Fontainebleau;フォンテーヌブローと言う名のチーズ

Fonatinebleau;フォンテーヌブロー」はIlede France地域圏Seine et Marne県の町、フォンテーヌブローのスペシャリテ。

以前書いた「Crémet d’Anjou;クレメ・ダンジュー」同様フロマージュの1種で、主にFromagerie;フロマジュリー(チーズ屋)Crémerie ;クレムリー(乳製品を扱う店)等で扱われます。

・「Crêmet d’Anjou ;クレメ・ダンジュー」は生クリームに泡立てた卵白を混ぜ、水切りしたもの。詳細はこちら★と☆でどうぞ。

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お菓子講習会用に作ったフロマージュ・ブラン+クレーム・フエッテ使用のフォンテーヌブロー

料理事典のLarousse Gastronomiqueやチーズ専門店Maison Androuetなど、一般的にはフロマージュ・ブランに泡立てた生クリームを加えたタイプが作られていますが、

フォンテーヌブローにあるFromagerie Barthélémy-GoursatとパリのFromagerie Barthélémyでは、生クリームにクレーム・エペッスをブレンドしたものを原料として、チーズは使用しないタイプが作られており、作り方の詳細は秘密とされています。

フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅する「L’inventaire du patrimine culinare de la France 」のIl de Franceでは、その歴史は「Barthélémy氏によると」という注釈付きで、「18世紀末にさかのぼり、Rue Grandeにあった乳製品販売所で誕生したとされる。」と書かれています。さらに詳しくは「近隣の農家から、二輪荷馬車に積んで石畳の上を運ばれた牛乳缶の上部にクリーム分が泡立って出来た層が出来ているのに気づいたことから誕生した」というお話。

残念ながらそれを裏付けるような事実は明らかにされていません。


しかし、Crêmet;クレメの所でも書きましたが、チーズは使わずに、牛乳や生クリーム+αで作られた「Fromage」と分類されるものは古くから存在しており、広く作られていました。

古書を調べるのはいささか大変でしたが、見つけられた本で一番古いのは「Dictionnaire de chimie industrielle(1862)Charles Louis Barreswil著でした。

フロマージュ・フレ(フレッシュ・チーズ)を引用する中で、「crème de Blois ;クレーム・ドゥ・ブロワとCrème de Fontainebleau;クレーム・ドゥ・フォンテーヌブローは非常に有名である」と書かれていました。ブロワにも同じようなものが存在していて、同じように有名だったことが分かります。


これ以降の本でもフォンテーヌブローは、「fromage à la crème spéciale(特別なクリームのチーズ)」「fromage à la crèmeaérée(空気を含んだ軽いクリームのチーズ)」等と書かれ、1933年に出版されたキュルノンスキーとクローズ共著の「Le Trésor gastronomique de France」でもイル・ド・フランスのチーズのスペシャリテの1つとして「Fromage de Fontainebleau」が掲載されており、長い間変わらず人気があり、作り続けられてきたことが分かります。


本場のフォンテーヌブローの画像や、「Fromagerie Barthélémy-Goursa」については、Gilles Pudlowski氏のこちら記事やこちらをどうぞ。


はたしていつ誰が、作ったものなのでしょうか?そして本来のフォンテーヌブローの作り方、はたまたバルテレミーの作り方も気になります♪




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# by Ethno-PATISSERIE | 2018-07-24 21:17 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(2)

La Vaute とLes Vautes。単数と複数で違いのあるお菓子

ここでご紹介するLa Vaute ;ヴォートは、ロレーヌ地方現在のGrand-Est地域圏の一部の地方菓子。

Vaute;ヴォート(単数形)』と『Vautes;ヴォー(複数形)』では全く別物になるという、なんとも珍しいお菓子です。

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複数形の方はフライパンで両面焼いて作る、クレープ状のお菓子。

こちらの方はより古くからあってロレーヌ地方の他、アルデンヌ地方、シャンパーニュ地方、ベルギー等、広い範囲で見られます。

地域によって名前も少しずつ変わりますが、一般的なものよりも厚めだったり、果物を混ぜた小さいものだったり、千切りにしたジャガイモを入りの塩味バージョンだったりお菓子自体も変わります。

地域によってVauteの他にもVôteVoûteVaûte等の名前が見られる。ジャガイモのヴォートはRapés ;ラぺという別名も。

・小さく焼いたものはBeignet;ベニエとも呼ばれる。ベニエは一般的には揚げたものを指すが、このあたりでは別の意味も持つ。

・最近はクレープ、ベニエと呼ばれることが多く、ヴォートの名前は使われないことがある。

・使われるフルーツはリンゴ、サクランボ、ミラベル、ブルーベリー、イチゴ等々。


古書をひも解くと…

Dictionnaire de l'ancienne languefrançaise, et de tous ses dialectes du IXe au XVe siècle/1895」 1895年に出版された、9~15世紀の古いフランス語と俚言についての辞書の中には「Volte」の文字があり、omelette;オムレット(オムレツ), crèpe(クレープ) の意味があることが書かれていました。

さらに、ベルギー南部のフランス語圏では「vôte, ジュラでは「voile」と言う名前で「omelette soufflé(スフレ風オムレツ)」を指し、ロレーヌ地方、メッス周辺では vôte, シャンパーニュ地方では「vaute」と言う名前で「crêpe(クレープ)」を指す言葉であったことが書かれています。



さて、では単数の『Vaute;ヴォート』は?と言うと…。

オーブン用の器に季節のフルーツと共に入れて焼く、クラフティのようなタイプのお菓子になります。

・こちらのヴォートはサクランボやミラベルを使ったルセットが多く見受けられる。

・ロレーヌ地方以外でも単数形の「Vaute」は見られるが、この場合は1枚だけ大きく厚めに焼くクレープを指す。


クラフティと言っても小麦粉やバターも多く入るので食感はかなり違い、独特な食感。小麦粉が多い分重たくなりますが、最後に泡立てたメレンゲを加えることで軽さを出しています。

冷えると固く、重たくなるので温かいうちがより美味しく食べられますね。(焼きたてと全く同じではありませんが、焼き直した方が美味しい。)


Encyclopédie des Spécialités pâtissières Tom 1 La Lorraineには、このタイプは19世紀から20世紀前半にかけて流行したとありました。

直火を使いフライパンで調理するクレープに比べ、こちらはオーブンが無いと作れません。

田舎でオーブンが使われるようになった時代に作られるようになった、新しいものであることが分かりますね。

フランス各地の食に関するスペシャリテを網羅するL’inventaire du patrimineculinare de la FranceLorraine版には、歴史等の詳しい説明がなくルセットが掲載されているのみ。

色々と探してみましたが、残念ながらその歴史等、詳細は分かりませんでした。

いずれのお菓子も田舎で多く作られ、自分の家や近隣で採れたフルーツをたっぷり使ったおやつだったことは間違いありませんね。


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季節のフルーツ、サクランボと杏を入れたヴォート、たっぷりのアングレーズソースと共に


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# by Ethno-PATISSERIE | 2018-07-22 22:31 | ⑮Lorraine | Trackback | Comments(2)

アルザスの復活祭菓子『Tarte à la semoule et au safran』

去る4月16日はキリスト教の典礼暦で祝われる移動祝日、Pâques;パック(復活祭)でした。

復活祭のお菓子というと、やはり様々な形に象られたチョコレート細工。伝統的な形には卵や鶏、ウサギや鐘等々があります。

* 1956年にはアルザスのBas-Rhin県には総勢1300人を有する10の大きなショコラトリーが存在し、国内3位の規模を誇っていた。野兎や卵等々の復活祭向けチョコレート細工もアルザスでは多く作られていた。


これとは別にアルザスでは陶製型で焼かれた仔羊形のビスキュイ「Agneau pascal;アニョー・パスカル」も作られていて、ショーウインドーには沢山の仔羊たちが並べられた光景が見られてワクワクします♪

* 元々はお菓子ではなく仔羊肉を食べる習慣のあったものが、仔羊形に作った発酵生地のお菓子に置き換えられ、その後ようやくビスキュイ生地でも作られるようになったと言われる。

*アニョー・パスカルについてはこちら でご紹介。


アルザスでは、このアニョー・パスカルの他に『Tarte à la semoule;タルト・ア・ラ・スムール(別名;Osterfladen;オスターフラーデン)というお菓子も作られていました。

特にサフラン入りのものは『Tarte à la semoule du Kochersberg;タルト・ア・ラ・スムール・デュ・コッヘルスベルグ』と名付けられ、Kochersbergの地名が加えられています。

* コッヘルスベルグ(正確な発音とはちょっと違う)はストラスブールの北西に位置する自然地理区。

* フランスには県など行政区分とは別に、自然地理区(region naturelle)と呼ばれる地域区分があり地形などの物理的特徴や独自の文化的アイデンティティによって分けられている。

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↑ Tarte à la semoule et au safran du Kochersberg


サフラン無しの『Tarte à la semoule』、これは現在スイス(ドイツ語圏)で作られている「Osterfladen」とおそらく同じ起源のもの。

かの地では中に詰めるアパレイユをあらかじめ煮たもの(お米やセモリナ粉をドロリとした粥状のもの)を入れる場合と、材料を混ぜただけのものがあり、軽くするためか最後にメレンゲを加えているものが多いようです。

* ドイツにもOsterfladenは存在するが、こちらは丸く焼いた発酵菓子を指す。


アルザスの『Tarte à la semoule;タルト・ア・ラ・スムール』は、前者(あらかじめ煮たアパレイユを詰める)の作り方でメレンゲは加えません(加えるルセットもある)。

ずっと作り続けられているスイスの「Osterfladen」は現代的なものへと徐々に変化しているであろうと考えると、アルザスに伝わるルセットはより古い形を留めているのではないかと想像…^^


現在アルザスではあまり見かけなくなったこのタルト、非常に古くからあったと言われているのですが、具体的にはいつ頃からあるお菓子なのでしょう?

私が見つけることのできたフランス語での記述「Osterfladen(flan dePâques)」で、一番古いものは1861年発行のRevue d'Alsaceでした。アルザスで作られる様々なお菓子が列記される中、この菓子も記載されています(たたし、どのようなお菓子だったのか詳細は不明)


スイスで「Osterfladenと言う名前の付くお菓子はさらに古くから存在していたようです。でも現在作られている菓子と類似したルセットの記述は16世紀末なのだとか…(残念ながらドイツ語が読めないので詳しく調べることが出来ず)。

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↑ サフラン無しのOsterfladen(Tarte à la semoule)

地方の名前が付いたサフラン入りのバージョンは残念ながら現在はKochersbergのお菓子屋さんで見かけることはなく、地元観光局のお姉さんに尋ねても知らないレベル…。

* Sélestat;セレスタ(ストラスブールとミュルーズの中間にある町)にあるパン屋さんのミュゼ(博物館)La Maison du Pain d’Alsace」では、復活祭のお菓子としてlammala (Agneau pascal)と共にOsterfläde (tarte à la semoule et raisins)Osterbrot (Pain de Pâques)が紹介されており、季節になればこのタルト(サフラン無し)が店に並んでいるようです。ミュゼのサイトに「Lammalas,Osterbrot et osterflade」の文字が見られ、4/15~16の3日間店頭に並んでいたことが分かります。


さて、いつからサフランを加えるようになり、いつからKochersbergの復活祭菓子として作られるようになったのでしょうか?

中世にはフランスを含むヨーロッパで広くサフランの栽培が行われ、アルザスでも栽培されていました。お祝い用のパンやお菓子・料理などにも使われています。

観光局のお姉さんによると「Kochersbergは人々が往来する場でもあり、アルザスの他の地域よりも伝統的にスパイスが多用されていた地域だった」と言います。

サフランの色は太陽や金、栄光を象徴する色。スパイスが身近だったこの地の誰かが復活祭のお祝いにとサフランを加えたのでしょうが、謎は解明されないまま…。


先日行ったお菓子講習会では復活祭が近いこともあり、この『Tarte à lasemoule et au safran;タルト・ア・ラ・スムール・エ・オ・サフラン』を作りました(三宝柑とイチゴのフルーツサラダ、クレーム・シャンティイを添えて…)。

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もうお店で作られることは無くなったサフラン入りのOsterfladen。中世の時代に思いを馳せて…。冷めて時間が経つと、中のガルニチュールが固くコンパクトになるので、やはり出来立てが一番美味しい~♪


おまけのお菓子はAgneau(仔羊)ではなくてLièvre(野ウサギ) pascalアルザス・スフレンナイムで作られた陶製型を使って焼いたビスキュイです。

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# by Ethno-PATISSERIE | 2017-04-20 18:13 | ①Alsace | Trackback | Comments(2)

カーニバルのお菓子『Garguesse ;ガルゲス』   

もうすぐPâques;パック(復活祭;今年2017年は4月16日)とちょっと季節遅れではありますが、先月お菓子講習会で作ったカーニバルのお菓子をご紹介…。

フランスで、Carnaval (カーニバル)の時期に食べられるお菓子は大きく分けて3つ。

Begnet ;ベニエ Crêpe ;クレープ Gaufre ;ゴーフル


それぞれ地域によって作られる種類が変わります。1種類だけ、或いは2種類作る地域、家庭によっては全部作るというところも

ゴーフルは型が無いと出来ませんが、その昔オーブンが無かった家庭で作ることの出来るものばかり。ここからも、これらの菓子がいかに古くから作られてきたかが分かると思います。元々が家庭で作られていたお菓子だけあって、各家庭で独自のルセットがありました。

中でもベニエは、地域によって様々なタイプや形、そして名前が存在し、とても興味深いものです^^


さて、肝心の『garguesse ;ガルゲスについて

* スペル違いでGargaisses, Gargessesという語も見られる。

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↑ 教えてもらったルセットで作ったGarguesses;ガルゲス

garguesse;ガルゲス』は上記3種の中に含まれるベニエの1種で、Chandeleur ;シャンドルール(2月2日;聖母お清めの祝日)やカーニヴァルの時期に作られるベニエ(揚げ菓子)

Bourgogne-Franche-Comté地域圏Côte-d’Orコートドール県北部に位置するChatillonnais ;シャティヨネと呼ばれる自然地域圏辺りで使われていた、非常に限られた地域での古い名称です。

同じコートドール県とは言っても、croquignoles, golottes(golotes),pognonsという別の名称が使われていた地域もあり、県庁所在地Dijon ;ディジョンでは「fantaisies ;ファンテジー」という名称が使われました。

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↑ こちらはイースト菌を加えた発酵生地のGarguesse;ガルゲス

さて、『garguesseという一風変わったこの語の由来はどこから来たのでしょう。

ラブレーの「Gargantua ;ガルガンチュア」という語の中にもみられるように、「喉」を意味する古フランス語「gargate」に由来する』と考える人、或いは『frire(油で揚げる)が転じてbouillir(沸騰する)を意味するgargouiller(ボコボコ音を立てる)と同じ起源をもつ』のだろうと推察する人もいるようですが、残念ながら実際のところは不明です。

このベニエの存在を知ったのは、私が地方菓子の研究をしていることを知るフランスの友人から「お祖母さんのルセット」を教えて貰ったのがきっかけでした。

お祖母さんのガルゲスは小麦粉・バター・生クリーム(クレーム・エペス)・砂糖・卵を使い、オレンジフラワーウオーター、或いはバニラで香りをつけ、ごく薄く伸ばして揚げるものでしたが、他にもイースト菌やベーキングパウダーを加えたもの等、生クリームは加えないものなど、ルセットは様々あります。

その家だけの特別なものである分、知り合いから直接教えて貰ったルセットはやっぱり特別ですね^^


*他のベニエについてはこちら↓で少し紹介しています。


補足<Carnaval ;カルナヴァル(カーニバル)について>

「カーニヴァル」の語は、ラテン語のcarne « » levare « 取り除く »に由来し、「四旬節の開始」を意味しています。

一般的には「Carême(四旬節)の始まりを表すMercredi des Cendres(灰の水曜日) の前日であるMardi Gras ;マルディ・グラ(告解火曜日)を含む3日間から一週間ほど」がカーニヴァルの期間とされますが、 Carnaval de Nice(ニースのカーニヴァル)など、大々的に行われる町ではこの限りではありません。

* 本来の期間はEpiphanie(公現祭 ;16)からマルディ・グラ(移動祝祭日 ;今年2017年は228)までの期間で、そして当初はクリスマスからマルディ・グラまでの期間であったといいます。

仮面や仮装をすることによって社会的身分から解き放たれ、自由になって羽目をはずす、そして節制期間に入る前に飲んで踊って大いに楽むという目的でしたが、それも元々はキリスト教が現れる以前にあった春の訪れを祝う古代の春祭りで、寒く厳しい冬を追い出して春を呼び込む民俗行事でした。

冬から春に移り変わるこの時期に冬の悪霊追放、災害をもたらす精霊たちを威嚇するために変装や悪ふざけをしたり、あるいは社会的身分やタブーの境界線を消し去り、混沌としたカオスを作り出すことによって象徴的な「死=冬の象徴」を再現し、冬を追い出して(見送って)太陽を呼び戻し、植物が再び目覚める春を迎え入れることを目的とした原始的な行事だったと考えられています。


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# by Ethno-PATISSERIE | 2017-04-08 21:00 | ⑤Bourgogne | Trackback | Comments(2)

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」その後…  その②

前々回のブログで1669年創業のパティスリー「Au Puits Certain ;オ・ピュイ・セルタン」が40bis rue Saint-Jacquesへ移転するまでのお話し、そして前回のブログでは移転後どうなったか?について書きました。

店名を「Rousseau et Seurre Traiteurs ;ルソー・エ・スール・トレトゥール」と変え22,rue des Martyrsへ移転したわけですが、オーナーのGerard Seurreジェラール・スール氏退職に伴い、2011年2月に閉店したところまでのお話でした。

今回はその後について…


22,rue des Martyrs(マルティール通り22番地)という住所の現在については、大勢の方がご存知のことだろうと思います。
そう、Sébastien Gaudard ;セバスチャン・ゴダール氏の1軒目のお店、「Pâtisserie des Martyrs;
パティスリー・デ・マルティール
」になっていますね♪
9区在住で自身のパティスリーを開くために場所探しをしていたゴダール氏がこの店を手に入れ、2011年末に
オープンしました。

ファッショナブルなパティスリーだった「デリカバー」から、同じくパティシエだった父親が作っていたような古典菓子へと原点回帰を果たし、さらに進化『Revisitée』させたゴダール氏が、ピエール・ラカンの流れを引き継いだジェラール・スール氏の店を手に入れたのは必然的なことだったのではないかとさえ感じます。

店内のショーケースにはPont-à-Mousson ;ポンタムッソンでパティスリーを経営していたゴダール氏の父Daniel Gaudard;ダニエル・ゴダール氏の考案したスペシャリテ「Mussipontain ;ミュシポンタン」をはじめとするクラシックな古典菓子が、シンプルながらも現代風でオシャレになって並べられ、伝統菓子継承者としてのゴダール氏の覚悟、心持が感じられるように思いました。
私のような古典菓子好きにはとても嬉しい~♪
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↑ Pont-à-Moussonの住人を指す男性名詞、「Mussipontain」と命名されたスペシャリテ



さて、開店からおよそ丸1年後の2013年、サロンデュショコラの為にゴダール氏が来日されました。
この時は仕事でご一緒させて頂きましたが、忙しくて雑談など出来る時間は無く…。
それでもゴダール氏が京都から関空経由で帰国させる日の朝、京都駅へお見送りに行った際、
ほんの少しだけお話しすることが出来ました♪
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↑ SDC来日時のGaudard氏

この時「ジェラール・スール氏が曾祖父ピエール・ラカンの貴重な蔵書をオークションにかけて手放してしまった」話や「自分も欲しいのが沢山あった」といった話しを聞き、ジェラール・スール氏の「ルソー・エ・スール・トレトゥール」という店が持っていた価値を改めて気付かされ、一度も(たぶん)訪れたことが無かったことを心から残念に思ったのでした(ここで働いたことのある日本人パティシエさんは結構いらっしゃるのでいつかお話を聞けたら嬉しいです^^)。
* こちらはオークション時のピエール・ラカン氏の蔵書リスト。全部で199点!さぞや多くの人の手に渡ったことでしょう。日本人で手に入れた人は居ないかなぁ。気になります♪

ところで皆さんは「パティスリー・デ・マルティール」の正面左側のところに『Succr Lacam Seurre』と金文字で書かれているのをご存知でしょうか。これは『ラカム スールの後継者』という意味です。
* 開店当初の写真を見るとこの文字は書かれていません。いつのタイミングで書き加えられたのでしょうか。
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↑ 『Succr Lacam Seurre』の金文字

「紹介するに値する『パリで最も古いパティスリー』」のことを調べていたら、そのパティスリーの系譜が今でも連綿と続いていることが分かったのでした。


フランス菓子古地図散歩はまだまだ続く…^^



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おまけのお墓参り
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# by Ethno-PATISSERIE | 2016-09-01 17:27 | ⑫Paris/Ile-de-France | Trackback | Comments(3)