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「Fossier ;フォシエ」のBiscuit de Reims ; ビスキュイ・ドゥ・ランス

日本でもたまに見かける「Fossier ;フォシエ」の「Biscuit Rose de Reims;ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス」。
ビスキュイ・ドゥ・ランスは卵・砂糖・小麦粉で作った生地を2度焼きして作られた保存の効く焼き菓子でそのまま食べるというよりもsec;セック或いはdemi sec;ドゥミ・セックのシャンパーニュ、もしくはカフェや紅茶等温かい飲み物等に浸して食べたり、またこれを素材にしてデザートに加工したりと広く利用されています。

フォシエは現在ランスの町に唯一残ったビスキュイトリーですが、歴史あるメゾンでもあります。

1845年ランスのパン職人Fossier;フォシエは、Maison Noël-Houzeau;ノエル・ウゾーの後継者としてplace des Marchés(現在のPlace du Forum)に工房を作りました。

そのノエル・ウゾー社は1756年創業。
この当時からbiscuits ;ビスキュイ、massepains ;マスパン、pains d’épices ;パン・デピスが既に作られていました。
1775年6月ランスのノートルダム大聖堂で行われたルイ16世の戴冠式の折りには、この店のお菓子も献上されたと言いますので、ルイ16世は勿論マリー・アントワネットも一緒にノエル・ウゾー(フォシエ)のビスキュイをシャンパーニュと共に召し上がったことでしょう~^^
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その1756年創業のノエル・ウゾー社(10 place du Marché au bléに店がありました)を引き継いだことから、フォシエでは創業を1756年としているのです。今年(2013年)は257周年と言うことになりますね。

1871年にはフォシエ氏の娘Marie-Clémentine Fossier;マリー=クレモンティヌ・フォシエが共同事業者であったEmile Brisset氏と結婚。
これを機にL’Hôtel de La Salle(Jean-Baptiste de La Salleの生家,6 rue de l’Arbalète)にも店と工房が作られています。
◎捕捉;Jean-Baptiste de La Salle ;ジャン・バチスト・ドゥ・ラ・サル(1651 - 1719年))は、上流階級ではない平民の子供たちを教育する目的でラ・サール修道会を創設した修道士。迫害され苦労したが、その死後19世紀になってから認められて1900年には聖人に列せられ、1950年には 教育者の守護聖人とされた。現在ラ・サール会(キリスト教学校修士会)は世界中で学校を経営しており日本にもある。因みにタレントのラサール石井氏はラ・サール高等学校出身

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Lettre du tour de France Reims et le pays rémois en 1872」(Georges Le Guesnier著1873年刊)の中で『現在フォシエの名前は最もよく知られ、とても客が多い』と書かれているように、当時から既にとても評判の良い有名店でした。

当初ランスだけで製造されていたビスキュイ・ドゥ・ランスですが、1820年頃には他の地域でも製造されるようになり、とりわけパリに工場が集中し1866年には200もの工場で大量生産されるようになり世界中へ輸出されるほどに。
つまりビスキュイ・ドゥ・ランスは『ランスで作られたビスキュイ』ではなく『ランス(で製造されている)タイプのビスキュイ』という認識に変わっていました。

ただそれらは全く同じものであったわけではなく、ランス製ビスキュイは細長くて一方の幅がより狭くなったシャンパーニュに浸しやすいスタイル。
材料もランス製が『卵、砂糖、小麦粉、バニラ』であるのに対し、他ではミョウバンや重曹を加えているものもあり、しっかり乾燥したものだけではなく柔らかいものもある等、ランス製以外のものはバラツキがあったようです。
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さて、1950年代のランスにはビスキュイトリーが15軒ありました。
それが次第に財政的困難(倒産、合併、買収)の為に数が減り、最後に残ったのはBiscuiterie Rémoise;ビスキュイトリー・レモワーズ(1984-1987年まで一時閉鎖)とFossier;フォシエの2軒でした。

1994年Société Générale Biscuit Luの所有となっていたビスキュイトリー・レモワーズをLuの元幹部Charles de Fougeroux;シャルル・ドゥ・フージュルー氏が買い取り、1996年彼の兄弟であるAlain;アランも副社長として加わります。
1997年には厳しい経営状態にあったフォシエを買い取り、より歴史のあるフォシエの名のもとにブランドを統一。
こうしてフォシエがランスでビスキュイ・ドゥ・ランスを製造販売する唯一のビスキュイトリーとなったのでした。

その後シャルル・ドゥ・フージュルー氏は生産力の強化と合理化を図る為、ランス郊外に新しく工場を建設。
(2004年11月完成)
工場は団体で申し込めば見学することが可能で、直売所も併設されています。
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さて、私がこの工場を訪れたのは2006年のこと・・・。

フランス地方菓子・伝統菓子の取材と言うことで見学をさせて頂きました。
見学はまずビスキュイとフォシエについてのビデオから始まりました。
この部屋にはかつて使われたポスターやかつて使われていたビスキュイの型などの展示も♪

次はいよいよ工場へ。まずは中2階の位置にあるガラス張りの廊下からの見学です。
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かなり余裕のある広い場所で数人の男性が作業をしていました。中へも入れて頂きましたが、完全に機械化されているという印象ではなく、特に包装をする部屋ではビスキュイの袋詰め作業が女性たちの手によって全て手作業で行われていました。
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女性の担当者が検査やデータを管理する、品質管理室の見学まで♪
従業員の心得的な内容を掲げた額も飾ってあったりして、真面目で明るい、前向きな職場という印象でした。


かつてのフォシエについて尋ねてみると、合併された1997年頃までは44,bd Jaminにあったフォシエの建物に古いFour à bois(薪釜)がまだ残っていたのだとか!

ビスキュイも一部はこれで焼成され、cours Jean-Baptiste Langletにあるお店では他の通常品とは別に(もちろん高い値段設定で)販売されていました。
生地は手作業で三連の小さな型に詰め、粉砂糖を2回振りかけ、オーブンへ。その後エチューブに1晩入れて乾燥。
古い薪釜であるために焼きムラもありましたが、昔からの常連客は自分の好みの焼き具合のビスキュイを買いに来ていたのだそうです。もちろん味も現代的なオーブンで焼かれたものとは明らかに違っていたそうで…。


初めてランスを訪れたのは今からかれこれ20年以上前。
このことを知っていたら何としてでも薪釜で焼いたビスキュイも食べてみたかった!



                               ※※※



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Commented by M at 2013-04-27 08:05 x
ビスキュイ・ローズ・ドゥ・ランス、食べてみたいです。
私はカフェに浸してたべたいです。
工場見学はいいですね。良い体験ですよね。ビスキュイの袋詰めは手作業なんだなぁ。
ほんと薪釜で焼いたビスキュイも食べてみたいですね。
Commented by Ethno-PATISSERIE at 2013-04-27 10:26
Mさん かつて沢山あったビスキュイトリーのビスキュイも、もう食べられないのですよね。食べ比べするのが好きな者にとってはとても残念!
by Ethno-PATISSERIE | 2013-04-27 00:28 | ⑧Champagne-Ardenne | Trackback | Comments(2)

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