋をする。
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卵でドレし、小さめの抜き型で三日月形に抜いた生地を4枚並べてローブリュー形に並べてとアッと言う間に完成。
後は200~220℃のオーブンで焼くだけです。1日に30個程作るとか。

crème pâtissièreを入れたものも意外に日持ちが良くて(合計2度火を通している為)常温で3日間保存可能です。


b0189215_1553242.jpgさて「Marianne Hirigoyenの店はどこにあったのでしょうか?」
この菓子のスペシャリストで歴史家のMarcel Douyrou氏の記事によれば、Marianneの時代Xerri Karrika地区に彼女は小さな店を持っていたことが分かっているといいます。
この地区が現在同じ名前の通りがあるあたりだとするとPâtisserie Ingres-Echeverriaのある場所とは違うことが
分かります。
またDibar姉妹は30年間「ガトー バスクを入れた籠を持ってrue des Terrassesのmaison Gasteluberriaという店へ通う姿が見られた」ということなので、彼女たちもこの付近に店は持っていなかったことが伺えます。


→ 焼きあがったガトー バスクが沢山♪

Marianneの店が映っているポストカードがあるので、実際に行ってみれば正確な場所は分かるかもしれません。
いつかMarcel Douyrou氏にお会いできるといいんだけどなぁ!



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by Ethno-PATISSERIE | 2010-06-17 16:12 | ②Aquitaine | Trackback | Comments(4)