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マドレーヌについてはもう少し書きたいこともあるのですが、
ちょっとひと休みして6月が旬のサクランボについて取り上げたいと思います(もう6月も終りではありますが…)。 ![]() フランスには200種程あるそうですが、実際に流通しているのはその中のごく一部に過ぎません。 生産国第一位は意外(?)にもアメリカを押さえてトルコ! 野生種は紀元前から既に食べられており、 シャルルマーニュ(カール大帝)は国内に野生種ではない改良選抜品種を植えるように命じたといい、中世にはフランスで本格的な流通の為に改良品種の栽培が広まり、更に18世紀にはサクランボ好きだったルイ15世が栽培と品種改良を推奨したといいます。 フランスで栽培されているものは大きく2つ、 *cerises douces(Prunus avium);スイートチェリー、 *cerises acides (Prunus cerasus);サワーチェリー に分けられます。 更に前者は野生種であるmeriseの他、guigne(甘みと香りが強い。Fougerollesではこれをキルシュに加工)とbigarreau(生食用)タイプに分けられ、後者にはamarelle、griottesがあり、これらは甘みが少なく主としてコンフィやコンフィチュール等の加工用にされます(cerise de Montmorencyはここに含まれる)。 ![]() 季節のフルーツを使って家庭でも気軽に作られる デザートですが元々は地元で採れるcerises noires;黒サクランボを使ったリムーザン地方のお菓子。 この辺りでは今でもクラフティと言えばサクランボが入ったものを指し、他の果物を入れたものはflognardeと呼んで区別されます。 →Limogesのパン屋さんで買ったクラフティ ![]() これにはフランス語でremplir,garnir「一杯詰める、入れる」という意味もあって、これに由来した語です。 卵、砂糖、小麦粉、牛乳で作られたクレープ生地にサクランボを沢山入れるのがポイントで、味の深みが増し風味が良くなるということから種付きのまま焼き込むのが本来の姿です。 (サクランボ同士がくっついていたり、生地で完全に覆い隠すのは×) ↑上のクラフティの断面 ![]() 今では地元の古い品種も一般的な品種へと植え替えられ、市場では見られなくなりました。 それでもCorrèze県にある知り合いの実家にはまだその古い品種のサクランボの木が残っていると聞きます。 このサクランボで作ったクラフティ、いつか味わってみたいものです! ↑Saint Yrieix la Percheのお菓子屋さんのクラフティ ![]() Les Halles;屋内市場やパン屋さんで販売していました。 またビストロ等でデザートとしても出されています。 →St Léonard de Noblatのビストロで出されたデザート Clafoutis はLimousin地方と隣接するPoitou地方のあたりが起源であるとされていますが、 具体的にいつ、どの辺りで作られるようになったのかは調べてもよくわかりませんでした。 ![]() Auvergne地方のmilliardやgargouillau、Centre地方のmillat(Levrouxのスペシャリテ)やgoère、Bourgogne地方のtartouillatやcacou(Paray le Monialのスペシャリテ)、またPérigordやQuercy地方には何も入れないシンプルなcajasse等々。 ←Bourgogne地方の「Cacou」 このように似たお菓子は他にもあるというのに、 なぜクラフティだけが全国区へと広まり、現在の地位を得ることが出来たのでしょう? クラフティという可愛らしい名前のお陰なのでしょうか。 ■
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by Ethno-PATISSERIE
| 2009-06-27 14:09
| ⑭Limousin
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実際にコメルシーでマドレーヌが販売されるようになったのはいつ頃でしょうか?
最も古いmadeleinier(マドレーヌ製造者)はMaison Colombé。 150年続くブーランジェ・パティシエの家系で、cardinal de Retzに仕えていた者もいました。 またスタニスラスの厨房で働いていたClaude Colombéは1780年自身の店で Madeleine Paulmierのルセットで製造していたと言います。 Colombé家は「la Cloche d'Argent」と「la Cloche Lorraine」(↓で出てくるGROJEANの流れ)の2つの店を所有していましたが、後にこの商売をやめることになりhôtel de la Cloche d’Orを、型や窯ごとフランス西部出身の パティシエJean Brayに売却しています。 ![]() ![]() madeleiniersにはCloche d'Or, Cloche d'Argent, Cloche Lorraineといったcloche;鐘の文字が入った名前のところが多い。 これは大きな鐘をEglise Saint Pantéonに贈ったスタニスラス公に敬意を表しているため。 ←教会とその内部 ロレーヌの一地方都市であるコメルシーでは当初マドレーヌの需要もそれ程ありませんでした。 それが徐々に人口が増え始め、1851年にパリ-ストラスブール間の鉄道の開通し(完成は52年)、コメルシーにも駅が出来て交通の便が良くなると格段に需要が増えました。 (ヴォージュ産もみの木(後にブナの木)で作られた箱入りマドレーヌは輸送にも最適) 1874年10月13日には県令により駅ホームでのマドレーヌ販売が許可され、電車の停車中にマドレーヌを買うことが → 当時のポストカード(複製品) Maison Colombéの後、様々なmadeleinierが出現しますが20世紀初頭には10数件、1939年の段階では6件、 いずれも手工業的なものでした。 madeleines de la Cloche d’orの所有者となったMarcel Ullrichは、それまで1つ1つバラバラだった型を 現在のようなつながったものに改良。更にトンネル式のガスオーブンを導入し効率よく生産できるようにしました。 また薬剤師の助手をしていた父親はベーキングパウダー使用がビスキュイ製造に効果があることを発見した人で あったこともあり、Ullrichは味・生産面での発展に貢献したと言えるでしょう。 1982年には、1時間200kg、1週間15トンのマドレーヌを製造したといいますが、残念ながら火事等の度重なる 不運の為、今はもうありません。 ![]() Madeleine de Commercy GROJEAN/A la Cloche Lorrain /St Michel SAS こちらは大企業の傘下にある企業。 お店には2007年Espace Madeleineが併設され、ビデオでマドレーヌの歴史を辿ったり、製造を見学できるようになりました。 (1986年biscuiterie St Michelに買収され、更にドイツBahlsenの傘下となるが2006年フランスのMorina Baieグループに買収されている) →Grosjeanの外観 もう1つは町外れにあり、小規模に製造直売しています。 ガラス張りになっているので実際に作っているところが見られます。 駐車場も広く、喫茶コーナーもあるので車での旅行者に最適。 では、かつて町に沢山あったMadeleiniersの建物は今どうなっているでしょう? Confrérieの会長Robert Stemmelin氏にお聞きすると、多くの建物が改築されたり壊されたとのこと。 住所を頼りに訪ねてみましたが、やはり面影の残る建物は1件だけしか見つけることが出来ませんでした。 ※※※ Bibliographie ■
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by Ethno-PATISSERIE
| 2009-06-13 22:29
| ⑮Lorraine
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フランスで「マドレーヌの有名な町」と言えば、何と言っても真っ先にコメルシーが挙げられることでしょう。
![]() ここへはこれまでに3度訪れており、昨年はConfrérie gastronomique des Compagnons de la Madeleine de Commercyへの取材を試みましたが、タイミングが悪くて実現せず(1週間後ならバッチリだったのですが…)。 ←Commercy駅 さて、マドレーヌの由来は諸説あります。 1847年の段階で歴史学者Charles Dumontが「マドレーヌの考案者が分からないことは非常に残念だ」と言っているように、真実は闇の中。本当のことは誰にも分かりません。 ただ長い間作られていることを考えれば、帆立貝形のマドレーヌがこの町(或いはこの町に関係のある人)で考案されたと考えるのは、決して突飛なことではないように感じます。 ![]() これを踏まえたうえで2つ紹介しましょう。 * Madeleine Simoninが考案したとする説。 マドレーヌは恐らく当時コメルシーに住んでいたcardinal de Retz(Retz枢機卿) Paul de Gondiの料理人、Madeleine Simoninによって1661年pâte à beignetsを改良した新しいお菓子として考案されたものである。 枢機卿の友人であり、彼の家でよく食事をしていた Longueville公爵夫人により、料理人の名前にちなんでマドレーヌと名付けられた。 * Madeleine Paulmierと言う名前の給仕係が作ったとする説。 コメルシーの城でStanislas Leszczyński(1677-1766;元ポーランド王、 ロレーヌ公)主催の食事中、ある見習い料理人がシェフに対する怒りからデザート用のお菓子を台無しにしてしまい、給仕係がすぐに用意できる祖母の作っていたお菓子を作り、この窮地を救った。スタニスラスがこの給仕係の名前Madeleine Paulmierからマドレーヌと名付けた。 (その後スタニスラスの娘でルイ15世の妃Marie Leszczyńska(1703-1768)がヴェルサイユでマドレーヌを作らせたという話も) ← château Stanislas (観光局有) かわいらしい名前にぴったり後者の説は広く受け入れられているように思います。 しかし、仮にも元国王であったスタニスラスの食事会で、雇われの身である見習い料理人が、癇癪を起こしてデザートをダメにしてしまうなんて、もし本当だったら許される話ではないような気がしますが…。 この他にも * Talleyrandの料理人、Jean Aviceがカトルカールの生地をアスピック型で焼き、これをマドレーヌと名付けたとする説。 * Alexandre Dumasは「Le Grand Dictionnaire de cuisine(1873年)」の中でMme Perrotin de Barmondの下宿人で元料理人のMadeleine Paumier(Lは無い)に由来するというマドレーヌのルセットを紹介している。 などと、マドレーヌに関係する話は様々あります。 ![]() コメルシーのマドレーヌ以前にもマドレーヌという名前のお菓子は存在したのでしょうか? そしてそれは帆立貝形だったのでしょうか? タイムマシンでも出来ない限り、このなぞが解明されることは無いのかもしれませんね^^ ■
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by Ethno-PATISSERIE
| 2009-06-11 19:35
| ⑮Lorraine
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マドレーヌは様々な研究テーマの中でも特に愛着を感じるお菓子。
ぷっくりしたおへそのある貝殻の形がなんとも愛おしく、いつどこで誰がこの形で焼き始めたのか? なぞに満ちた、研究心をくすぐるお菓子です。 日本ではお菓子屋さんに必ずあるアイテムで1つずつ包装されて販売されていますが フランスではお菓子屋さんというより、大きな袋入りのものをスーパー等で買うイメージ。 また、マドレーヌをスペシャリテにしている町もいくつかあります。 Marcel Proust(1871-1922);マルセル・プルーストの本に出てくるマドレーヌのお話は、 実際に本を読んだことが無い人でも耳にしたことがあるのではないでしょうか。 (お気付きの通り、ブログのタイトルはプルーストの「A la recherche du temps perdu; 失われた時を求めて」をもじったものです笑) ![]() 2度目の留学の時、RouenにあるINBPという国立製菓・製パン学校へ入る前、 フランス各地を転々と移動しながら語学学校に通っている時でした。 元はIlliersという名前でしたが、プルーストがCombrayという架空の名前で小説を書いたことで有名になり、1971年、プルースト生誕100年を記念してIlliers-Combrayに改名されています。 実際この町は父の生まれ故郷。 マルセルが小さい頃、この町にある叔母Elisabeth Amiotの家でヴァカンスを過ごしたのだとか。 ![]() 「ここで紅茶(或いは菩提樹のハーブティ)にマドレーヌをひとかけら浸し、スプーンですくって…」とまるで今小説の中にいるかよう…。 ![]() こちらは最初に訪れた時のお菓子屋さんとマドレーヌ ![]() ![]() ![]() 車でノルマンディーへ行く途中、またマドレーヌを買いたくて。 お店が全く変っていなかったことはビックリと同時に嬉しいものでした。 (でも前には無かった箱入りが登場…。とはいえ所有者のChristian Védieさんは代わらずそのまま !) こちらは2回目に訪れた時。↑上と全く同じでしょ?(笑) ![]() ![]() ![]() 一般的なものは細長いものですが、より帆立貝に近いこの形が私のお気に入り。 マドレーヌがスペシャリテになっている町はスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼道沿いにあると言われ、巡礼の印で器としても使われていたという帆立貝とマドレーヌを結びつけて考えられています。 この町にある教会の名前はEglise Saint Jacques;サン・ジャック教会。 やはりこの町も巡礼道上にあったのでした。 さて、小説の主人公が紅茶に浸したマドレーヌを口にして、幼少期の出来事を思い出したように、 味覚や嗅覚からふと過去の記憶が蘇ることを「プルースト現象」等と呼ばれますが、 私にとって薪で燻された香りがそれにあたり、両親の実家で過ごした夏休みのことが鮮明に蘇ってきます。 あなたにとって「プルーストのマドレーヌ」は何ですか? ※※※ ■
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by Ethno-PATISSERIE
| 2009-06-03 21:52
| ⑦Centre
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カテゴリ
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